奴を狙え
広いが薄暗い部屋の中を、心なしか緊張した女の声が支配した。
「……これより極秘作戦会議をはじめる」
彼女は集まっているメンバーに厳しい視線を投げる。彼女にとって、この作戦は必要不可欠なものであった。
「作戦って…なんじゃそりゃ」
「一体なんなのよ、リテ。こんな会議室に呼びつけてさ」
呆れ顔でトミーがうめき、つかれた声でシリアが文句を言う。
「そこ！文句言わない！」
「だってリテ〜。私、まだ仕事残ってるんだけど…。まーた室長にいやみ言われるじゃない」
三つ編みにした金髪の先であそびながらシリアが言った。
「ちょっとぐらいの事で文句言わない！私なんか毎日せまられてるんだから」
「まあ、それよりはましだと思うが」
「ちょっと違う気がするぞ、リテ」
鬼気迫る声で叫んだリテにトミーとフロストがつっこむ。
「いいの！とにかくこれは極秘作戦よ！黙って聞きなさーいっ！」
そこまで叫べば極秘もなにもあったものではない。全員がそう思ったがもうなにも言わなかった。
「わかった。で、なんなの？」
「分かってるでしょ？奴の髪よ」
「髪？」
「そう。あのうっとおしい長髪！あれをどうにかしたいのよ、私は」
どうやらリテは、カルサートの長い髪の事を言っているらしい。
「男の長髪なんて…。似合う人が肩ぐらいまでなら許すわ。でも、あれはもう常識の範囲を超えてる。人間としてあってはならない長さよ」
「カルス…。哀れな…」
トミーがリテに聞こえないようにつぶやいた。たかが髪の毛の事で『人間としてあってはならない』とまで言われるとは、哀れ以外の何物でもない。しかし彼の髪も、リテの基準で言えば長すぎる、という域に入るだろう。余計な事を言って自分に火の粉がかかるのは、さすがの彼も嫌だった。
「でもリテ、あいつの髪は特になにも害はないと思うけど…。本人は害ばっかりしかもたらさないけどね」
「シリア、あなたは彼と付き合いが長いから感覚が麻痺してるのよ。スクールの時からちょっと気になってたんだけど、まさかあそこまで伸ばすとは思っても見なかった。とにかく、私はあの長ったらしい髪をどうにかしたいの！」
「わかったわかった」
フロストがリテをなだめるように手を上げた。付き合っているだけあって彼女の御し方は心得ているらしい。ちょっと落ち着いたリテは一つ指示を出した。
「だから、奴に髪を切るように仕向けたいの。でも無意味に進めてもダメだから、まずはじめになんで髪を伸ばしているのか…シリアと、トミー君。聞いて頂戴」
「別に良いけど…」
「じゃあ俺はどうしようか？」
「フロストは強硬手段に出るときに彼を押さえて欲しいわ。もちろんシリアのおやかん攻撃があれば一発で抹殺できるんだけど」
「殺すなって」
「あのねえ…。あの攻撃は意識してやってるんじゃないし、それに経理の一件以来、この国家考古学研究室内ではあんまり余計な事をしないようにしているの」
頭を掻きながら告げるシリア。経理課破壊事件の減棒がかなりこたえたのだろう。
「とにかくこれを渡しておくから、これから一時間以内に奴を捕獲して頂戴。捕まえたら連絡して」
リテはシリアに自分の携帯電話を差し出した。
「私は研究室にいる」
「何をしてるんだ？」
「もちろん、強硬手段に出ることになった場合に備えて、はさみを研ぐのよ」
彼女の手元にはよく切れそうなはさみがあった。逆らえば恐ろしい事になるだろう。フロストがはさみを見て冷や汗を流している。そんな三人の様子に気付いているのかいないのか、リテは一気にまくし立てた。
「これは闘いなのよ！私の美意識と、プライドがかかった！」
「クロットフィーナさんがあんなに熱しやすい人だとは思わなかったよ」
「あれ、トミーは以前見たはずよ。ほら、先輩にアタックしてたの、見たでしょ？」
「…そっか。そうだ、彼女はかなり熱くなる人だった」
リテの携帯をもてあそびながらシリアとトミーはカルサートを探して歩いていた。電話をしたらいなかったのでおそらく図書館にいるだろう。
「確かにあいつの髪は見ててうっとおしい時があったけど…、特に夏とか。でもなぁ…」
「別にクロットフィーナさんが言うほど気になるわけでもないんだよな。切ったら切ったですっきりするだろうが、別に強硬手段に出るほどでもないと思うんだが」
「右に同じ」
肩をすくめながら図書館に向かった。思ったとおり彼はそこにいた。だいたい自分の部屋にいなければ図書館にいるのがカルサートのパターンである。
「分かりやすくて良いけど、他になにやってんのかな」
「さあ。別に知りたくはないが」
小さく会話を交わしながら彼らはカルサートに近づいた。以前二人して、司書に思いっきり怒られた事があるからだ。身振り手振りでとにかくカルサートに外に出るようにいい、三人でそそくさと出ていく。司書はこの二人の前科者達を見たが、出ていったのを見てほっとした表情を見せた。
「なんだ？」
