「まったくあいつらはなんでこう人に手間ばかりかけさせるんだっ！」
ロマリアの繁華街を怒り任せにレイラは歩く。あともう一、二時間でこの街が起き出す、そんな午後のひととき。
『次の目的地も決まった事だし、俺とフォンは遊びに行って来るぜぇ〜♪』
『とゆーわけでいってきまーす』
能天気な声を残して宿を出ていったのは三日前。いいかげんに帰ってきてくれなくては、いつまでたっても旅立つ事ができない。レイラもセニアスも生まれてからアリアハンを出たことはなく、不案内な所を考え無しに歩くのは危険である事ぐらいは承知している。そのためにヴィッターが必要なのだ。
「おねーちゃん、一人？」
若い男がレイラに近寄ってきた。彼女はじろりと男を見ると、黙ったまま携えていた剣の柄に手をかけてみせる。
「えあっ？い、いや。じゃ」
慌てて男は離れていった。
「ふんっ」
再び歩き出し、悪態をつく。
「だいたいヴィッターってのはなんなんだよ。いきなり俺達と旅をするなんて言い出したくせに、ちっとも協力しねえし、セニアスはなんかあいつ来てからぼーっとしてるし、遊びに行ったまま戻ってこねぇし、フォンも一緒になってフラフラフラフラフラフラ………」
考えれば考えるほどむかむかしてくる。
「ちくしょーっ！！どこにいやがる、野郎どもーっ！」
ありったけの声で叫ぶと少しすっきりした。もっとも、周りの人は怖がって彼女から離れているが。
「あーすっきりした。…お？」
「おーい、レイラかい？」
頭上から聞いたことのある声。見上げれば二階の窓からフォディニーが顔を出している。
「フォン！てめぇそんなとこに…」
入り口を探して階段を駆け上がる。まともな建物ではなく、ちゃんと閉まっている戸も少ないので部屋の中が見える。そこから見える光景はいかにも繁華街であるというもので、レイラぐらいの女の子なら嫌悪感がまずはじめに感じるようなものだった。
「何やってんだよ、三日も！」
部屋に飛びこんできたレイラを見て、フォディニーは自分の状態にはじめて意識が向いた。そしてもうダメだと冷や汗が流れでる。
昼夜逆転の生活のせいで先ほどまで寝ていたのだが、その加減で上半身は何も身につけていない。それだけならまだしも、彼の後ろには派手な女が寝ていたのだ。もっとも、こちらはちゃんと服を着ていたが。
「…あ…ははは…レイラ、ひ、久しぶり…。げ、元気？」
「……ヴィッターは？」
「と、隣りの部屋…」
「そう」
妙に静かな受け答え。それが彼には恐ろしい。
「あの…レイラ？」
隣りに向かおうとする彼女がふりむいた。瞳に恐ろしいほど冷たい光を宿らせ、
「…不潔」
と、それだけ言って戸を閉めた。衝撃でそのまま戸は外れてしまった。
「なぁにぃ？今の音」
女が目を擦りながら体を起こす。
「あーあ…」
がくりと頭をたれると、身支度を整え始めた。
「だからレイラぁ。なんにもないってばぁ。昨日さ、酒場で酔って倒れた女の人がいたんだ。あそこが家だーっていうから、連れてきただけだよぉ」
「……」
無言で先を歩くレイラと、必死になって言い訳しながら後を歩くフォディニー。そしてヴィッターは、寝ている所を叩き起こされたので不機嫌だ。醒めた目で先の二人を見ている。
「誓って変なことはないってば」
「…俺には関係ねぇよ。もっと遊んでくればどうだ？」
心配して損した。こんな奴らと旅をするなら、セニアスを説き伏せてさっさと二人だけで出発するべきなのだ。
「じゃ、そうさせてもらう」
黙っていたヴィッターがレイラの肩を叩きながらそのまま人込みに消えて行く。信じられないとばかりにレイラは目を丸くしている。
「…う…」
「レイラ？」
肩を震わせる少女。それを覗き込む道化。
「…勝手にしやがれ…今度戻って来た時、巡回兵に突き出してやる…」
低い声でつぶやくレイラに一抹の不安を覚える。
「れ、レイラ。はやまらないでよ。ヴィッターだって悪い奴じゃないさ」
「…お前も同罪なんだよ〜フォン。も、俺は知らん。さっきの女のところに戻ったらどうだ？」
「そんなぁ」
完全にレイラは頭に来ていた。こうなったら何を言っても無駄だ。フォディニーはその事を短い旅路の間に理解するに至った。仕方がないので一歩下がって彼女の後を歩く。
