…私は忘れない。絶対に…
「…？」
どこからか声が聞こえた。
「誰かなにか言った？」
「誰も言ってないよ」
一緒に調査していたスタッフが言葉を返す。空耳かと思いシリアは再び手もとの破片に目をやる。
「へんなの」
現在シリアは古い王国の遺跡にいる。ほとんどが長い年月の侵食によって崩れ去り、周りの丘から当時の生活器具などが出てくるのみ。かろうじて形がわかるのはなにかの神殿だ。昔その王国はアルハンブラと呼ばれていた。この国は伝統的に女王が治めることになっていたようで、そのような記述のある文書などがあちこちの国から見つかっている。しかし第５１代目に当たるメティエル・ファイナ・トゥ・アルハビリアは、なぜか結婚をすることなく没した。彼女の治世時代、最高の繁栄を示したものの、それは消えてしまう直前の炎だった。炎は消える直前に一番美しく燃えあがるのだから。とにかくメティエルは子孫を残す事はなかった。それが原因だったのか次第に王家の権力は弱まり、第５５代女王の時に反乱勃発、そして後は王国自体が衰退の途をたどるようになったと言われる。
当時はとても美しかったらしい。それらしい跡が神殿の柱に伺える。そんな装飾を見やりなから彼女は子孫を残さなかったメティエルの事を考える。理由はないが親近感を持つのだ。昼間の調査が終わった後に、彼女は必ずと言っていいほどこの古びた巨大建築物の中に立つ。誰もいない薄闇の神殿。
「ずっと昔、ここではどんな不思議な儀式が行われていたんだろう…」
シリアは広いが何もない空間を歩く。一回りするとお腹も程よく減り夕食を取りにホテルに戻るのだった。
…守りたい…離れたくないよ…
なにかの気配に押され、カルサートとトミーは同時に顔を上げた。
「なんか言った？」
「いや。おまえが言ったのかと思ったが？」
トミーは月のかけらと思われる石の事を調べるためシリアに同行している。カルサートはシリアとトミーの手伝いという事になっているが、結局のところ暇つぶしをしているという感覚しかないのだった。
「…最近とくに空耳が多くなった気がする」
「おいおいトミー、もうボケたのか？」
「まて。俺達は同じ年だろうが…。とにかくこの場所に来てからだよ、こんなにひどいのは」
「……そうだなあ。実は俺もそうでさ、夜眠りにくい事があるぐらいだ」
二人はちょっと顔を見合わせていたが、考えてもわからない事なのでとりあえず保留する事にした。ちょうどそこにシリアが顔を出す。
「おーい、男供、ご飯に食べに行こ〜」
「なんだよその呼び方は？」
「だって女じゃないでしょ、あんた達」
「そりゃそうだが、せめて名前で呼んでくれや」
「面倒」
一言の下に拒絶されてしまった。さっさと彼女が歩き去るので彼らはさながら従者のごとくついていくしかない。
『まったくシリアは…』
同時に同じ言葉を発したことに彼らは気がつくと小さく笑い合った。
「最近多いよな、シンクロ」
笑うカルサートにトミーはおどけて見せた。
「どうせ似たような生活してるからだろ？なんてこった、こんな奴と同じ事を言うなんて…」
「こんな奴とはなんだ」
「じゃあ変態爆弾魔の方がいいか？シリアがよく言ってるだろ？」
「……こんな奴でいい」
「こらっ、ご飯いらないんだな。ぜーんぶ食っちゃる」
向こうからシリアの声が響く。男達は慌てて食堂へ入った。
実はシリアが彼らの名前を呼ばないのは面倒という事のほかに別の理由があった。アルハンブラ遺跡へ来てからと言うもの、なにか彼女自身の感情がおかしいのだ。正確に言えばカルサートとトミーに対する感情が以前とは違ってしまった。
「参ったなぁぁ…。どうしたっていうんだシリア…。ああぁぁぁもう！参った、参った、参った…」
ものすごく気まずそうな顔で一人ごちる。違ってしまった感情は彼らの名前を呼びにくくするどころか、顔を見る事すらも困難にしてしまった。リテがそれを聞いたら、彼女はきっとこう言うだろう。
「シリア。それは間違いなく『恋』ね」
しかしリテはいない。だからシリアはこのなんだかよくわからない感覚を抱えたまま、仕事をし彼らと顔を合わさなくてはならないのだった。
「そのうち元に戻るでしょ」
無理やりにそう結論付け彼女は現場に出かけていく。スタッフ達に混じってトミーが立っていた。
「どしたの、外に出てるなんて珍しいじゃない」
「一週間も資料と格闘してたらもう十分さ。なにか目新しいものが出てこないか見に来たよ」
「…カルスは？」
「あいつもいるよ。誰もいないところにいるのもなんだからっていって…。多分あのでかい神殿の中にいるだろう」
いわれてみれば柱の影に長い茶色の蓬髪が見える。
「まあ私たちの邪魔にならないようにしてね」
