どこかで見た後ろ姿だった。作業の手を止めそちらに目をやったシリアを、カルサートは不審そうに見やる。
「どうしたんだ？誰かいたのか？」
彼もそちらの方を見るが、特に変わったような、彼の知っていそうな人間などいそうになかった。しかしシリアはじっとそちらを見たままである。
「こらシリア、おまえ、なにポーっとしてるんだ。さっさとここの発掘を済ませちまおう」
「あ…ごめん。…」
再び作業に戻ったシリアだが気もそぞろな様子がよく分かる。しばらくそのままでいたがやがてシリアが立ちあがった。
「お、なんだ？トイレか？」
カルサートがヤカンの直撃を受けてその場にひっくり返った音を聞きながら、シリアは問題の後ろ姿の方に歩いていく。
（どこかで、こんな光景。私、知ってる）
はやる心を押さえながら一歩一歩近付いていった。後ろのほうでカルサートがなにか叫んでいるのが聞こえたがそんなものはいつもの事だ。知ったこっちゃない。彼女の頭の中に、ずっと昔の光景がだぶる。
「あの……」
遠慮がちになる声。彼は振り向いた。短く刈り込まれた髪。微笑みの形に曲げられた唇。そして、シリアと同じ、蒼穹の瞳。彼女にもはや言葉は要らなかった。
「…！」
たんこぶを押さえたカルサートの手が止まる。彼を起き上がらせたリテの眼に驚きが浮かび、次の瞬間笑みの形に曲げる。トミーはせっかく掘り出した貴重な資料を思いっきり自分の足に落とす。そしてシリアは。彼女は泣いていた。男に抱きついて、ただ泣いていた。男はそんな彼女をしっかり抱いて、髪をなでていた。
オーウェル・ディーン。それがこの男の名である。ただ彼は数年前、戦死したはずだった。
「で、どうなんだよ、シリアの様子は」
トミーとカルサートは様子見から戻って来たリテに詰め寄って聞いた。扉を開けるなり迫られたリテは露骨に嫌な顔をする。
「ちょっと…そんな気色ばんだ顔をあんまり近付かないでよ。怖いじゃない」
「悪かったよ。で、なにがどうなったんだ？」
「あんまり詳しくは聞いてないわ」
「なんで！」
「リテ姉ちゃんを困らせないでよ、トミー兄ちゃん」
下のほうから声。どうやらリテはジェイを連れに行ったらしい。
「ジェイ…か」
「あの男にお目通り、ってわけか」
乱暴にトミーはこぶしで机を叩くと、そのままの勢いで手近な椅子に座る。カルサートは落ち着かない熊のように歩き回った。
「やめなさい！カルサート君もトミー君も！なんでそんなにイライラしてるのよ！？」
リテが注意するが彼らの耳には入っていないようだ。頭を抱えたリテはジェイにシリアのところに行こうと言い、この男達をほったらかしにする事に一抹の不安を抱えながら出ていった。ジェイも彼女の後を追う。残されたカルサートとトミーは同時に同じ言葉を発した。
『なんで今更…！』
「あ、リテありがとう。ジェイ、こっちに来て」
部屋の中にはシリアと、そのオーウェルがいた。泣いていたのか、シリアの目がはれている。
「オーウェル、このこは私の養子で、ジェイ」
「…はじめまして」
少し緊張した声で挨拶するジェイ。オーウェルは微笑むとよろしく、といった。
「シリア、泣いていたの？」
「あはは、リテにはばれちゃうね。うん。ちょっと。とっても嬉しくて」
「そっか…そうよね」
「こちらは？」
蒼紺の瞳を持つ男はリテに目をやる。
「あ…私の友達。スクールの時に知り合って…」
「はじめまして、オーウェルさん…で良いんですよね」
「あ、はい。しかし…シリアさんにこんな綺麗な友達がいるとは」
「オーウェル、ダメよ。もうリテは人妻なんだから」
照れたようににっこり笑う彼を見てリテはとても好感を持った。この男性はきっとシリアを幸せにできる、そんな確信があった。彼女はシリアの近くによりそっと耳打ちをする。
「幸せに、なりなさいね」
一瞬びっくりしたような顔をしたシリア、その後に、顔を赤らめて誰も見たことがないような笑顔を見せていった。
「うん！」
ジェイはそんなシリアと彼女の隣に座るオーウェルを見比べた。姉ちゃん、やっと幸せになれるんだ。そう思うと彼は笑った。
