１．Internet Exprloder

「ぱ、ぱくられたぁ！？」
「らしいよ」
「いつかやると思ったけど……」
　飲んでいた紅茶を辛うじて噴出さずにシリアはリテに向き直った。
「人死にとかはでたの？」
「さあ。私も地室のみんなが騒いでたのを横目にしてきただけだから。でもそういうのじゃないみたいね。そうだったらもっと凄く騒いでそうだし」
　勝手知ったる他人の研究室とばかりに、置いてある自分用のカップにシリアが淹れてあった紅茶を注ぐリテ。いつもの事なので何も言わずにシリアはおやかんを火にかけた。
「ありがとね、シリア。おいしいお茶」
「こうやって飲んでもらうのも幸せなの。だから気にしなーい。おやかんもちゃんと使ってあげられるし」
　道具は使うものである。なぜかシリアの周りには使い切れないほどのおやかんが出現する事があるが、基本的に普段使いは家に一つ、研究室に一つ。他のはどこに行っているのか、彼女自身もよくわからない。
「まぁお茶もう一杯飲んだら詳細聞きに物研行ってみよっか。なんか聞いちゃった以上後味悪いしねぇ」
「そうね」
「よし、じゃあ今度はこの茶葉淹れてみる。私も初めて買ったから味が良く分からないのがミソ」
「あはは……私は遠慮しようかしら」
「リテ様にはたっぷり淹れて差し上げますわ」
「……あー……貴女の直感を信じます」
　その後、お湯が沸くまでの間女二人はお茶の味についてああでもないこうでもないと論議をし始めた。


　応用物理学研究所の受付をやって長いがこんな事態は初めてだと、マイヤは来客に気付かれないように息を吐いた。朝からただ事ではない人数が来て詳細を聞いていった事ではない。同敷地内にある考古学研究室の有名人、シリア＝マッカードとその友人リテ＝クロットフィーナが来た事でもない。そもそもこの二人はちょくちょくやってくるのですっかり顔なじみだ。
　では何に驚いたか。二人の顔なじみが揃って一言ではいえない表情をしていたからだ。大抵リテは笑っているし、シリアは怒っているか上機嫌かのどちらかだったので思わず聞いてしまった。
「……ねえ。何があったの？」
　問いにシリアとリテは顔を見合わせ、表情を変えないままリテがマイヤに力なく告げた。
「……お茶」
「えっ……」
「もうたくさん。あんなに破壊力が凄いと思わなかった」
「香りは普通だったのにね……」
　げっそりとした表情で語る二人。聞き出せたことは、物研に来る直前に飲んだお茶の味がこの世のものとは思えないほどひどいものだったらしいこと。
「しばらく紅茶は止めとくわね……」
「私も水にするよ……」
　二人同時に深い深い溜息をついてようやくマイヤに向き直った。
「それでねマイヤさん。カルスが捕まったって聞いたんだけど」
「その件よね、やっぱり」
「やっぱり？」
「朝からものすごいくらい人がきてその話聞いていってるの。そろそろ説明するのも飽きたから簡単に冊子作っておこうかと思ったくらいだったのね。けどあなた達の様子がおかしかったから違うのかとちょっと思ってた」
「あははは……」
　乾いた笑いを発するシリアに仕方がないと苦笑いのマイヤ。
　説明によると、通勤途中に公安の検問があり、そこで不審物所持で捕まったのだという。
「……思ってたより単純な話なのね。不審物所持って……」
「そう。単純なの。だからそれを納得させるのに凄く手間取ってね。みんな、『あの博士のことだからそんなもんじゃないはず！』って。博士がどう思われてるかよくわかるわ、ほんとに」
　むしろ彼を交えての会議が今日あったはず。それが行えないからと所長がグチを言って通って行ったような気もする。とにかくカルサートが研究室群一の有名人なのは確かなので、逮捕の話を聞いて一気に人が押し寄せてきたのだった。
「マイヤさんお疲れ……今日はもう受付閉めちゃったら？　私が代わりにいようか？」
「さすがにシリアさんにそこまでさせるわけには。ちゃんとこれでお給料もらってるわけだしね」
「確かに」
　リテがうんうんと頷く。そこへ、何かに思い至ったシリアが口を開く。
「ねえマイヤさん。カルスいつ戻ってくるの？　そういうのはまだ分からない？」
　内心、来た、と思いながらそしらぬ顔で応じた。
「いるよ。呼んでくる」
「……え？」