それだけを言い残してシリアは昨日までの続きを再開した。なぜかトミーが彼女の後ろからのぞきこんでくる。彼は何気ない気持ちだろうがシリアは落ち着かない。もしかして、彼女の状態を知っていてからかっているのか、などという邪推も生まれる。手元がおぼつかなくなり、彼にちょっとどこか別のところへ行ってもらおうと考えた時、地面がゆれた。
「おわっ、活動再開かぁ？」
「……激しくなるのかな」
アルハンブラ地方は（遺跡の名をとってそう呼ばれているのだが）世界有数の火山地帯になる。いつも何処かしらの火山が噴煙を上げつづけているのだ。その影響で地震が起きたのだろう。しかしそんな事を気にしていたら調査は出来ない。出来るだけ活動が小さい時を狙って研究者達が集まってくるのだ。
「やっぱりまだ地面がゆれるのには慣れないな…」
「私だってそうよ」
トミーの視線が外れた事に少しばかり感謝しながらシリアは作業を続ける。いっこうにゆれはおさまらない。そればかりは強くなっているようだ。
「今日はいったんここで休止するー！」
チーフが遠くで叫んだ。
「もどらなきゃ。ここにいたら危ない」
立ち去ろうとしたシリアの手をトミーがつかむ。
「カルスがまだ向こうにいる」
神殿は少し離れたところにあるのでチーフの撤収命令が聞こえなかったのだろう。
「あ…そうか。まったく世話の焼ける奴だ」
「まあそう言うなって。あれはあれでいいところが…………あったっけ？」
顔を見合わせると同時にふき出す。握られた手が痛い。
「…痛いんだけど」
トミーはじっとシリアの目を覗き込んだ。彼女にしては珍しい事に、視線に耐えきれず目をそらす。
「早く離して。痛いし、爆弾バカを捕獲しに行かなきゃ…」
「捕獲か。そうだな」
やっとの事で手を離してくれた。赤く跡になっている。トミーは彼女に背を向け、先に神殿の方に向かっていた。シリアも慌てて後を追う。
「ね…。私なんか悪い事した？」
「なんで？」
「だってなんだかいつもと違う気がするんだけど」
つと立ち止まる彼。
「違うのはおまえじゃないのかな？」
言われた言葉にはっとした。彼はシリアの事をずっと見ていたのだろう。心の中の、ほんの小さな変化がわかるくらいに。
もうシリアはなにも聞かなかった。ただ早くカルサートをつれ、安全な所へ行こうと願った。
「でかいな…。なに考えてこんなもん作ったんだろう」
カルサートは手近な岩の上に座り神殿全体を見回す。
（だけど…今の建築技術だとここまでしっかりした作りのものってなかなか出来ないような気が…。ほんっと、たいしたもんだよ）
ぼんやりとそんな事を思う。
（シリアが昔の事に惹かれるわけもわかる……かな）
彼は大きくため息をついた。最近なにか自分の心が暴走しているような節がある。表面には出していないつもりだが。あの空耳が聞こえ出してからどうもおかしい。
（シリア、か）
彼の暴走の原因は彼女だ。彼女の態度が変わってきた事を感じるにつけ、自分はどうしていいのかわからなくなる。
「……名前、呼んでくれないんだよなあ…ここに来てから」
とくにたいした事ではないのだろうが、なんとなく寂しい感じがする。
「でも俺だけじゃないんだよな。トミーもそうらしい」
一体あいつはどうしたっていうんだ…？
もう一度大きなため息をつく。と地面がゆれた。
「またか。でも向こうは…」
調査現場の方を向くとたいした動きはない。
「まだいるなら大丈夫だな」
安心して考え事を再開した。
……―。ごめんなさい。……
「なんだぁ？」
今までとはちょっと違う声だった。女の声のようだ。それにあまりにもはっきり聞こえたので誰かがその辺りにいるのかとも思った。
「……？…まったくあいつに付き合ってると変な事ばっかりに巻き込まれる」
案の定というべきか、周りには誰もいない。カルサートはシリアの事を考えながら苦笑いした。
……本当にごめんなさい。私は気がついていた……
「なにに気がついていたが知らないけど、俺はあんたの声を知らないよ〜」
中空に向かって彼は声をかける。そしてそのすぐ後、自分がどんなに無駄な事をしたのかに気付き笑った。
「何を笑ってんのさ、この変態爆弾魔」
シリアが彼の後ろから殴り倒した。
「…うあ…ひでぇ…。なにかこいつ悪いことしたか？」
「気持ち悪かったんだもん」
いつのまに出してきたのか、ちょっとひしゃげたやかんがシリアの手の中にある。恐らくこれで殴りつけたのだろう。
「気持ち悪かったからって…。おいカルス、大丈夫か？生きてるか？」
「……ってー！いきなりなにすんだよ。その呼び方やめろって、言ってるじゃないか。最近はちょっと大人しくしてるんだから」
