北の地に残る神秘 ４
「どこまで行くんだろ？」
「さあ。でもなんかお宝の匂いがする」
「おまえ、そういうのに鼻が利くもんな」
深く潜るにつれ、熱さが忍び寄ってくる。かいた汗を拭いながら二人は先に進んだ。
「お前さ、さっき地底湖に行く前光ってるって言ってなかったか？」
「ああ。実はこの穴見つけたのもそのせいなんだ。なんか、ずっと光ってるんだよ。……お前、見えないのか？」
「んなもん見えねえな」
「変だな」
変なのはおまえのほうな気がすると、彼は思ったが口に出しては言わない。代わりに出たのは違う言葉だった。
「おいレイラ、なんか変な気配しねぇか？」
誰かがいるような感じ。こんな洞窟の奥で、いったい何がいるというのだろう。
「まあ、いいもんじゃねぇよな」
レイラも長剣に手をかけながら先に進む。しばらく行っても何の生き物もいない。ただ気配だけが続いているのだ。
「…おい、なんかあそこ…」
「ああ…俺にもわかる」
二人は行く先に輝きが満ちていることに気がついた。何も言わず頷きあって勢いよく角を曲がった。目の前に光が広がる。
「うわっ」
「まぶしぃ！」
その輝きに一瞬目がくらんだ。なれてきた目に映るのはやはり地底湖。
「またかよ」
ヴィッターがどうしようもないとばかりに頭を振ったが、レイラはそうではなかった。彼女の視線はある一点、湖の中心に向けられている。
「見ろよ、あそこ」
指されるままに視線を動かした盗賊が見たのは、手の中に収まりきらないほど巨大な紅い宝石。
「おい、あれって」
恐らくヒューイの息子が見つけたという宝石だろう。それは思い出したように輝き、そして揺らぐ。まるで眠っているかのように。二人は誘われるように水の中へ入っていった。
「なんて輝きだ…」
まぶしそうに目を細めるヴィッター。なぜか手を出す気になれない。紅く透き通ったその中に、インクルージョンを見つけた。
「…エルフがこの中に入っている！」
一瞬だけ、裸身のエルフがその中に浮かび上がったのだ。目をこすってもう一度みても、その中にあるのは紅のみ。腰まで水につかりながら二人はただ宝石を見ている。
「心の奥が…しびれそうだ」
「俺も」
岸に戻って静かに光る宝石をぼんやりと見ながら、レイラが口を開いた。
「なあ。なんでこんなところにあんな宝があるんだ？」
「知るか」
「明らかに…この場所と、あのルビーはそぐわないだろ？」
「まあな。…それより俺は眠い。一眠りするから」
そう言って横になると、寝息を立て始めた。
「おいおい…。よくこんなとこで寝れるよ。…あれ…俺も…」
急激な睡魔に勝てず、少女もヴィッターに折り重なるようにして眠った。
どれほどの時間が経ったかわからない。ふと目覚めると宝石がいっそう強い光を放っていた。
「ヴィッター、起きろ！」
すぐそばで眠りこけている盗賊を蹴飛ばす。文句を言おうとする彼の顔を水面に向けた。紅い閃光が目を貫く。目を閉じたいのに閉じることができない。なぜなら、宝石からエルフが手招きをしているのだ。
「……いって…」
「…みようか…」
警戒を解かずに近づく。それなのに水に入ってもぬれていないことに、彼らは気がついていない。周りの景色に赤みがかかってきた。宝石の中のエルフは今やはっきりとした輪郭を伴っていた。よく見ればその傍らに誰かがいる。人間の男。二人は幸せそうに寄り添い、レイラとヴィッターを呼ぶ。
―――オイデ…イッショニ、クラソウ―――
ヴィッターはもはや毛ほどの警戒心も見せずに近寄っていこうとしていた。はっと気がついたレイラはその彼を引き戻す。
「待てヴィッター！いくな！行ったら、お前も宝石の中の住人になるぞ！！」
それでも彼女の声が聞こえないのか、宝石に近寄ろうとする。
「頼むからヴィッター、正気になってくれぇ！」
胸板をどんどんと力任せにたたく。
「ゲッ…ゲホッゲホッ！」
「ヴィッター！」
咽る彼。その目に光が戻った。唐突に水音がする。二人とも水面を歩いていた。それがいきなり水の中に落ちたのだ。
