「ごめんリテ。仕事いっぱいあるのに」
「お互い様よ。あなたは早く体を治すことを考えて…ほらほら、早くベッドに横になること」
４０度の高熱にうなされるなんて、シリアにとってはじめてだった。体のあちこちが痛み、朦朧とする意識。彼女はこんな事は一回で十分だと思った。
「で、ごめんなさいなんだけど、私はそろそろ行かなくちゃ。また夜にくるから絶対に大人しくしてなさいね。あ、でもジェイ君が先に帰ってくるか」
「さあ…最近あいつなんかサークルみたいなのやってるらしいから…」
「とにかくあなたは休みなさい。じゃあ後で」
「うん…本当にありがとう」
リテはそういって出ていった。急いで階段を駆け下り、角を曲がる。と、トミーにぶつかりそうになった。
「きゃっ！」
「あ…ごめんリテさん」
彼は驚いた拍子に落としたカバンを拾っている。
「もしかして…シリアに用事？」
「ああ。この書類を渡しに行く約束だったから」
「ああ…今はダメよ。シリア、熱出して寝てるから」
「知ってる。研究室にいったら早退したって言われたからここに来たんだ」
「そう。じゃああの子の妨げにならない程度に滞在してあげて。じゃ」
そう言うと研究室の方へ向かった歩き出した。きっと途中でタクシーでも捕まえるのだろう。トミーはその後ろ姿を見送ると階段を上がり始めた。
「大丈夫かな、シリア…。熱だなんて、珍しいなぁ」
そう思いながらチャイムを鳴らすと生きた死体のようなシリアが顔を出した。
「……トミー？」
「おいシリア、大丈夫なのか？」
「大丈夫じゃ…ない。４０度はきついわ、ほんと」
「４０度ぉ？」
彼はシリアを抱きかかえると彼女の寝室に入り、寝台に横たわらす。乱雑な部屋なのでいつも友達が来ても絶対にここにはいれささない彼女だったが、今日はさすがに何も言わずベッドに体を預けた。
「氷、変えてくる」
まめな彼はすでに溶けかかった氷を取替えに行った。
「薬は飲んだのかぁ？」
台所の方から声が飛んで来た。シリアは今彼女ができる限りの大声で飲んだ、と言い返す。そしてそのまま熱に翻弄され、瞳を閉じた。戻ってきたトミーは、眠ったシリアを見て少しほっとした。
「つかれているんだろうな、こいつも」
額に手を当てると確かに燃えるように熱い。にじみ出る汗を拭いてやった。
しばらくののち、シリアがうっすらと目を開けると、誰かの心配そうな顔が見えた。
「あれ…母さん…」
「残念だけど違うよ、俺だ」
「トミー…」
見間違えた事にちょっと恥ずかしくなった。
「あのね…。実はこういうの、ちょっとあこがれだった」
「？」
「病気の時、誰かについててもらう事」
トミーが布団を掛けなおしてやる間にもシリアはちょっとしゃべった。
「ほら、うちは共働きで、親戚なんかも居なかったから、だから風邪なんか引くといつも一人でがんばらないといけなかったの」
「へぇ、おまえもそうだったんだ」
「トミーも？」
「ああ。親父もお袋も、後継ぎ後継ぎって言ってた割に病気になったときとか無関心でさ。時間通りに医者がくるのを待ってた」
「それって結構薄情ね」
「かもな。さてシリア。もっと寝ろ。風邪のときは余計なお喋りはしない」
「うん」
驚くほどの素直さでシリアは目を閉じた。寝息が聞こえるのを確認するとトミーはカバンから読みかけの本を取り出した。
「………」
しばらくの間はとりあえず集中した。だから本はかなり読み進んだ。しかし、寝汗にまみれたシリアの体、特にパジャマの開いた胸元にどうしても目がいってしまう。
「……汗…拭いてやらないと、いけないよな」
確かにそのとおりである。しかし、とてつもない罪悪感に襲われるのはなぜだ？答えは単純、自分は男で、シリアは女だという事だ。しかも、自分が今愛している女だ。心配する気持ちのほかに、別の心の力も働いている。言い訳を作っておこうとしている自分に嫌悪を覚えたものの、結局彼はタオルを取りに行った。
