３．Kettles are my lovers!

　ベランダはジェイが増やしている観葉植物と、シリアがいつのまにか増やしているおやかんで二分されている。その合間にデッキチェアを持ち込んで冷やした紅茶を飲むのはいい気分転換になった。
「姉ちゃん、リテ姉ちゃんが来たよ」
「んー。りょーかい」
　ぼんやりと外を見ていたところジェイが呼びに来た。起き上がろうとして。
「いいのよ、もうここまで来ちゃったから」
「リテ……」
　本人に止められた。押されるまま再びチェアに座る。リテも、ジェイが持ってきたスツールに座った。
「研究室はね、まぁいま書類多くないタイミングだから辛うじて動いてる感じ。だけどそろそろ学会シーズンが来るから皆から出張費請求がくるって事務室が嘆いてた」
「そう、なんだ」
「上手く動けるようになってくれたらいいんだけどね。そしたらシリアだって、他の用事せず研究に打ち込めるし」
「うん……」
　ここ数日、研究室に顔を出さずこうやってぼんやりと家にいた。
「もう毎日噂で凄いのよ。ついにやったかって。貴女と室長、ほんとにそりが合わなかったもんね。みんないずれやるって思ってたみたい。でもまあ、まさか貴女がお金を叩き返す方になるとは思わなかった。おやかんでどうにかするかと思ってたけど」
「もうね、おやかんにそんなことしてもらおうとも思わなかったんだ。私が何したってこの人はそういう見方しかできないんなら、最後の手段だよ、お金返すのは」
「生活費とかどうしてるの？」
「スクールの講師と付属博物館には行ってるから。とっとくもんよね、学芸員資格。図書館は敷地内だけど博物館は敷地の外にあるからあの人の顔も声も見なくていいし聞かなくていいし。それと親の保険金があるから。まあほとんどそれは使わないようにしてる」
　そう、と一応はリテも納得した。けれど彼女がやりたいことはなんなのか、それを考えるとなんともいえない。
「姉ちゃん、今度はトミー兄ちゃん来たよ」
「んー。そっち行く」
　さすがにリテと違い彼をベランダまで入れるわけにはいかない、と立ち上がる。リテもその後を付いていった。
「……ということらしい。お前も気を付けろよ」
「うん、ありがとね兄ちゃん」
　何がしかをジェイと話しているところに顔を出す。シリアの顔を見ると明るく笑った。
「よお、派手にやらかしたって聞いたぞ」
「はぁ。まあそうよね。地室にも当然話広まるよねぇ……」
「お前は自分が思ってるより有名人だってこった。そもそも情報が地室行きになるのは、噂よりもっと確かな出所があるじゃないか」
　と、リテに向かって肩を竦める。
「あら、私は夫婦の間の円滑な会話に偶々話題に出しただけよ。そもそもったって、部署は違っても同じ場所に勤めてるんだからフロストの方から言ってたし」
「あ、そうなんだ。先輩からって事は俺らが話してたからだな」
「そういうことになるわね」
　その後なぜか円滑な会話をするにはどうするのかをひとしきり話し合った後でシリアがリテに聞いた。
「気になってたんだけど、あの時のお金、ちゃんと経費に回ってった？」
「多分そうなんじゃない？　いくらあの室長だからって、あそこまで賑やかに叩きつけられたら着服なんて出来ないでしょ。経理から人は来てたよ」
「そっか、よかった」
　少し気分が落ち着いた。あまり他人を悪し様に言いたくはないが、噂がある以上警戒してしまう。そんな自分がたまに嫌になるときもある。
「今日初めてシリアがちゃんと笑ったような気がする。お前、気ぃ張りすぎじゃないか？」
「トミー君に同意。ほんとにもう……」
　二人が心配そうに見ているのに気付きシリアは目を閉じた。
「そうなのかなぁ」
「そう思うぜ。というわけでこれやるよ」
　トミーが取り出したのは小さなポット型のペーパーウェイト。もってみるとずしりと重みがある。
「どうしたのこれ？」
「俺んちの近所に最近雑貨屋が出来て。なんとなく外通ってたらこれ飾ってたからさ。おやかんじゃないけどシリア好きそうだし」
　と、もう一つ取り出して女の掌の上に置く。
「二つくらいあった方が見栄えするんじゃねーかなって」
「……」
「シリア？」
　不審に思ったトミーが覗き込もうとするのを台所で茶を淹れていたジェイが飛んできて止めた。
