Only One 〜まもるべきもの
最初の感想は、
「なんだ、この女性は？」
だった。あの時、私の城にロックがつれてきた魔導の娘…。美しいが表情はなく、何を見るでもなく私の城を見まわしていた。後からロックに聞くところによると、操りの輪をずっとつけられていたらしい。それならあのぼんやりさもわかる。さっきまでずっと操られていて、いきなり自分の思考だけで行動しろと言われても無理な話だろう。が、そのときはそんな事など知る由もなく、私はなんとなく興味を覚えた。
いつものように話しかける…が、反応がない。いつものように口説いただけなのだ（私の持論としては、女性は口説くのが礼儀）。こんな反応は、初めてだった。それが新鮮で、私はもっと彼女−ティナの傍にいたかったのだが、嫌なタイミングでケフカの野郎が城を訪れるというので、そうもいかなくなる。彼女を一人残して私は執務室に入った。
なんと彼女は魔法を使えるのだ！遠い昔に失われた力を使うミステリアスな女性。私はますます彼女に興味を覚えた。しかしティナの方はそういうことに頓着しない。私のほうも強く執着していたわけでもなく、次から次へと訪れるトラブルに翻弄され、少しその事を忘れていた。
しかし、レテ川でマッシュと離れ離れになった後、バナンを守りつつ私と彼女でナルシェまで旅をした、あのほんの短い時間。どうやら私は彼女の不可識さに魅入られたようだ。恥ずかしい話だが、炭坑のねずみどもに不覚を取り、私はその場に倒れる事になってしまった。奴らの爪は不潔で、すぐに消毒しないと化膿してしまう。しかし間の悪い事にしばらく前の戦闘で使いきってしまったのだ。
彼女は躊躇せずに私の傷口にその可憐な唇をつけた。自分が病気になるかもしれないのに、髪の毛一筋ほどのためらいも見せない。私自身が痛みを覚えるほどの強さで、私の不浄な血を吸出し横に吐き出す。
「多分…これでいいとおもうわ」
何事もなかったかのように、そしてそれが当たり前であるかのように微笑むティナの前で、私は感謝の言葉を言う事も忘れ、ただ彼女の顔を見つめるだけだった。その時のティナの微笑を、私は今だ忘れてはいない。
しばらくののち、彼女が幻獣ということがわかった。正確には幻獣と人のハーフだ。彼女の出生を知れば知るほど、私は彼女に魅入られた。今までのように、冗談半分で女性を口説いて来た時とは違う、確かな想いがそこにあった。この事はごく秘密にしており、時折フィガロ城に帰ったときに日記につけるぐらいだった。ただ、同じ魂を共有するマッシュには、薄々とわかっていたらしい。
「兄貴。ちょっと」
「なんだ？今夜は早く寝ておかないと、と思っているのだが？」
「そんなに時間は取らないさ。……単刀直入に聞くけど、兄貴、もしかしてティナの事…」
「！……」
なんと。この愛すべき弟は私の心の中にいるものを見ぬいている。しかしそれを表に出すほど子供でもない。
「……ティナ？彼女がどうかしたのか？」
「………彼女、幻獣だったんだな」
「そうだ…」
あきらかに話題を変えた。マッシュは私がそんなに正直ではない事を知っている。
「ゾゾで眠りつづける姿を見るまでは信じられなかったよ。まさしくあれは幻獣だ」
「でもティナだぞ」
「そりゃ、わかってるさ」
手元にはマディンの魔石がある。彼女の父親…。
「これを使えば、ティナは元に戻るんだろうか？」
「さあ…。私にはわからない。でも、私達に出来る事はこれしかないんだ」
これしかない、これしかない。どうやらうわごとのように私はつぶやいていたらしい。マッシュはそんな私を見ると少し笑った。
「なんだ？何かついているのか？」
「いや…。兄貴が、変わったと思って」
いすから立ちあがりながら弟は言葉を続ける。
「兄貴、昔っから女性は好きだったけど、そんなに執着するほうじゃなかった。でも今回は違う」
「おいおい、ティナは仲間だろ？仲間なら心配するのが当たり前ではないか？」
「じゃあ、セリスが同じ状態になったら？」
「……きっと同じように心配する」
一瞬口篭もった私。彼はそれには気づかないふりをした。
「じゃあ、そういうことにしておく。じゃあお休み、兄貴」
「ああ、また明日」