さすがにボタンをはずす時には手が震える。シリアは大人しく寝たままで、苦しいのか時々眉間にしわを作り、何やら寝言らしき言葉を吐く。そのたびにドキドキしたが手は止めない。やがて、汗だくになったシリアの上半身があらわになった。
「……綺麗…」
純粋にそう思う。汗できらきら光る胸はそれだけでトミーを刺激するのに充分だ。汗を拭くとその動きに合わせて胸が動く。震える手で彼女をそっと起こし、背中を拭こうとした。ちょうど、彼の腕はシリアの胸の下にくる。
「柔らかい…」
にやけそうになる顔。今はそういう事を考えている場合じゃないのだ。シリアの熱い体を触っているうち、自分も熱くなって来たことに気がつくまでそうかからなかった。
「少しくらいなら…」
罪悪感に押されながら胸を少し触る。シリアの様子を見るが苦しそうに眠っているだけだ。貼りついている髪が妙に色気を出している。トミーは思わずシリアにキスをした。頭の端で、風邪がうつるかもしれないと思いながらも、うつってもいいだけの価値があるとさえ思った。
「…う…」
息ができなくなり、シリアが苦しそうになる。鼻の詰まった状態では確かに苦しい。うっすらとシリアは眼を開けた。あまりにも近過ぎる場所にトミーの顔がある。
「…？？？」
何がなんだかわからなかったが、息ができないのはつらい。顔を振る。
「シリア…起きた？」
「息が…できなくて…」
ごめんごめんと頭を掻く彼。シリアは自分が何をされていたのか気がついていないようだ。いつもなら、間違いなくヤカンが飛んでくるはずだが。しかしさすがに上半身が裸になっている事には気がついた。
「な、なんで？」
「いやその…汗いっぱいかいてて…そのままじゃ良くないから…俺」
「そう・・・ありがと」
それ以上突っ込む事もなくシリアは再び目を閉じた。よっぽどつらいのだろう。じっと眠る彼女を見つめた。彼の体はまだ熱い。
「好きだよ」
そっと耳元で告白すると、彼は再びキスをした。先ほどとは違って、すぐに離すが。布団を剥ぎ取り、自分の服の胸元を開きつつ体を重ねる。きっとやってはならない事なのだろう。しかし、トミーは自分が押さえられなかった。朦朧とする意識の中、シリアはなんとなく重みを感じ目を開けた。
「……トミー！」
「あ」
「あ…じゃないよ！何をして！」
それには答えず、男が動くたびきしむベッド。シリアは熱に浮かされながらも逃げようと必死になる。しかしできなかった。
「俺だって…熱に浮かされることがあるよ。シリアが好き、っていう熱病に」
もがくが力がまったく入らない。くらくらする頭を抱えてシリアはいやいやをする。もはや男を撥ね退ける力はシリアのどこにも残っていない。と言うよりもともとなかったといったほうが正しいか？とにかくトミーはシリアを不器用に裸にした。汗で輝く体の隅々まで目に焼き付けようと、じっと魅入る。その視線に気付きシリアは顔を叛けた。ただ彼女は深く眠りたかった。
「シリア…、おまえの風邪、俺が引きうけてやる。だから見返り…」
「…やめてよぉ。こんなのやだぁ…。なんにも抵抗できないこんな時に…卑怯だよぉ」
「時には、男って卑怯なものだよ、シリア。今度からは気をつけたほうがいい」
「そんなの…早く言ってぇ…」
間延びした声だが実際シリアの頭は大混乱だった。どうしたらいいのかさっぱり分からない。トミーはそっと頬に唇を寄せる。
「今度は…先に言うよ」
「ばかぁ…」
弱々しい声。熱くなるシリアの息。
「………！」
痛みに目を閉じる。その様子を見て罪悪感が押し寄せた。しかし、体は止まらない。心も止まらない。
「シリア…」
怖がる彼女の様子を見て彼の心が痛かった。それでも独占欲がうずく。あまりに無防備で、あまりに無邪気で。その無邪気さに彼は幾度嘆いただろう。幾度、傷つけられたことだろう。哀しいほど傷つけられた彼の心は彼女を求めた。彼女だけを、求めたのだ。髪を分けて首筋に唇をはわした。汗ばみ、少し塩辛いな、と思う。そして……。