「今が大人しいからといって過去が全て清算されるわけじゃないのよ。大人しく変態爆弾魔の称号に預かりなさい！」
「んな称号やだよ」
「こらっ！」
トミーが声を荒げた。
「くだらないこと言ってないでさっさとここから安全なところへ移動しようや」
「そうだった。撤収するからあんたも早く…」
大きなゆれが来た。三人は立っていられなくなりその場に座り込む。
「ほらみろ。バカな事やってるからこんな目にあうんだ」
「お説教は後で聞くから早く行こう」
「そんなこと言ったって立てないぞ」
ゆれが収まる気配がない。三人は途方にくれた。
……もう一度……
「なんか言ったー！？」
「いえるわけないだろ！こんな状態で！」
シリアの耳は確かにとらえていた。ゆれる音に混じって聞こえてくる聞いた事のない、でも懐かしい声。
……そうね、もう一度……
今度はカルサートやトミーにもはっきり聞こえた。彼らもシリアと同じように懐かしさを、聞いた事が無いはずの声に感じる。
「今の…聞いたか？」
「うん…。どうしてあんなにはっきり聞こえる…？」
……出会えて…………よかった！
シリアのペンダントが蒼い閃光を放つ。それは三人を包み込むと守るように激しいながらも優しい輝きを保つのだ。
「な……」
「シリアと一緒にいたら……不思議な事に巻き込まれる」
「別に、呼び寄せてる、わけじゃ……」
光がまぶしすぎ、彼らは目を閉じた。そして同時に幻影を見た。
私はあなたの影…
私はあなたの鏡…
私達はお互いの心を映す…
目を閉じていても光の強さがわかる。しかしその光はほんのひととき弱まった。
私達は……
その間を縫ってなにかの映像が一気に流れ出す。
永遠の調和！！
幻聴ではない。はっきりとした声だ。しかも、シリア、カルサート、トミーの三人が発していた。彼らの声は一つに寄り集まり、そして二つの声に分かれる。
『メティエル、メティエル……迎えに来たよ』
『今度は私、間違えないから…』
『ああ、僕も…間違えたりはしない…』
無意識につむがれる声たち。聞いた事のない声だけれども、心の奥では求めていた声。幾千夜を超えてさえも色あせなかった、記憶の中の魔法。三人の周りには幸せな空気が流れる。シリアは我慢して瞳を開いてみた。そこに、長い間離れ離れになっていた恋人達が再開を祝う姿を見た……。
気がつくとゆれが少し収まっていた。
「早く行こう！」
「言われなくても」
三人は神殿から駆け出す。ようやく障害物の無いところまで来た時、彼らはその場にへたり込んだ。
「はァはァ…。どうにか逃げられた」
「……」
シリアはじっと神殿の方を見つめている。
「私、わかるよ」
シリアの声に男達はそちらを向く。
「あれはこのアルハンブラ遺跡で生きたメティエルと、きっとその恋人だったひと」
一気に映像が流れ出したのだが、それでも彼女は全てを理解していた。第５１代女王メティエルには心に決めた人がいたが、それと気がつく前にその人を喪ってしまった。以来その人のことが忘れ得ず、自分がこの世界に存在しなくなってからすらも思いつづける。
「だからきっと世継ぎを作らなかったのね」
「恋人の名はわからなかったけどな。彼は自分の感情が押さえられなくなってメティエルに手をかけてしまった。それを強く恥じて彼は城を出奔した」
「以来彼はことあるごとに言った。『自分の中の暴力性を葬り去りたい』、と」
彼は生を全うしてからその魂を二つに分けた。つまり、メティエルへの思いを持つ人間は二人になってしまった。暴力性を消したいと強く願ったがそれはかなえられず二人になったのだ。そんな面もあってはじめて人間なのだから。それがゆえに、三人が出会わなくては彼らの思いは成就する事はない……。
男達が後を取る。彼らはメティエルの恋人の視点であの時を過ごしたのだろうか。
「でもなんで『私達』だったのかな？」
「それは多分……」
「俺達が…」
俺達が、生まれ変わりだからじゃないか？
男達が後を続ける事は無かった。なぜなら、シリアもそれぐらいは感じているだろうから。
「やれやれ。あの幻聴もこれで終わりになるのね。後はこのもやもやがどうにか……あっ！」
「もやもや？」
「なんだ、それは」
彼らはニヤニヤしながらシリアを見ている。
「なんでもないっ！」
「待てシリア。聞かせろぉ！」
「そうだ、にげるな〜」
「だからなんでも無いってば。じゃあ早く資料と格闘しに行くぞ〜」
今にも走り出そうとする彼女。そんな彼女を見つめながら彼らは言った。
『きっと俺達のもやもやと、同じだろうな』
屈託の無い笑顔で言った彼らの声は揃い、それは先ほど聞いたメティエルの恋人の声とそっくりだった。残念ながら逃げるように去っていったシリアの耳に届いたかどうかは、定かではない。
END