季節を操るのは
朝から吹雪いていた。
「おっかしいなあ、この季節に吹雪くなんて」
青年はコートのフードを持ち上げつぶやく。あたりは横殴りの雪に閉ざされ何がなんだかさっぱりわからない。どうしても今日中に宿に着かなくてはならない。着替えや機材が入った荷物はじんわりと彼の肩に食い込む。もう二時間も屋外に出ていたら、間違いなくその辺りに倒れこみ明日になったら立派な氷柱が出来上がる。
「ものすごくまずい」
命の危機を感じつつ青年、ラウゼンはゆっくりと前に進み出す。近くに洞窟のような物があったのでそこにとりあえず避難をすることにした。
彼は荷物の中から売店で買った食べ物の残りを取り出し、ほんのひとときを自身の食欲を満たすことで紛らわした。
「まったくどういうこった？…って、あれ？」
先ほどまで猛吹雪だった事は、彼自身や周りについている雪の多さで確認できるのだが、今は心地よく晴れている。だんだんと体感温度は上がっていき、春を一気に飛び越えて夏の暑さになった。彼は冬の装いをしているのでひどく暑い。しかしコートを脱ぎかかったところでまた辺りの様子が激変する。次第に気温が下がり、どうしようもなく寒くなった時点で再び吹雪き始めた。
「……」
脱ぎかかったコートをしっかりと着込んだ彼はこの現象について何かを考えてみようとした。しかしさっぱりわけがわからない。
「俺もあちこち取材にいったけど、こんな事は初めてだな……ん？」
洞窟の奥のほうで何かの物音がした。不審に思ったがいってみることにする。ちょっと注意深く見るとさっき入ってきたときには気がつかなかった、奥へと続く通路のようなものがあった。
やけにぬるぬるしているので彼は転びそうになりながら、それでも何とか一歩一歩を踏み出していく。暗闇である。人は長時間暗闇にいるとどうしてもバランスがおかしくなってくる。彼はフリーのカメラマンという立場柄何度も危ない橋を渡ったことがあるが、それでも慣れないのがこの暗闇にいる事である。現在彼が使える唯一の感覚である触覚を頼りに、岩肌を探りその冷たさを感じつつ歩いた。やがてひとつだけだった感覚に聴覚と臭覚が加わる。
「……気持ち悪い」
奥のほうから悪臭が漂ってくるわ、身の毛もよだつほどの叫び声が聞こえてくるわ…。もうこのまま引き返そうかと何度も思ったが、どうしても足が引き返さない。何かの魔法にかけられたようなのだ。仕方がないのでそのまま進んでいく。
先に進むにつれやっと光が差してきた。少し開けた場所で、ラウゼンは伸びをする。明るいといえば明るいのだが、少し緑色がかっているのでどうも変な気分だ。ふと少し緑色が濃くなっているところを見つけた。どうやらここから光が漏れ出しているようだ。吸い寄せられるように彼はそこに近づいていく。
ひとつの水晶玉、に良く似たものがあった。球体の中で緑色の炎がうずまく。
「なんだこりゃ？」
彼が手を近づけると炎は中で激しく回転し、それに伴って悪臭もひどくなる。それでも球体に手を触れる。と、それまでしていた悪臭がなくなり視界がなくなった。
「え、え、え、？」
「驚かないで」
急に声がした。そのほうを見ると小さな女の子がいる。
「そろそろ私も、交代してもらうわ」
「なんだあ？」
「あなたの炎はなに色かしら」
くすくすと笑う少女。そのまま消えた。何が起こったのかさっぱりわからないラウゼン。
『これからあなたが何をするのかは、そこの本を読んでね』
少女の声が聞こえる。しかしラウゼンは恐怖に返事もできない。目の前に半分朽ちている人間が立っていたから。しかもその大きさは半端でない。が、少女はその朽ちた人間のようだ。彼の視界からそれが消えると、本とやらを探し始めた。本は探すまでもなくすぐ見つかった。
「『私は季節をつかさどる精霊です。この世界ができてからずっとその役目を担ってきました。しかし、長年にわたるその仕事も、私には苦痛になりだしたのです。神と呼ばれる方はとうの昔にこの世界から姿を消してしまったので、後の精霊を選定していただけません。かといって私は自分の後をついでくれる精霊を探す事ができません。そんな事をしていると、すぐに季節は追いついてきてしまうから。そこで悪いとは思うのですが、私が後継ぎを探している間、あなた方人間に管理を頼もうと思います。……』…ってなんだこりゃあ！」
あきれ半分驚き半分。そこに恐怖も少し混じっていたか。本にはその後、季節の操り方などを書いていた。
「畜生、こんなとこ逃げてやる」
本を投げ捨て走り出したが、少し行ったところで見えない壁に阻まれ進めない。彼は緑の炎が閉じ込められていた球体の中にいたのだ。何度か体当たりをかけてみたが効果はない。
つまりはこういうことなのだ。彼は必死で考えた。たまたまこの場所に迷い込んだ人間に、季節を管理するという役目を押し付ける。恐らく今の自分は魂だけの存在なのだろう。自分の体はそのあたりに転がっているに違いない。体は時がたつにつれて朽ち果てていくのだ。だから次の交代が、それは人間なのか、このいまいましい季節の精霊なのかは知らないが、交代が来た時に体と分離した時の状態になるとは限らないのだ。現にあの少女は半分朽ちていたじゃないか。ついでに言えばこの洞窟に入る前、なんかおかしい天気というか季節だったのは、それまで担当していた少女が後継ぎの出現に喜んだのでは、と思われる。
ため息をつきながら彼は目を閉じた。次の交代が来てくれることを夢見て………。
彼の魂が放つ色は、美しいアクアマリンだった。