いくらか時間がたった。シリアの熱は下がるどころか、ますます上がったようだ。ぴくりとも動かず、一言も話さない。苦しそうに閉じられたまぶたを見て、トミーは彼女は高熱を出している事を思い出した。まぶたに口付けをし、溶けた氷を替えに台所へ入っていった。
「……」
戻ってきた彼は、シリアがうっすらを眼を開けている事に気がつく。
「大丈夫？」
「大丈夫じゃない」
目を合わせようともせず吐き捨てる。沈黙が落ちた。気まずい空気がその場を支配した。氷を替えようと彼女の頭を持ち上げようとしたが、シリアは力の入らない手で彼の手を振り払った。そんな彼女が愛しくもあり憎らしくも思う。だから彼は彼女の手をつかむと、思いっきり引っ張った。横になっていた体が力任せに起き上がらされる。
「！」
二つ折りになるかと思うほどシリアの体は前のめりになった。完全に前に倒れる前に、トミーは自分の体を足と頭の間に入り込ませて支えにした。片手で熱い体を支えて空いた方の手で氷を取りかえる。シリアは彼の肩に頭を乗せうなだれたままだ。もうどうにでもしてくれ、そんな気持ちがよく分かる。シリアの背中に手をやりそっとなでた。規則的に上下する背中。ついでに持ってきた乾いたタオルで汗を拭いた。
「…俺、ほんとにおまえの事、好きだから」
聞かせるでもなくつぶやいた。
「手っ取り早い欲望のはけ口なんかじゃ、ない。絶対にそれはないから」
きれいに拭いてやると目を閉じたままのシリアをゆっくりと横たえた。そのまぶたから一筋、涙が流れている事に気がつかない彼ではない。しかし、なにも言わなかった。今度こそゆっくり眠らせてやりたいと思った。
「ゆっくり、お休み」
限りなく優しい声はシリアに届いたか。彼女は黙って、いつのまにか寝息を立てていた。
トミーが本を読み終わる頃、ジェイが戻って来た。トミーはジェイにシリアの事を任せると帰っていく。その腕に彼女の柔らかさを残し、その鼻腔に彼女の香りを残したまま。
「俺今晩…ちゃんと眠れるかなぁ」
じっくり考えれば考えるほど、自分は卑怯な事をしたなと思わざるを得ない。一週間ほどシリアと音信不通（別に行方不明になったということではなく、ただ熱が下がらなかったので研究室に来なかった）になり、かなり彼は不安な状態に追いこまれていた。彼女が研究室に出てきたと聞くなり、彼は地質の部屋を飛び出して彼女のもとに向かった。扉を開けると、そこにはいつものように資料に埋もれかかった金髪が見えている。ちょっとした手違いで一時期短くなっていたが、現在ではもとのとおりの長さだ。
「シリア！」
「あ、トミーじゃない。ひさしぶりね」
「もう、いいのか？」
謝ろうと思ったが出てくるのは違う言葉ばかり。そのもどかしさにいらいらした。
「うん。まあ全快とまではいってないけど、なんとか。そう言えば…」
彼の心臓が跳ねあがる。
「あなた、お見舞いに来てくれたんですってね？リテとジェイから聞いたけど…。私、あの時本当にわけわかんない状態だってて、ほとんどなんにも覚えてないのよ」
「へ…？ああ」
「…でもなーんかね、夢見心地で見返りとかなんとか聞いた記憶があるんだ。……なんだと思う、これ？あなたの声だったような…」
渋面になってトミーは口を開いた。
「なあシリア、本当は全部覚えてるんじゃないのか？」
「……ううん。あんまり」
ちょっと考えるそぶりを見せ、そう告げた。別にからかっている気配はない。
「…おまえの風邪を引き受けるから、その見返りが欲しいな、とは言ったよ」
「なにそれ？………………」
非常に長い沈黙。やがてふとあることに思い至ったシリアは、男の顔をじっと見た。
「な、なんだよ」
「……私になにかした？トミー」
泣きそうな顔になりながらも答えないわけにはいかない。きっと一瞬のうちにヤカンにつぶされるだろう。覚悟を決めた。
「…思いっきり襲っちゃった」
「………」
彼はその後にくるはずの衝撃を覚悟した。が、いつまでたってもそれがない。不思議に思って目を開けた。シリアが彼を見ている。