　思ったとおり二人とも目を丸くしていた。固まったままの二人を残してさっさと所内へ。朝から同じことばかりの繰り返しなのだ。少々こんな風に遊んでも罪にはならないだろう。そもそも相手を選ばなければこんな事はできないのだ。シリアとリテなら全部の説明をカルサートに振っても何も問題あるまい。
「やっとわかってくれる相手が来た」
　心なしかウキウキしながらカルサートの部屋へ向かうのだった。

「よー……ってなんだよそのあからさまな不機嫌顔は」
「アンタ逮捕されたんじゃなかったの？　なんでこんなに早く帰ってくるのよ。一日二日といわず二、三年ほどお泊りしてくるのかと思ったわ」
「すっげー酷い事言われてる気がする。てか背後のヤカンは納めてくれ」
　本気で汗を流しながら今にもおやかんアタックを繰り出してきそうなシリアに手を上げてみせるカルサート。
「あいにくと今日は堪忍袋の緒があともう一本しか残ってないから、あんたの言動次第ではわかんないわね」
「おいおい……何本の余地があるんだ……」
「対アンタ用堪忍袋は、昔は十本くらいあったけど今は三本ね」
「……始めの一本はなんで切れたんだ？　覚えがないぞ……」
「さっき飲んだ紅茶がすさまじく不味かった」
「それ俺のせいじゃねーって！」
「いいのよ、どっちだって一緒なんだから！」
「ひ、ひでぇ。リテさんどうにか言ってくれよ……」
　高みの見物を決め込んで二人のやりとりを見ていたリテも、
「うん、あの紅茶は近年まれに見るくらい不味かった」
　と返したので男は疲れ果て、ベンチの背に寄りかかった。
「……なんなんだよもう……」
　頭を軽く振り溜息を一つ。
「うん、詳細が知りたいと思って」
「詳細って言ってもなぁ」
　いつものようにのんびりダラダラと車を走らせながら通勤をしていたカルサート。と、途中で検問があったのだという。
「珍しいね。研究室にくる道って狭いから滅多に検問とかないのに。なにか犯罪でもあったのかしら」
「いや、いまんとこそれはっきりわかんないんだ。ちょっともぐってみたけど」
「あんた、そっちで捕まえた方が速そうよね……」
「不穏な事言うなよ。別に悪い事はしてないぞ。頼まれ事もやってるんだし」
「まあいいわ、そんで？」
　気を取り直して男は続けた。何かあったのか聞いてみても要領を得ずあれこれ質問を受け、助手席に置いてあった爆薬に追求が入りそのまま公安の本署に連れて行かれたのだとか。
「んで、俺が何者かってのと、爆弾の行き先を説明してなんとか出てきたよ。今日これ使った実験するんだったんだ」
　と、おもむろに懐から一つ爆弾を取り出す。
「いや出さなくて結構」
「そうか？　お前のヤカン見てたらだんだんこれを見たくなってきたんだ」
　どういう理由なんだとシリアは考え込む。そんな彼女を置いてカルサートは空を仰いだ。
「それにしてもさ、なんで今更なんだろうなぁ。いつもの公安官だったぞ」
「どういうこと？」
　リテの問いに満面の笑みを浮かべ自信たっぷりに答える。
「俺ちょくちょく不審物所持で呼び出し喰らってるから。公安だって俺の顔くらい知ってるだろうに」
「……ちょっと聞くけど、そういう危険物の取り扱い、資格もってるんでしょ？」
「いつも免許証持ち歩いてねぇもん」
「自慢になるかー！」
　直後におやかんが湧き出てリテをきれいに避け、ベンチはおやかんの山となった。
「まったくもう。後一本だけだって言ったのに！」
「それはいいけど、このままじゃカルサート君どうかなっちゃうんじゃない？　さすがにまずいわ」
「コイツがそれくらいでどうかなるようなタマじゃないんだけどなぁ……リテがそう言うなら」
　不承不承だがシリアは承諾し一つ一つおやかんをどけていく。その度にじっと見入るのでなかなか作業はすすまない。とはいえしばらく掘り進むとすっかり痙攣してしまったカルサートがいた。
「相変わらずねぇ。一体この子達どこからくるのかしら」
　おやかんのひとつを手にとってしげしげと眺めるリテ。
「さあ。まあとりあえず掘り出したし、おやかんたちは多分勝手にいなくなるだろうからこれでいいんじゃない？」
「そうね」
「……は、薄情者……」
　か細く男の声が抗議した。
「ほら大丈夫そうだ」
「うん」
「お前ら……」
　憮然とした表情で立ち上がる男にやっぱり、と腕組みで応じるシリア。
「それにしても、今のカルサート君の話を聞いて不思議な気がしたわ」
「どしたのリテ、唐突に」