面白くないのはカルサートとトミーである。
「なんだよ、シリアの奴」
「なんか…つまんねぇな」
しばらく時がたっていた。ジェイはオーウェルに懐き、彼らは大抵外に出て一緒に遊んでいる。シリアは仕事の合間に弁当を作り彼らに届けていた。
「だいたい俺達って、遠い過去から決められた恋人同士だったんじゃないのか？」
「多分そうだと思うが…。でも所詮、過去は過去じゃないか」
「今、シリアを幸せにできるのはあいつ、ってことか」
彼らは遠くから三人の姿を見てため息をついた。分かっているが…。
「とんびにあぶらげ、って気分だなぁ」
「確かに」
笑う三人の姿を見ると、つくづく自分たちの居場所はない気がする。
「もう一回、シリアと笑いあいたいな」
「ああ」
「でも、あいつにとって俺達はもうそんなに必要…」
「もうやめよう、カルス。むなしくなるだけだ」
風に乗って聞こえてくる笑い声に、彼らは心を痛めた。それを押し殺してカルサートはつぶやいた。
「シリアは待ってたんだ、あの男を」
もう死んでしまったと思ったオーウェルがそばにいる。それだけでシリアは夢見心地になった。そばにいてくれて、自分の言ったことに笑ってくれて…。そうではあっても、すぐに消えてしまいそうな儚さも抱えていた。もう死んでしまったと疑わなかった大好きな人。そんな人が突然現れた。自分が夢に生きているのかと疑うほどだ。いくら幸せでも、シリアは馬鹿ではない。頭のどこかできっとこれは幻だと言っている自分がいた。逆に、幻ならその幻にどっぷりつかるのも良いのでは、といっている自分もいたが。
「シリアさん」
突然呼ばれたシリアは慌てて頭を上げた。オーウェルが自分を見ている。
「私が…戦地に行く前あなたと約束をした事。覚えていていますか？」
忘れるはずなどない。シリアは息を呑みながら頷いた。
「言えなかったことを、今、あなたに告げたい」
風が動いた。
「おわっ」
「なんだなんだ」
見てられないと目をそらしていたカルサートとトミーは、突然の風に体を浮かび上がらされている。手足をばたばた動かしながら彼らはシリア達のほうに近づいているのに気がついた。
風に髪を流しながらシリアは目の前の男性の次の言葉を待った。が、彼はそれっきり何も言おうとしない。痺れを切らした彼女はこちらから声をかけようとした。その時。
「どわぁっ！」
「どけっ、カルス！重いって！」
突然シリアの上から男どもが降って来た。当然のごとくシリアはその下敷きになる。
「あ…あれ？オーウェルが近くにいるぞ」
「ほんとだ。一体何がどうなったのか…」
「それはこっちが聞きたいぐらいよ！」
土がついた服を払いながらシリアは男どもをなぎ払う。
「一体どう言うつもりよ！」
「そんな事、俺達の方が聞きたい…って待て！話せば分かるから、ヤカンはしまえ、ヤカンは！」
「そうそう、ここは穏便にいこう、な？」
「うふふふふ。私にしては、穏便だよぉ？」
風に乗ってヤカンが何かに当るいい音が二回聞こえた。ジェイが頭を抱えながらひっくり返った男達をつついている。オーウェルは一連の寸劇を見ていたが、やがて穏やかな微笑を浮かべシリアに告げた。
「シリアさん。あなたは頭のいい人だ。だから、私が本当に生きているなんて、信じていないと思います」
淡々とした声でシリアに告げた。やはりそうだったかという落胆と、そんな馬鹿なという絶望がシリアの顔に交錯する。
「私はあの戦闘で死んでいます。でも、どうしてももう一度あなたに会いたかった。私はあなたの心の枷のひとつに、なりたくなかった。だからジェイ君にちょっと手伝ってもらって、今、ここにいます」
シリアはジェイを見る。
「知って、いたの？」
「うん…。でも怒らないで。僕は、姉ちゃんがずっと気にしている事も、知ってたから。そうしないと、姉ちゃんはこれからを生きていけないから…」
「ジェイ君をせめないでくださいね、シリアさん。全ては私が頼んだ事ですから。……」
体を起こした男達も黙ってオーウェルの次の言葉を待った。