「兄ちゃんダメだ、あれは危険な兆候なんだ。リテ姉ちゃんも離れてた方がいい」
「き、危険って……」
「いいから！」
　トミーとリテを部屋の反対側に押していく。シリアは彫像のようにペーパーウェイトを見たまま動かない。
「……」
「……」
「……」
　半ば怯えながらその様子を見守る三人。あまりに何事も起こらないので大人二人は気が抜けた。けれどジェイはいまだ警戒したままである。
「ああリテさん」
「ん？」
「もしかしたら先輩、今日……」
　何がしか言いかかったところでそれは起きた。それなりに距離が離れていたはずなのにいつのまにかトミーの目の前にいる。あまりの素早さに固まる男。
「トミー！」
「うわ、わっ！　なんだなんだ！」
「場所！」
　手近にあったスツールの上に足を力いっぱい置く。
「今すぐ！」
　手にもったままの二つのポットを指し、
「教えてっ！」
　その後窓から外を一気に指す。
「…………あ……ああ、そりゃいいぜ。帰り道だし」
　男がそう答えるなりシリアがいなくなった。
「えっ？　シリア、どこ？」
　リテが辺りを見回すが今までトミーに詰め寄っていたはずのシリアがいなくなっている。
「ドアが開いてるからまさかとは思うんだが……」
　ようやく体が真っ当に動くようになったので一歩踏み出す。と。
「早くみんな行こうよー！」
　ベランダから声がする。正確にはベランダではなく、既に上着まで着込んで道に立っていた。
「は、はえぇよ……」
「兄ちゃん……まだ終わってないよ。まだ危険なままだから」
　諦めたように言うジェイに苦笑いすら向けられなかった。


　その店は確かに最近出来たばかりという、こざっぱりした印象をもっていた。小さな置物からちょっとした筆記具まで置いてある普通の雑貨屋で他国からの輸入物が多いようだ。
「で……トミー君、一体何を言いかかったの？」
　ここだと教え問答無用で突入していったシリアを見送り、上着の襟を合わせながらリテが聞いた。
「ん？」
「だってさっき何か言いかかってたじゃない。フロストがどうかしたの？」
「……ああ」
　しばし考えて思い当たったようだ。
「どうも直後のシリアの行動に驚きすぎて記憶ぶっ飛んだみたいだ」
「気持ちはわかるけどね」
「いや、多分先輩は今日帰るの遅くなるんじゃないか、って話」
「なんでまた」
「今日昼からずっとどっか出てていなかったんだ。確かに研究室に来てるのに。荷物もあったし。んで、俺が出て来る前にたまたま戻ってきてさ。『長丁場になりそうだ』って言ってまたどっか行った」
「あら。別に何かあるって聞いてたわけじゃないけど……」
　一般企業ほど急転直下な展開が多いわけではないが不意の事態になるのはたまにある。大体は、現場に行った誰かが事故に遭った、送った荷物が行方不明等の事件になる。そういった、どこでも起こりうることがほとんどだ。
「何かあったの？　そっちで」
「いや全然。平和なもんだよ。カルスのプログラムが若干暴走して誰かのデータが消えたってくらい」
「それ十分に悲劇だと思うんだけど。って、カルサート君のプログラムって、データ解析の？」
「そうそう」
「あの人いろんなところに顔だしてるわねぇ」
「え？　じゃあ考古研でも？」
「直接関わってはないみたいだけど、今のデータベースを構築する時に意見聞いたってさ」
「へえ。本人は別にしてやっぱりアイツは凄いな」
「もっとも、ウチの場合はシリアが後からいじってもう少しだけ文系な私たちに使いやすいようにしてくれてる」
「シリアが？　そりゃもっと凄い。少しアイツのプログラム見てたんだけど、一体どうやったらこんなの組めるんだ、ってくらい訳わかんない記述だったよ。あれが読めるってだけでもすごい」
「ああ、プログラム本体はいじってないって。ただ、ほら、コンピュータ独特の言い回しってあるでしょ。あれ私たち凄く苦手なのよ。そのへんのほう」
「なるほどね。それなら分かる。さすがのシリアでもカルスの本気ソースは読めないだろう」
　地室に入れてもらったプログラム以外でも幾つかデータを覗かせてもらったことはあるが、よくもまああんなにメチャクチャなようでいてこれ以上ないというほど正しいソースを書けるのだと恐ろしくなる時がある。これが凡人と天才の差だと、もはや感心する勢いだ。
