丘の上に長く伸びた白い草と、冴え渡る月の光。あたりは白に染め上げられている。そんな中を彼は歩いていた。深い碧の髪はいま、冷たい風になびくばかり。時折風は髪をもてあそび、ぐらりと体がゆれる。しかし彼は多分そこにいる一人を探すため、ただ歩いた。風は強く、冷たく吹く。その強さに思わず立ち止まり、目を閉じた。
「っ…と」
少し頭を振って目を開けた刹那、視線を感じた。それこそが探していた人。
「……ピナス」
月の色を宿した瞳は彼の姿を捉えて離さない。不自然な間の後、少しとまどいがちに言葉を返してきた。
「ウーディー…」
いつからかその姿を追いつづけた。いつからか、自分より大切な存在だった。だから、守りたかった。
「…」
何もいわずにウーディーは手を伸ばした。ピナスは少し躊躇したが、そっと差し出された手と彼の表情を見、そして戸惑いながらその手を取る。
本当は、たぶん、私はこうしたかった
今やっと真実を知ることができた。手を取ったとき痛感する。人工物であるが男という性を持つがゆえに手はピナスのものより大きい。その手を両手で包み、暖める。どれほど長い間丘をさまよったのか知らないが、彼の手は冷たかった。
「……」
言いたいことがある。もし会えたなら必ず言わなくてはいけない言葉がある。わかっているが出てこない。二人は黙って彫像のように立っていた。月は銀の光を惜しみなく二人に投げかける。
「…言わなくても…いい。ちゃんとわかるから」
どちらの言葉だったか。実際に言葉は発せられたのか。そんなことすらもわからない。それを機に二人の視線が絡む。不意にウーディーの手に力がこもる。ピナスはその意味がなんとなくわかった。しかし、それに応えずただ手を温めつづけた。
「…寒かったんだな」
翠の瞳。相変わらず見つめていると吸い込まれそうなほど深い。
「…そうだね。ここは…風が強いから」
「私はここが好きだ。滅多に他の人が来ることがないから…一人になれるから」
「そうだね。俺も…こういうところ、好きだ。こういうところにいると、君と一緒にいるような気になれるから」
「……ウーディー」
握っていた手を離す。少し頭を振るとそのまま歩き始める。ウーディーも黙って後に続いた。腰まである草を分けながら白い平原を歩く。
「どこへ？」
「最近、とてもいい景色のところを見つけた。一緒に…行かないか？」
ためらいがちに誘う。彼は喜んでと笑った。
「多分、今日なら」
「…どこへ？」
彼の問いかけには答えず、いいからついて来いとでもいうように視線を送った。だからウーディーもそれ以上いわない。風が二人を分けるように吹いた。先に行くピナスの後ろ姿を見つめながら、彼は変な寂しさを感じた。隣に行きたかった。しかし彼女の背中はそれを許してくれない。ただついて来いと語る。聞こえないようにため息をつくと、草を踏み分けた。
「足元に気をつけるんだ」
風と、草の音しかしない中、唐突に声をかけられた。うつむき気味に歩いていた彼はどきりとして視線を上げる。
「足元？」
見上げた先には海。しかし普通なら見えるであろうその水面は、どんなに強い月の光を受けても見ることは出来ない。なぜなら。
「…白い、雲…」
「やはり今日はこうなったか」
気温と水温の差が大きい。水温のほうが高いのだ。水面からは水蒸気がたち、それでも丘の上に来るほど軽くもなく。二人は崖の先に立っていた。その断崖の半分ほどまで霧で埋まり、そこから下は見えない。なにも。月が煌煌と輝けば輝くほど霧はそれをはねかえす。かすかに聞こえる波の音がなければ、雲の上にいると思ってもおかしくない。まぶしくて雲の海から視線をもっと上げれば、険しい山脈が見える。わずかに見えるその姿は恐らくゲーヘル山脈だろう。
「……」
ピナスの肩が震えた。
「ピナ…？」
声をかけようとしたとき、言葉を失った。銀の双眸からとめどなく伝い落ちるもの。それすら月のせいで銀色に染まる。
「…すまない…」
「なんで…謝る？」
「すまない…すまない…」
「どうしてそんなに自分を責めるの？」
すまないと繰り返すばかりのピナス。ウーディーは小刻みにゆれる肩に手を置いた。そのまま手を滑らし、そっと自分のほうに引き寄せる。
「そんなに、責めないで」
ピナスはおとなしく彼に体重を預けた。背中に暖かさを感じる。それが哀しかった。目の前に広がる霧も哀しかった。容赦なく輝く月も、哀しかった。
「私…私は…」
のどもとまで言葉が出かかっている。それなのにそれ以上いえない。溜まった涙を流そうと空を仰ぐ。月に隠れていた星が揺らぐ。
「…」
突然背中の温もりが消えた。バランスをとりながら振りかえるとウーディーが手を差し出している。
「…え？」
「踊ろう、ピナス」
「オドル？」
にこりと笑ってさらに手を差し出す。
「ちょっとまってくれ、私はそれを知らない…」
「俺も知らない。だから大丈夫」
そういうと返事も聞かずに手を引いた。そしてピナスの体を軽々と回転させる。溜まった涙が遠心力に負け、輝きながらどこかへ飛んでいった。たたらを踏みながらピナスもなんとかそれに応えた。お互いが向き合うように立つと、ウーディーはどこで習ったのか格式ばった礼をする。
「今宵のお相手を、是非」
にこりと笑う彼。つられてピナスも笑った。