扉が閉められた。と、むこう側から声が聞こえる。
『兄貴…大臣は反対しても、俺は兄貴の味方だからな』
それっきり。私は苦笑し、魔石をしっかり袋の中に入れると眠りについた。
致命的だったのが、彼女は愛という感情を知らないことだ。いや、愛だけではない。他の様々な感情、喜び、悲しみと言った基本的な感情もおぼつかない。ただ彼女にあるのは、自分が、無意識にとはいえ、殺してしまったものへの責任と責め。私は幾度、ティナがその重さにつぶされそうになっているのを見ただろう。その都度私は、何も出来やしない事を痛感する。結局彼女は私の助けを得ずに自分で立ち直る。しかし、それは完全な救いとはならずに、ひとかけら残った罪の意識が、幾度も幾度も彼女をさいなむのだ。だからあの忌まわしい魔大陸が浮上した今日、私は彼女に声をかけた。
「ティナ」
レオ将軍の墓標の前でたたずむ彼女の横に私は立つ。いつもはきれいにまとめられているが、今はひどく乱れている。先ほどの狂乱…ケフカの暴走の果てに行われた幻獣狩り。私はブラックジャック号から、何もする事が出来ないままに見つめていた。しかし彼女は自分の無力さを感じながら、自分の仲間を助ける事も出来ずにその場にいたのだ。おそらく激しく慟哭したのだろう。
「……エドガー」
涙の跡も新しく、私は胸の奥のほうがどきどきした。声をかけたはいいが、私は一体何を言えばいいのかわからなくなる。こんな状態は久しぶりだ。仕方がないのでじっと黙って立つ。
一陣の風が私達の間を過ぎていく。しばらく切っていない私の髪はやたらと長くなり、その先がティナの顔に当たったようだ。
「ああ…すまん」
「うん…」
会話が繋がらない。周りを見渡すが、仲間は他の事…魔大陸をどうするかという事で忙しいのでいない。私自身もその中に入っていかなくてはならない。もちろんティナも。しかし、彼らは私達を呼びに来る事はなかった。どれくらいの時間がたったのかよくわからないが、太陽は明らかに傾き加減になっている。
「なあティナ。ちょっとでかけようか」
返事もまたずに彼女の手を取ると私は飛空艇に向かう。艇内にはセッツァーしかおらず、彼に飛空艇を借りたいと言ったら快く承知してくれた。
「で、王様、操縦できるのか？」
「失礼な。これでも機械王国の王だぞ」
セッツァーが操縦するほど私はうまくはない。少々頼りなげになりながらブラックジャック号は空に舞い上がった。
「あれ〜？セッツァーがここにいるのになんでブラックジャック号がとんでったんだ？」
「王様がちょっと借りたいんだとよ」
「エドガーが？さっきリルムに振られてたから、やけになったんじゃないのか？」
「さあ？俺様には高貴な方の考える事はわからん。ところでロック、おまえ、セリスとは仲直りしたのか？そうでないなら俺様が…」
「なに〜！！そんなことはさせん！」
何やら下ではロックとセッツァーがもめているようだ。そんな様子を見て私は笑った。ティナは縁にもたれてぼんやりと地上を見下ろしている。話しかけてやりたいのは山々だが、自動飛行に持っていくまでは気が抜けない。しばらくしてやっと機体が安定した。
「やっと落ち着いたか。セッツァーの奴に言っとかないといけないな。もっといい機械をつけろって。国に良い整備士は…」
すでに日はなく、あたりは薄闇に包まれている。気の早い星たちは瞬き始めた。ティナは相変わらず縁にいる。北上しているので少し肌寒い。私はまだ良いが、彼女は寒いだろう。私はなんの躊躇もなしに彼女を自分のマントに包み込んだ。
「寒いだろ？」
「…あ…え……うん」
とまどいがちに返事をする彼女。いつまでたってもティナからは初々しさが抜けない。
「明日になれば、その大陸へ…」
彼女の目の先には魔大陸があった。距離を取っているにもかかわらず禍禍しさが漂っている。私は何も言わなかった。ティナもそれっきり何も言わなかった。いくばくかの時をそのまますごした。と、幾分はしゃいだ声が聞こえた。
「ね、エドガー。大地に星が見える…！」
それは人々が作る明かり。月の無い夜によく映える。
「それは、民人の明かりだよ。それらすべてが、人が生活を営んでいる証なんだ」