しばらく歩いていたが、突然レイラが道の真中で立ち止まった。道化は恐る恐る尋ねる。
「どうしたの？」
「…やられた」
「は…？」
「金だよ金！畜生っ、どこのどいつだぁぁ！？」
どうやらスリにあったらしい。火に油を注ぐとはこのことを言うのかと、フォディニーは場違いにも感心してしまった。烈火のごとく怒り狂う彼女を止められる人間はそういない。ダメだこりゃと頭を押さえる彼に怒鳴りつける。
「フォン！馬鹿面さらしてるんじゃねぇよ！さっさとさがして、ぼろぼろにしてやる！」
「落ちついてってば」
無駄だと思いながらもいさめようと試みる。
「それにもう逃げて無理だと思うけど…」
「いいから手分けして探すんだ！なんか目星がついたらあそこ！」
びしっと手を伸ばす。その先には広場があり、噴水がある。
「いいな！」
それだけ言うとマントを翻し、来た道を元に戻っていった。
「あの行動力は…見習うべき…なのかな？」
苦笑して彼も繁華街に消えて行った。
こういう繁華街を歩く時、さすがのレイラでも注意はする。そして、男たちを見つけた時にはまだ財布はあったのだ。それは確実である。
「…ってこたぁ、奴だなぁ…」
仏頂面でヴィッターの後を追う。彼が彼女の肩を叩いて、それから離れていった事を思い出したのだ。
捕まえたら容赦しねぇぞと呟きつつ歩いていると、何やら行く手が騒がしい。何かから人々が逃げてきているようだ。
「どうしたんだよ、一体？」
手近な人を捕まえて聞いてみる。
「ひ、人食い熊…」
それだけ言うと、まだ話を聞きたかったレイラの手を振り払って逃げて行ってしまった。
「…くまぁ？」
頭を掻きつつ逃げる人々を見送っていると、急に視界が暗くなる。
「…これってやっぱり、お約束のパターンだよなぁ」
「グゥオォオォ…」
そうだとばかりに咆哮を上げる巨大な熊。その腕が振り下ろされるより先に、レイラはその場を飛んで離れた。
「おっせぇなぁ。母さんのホウキ攻撃の方が、よっぽど早かったぞ…と」
すたっと足をつけると同時に剣を抜く。が、
「お願いですぅ〜！傷つけないでくださぁい！」
と、男の声が響くので、舌打ちをしてさやごと構えた。
ロマリアには、生け捕りにしてきた魔物同士を戦わせる闘技場がある。先ほどの情けない声は、闘技場関連の人間だろう。手違いで強暴な熊を逃がしてしまったというところか。声の調子からするとかなり追い詰められているようだ。
「まあその気持ちも、わからなくはねぇけど…」
一番迷惑なのはなにも知らない通行人や、露天商達だろう。
「俺は…人の尻拭いなんかしてる場合じゃねーんだけど」
ブツブツいいながら相手の攻撃を読み、威嚇する。
「でもこのままじゃ埒があかねぇなぁ。なにか動きを止められるようなもん…お？」
ちょうど視界に縄の束が入った。一かばちか、縄の端を露店の柱にくくりつけ、縄を構える。しかし熊の勢いは激しく、所詮ただの縄ではどうにもならない。捕獲用のしっかりした縄なら切れることなど心配しなくてもよいのだが。
「手伝いはいるかぁ？」
「ヴィッター！」
露店の屋根の上に、ニヤニヤと笑いながら盗賊が座っていた。手に何かを持っているが、レイラにそこまで見分ける余裕はない。
「見てねぇで手伝え馬鹿！」
「へいへい」
そう言うとレンガ造りの建物の上に軽やかに飛びあがる。
「おいクマ公！こっちだ！」
注意を引きつけるように仁王立ちになる。熊は、一向につかまらないレイラより、自分の目の高さで立っている男のほうがいいと見たのか、そちらへ顔を向ける。
「バーカ」
これ以上ないというほどの嘲りを込めて、手に持っていたそれを投げつける。
「グルグゥオアアアッ！」
戸短に熊は我を失ったようにうろつき始める。まるで見えない何かと戦っているようだ。
「！？…毒蛾の粉！？」
魔物の神経に直接作用し、幻覚を見せる。良い匂いなので上手く加工すれば香水としても扱えるが、人間がこれを使う場合、専ら媚薬として使われる。
「ご明察。レイラ、力任せじゃダメな時だって、あるんだぜ」