音楽はない。観客もない。蒼色した月からの銀を浴びながら、どこまでも白い空間はダンスフロアに。感激のワルツ。狂乱のブギ。情熱のルンバ。そして哀愁のチャールストン。どの踊りでもないただの動きは、二人だけの空間を満たしていく。踊れ踊れ。どこまでも、いつまでも。長い髪をなびかせながら、二人は踊った。強い風に乗りくるくると。ただ一夜だけの、今宵だけのダンスフロアで。
「あ、危ない！」
舞っていたピナスは崖のほうへ向かっていた。いくら不思議な力を持つとはいえかなりの高さから落ちればひとたまりもない。とっさにウーディーは手を強く引いた。どさりと音を立てて彼女は白い草のじゅうたんの上に投げ出される。
「…べつに、構わなくてよかったのに」
「そんなこと…」
横になったままつぶやくピナスの隣に膝を突いた。
「だが…私は」
「そんなこと、いわないでくれ」
いつのまにか彼の顔がそばにあった。ささやかれたその言葉は少し震えている。
「俺は決めたんだから。君を、守るんだと」
頬に冷たい感触を覚えた。それはゆっくりと動き、やがてピナスの唇を捕らえる。何が起きたのかわからぬまま彼女はじっとしていた。悪いものではない。
「どんなことがあっても、守るんだと」
そっとささやかれる。今のは何だったのだろう。確か…ヒト同士が…。
「多分、愛しているから」
そう、ヒトが愛を誓うときに…。ぼんやりと霞がかっていた視界が少し鮮明になった。そばにあるウーディーの顔を見た。相手もじっとこちらを見ている。二つの影は、一つに。風が少し凪いだ気がした。さわさわと長い草が擦れる。その音を聞きながら、ピナスは目を閉じた。ぎこちなく手を動かす彼に応えるように、自分も手を回した。
彼らはヒトではない。だからヒトのように愛を交わすことはできない。それでもあせるように着衣を取り、直接お互いの体を重ねあわす。ただじっと。それが彼らにできる、最高の愛の交わし方だったから。幾度も、狂ったように口付けを交わしながら、もう離れるまいと言わんばかりに抱き合った。
月が傾ぐ。霧の海も次第に薄くなり、水面にちゃんと月が映っている。冷たさをまとった風はほんの少しだけ暖かくなり、辺りを渡っていった。定期的に聞こえる波の音と、風にゆれる草のざわざわ音の区別がつかない。ピナスは起きあがると、先ほどよりははっきり姿を確認できるようになったゲーヘル山脈を見た。
「ピナス？」
彼女の視線はかつて世界にその山ありとうたわれたディーヴァス山を見ている。それはもはや世界最高峰ではなかった。ウーディーはその視線に気がつくと自分も座り、ピナスを抱き寄せた。
「…私は、みんなを見捨てた。シードも、ネオも、グロウも、サイルも、ウェイも、クラウドも…君も、みんな！」
「……」
「私も皆のところに行きたい。君のところに行きたい…。でも…許して貰えない…多分」
「許さないって…誰が？誰がピナスを許さないという？」
疲れを宿した瞳を上げる。彼は困ったような顔をしていた。
「俺たちの誰も、君を悪く言うやつはいない。だから何も気に病むことなんかない。すまないと、謝ることはないんだよ。それに…」
力をこめる。
「俺たちは、ずっとそばにいる。君の中に、ちゃんと息づいている。そしてこの世界に、ありとあらゆるところに俺たちはいる。そしてみんな、君を守っているんだ」
「ウーディー…」
「それを俺たちが望んだんだ。だから、だから。……ずっと守ることができるようにと、みんなを代表して俺がきた」
「…そうか」
黎明。東側から明るさを伴った雲がながれてくる。
「…そろそろ、さよならだ」
「……そうか」
「また会えるとは思ってなかった」
「私もだ」
「嬉しかった」
「私もだ…ウーディー」
呼びかけに哀しそうに笑う。
「みんなに会ったら伝えてくれ。いつかわからないが、会いに行く、と。その時までそばにいてくれ、と」
「ああ。わかった。待っている」
「ウーディーも…」
「聞くまでもないだろ？」
ひときわ強い風。髪がまいあがり、一瞬視界が閉ざされる。そして視界が戻って来たとき、そこには誰もいない。夢想ではなかった。ピナスの体にまだ温もりが残っている。手に絡んだ髪を見れば碧。大きく息を吸い、明るくなってきた空を見、そしてまた対岸の山脈を見つめる。
「あの日、力は及ばず私は仲間を失った。けれど…この大地は。ウェイや、仲間たちが愛したこの大地は。いまでも変わらず、ここにあるんだ」
身支度を整える。別に誰かに見られるという心配はないが、長い間の習慣でこうやって身支度することが当たり前になっていた。少し気恥ずかしい。あの日以来絶えて久しかった気持ちが戻ってきた。そしてまた音もなく草の海を泳ぐかのようにピナスはいずこともなく去った。一夜を明かしたその場所には、薄く翠に色付いたフィリカ草がゆらゆらと揺らめくのだった。
まーぶるさんのご要望にお応えしてピナスとウーディー編
彼らは人間のような愛を交わすことができないけれど
精神的に言えば人間と何ら変わりなどないのでしょう
ただどうしてもこの二人だと物悲しい感じが…悲恋は好きなんだが（爆）
途中の霧の海
実際に見たことはあるんですが（その時は川霧でしたが）なんともいえない情景でした
霧の下から街灯が光っていてうっすらと明るい
私の拙い文章表現ではその万分の一も伝えられていない
いつかまた見に行きたいけれど…多分ダメなんだろうな…