「ぶわっ」
二人は慌てて岸のほうに泳いでいった。もう宝石の光はない。それに気がつくこともなく二人は岸に上がり、それを見計らったかのようにまた眠った。
どれほどの時間が経ったかわからない。レイラは湖のほうを見たが、宝石はやはり静かに光っているだけ。まるで、閃光など放ったことがない、とでも言っているかのようだ。
「でも…」
宝石に引き寄せられた時の危機感。水に落ちて必死で泳いだ疲れ。それらは彼女の体に残っている。
「夢…ではなかった？」
ヴィッターを揺り動かし、自分が経験したことを話してみると、彼も同じような夢を見たという。しかし彼は夢だといって取り合わない。そして水の中に、宝石を採りに入っていってしまった。ヴィッターほど現実主義者ではないレイラは、まだ頭がぼんやりとしている。
「…夢をみていたのは俺たち？それとも…あの、宝石？」
誰も知られていない、古い場所。そんな場所では夢と現実が交じり合う。ましてやここはエルフの里の近くだ。どんな不思議な力が働いていたとしても不思議ではない。
「…もしかしたら、ああいう空間にとりこまれた人たちが、神隠しとか言われるんだろうか…」
幸せそうな恋人たちの姿を思いながらヴィッターが戻るのを待ち、セニアスとフォディニーが待つ場所へと戻った。
「よかったぁ。やっと部屋の扉が直った」
ヒューイに腕のよい大工を紹介してもらい、待つこと二日。扉に頬擦りしそうな勢いでフォディニーは喜んだ。対照的にヴィッターは不機嫌なことこの上ない。賢者のあまりに無邪気な喜びようにいらいらしてか、通りすがりにポカリと頭を殴っていった。
「痛いよヴィッター」
「うるせ！俺は機嫌が悪いんだ！」
見ればわかるよと思いながらも、これ以上叩かれるのも嫌だったので何も言わずその場から甲板へと上がっていった。
「扉はどうだった？」
セニアスが海図を見ながら声をかけてきた。
「ばっちり。ばっちりじゃないのはヴィッターの機嫌だけ」
「そりゃそうだろうなぁ。金になると思ってもって帰ってきたルビーを、エルフの女王さんに取り上げられちまったら、機嫌も悪くなるだろうなぁ」
レイラたちが眠っていたのはほんの短い時間だったらしく、居残り組はもう少し休みたいといったほどだった。洞窟を出る頃には雨も止み、夕暮れの森の中を帰路についた。しかし、すんなりことが運ぶかと思えばそうでもない。
『誰かいる』
レイラの一言。直後に空間がゆがみ、類まれなる美が現出した。エルフの女王だ。
『…夢見るルビー…。お前たち、いったいどこでそれを？』
自分たちの至宝の波動を感じ、もしやと思って来て見ればレイラたちが居たのだと言う。手短にレイラは状況を話した。ヴィッターから宝石を取り上げるとわなわなと体を振るわせ、その場にくずおれた。
『おお…おお…アン…私の愛しい娘…』
宝石が哀しそうに光る。何かを女王に伝えるように。叶わぬ愛。種族の違い。相方の偏見。それならば、私たちは夢を見よう。誰にも邪魔されない、永久の夢を見よう…。
『私が…間違っていたというのか…』
答えるものなどいない。答えられる存在は、もはや宝石の中で夢を見ている。激しく慟哭しながら女王はそのまま消えた。ルビーと共に。ヴィッターがことの次第に気がついたときはもう遅かった。
『俺のルビーぃぃぃ！』
虚空に向かって叫ぶ彼ほど哀しい姿を、レイラは見たことがなかった。
「ま、ノアニールの眠り病も収まったことだし、約一名を除いておおむね平和なんじゃない？」
もちろんその約一名とはヴィッターのことである。賭けにも負け、宝珠を自分のものにすることもできなかったのだ。そしてヒューイは息子が幸せな眠りに付いたことを知り、少しだけ涙し、笑ったのだった。
「俺はしばらく楽ができる」
賭けに勝ったので、帆の上げ下げをヴィッターがすることになっているのだ。レイラはうきうきしながら盗賊を呼びに行くのだった。
END