得意げに言う盗賊だが、レイラはそんな事を聞いちゃいない。熊の手当たり次第な攻撃を避けつづけなくてはならなかったからだ。
「馬鹿野郎！俺がいること忘れてたろ！？」
「あ、すまねぇ」
特にすまないとも感じていない声でさらりと返す。そうこうしているうち、やっと熊に疲れが見え始めたので、レイラは縄でぐるぐる巻きにした。
「本当にありがとうございます。このご恩は忘れません！」
最小限の被害である上、魔物は無傷。闘技場支配人は上機嫌で二人に礼金を渡した。
「へぇっ。結構あるある」
「お、ほんとだ。じゃ、今度こそ俺は遊びに…」
「ちょい待ち」
さっさとその場所から立ち去ろうとしたヴィッターだが、レイラにベルトをつかまれていた。
「貰った金があるんだ、だから、俺の金、返せ」
「…なんのことかな？」
しらばっくれるが少し返事が遅れた。額に流れる汗が真実を物語っている。
「そうか。そういう態度なら仕方がない。おまえがあの毒蛾の粉を使って何をしようとしていたかはしらん。けどな、あの濃度はご法度じゃねぇか？」
にやりと笑うレイラ。あくまで黙ったままのヴィッター。
「それをしかるべきところに言ったらどうなるかなぁ」
「お前…盗賊を脅すなよ」
「お？俺は単におまえのまねをしてみてるだけだが？」
「…」
「しらばっくれるつもりか？…じゃ」
といいながらヴィッターの手の中から金袋を取り上げる。
「何すんだ、このドロボウ！」
「お前に言われたかないよ。俺の金を返したら、俺も返してやる」
しばらくにらみ合っていたが、結局ヴィッターが折れた。
「返せねぇ…………使っちゃった」
「使ったぁ？あれ結構入ってたぞ！？それをこんな短時間に…？」
あきれるしかない。ダメだこりゃとばかりに、レイラは宿に戻り始めた。
「おいレイラ、その金…」
「ダメだ！遊びに行きたけりゃ、自分で稼げこの野郎！」
しばらくうるさかったが結局はあきらめて宿に戻ってきた。
「おそかったねー」
セニアスが笑顔で迎える。それを見てレイラは何かを忘れている気がした。
「…？」
「あー、今日はついてない。貧乏籤ばっかりだ」
「あなたはいつだってついてないじゃない。早くしないともう御飯だよ」
セニアスとヴィッターの会話を聞き流しながら部屋に戻ろうとした時、セニアスが声をかけてきた。
「あれ？もう一人は？」
「あっ！」
フォディニーの事を完全に忘れていた。まだ財布を捜しているか、それとも広場で待っているのか。とにかくあそこで落ち合う約束をしているのだから、行かなくてはならない。あっけに取られているセニアスを置いて宿を飛び出していった。
そして青年はそこにいた。いつもと変わらない笑顔をレイラに向ける。
「ごめん、こっちは見つからなかった」
「それは…いいんだ。見つかった…というか、まあ、その」
ほったらかしにしたという罪悪感でしどろもどろになる。
「そう？じゃ、帰ろうか」
特に気にならないといったようにレイラを促した。
「ああ…。なあフォン、おまえ、かなり待ったんだろ？どうして先に帰ろうって思わなかったんだ？」
「え？」
意外なことを言うと、レイラの顔を見る。
「だって、約束したじゃないか。ここで落ち合うってさ。だから待ってた」
顔が赤くなる。自分はすっかり忘れてしまったのに、この青年はそれを疑いもしない。三日の間彼がどこで何をしていたのかも合わせて、この無邪気さになんとなく腹が立ってきた。
「ふ、ふん！どうせ、他の女と約束しても、同じように待ってんだろ！？」
必要以上に嫌な口調。そっぽを向くレイラに少し驚いたが、フォディニーはすぐ微笑んだ。
「違うよ。レイラだから」
驚いて男の顔を見る。
「レイラは、絶対ここに来ると思ったから。レイラとの約束だから、僕は待ってたよ」
夕暮れに照らされ、道化の微笑みは純粋さを際立たせる。
「ばっ…馬鹿！そんな、そんな事、さらっと言うなよっ…帰るぞ！」
思いがけない笑顔に耳まで赤くなりながら、先に立って歩き出す。
「あれぇ？レイラちゃん、どうしたのぉ？」
「う、うるさいっ、その呼び方はやめろって…」
言い合いながら、二人は宿へ向かって帰っていった。
END