「全部？これが全部、人が作り出しているの？」
「そうだ」
彼女はこんな景色などほとんど見た事が無いのだろう。しきりに感動しながら見まわす。
「おいおい、ティナ。あんまり動くと落っこちるぞ。私はセッツァーほど操縦はうまくないんだから。落ちてしまったら助ける自信がない」
彼女は少し大人しくなったが、それでもそわそわしている。
「……これらすべてが、人が生きている証」
「明日、私達がどう行動するかで、この星達を残す事が出来るか否かが決まる。本当に、私達にそんな大それた事が出来るのか、ひどく心配だよ」
「心配？エドガーが？」
「心外だな。これでもひどく繊細な心を持っているのだが…」
「だって、どんな時だって冷静で何も心配事が無いような顔をしているから」
「実は繊細なんだ。これからはそう思ってくれよ」
小さく彼女が笑う。
「なあティナ。自分を責めるな。起こったことは、もう戻らないんだから」
一瞬体が震えるのがわかった。なんていとおしいのだろう。
「私達はこれからを考えなくてはならないのだ。この光を絶やさないように出来るのは、私達なのだから」
「……」
「大きな失敗、深い悲しみ。そんなものの扉を開ける事も多いだろう。それでも私達はただ一つの希望を探してここまで来た。だから君も、自分がした事を償えるくらい、大きな希望を探せばいい。この大地には、きっとあると思うよ」
「…そうね」
声が明るくなった気がする。それにつられて、私は言わなくてもいいことまで口走ってしまった。
「ティナがそんな希望を見つけるまで、見つけてちゃんと笑う事が出来るまで、私は君の傍にいる…。幸せな生活が送れるよう、私は君の手助けをしたい」
「…ありがとう、エドガー。でもそれも、あなたお得意のパターンかしら」
それこそ笑いながら返すティナ。どうやら日ごろの行いが災いして、冗談だとしか受け取ってくれなかったようだ。ひどく悔しい反面、今はこのままでもいいとも思う。出会ってから初めて、彼女は私に心から微笑みかけてくれたのだから。
透き通った翠玉の色をした彼女の髪からよい匂いがした。宮廷にいる女性達のけばけばしい香水のにおいとは違う、誰がかいでも懐かしさと心地よさを感じる匂い。それは土の匂い。昔、まだ私が政務などについていなかった昔、お目付けの目を盗んではサウスフィガロ近くの丘へ遊びに行き、そこで感じた暖かさ。彼女の髪からはそんな匂いがした。そのころは、帝国の脅威はまだあまり感じられず、父も、母も弟も私の傍にいて……何も考えずとも幸せだった。
「……」
不覚だ。泣くなんて何年振りだろうか。声を上げそうになったがかろうじてそれを思い止まる。しかし気配の変化はティナに伝わったらしい。時々忘れがちになるが、彼女はれっきとした剣士なのだから気配が読める。しっかり泣き顔を見られてしまった。
「エドガー」
振りかえった彼女の類まれな薄紫の瞳に映るのは、他でもない、泣いて間抜け面をさらしている私…。彼女は無言だが瞳は『どうしたの？』と問うている。
「ティナが悪いんだぞ。そんなにいい匂いをさせているから、郷愁に浸ってしまったではないか……」
「いい…匂い？」
うなずく私。不思議そうにしていたが彼女は気にしないことにしたのか、また大地の星へ目をむけた。このまま自分のものにしてしまうのは簡単だろう。しかし、彼女は私の王位に惹かれて集まってくる女性達とは違う。まだ愛を知らない、小さな小さな少女だ。そんな彼女を今すぐどうこうする気にはなれない。それにもしも、私に笑顔を向けてくれなくなったら…。
「そろそろ帰ろうか。これ以上遅くなったら明日に差し支えるだろう…」
私は名残惜しかったが彼女から離れ舵の前に立つ。と、ティナがついてきた。
「せっかく暖かかったのに…」
ちょっとすねた顔でそう言うので、私はマントをはずし彼女に巻きつけてやった。
「ありがとう。……エドガーも、いい匂い」
「そうか？さあ、帰ろう」
一瞬だけの永遠。矛盾しているが、この時間を表現するにはそうとしか言いようがない。この時を守るため、私は明日、魔大陸に向かおう。この時私は、生まれて初めて自分の望みを持った事に、まだ気がついていなかった…。