「私は、あなたのような人に出会えてとても幸せです。だけど、あなたを幸せにする事は、私にはもうできません。だけどそこの彼らが…」
突然話を振られた男達は驚いてお互いの顔を見る。シリアもそちらを見た。
「そう、そこの彼ら…カルサートさんとトミーさんが私の遺志をついでくれる。…保証は、できませんけど」
いたずらっぽく言いながらオーウェルの体が中に浮いた。男達はちょっと憤慨した様子を見せる。
「だからシリアさん。幸せになってください。私の事をきれいに忘れろとは言いません。それでも、あなたを縛るものの一つにはしないで。…それほど思ってくれていたという事は私もとても嬉しいですが…」
言葉に照れを含んだ。
「……もう、自分に枷を増やしてしまわないように、彼方から私は祈っています…さようなら。……永遠に」
遠くから響く声。気がつけば、いつもの、郊外の丘だった。そこにもう一人、人がいたという証は、多く作られた弁当のみ。
「本当に…いっちゃったんだ」
「オーウェルさんも悩んでたんだ。で、姉ちゃんも悩んでた。だから僕…」
「うん、わかった」
「…怒ってる？」
こわごわと聞くジェイにシリアは笑いかけた。その瞳には涙が浮かんでいる。
「怒るわけ、ないじゃない。ジェイはジェイなりに、私の事を考えてくれたんだから。ありがとう」
ジェイが頷くのを見てシリアは立ちあがった。と、二つのニヤニヤした顔に視線が突き当たる。
「何よ、あんた達」
うっすらと浮いた涙を照れくさそうに拭きながら聞く。
「いや、べつに？」
「なんでもない、ぞ」
「ほんとかしら。じゃ、なんでそんなに馬鹿面さらしてるわけ」
「馬鹿面？」
「いうなぁ、おまえも」
シリアに悪態をつかれても、どうしても顔の筋肉が緩む。もう戻ってこないと思った日常が再び戻って来た。シリアはきっとまた、俺達に笑いかけてくれる。そう思うと笑いが出てくる。
「あっきれた。人が長い間の恋に破れて傷心だっていうのににこにこして」
「恋だってぇ？おまえが？」
「池にいる鯉の間違いじゃないのか？」
「なんだと？」
不機嫌ながらも嬉しさを含んだ声で言い、シリアは辺りを見まわす。食べかけの弁当が目に入った。
「あんた達、おなか減ってる？」
「おあ？ああ、たしかに」
「言われてみれば何も食ってねぇな」
「この弁当…」
置かれていた弁当の箱を手に取るとシリアが何かを言おうとした。男達は勢いこんで聞く。
「くれるのか？俺もう実は腹へって腹へって…」
「よかった。最近俺金欠だからまともなものあんまり食べてなかったんだ」
子犬のように期待に満ちた目。そんな彼らの様子を見ながらシリアは言った。
「誰があげるもんか」
意地悪な、それでも憎めない笑顔を向けて。
「…あ」
「な…何？」
一瞬放心状態に陥った男達。期待していただけに落胆も激しいようだ。
「これは私とジェイでヤケ食いするの。いこっ、ジェイ」
「うん、姉ちゃん」
そんな彼らを捨て置いてシリアとジェイは駆け出した。もちろん弁当はしっかりと持っている。
「てめぇシリア、期待させるだけさせておいてその態度はなんだぁ！」
「そうだぞ、今のはちょっとひどいぞ！」
後ろからわめき声が聞こえるが気にせずシリアは走った。どうせすぐ追いついて来るだろう。
（そうすれば分けてあげない事もないかな）
そんな事を思いながらオーウェルの消えた空を見上げる。
―――幸せになってくださいね―――
どこかから声が聞こえた。
「分かった、オーウェル。これはあなたとの約束」
約束は守らなくてはいけない。
「シリアーっ！それ食わせろっ！」
「こっちは腹へって仕方ないんだー！」
追いついてきた彼らに弁当を取られるままに考えた。
（だけどこいつらとは、限らないけどさ）
ちょっとだけ舌を出すと肩をすくめ、乱暴に扱われている彼女の弁当箱を取り返しにかかった。ジェイはそんな三人の様子を見て、相変わらずだよなと思いながらも、シリアが確実に幸せへの階段を上がり始めたのを感じ嬉しくなった。
「よかった。本当に、よかった」
そして彼も弁当争奪戦に参加するのだ。
「僕も、いるーっ！」
END…！？