その山の頂上には大きな遺跡があった。本来ならちゃんとした人数でそれなりの設備を持って調査するべきなのだが、今回の訪問は完全に予想外だったのでシリアはとりあえず雨宿りをする事にした。
「……今日はここで泊りかな」
「かもな」
いったのは仕事をやめ彼女にくっついてあちこちをまわっいるカルサート。長い髪がにわか雨にぬれて気持ち悪そうである。本当なら彼女にはもう一人くっついている男がいたが、そのトミーはいま、学会の準備に追われて今は同行していない。
日はもうかなり低かったはずだ。まだ雨をしのげるだけでもよかった。
「とにかく、ご飯の準備をしよっか」
二人はなれた手つきで食事を済ませてしまい、ほっと一息つく。
「…雨、止まないね」
「ああ…」
止むどころかますます激しくなってきている。シリアはあくびをした。雨宿りできるところを探すのにかなり歩いたのがこたえているのだろう。このまま雨が止むのを待っていても深夜になるだろう。出発などする気もない。
「え…と」
彼女はあたりを見まわすと祭壇らしき、少し高くなっている位置がある。このまま雨が降り続けば遺跡内に水が流れ込んできて大変なことになる。そのための予防策だ。
「じゃ…寝る」
それだけいうと段の上で薄手の毛布をかけて横になってしまった。
「えっ？お、おい」
カルサートは何かを言おうとしたが、それより先に規則的な寝息が聞こえてきた。
「……」
複雑な気持ちだ。唇をへの字にして腕組みする。
「いや…おい…本気かよこのお嬢さんは…」
トミー、つまり邪魔者はいない。外は雨、つまり多少の音は消えてしまう。他の誰もいないこの空間で、夜が来た。彼には思うところが多大にあったが、そんなものをすべて無視してシリアは寝てしまった。
「…ああもう…」
仕方なく荷物から本と灯かりを取り出して、女の邪魔にならぬところで灯をともし読書をする。もちろん視界が悪いことこの上なかったが、それでも読めないことはない。これで目が悪くなったらシリアのせいだと決め、後で文句でも言ってやろうと思う。二時間ほどそうして過ごした。
雨はまだ止まない。カルサートは何やら自分のまわりが湿気ってきたことに気がつく。
「げっ」
小さく舌打ちして慌ててその場から立ち上がった。
「そういえばこの遺跡、周りからちょっと低いところに立ってたよな…」
雨水が遺跡内部に侵入してきていた。
「そりゃシリアが段の上で寝るはずだよ…。やっぱりこういうの長いことやってるだけあって、周りの事をよく見てるんだなぁ」
普段はとてもそうは思えない言動ばかりを繰り返すが、シリアも頭はいいのだ。そうでなければ『最高の』などという呼び名など絶対に付かなかったであろう。
「俺なんか、こういうことになかなか気がつかないからなぁ。ちょっとは見習うべきかもな」
彼は確かに新しい理論を見つけて博士号を持っている。今でも元上司のエンケフィ女史がとりなしてくれたので、応用物理研究所の中にちゃんと自分の研究室を持っており、企業のための仕事などもしている。しかし、彼はちょっとしたこと、というものに弱い。ほんの少しだけ気を配れば、後でそれが効いてくるということは知っているが、そこまで気が回らない。ただまっすぐ先を突き詰めていく、完全な研究者だった。それゆえに融通が利かなくなることもある。自分でもそれはわかっていて、今も直そうと試みているのだ。
「やれやれ…シリアが寝てるとこしか水が来ないところはないのか」
少し濡れてしまったズボンを押さえながら荷物を持ってそちらへ向かう。シリアは相変わらず寝息を立てていた。祭壇はかなり広かったが大人が二人横になれるほどではなかった。しかもこの場合、くっついて横になるということはできない。いや、できないことはないのだが、いくらなんでもそれはまずい。カルサートも疲れているのは同じなのに、眠れないのはそれがあった。仕方がないので、階段状の部分に自分の体を安定させ、上半身だけ祭壇上にのせた。
「ちょっと苦しいが…まあ濡れるよりかはましだろ」
いいかげん寝ようかと横になる。と眠っているシリアの顔が視界に入った。
「……」
一瞬からだがむずむずした。それを振り払うように頭を振って置き上がる。そしてもう一度彼女を見た。
「なんでこいつ、女なんだろう」