借り出した本を片手に二人に聞く。
「まあたいしたことじゃないんだけどさ」
「ちょっと待ってね」
シリアはリテに、彼を見つけたという連絡を入れた。すぐにでもリテが姿をあらわすだろう。
「これでよし…と。ええとね、ちょっと聞きたくて。なんであんた髪、伸ばしてるの？」
いきなりの質問に彼は面食らった。
「…それだけか？」
彼がそう聞くのも無理のない事である。シリアが絡んでいる以上はだいたいろくでもない事になるのを経験的に知っている彼だったが、さすがにこんな質問が彼女の口から出るとは思っていなかったようだ。
「それだけって…どういう意味だ？」
「そのまんまだ。…まあいいや」
彼は二人にそれ以上の考えがない様子を見て取ると熱っぽく語り始めた。
「そりゃ決まってるだろ？やっぱりサイエンティストは美形で長髪じゃなきゃ様にならないじゃないか。基本中の基本。俺みたいな天才学者は…」
トミーが頭を抱え、シリアがしかめ面をする。もはや二人にカルサートの戯言を聞く気はない。
「……だーれーが、美形だってぇ〜？」
そんな二人の後ろから、低い低い声が聞こえて来た。誰かと問うまでもない。リテだ。
「大体美形って言うのはフロストみたいな人の事を言うの！それになんなのよ、天才学者ってのは！？マッドサイエンティストのクセに」
「うん。私、その意見には賛成」
「俺も」
あきれた声でシリアとトミーが付け足した。
「ま、『天災』学者なら当ってるか」
「シリア、上手い事いうなあ」
「なんなんだよ、よってたかって俺の髪と俺にいちゃもんをつけて」
「ま、細かい事はクロットフィーナさんに聞け、カルス」
責任は全てリテにあるとばかりにトミーは言った。カルサートはリテのほうを見る。そして、彼女の利き手にはさみが握られている事に気がついた。
「…なんか、刃物があるような気が…」
「あのね、カルサート君。私ね、我慢したのよ」
なんとも言いがたい迫力に押されておもちゃみたいにうんうんと首を振る彼。
「だからそこのところは、誤解しないでね」
「わ、わ、わ、わかった。で、で、何…なのでしょうでございます？」
極度の緊張のためか、変な敬語になっている。
「わかんないかなぁ…。あなたの髪をどうにかしたいの！」
そうリテが叫んだ瞬間、打ち合わせでもしていたのかフロストがカルサートに飛びかかった。
「どわぁっ！」
あせって逃げようとしたが押さえ込まれている。そんな彼をリテは見下ろした。
「男の長髪なんて…。男の長髪なんて…」
ぶつぶつつぶやきながらカルサートの髪の束を手に取る。
「……クロットフィーナさん、なんかいやな事あったのか？」
「さあ。それよりも…私はギャラリーの方が気になるんだけど」
彼らの周りには一体何事かとたくさんの人が集まってきている。
「確かに…。俺はこういう運命なのか？」
トミーはシリアとカルサート、というトラブルメーカーと友達をやっているせいか、好奇の視線にさらされることが多い。彼自身が注目を浴びる事はほとんどないにもかかわらず。
トミーがため息をついている間にも事態は進行していった。
「切るわよ…やっと、このうっとおしい髪を！」
「やめてくれぇぇ！俺は散髪が嫌いなんだぁぁ！」
「お、それが本音だったんだ」
シリアがうつぶせにさせられているカルサートを蹴飛ばしながら言った。
「ほっとけシリア！この状態をどうにかしろ！」
「なんで？別に私はあんたの髪が長かろうが短かろうがどっちでもいいもん」
その言いぐさに引っかかるところがあったのか、カルサートはフロストの力を跳ね返し、無理矢理起き上がった。ついでにバランスを崩したリテからはさみを奪って。
「はあはあ…。ど、どうだ、俺の髪を切ろうなんてこと、もう考えないでくれ！」
大声で言いながらはさみを振り回した。と、じゃきん、といい音がする。一瞬その場に静寂が訪れた。直後にばさりと音を立てて落ちたのは、金髪の三つ編み。
「………………………………」
シリアは無言で先ほどまで自分の一部だった三つ編みを見ている。青いリボンが土に汚れていた。肩ぐらいになった髪をユラリと揺らしながら彼のほうを見た。口元は笑っているが、目はまったく笑っていない。
「何か、私に恨み、ある？」
「いや…その…ちょっとした手違いだ、手違い」
冷や汗をだらだらと流すカルサートだが、次の瞬間にはヤカンの山に埋もれていた。
「……リテ」
「な、なに？」
「やっぱ男はスキンよね」
『！！』
感情のない声で言うシリアに凍りつく三人。慌ててシリアを止めたのは言うまでもない。リテもスキンヘッドまでは考えていなかったのだろう、それはやめようといいながら必死でシリアをなだめた。そして、ヤカンにつぶされたカルサートはかすかに残った意識で、案の定シリアが絡むとろくな事にならない、と再確認するのであった。
こうしてシリアの髪と、カルサートの髪が短くなった、というお話。
END