「でもそっか、遅くなるかもなんだね。晩御飯の支度はちょっとずらすかな」
「俺が見た感じで、本当に遅くなるかどうかはわかんないからその辺はリテさんの判断に任せるよ」
「はーい、ありがとね」
『いーやっほう！』
　唐突に聞こえた声は確かにシリアの声。二人は顔を見合わせ、同時に呟く。
『ところでシリアは何やってるんだ？』


「ジェイこれっ！」
「え、あ、待って待って姉ちゃん！　落とすってば！」
「こっちも！」
「うわっ！」
「ついでにこれもドドドンと行っとくわよ！」
「そりゃ売りモンじゃない、店で使ってるもんじゃい！」
「なら仕方ない、後で同型を探す、ジェイ、メモ帳！」
「はいはいはい！」
「ついでにアレもコレもソレもみーんなおやかんはつれて帰るの！」
「だからそれは売りモンじゃないっつーとろーが！」
「いーやっほう！」
「姉ちゃん雄たけびやめて！」
　トミーが店を指すや否や即座に飛び込んだシリアと巻き込まれたジェイは、店内にあるおやかんやポット、その他シリアの琴線に触れたものを全部カウンターの上に置いていっていた。その剣幕にいつのまにか店番をしていた老人も巻き込まれ一緒になって騒ぎになっている。もう少しで連れ去られそうになっている彼の私物おやかんを必死で護りながら計算する事だけは忘れない。
　やがて一通り見終わったシリアは心から満足したという表情でカウンターの上の戦利品を見た。
「お前さん、本当にコイツが好きなんだのう」
　計算をしながら店番の老人が呟く。
「長い間この商売やってるが、こればかり選択していくのは初めてだ」
　と、シリアの手の届かないところに置かれた店のおやかんを突付く。
「だって好きなんです。もうほんとに。心から」
「ああ、皆まで言わんでいい。あの様子とこのカウンターの様子を見たら誰でも分かる」
「へへへ」
「そこまでの様子を見せられたらしかたあるまい。お前さんさえよければ、入荷したら連絡するが？」
「ぜひ！　よろしくお願いします」
　最上級のお辞儀をされ主人は驚き、ジェイはもうどうにでもなれ、と梱包の続きをするのだった。


『ぜひ！』
　外にはシリアの叫び声だけは聞こえてくるが後は全く聞こえてこない。
「断片しか聞こえないけど、何やってるか一発でわかるわね」
「確かに……」
　リテがもう諦めたと肩をすくめた時、トミーの携帯電話が鳴った。
「ごめんリテさん。……なんだ、カルスか」
「カルサートくん？」
　そういえばシリアのことを気にかけていたような節はあるが今日は顔を見ていない。なんとなく、少し離れたところで話すトミーの様子を見る。
「……なんだと？」
『…………』
「マジかよそれ。……ああ、わかった。ちょうどシリアとリテさんなら近くにいるから。……うん、伝える伝える。ばか、その辺常識だろ。……じゃあな」
　通話を終えやや呆然とした表情でリテのところへ戻ってくる。ちょうどシリアも、山のような荷物を抱えて店から出てきたところだ。
「なんだったの、カルサート君」
「カルスがどうかした？」
「……詳細はまだはっきりわからねえけど、って前置きで聞いてくれ。あと関係者以外に他言無用」
「わかったけど……」
「……」
　不安そうなリテと何も言わないながらも視線で不安を語るシリア。トミーも今カルサートからもたらされた情報をどう扱っていいのかあぐねているようで、しばらく考えてやっと言葉が出た。
「もしかしたら研究室群全体で、予算が半分かそれ以上カットされるかもしれないらしい」
「……え？」
「うそ」
「未確認で、各研究機関から長に当たる人がでて話し合いしてるらしい」
「あ……それでフロストが」
　うん、とトミーはリテに頷き返す。
「先輩がずっと研究室にいなかったのはそれなんじゃないかな。カルスも一応上にいる奴だし。物研、あいついないとなんだかんだで回らないらしい」
「らしいね。にしても、これまた降ってわいた話よね……全研究員敵に回す可能性あるんじゃない、その予算カット額」
　シリアの言葉に頷きつつ、なんともいえない気分になるリテ。これはどう考えても一波乱はある。
「一波乱だけで済めばいいけど」
　二人に聞こえないように小さく呟き、重い荷物を引き摺ってくるジェイの手伝いに行った。