静かな場所の静かなささやき
見渡す限りに人気はない。あるのは墓標。その間を抜けるようにして、シリアは少し丘になっているところに行った。そこには大きな木が生えていた。彼女の家族の墓が、そこにあった。
「久しぶりだね、みんな。最近忙しかったからなかなかこれなかった。ごめんなさいね」
三つある墓標の前には少ししおれかかった花束が置かれている。彼女はそれをどけると、持ってきていた新しい花束と替えた。
彼女が家族を失って一年近く。一週間に一度は必ずここに訪れていた。自分が彼らをこの世から消してしまったと、それに対する負い目が彼女をそう駆り立てていた。
「この間、月の魔物だ、って言う男の子が私のうちに来たよ。ジェイって言って、生意気なんだけどかわいいの。でも、彼は天外孤独。私、彼を養子にする事にしたよ。天外孤独なのが二人いたら、もうそれは孤独じゃないから」
まるで誰かに聞かれたら困ると言うように彼女はささやいた。ささやきは風に乗り、そっとかき消えていく。それから彼女はまたささやく。リテの事、カルサートの事、トミーの事、そして彼女自身の事。家族はうるさくするのが嫌いだったから。ささやくほうが彼らに届くかもしれないと、シリアは考える。この場所は心地よい。きっとみんな心地よさに身をゆだねている。だから、私はそれを壊すようなまねをしてはならない。
それでも、彼女は思う。もしもみんなに会えるとしたら、みんなは私をなんて言うだろう、私はどうするべきなんだろう。心地よさに身をゆだねているだなんて、生者の傲慢でしかないのかもしれない。本当の事は誰も知らない。わかるはずがない。だから彼女は、他人に『家族はおまえを恨んでいるぞ』と言われても反論しないのだ。
実際、彼女がここに来るのは、自分がしてしまった事を、絶対に忘れないためなのだ。家族だけではなくファーロンの人々が眠るこの霊園にくるのは、自分が犯した過ちを再確認するためなのだから。彼女以外、ファーロンの事件の真相をはっきりと知る者はいない。唯一、カルサートだけがそれを感じている。だが所詮彼はシリアではない。シリアの重みは、彼女自身しか知らない。
「結局のところ、別れ際に魔物が言った事は、この事だったのよね」
彼女は口の中でつぶやく。
『すべての重みを、自分で背負う事になるぞ』
別に彼女はそれを苦に思っていない。罪の意識がないまま生きていく事のほうが彼女にとって苦痛だから。そして、人一人が背負うにはあまりに大きな罪を彼女は背負った。それが、殺されてしまった者への、ただひとつの供養だったから。
だが、さすがに彼女が強い人間であるとしても、押しつぶされそうになる時がある。そんな時には人知れず涙を流した。ないてないて…それで気持ちを落ち着けるのだ。まだ泣けるようになってよかった、前なんか泣くこともできなかったんだから。そう思いながら、彼女は立ちあがる。
「じゃあ、いくね」
それだけ言うと彼女は立ち去った。いつかはこの苦しみが、消える事は決してないけど、乗り越えていけるぐらいにまでなるはずなのだ。今はまだ駄目でも、かならず朝は来るのだ。一番大事な事は、彼女はきっとそうなれると信じている事。絶望は次から次へと人間を襲うが、それに打ち勝つ力を持つのが人間であると彼女は信じている。
「もしかしたら…」
月の魔物はそんな人間がうらやましかったのではないだろうか。自分には、疎まれたもの、悪意、つまりは絶望しかない。それに打ち勝つだけの力、魔物にとって未知の力である信じる事、希望は存在しなかった。長き悠久の刻、彼は人間を見つづけた。そして人間にある、彼にとっての未知の分野に惹かれ続けたのだろう。それが証拠に、魔物のパーソナリティは人間として、ジェイという人格を持ってこの世界に存在しているのだ。
シリアは自分だけの秘密を見つけたような気がした。微笑を浮かべながら出口に向かっていく。帰ったらジェイに聞いてみよう、なんて言うだろうか？
霊園は終始静寂をたたえたままだった。それでもシリアは少し強くなった。彼女がこの痛みを乗り越えるにはまだまだ時間がかかる。しかしそれでも必ず乗り越えられるだろう。
彼女は出口に人影が見えるのに気がついた。誰かはわかる。彼女の大事な親友達だ。彼女は、彼らのためにも痛みを乗り越えなければと思った。
「ごめんねぇ〜！お、っまたせー！」