「それで合点がいった。起きた時に、なんか体が重かったの。……あなたが来てたって聞いて、まさかとは思ったけれど」
「そのまさか、だよ。ごめん」
「……」
三度沈黙。やがて消え入りそうな声で聞く。
「なんで私？」
「それはお前が…」
「他に女の人、いるよ」
トミーが何かを言おうとする前にシリアは言葉を続ける。その声はだんだん大きくなり、吐き捨てるようになった。
「他にもいるじゃない。そういうことを商売にしてる人だっているじゃない！私はそうじゃないのよっ！私は、そんな女じゃない！！」
頭を振り乱しながら叫ぶシリア。トミーは彼女に手を伸ばし、腕をつかんで引き寄せる。頬を手で包むといやがる彼女に口付けた。顔を離すと、狂気じみた光を宿す蒼穹の瞳を覗きこむ。
「…俺は、お前がそんな女だったら、きっと何もしなかった」
体をぎゅっと抱きしめる。
「あの時いったじゃないか…。欲望のはけ口なんかじゃないって…絶対に、絶対に違うって」
「…じゃあ、なんなのよ…っ」
腕の中から逃げ出そうともがく女。そうはさせじと力をこめる。
「お前が…好きだから。とても、好きだから」
「……」
もがいていた力が抜ける。ともすれば体を完全に預けてしまいそうになる。それに抗いながら、精一杯の抵抗を込めていい返す。
「…いまさらそんなこと…いわないで…。そんなだったら…はけ口っていってくれたほうが」
「なんでだよ。なんでそんなこというんだよ！？」
「その方が…憎めるじゃない。…好きだなんていわれたら、憎むことが出来ないじゃない。どんなに悔しくっても、憎むことが出来ないじゃない！」
憎めないといいながら彼の胸を叩く。力任せに叩く。それでもトミーの体は動かない。ただシリアの気が済むようにと、ただ立っている。やがてそれもおさまり、もはや完全に体を預ける形でシリアは目を閉じた。
「…少しは、気が済んだ…？」
そっとささやくトミー。細かく頭が横に振られる。
「俺、自分がしたこと、ちゃんとわかってる。だから、お前が死んでくれと言うなら、そうする。だけど、そばにいさせてくれ。ずっと、お前のそばにいさせてくれ。俺は、離れて生きるなんて、それだけは、嫌だ。それだけは言うことは聞かない」
「…私は、崩したくなかった」
「？」
「あなたと、カルスと、私のこの微妙な関係。それが好きだった。どこかが途切れても、全員きっと傷ついてしまう。そんな危うさのうえで私たち、いきてたんだよ…」
「…そうだな。だけど、シリア。そろそろ変わろうよ。俺がやらなくても、きっとカルスが同じことをしていたと思うから。多分、俺たちはあのままではいられなかったよ…」
「……そう…そうかも、ね…」
シリアが顔を上げる。眦に涙が浮かぶ。
「もういいかげん、変わらなくちゃいけなかったのかもね」
「…シリア…」
「だけど、これってあんまりだよ。だからもう、あんなことはしないで。なんの判断も出来ないときに手を出すなんて、それって私、人形と同じだから」
「わかった。絶対にしないよ。シリアの目に誓う」
そう言うと、もう一度口付けた。そして長かった関係に、変化の風が訪れる…。
きゃぁぁぁ！なんてことしてんのよ、トミー君ってば（汗）
って、書いといてなんだけど（爆）
熱があるときに誰かがいてくれるのはとっても嬉しいし安心だけど…
トミー君、家に帰んなさい…（作者S心のつぶやき）
ところでようやくアンダーらしいお話という噂も（笑）
好きという思いが限界を超えたとき、結局はこうならざるを得ないんだろうなとはおもいますです、はい
別に体を重ねあわすことを否定するわけじゃないけど、お互いが傷付き合うのは遠慮したい
今回こんなことしちゃったけど彼はちゃんと「大好きな人を大事にしたい気持ち」も持ってます
だけどそれと同じぐらい独占欲もあって、その背反性にものすごく悩んでて、
そんな時シリア嬢が倒れちゃったという状況ですね
さてこの場合はどうなることやら…とりあえず続けてみたいとは思ってます
なんたってなぁ…もう一匹いるからなぁ（タメイキ）