「だって……カルサート君は、公安と顔なじみなんでしょ？」
「……なんかすっげー嬉しくないんだけど、まあ多分そうなんだろう」
「なら貴方が爆弾とか、危険物を持ち歩いてるっていうのは公安側には分かってる事で、今更感があるわよね？」
　ああ、とカルサートが納得した顔をした。ついでシリアも肩を竦める。
「マイヤさんそういや言ってたね。朝からすっごくいっぱい人が来たって」
「確かに問い合わせ多かったから、午前中いっぱいは俺も受付にいたぞ。いちいち呼び出すの面倒だからいてくれって」
「地室でもこの話でもちきりだったわ。そもそも私はそこから話を聞いて来たわけだしね」
　リテの説明にシリアは頷く。ついでにあのお茶の味を思い出して心の中でげっそり。
「要するに、そんな部署超えてまで大騒ぎして人が集まるような事象じゃないってことだろ？　俺が爆薬持ってるのは公然でもってない時がないわけだし」
「後半はともかくそのとおりなの。だから不思議ね、って思って」
　しばらく三人で理由を話し合ってみた。とは言えども結局まったくもって回答は得られず、自分が有名人だからすべての挙動を見守られているのだとカルサートがいい、シリアが問答無用で沈没させたところでお開きとなった。
「また派手にやったわね。いつも思うけど、一体誰がこれ直してるのかしら」
「こないだはおやかんが勝手に直してたよ」
「そう……えっ」
「おやかん」
　にこにこと笑っているシリア。これ以上深く聞いてはならない気がしてリテは思わず黙り込んだ。きっと誰かがこっそり後から直しているに違いない。やかんが動くはずはないのだ。そもそもシリアは普通の考古学研究員であって決して妙な力をもってるわけじゃないんだから。だって考古室の経理課壁だってちゃんとあとから工事してたじゃない。そう、だから普通に合理的に説明できるはずなの。出来ないはずなんかない……。
　考え込んでいるうちに考古学研究室まで戻ってきた。
「はー、まあいい気分転換になったわ。最近頭打ちだったからあんまり篭ってたくないのよねぇ」
「気持ちはわかるわ。最近フィールドワークは行ってないの？」
「うんまあ行ってないわけじゃないけどそんなに行けてない。本気で予算ないってさ。一体どこに消えてるんだか」
　ちらりと室長の部屋を見ながら通り過ぎる。噂は前々からあって、確かに室長のギャンブル好きは有名だ。職権濫用の境地で横領の噂。追求しようと思えばできるのだろうがシリアはそこまでする気はなかった。
　そもそも彼女はどうしてだか室長と本気で折り合いが悪い。室長としては上司コルグと合わせて『予言の書』の解読を行った有名人で人寄せになるから、シリアとしては偏っていない勉強ができる唯一の場所だからこの研究室に所属しているだけ。彼女自身にもほとんど上昇志向がないこともありそれでやっていっている。だが向こうが粗を探そうと躍起になっているのは理解しており、あまり下手な真似をしていては追い出されかねない。
「でもちょっと待って」
「えっ？」
　突然リテが立ち止まった。一昔前のリノリウム張りの廊下はいかにもオンボロさをかもし出している。いい加減これも張り替えすればいいのにとシリアが考えていると。
「シリア、貴女は特別費が出てたはずでしょ？　『予言の書』関連で。解読は出来たけどまだ研究はこれからなんだし、ほとんど貴女が専属みたいなものじゃないの」
「あー……ええと」
「それ使えばいけるでしょ？」
「ああ、うん、まあね」
「……歯切れ悪いわね。何かあったの？」
「いや、そんなにたいしたことはないから。んじゃ、ちょっとファリィのところ行ってくる」
「ちょっと……」
「今日博物館の応援頼まれてたの忘れてた！　いってきまーす！」
　リテが声をかけるひまも有らばこそ、すたすたと来た道を歩いていってしまった。
「博物館って……こないだ行ってたような気がするし昨日は図書館に行ってたし……相変わらずねぇ……」
　あの仕事中毒ぶりはいつもの事なのだがたまに心配になる。
「スクールの講師だって相変わらず続けてるわけだし。もしかしたらそれでフィールドワークにでられないとか」
　いくらなんでも自分の本業を忘れてはいないとは思う。思いたいのだが、もしかしたらそれが正しいのかもしれないと思わせる。それがシリアの恐ろしいところだ、と肩を竦めながら自分の研究室へ戻っていった。