俺にとってのシリアとは一体どんな存在なんだろう。そんなことをふと思う。意見を戦わせたり、研究のことを話し合ってみたり。理系分野にも通じている彼女だからこそできる芸当だが、彼は時々彼女が男であればと思うようになった。もしくは自分が女であったらよかったと。男同士、あるいは女同士で出会えていれば、恐らくトミーのような一生涯の大親友になるか、最高のライバルとして彼の前に立ちふさがったことだろう。しかし現実はそうではない。親友であろうとしても、ライバルであろうとしても、男と女という性別の違いはそういったものすべてを灰燼に帰してしまう。親友以上であることは確かだ。恐らくトミーもそうだろう。彼らの関係を親友というには言葉が足りない。しかし、恋人ではない。それに彼自身、そんな安っぽい言葉で彼らの関係をまとめてしまわれたくなかった。エンケフィ女史や、他の何人かの女性に対して抱いた愛情とは違う、別のものをシリアに対しては持っていた。
「どうせなら、俺の話なんか全くわからない女であってくれたら…」
そして、彼への気持ちをはっきりと聞かせてくれたなら。それならば、きっとこんな気持ちにならなかったろう。多分、彼女をこのまま。このまま自分の…。
「本当に酷な女だよ、お前ってさ」
こうやって一緒にいる以上、嫌ではないことは確か。しかしその無邪気さは、時々男の心を乱れさせる。今だってそうだ。彼のことを少しでも男と思っているのならば、こんなに無防備に眠ることなどなかったろう。
「なあシリア…俺は、そんなに男としての魅力がないのかい？」
ちょっとだけ哀しそうに寝顔を見ながらつぶやく。その紺碧の瞳は瞼に守られ、薄く開いた唇は時折何事かをつぶやく。
「この寝顔が見れたってだけでも、特権かな？」
ちょっと笑うと、すぐ顔を引き締める。じっと我慢していたが、どうにも自分の体がおさまらない。だから彼が、寝顔だけでは嫌だと思うに至るに、そう時間はかからなかった。なんだかんだと思いながらも、結局行きつくところはここなのだ。眠っている女に手をかけるというのは彼の信条に反していたが、そんなことを考える余裕もなくなってきたようだ。わずかに残った理性が頭の奥で悲鳴を上げるが、それはすぐ追いやられた。手を伸ばしてほほに触れる。滑らかな感触に息を呑む。少しシリアが身じろぎした。びくっとしたが手は戻さなかった。この関係を壊したくない。でも、壊したい。突き抜けるような破壊衝動が彼を動かす。かけてあった毛布をずらすと、いつも首からかけている蒼い石のペンダントが零れ落ちた。それは石の祭壇にあたり、きぃんと小さな金属音を発する。その音でシリアが目を開けた。
「……」
伸ばした手を引っ込めることもできず、息がかかるほどの至近距離でシリアが体を少し置き上がらせた。
「…お…？」
「よ…よぉ」
妙な間。冷や汗をだらだら流しながらカルサートは間の抜けた笑いを送った。半開きのシリアの目はそれをじっと見ているだけ。が、つぎの瞬間彼はヤカンの山につぶされていた。
「うーん、よく寝た！いい天気だし、今日も張りきっていこう！」
シリアは祭壇の上で伸びをすると深呼吸した。その視界の端に、ヤカンの丸いフォルムが入る。
「あれ？カルス、あんたなんでそんな所でヤカンと戯れてるの？」
「……」
「え？なに？聞こえないよ」
「お前のせいだろうがこんなもん！ここにいる誰が他にヤカンなんか攻撃に使えるっていうんだ！」
ガラガラと音を立てながらそこから這い出してきたカルサートは、シリアに怒鳴った。
「怒鳴らないでよ朝から。私、知らないよ」
「寝ぼけてたのかぁ？」
つぶされたおかげでシリアをどうこうしようという気もなくなりそのまま寝てしまったのだが、寝ぼけていただけと聞いてなんとなく損をした気になった。
「大抵私の安眠を邪魔したらそんな目に会うらしいわね。リテもジェイも一回は経験してるわ。………ってことは…」
じっと顔を見るので思わずそむけた。
「あんた、なんかしようとしたでしょ」
答える前にシリアは自分で納得した。
「そっかー。私の女の魅力ってのもたいしたもんじゃないの。うんうん、こぉんな美女と一緒にいられるんだから感謝しなさいね」
それがあまりに無邪気なのでこちらもよせばいいのに、いつものようにいい返してしまった。
「だーれが。お前のほかにクロットフィーナさんでもいれば、俺は間違いなくそっちに手を出したね。おまえに「オンナノミリョク」なんてあってたまるか…ぐえっ」
飛んできた特大のヤカンに、彼は沈黙せざるを得なかった。
メインに出してもよかったかもしれないけど
後半ちょっとまあ…な記述があるのでこっちにしました
影のテーマは、カルス君にとってのシリア嬢
普通で言う愛の形ではないだろうけど、これもまたそのひとつなんだろうな