６．Irregulars was here

「へぇ。そりゃーめでたい話……だよな？」
「なんで疑問系なのよ。めでたいに決まってるじゃない」
「正直、周囲にそんな話がまったく無かったからどう反応していいんだかさっぱりだ。そういうお前はどうなんだ？」
「何人かスクール時代の友達はもうお母さんだよ。研究室行かなかった組なんかは早かったね」
　カルサートの問いかけにシリアは応じる。二人は研究室群で一番美味なんじゃないかといわれる地室のカフェでリテの顛末を話していた。
「うーん。俺の周りはリテさんで初めてだ」
「まあそのうちトミーも交えてプレゼント買いに行こうよ。とりあえず次の公開質問が終わったらさ」
「だな。結局お前も引っ張り出されたか」
「いろいろとね、ややこしい事態になっちゃって。リテはもう無理できないし」
　せめて少しでも代わりになれば、と思う。自分に何が出来るかわからないが、やろうとする意志に迷いは無い。そんなシリアを見てカルサートはふと視線を緩めた。
「お前が動くなら俺も落とし前つけるかね」
「え？　でもややこしい仕事抱えてるんでしょ？」
　カップに紅茶を注ぐ手が思わず止まる。
「そんなもんくそ食らえだ。俺はなんの役に立つかわかんねぇけど研究がしたいだけだしな。ここが無くなったらそういうわけにもいかないし、知り合いが減るとこうやって話したりも出来ないし」
「まあそうよね」
「それにお前と組んだらもっと面白くなりそうだ」
「……」
　半眼で男を見る。見られたカルサートは一瞬固まった。
「な、なんだよ……」
「……面白がることじゃないでしょ！」
　間一髪、不意に現れた小さなおやかんを避けた。最近話をしていなかったのでこれを食らうのは久々なカルサート、相変わらずの素早さに背筋が凍る。
「待て待て待て、落ち着け。ここ壊したらしばらく美味い菓子にありつくのに苦労するぞ？」
「そりゃそうだけどさぁ。面白いってあんた……」
　グイっと男の襟首をつかむ。
「あんまりそんなこと言ってるとあんた、また変なうわさ立てられるよ。あんたが少々のうわさなんか気にする奴じゃないのは知ってるけど、必要以上に不利な状況に好んで行くことも無いでしょ」
「……ああ」
　シリアは手を放し、わかったようなわからないような反応を示す幼馴染を睨む。が、睨んでも大して効果が無いのは知っているので目が疲れる前にやめて紅茶を一口飲んだ。カルサートも残してあったコーヒーを一気に飲み干した。
「じゃああんたもいく？　これから私、本部に顔出してこようと思うんだけど」
「そうだな。何が出来るか聞いてみるさ。まあお望みならいくらでも潜ってやるが。考えてみたら研究室関連には潜ったこと……！」
　それ以上言うな、とばかりに思い切りシリアはおやかんで得意げな男の後頭部を張り倒した。


　数日経ってリテは久々に本部に顔を出した。検査や実家に報告等こまごました用事が一気に押し寄せたため研究室群に来ることすらできなかったのだ。
　そこでカルサートの姿を認め驚き、それよりその大きなたんこぶに面食らってしまった。
「ど、どうしたのカルサート君、それ……」
　挨拶もそこそこに思わず聞いてしまう。
「ああリテさん……」
　視線でフロストと話をしているシリアの後姿を指す。さもありなん、とリテは肩をすくめた。
「それよりリテさんおめでとう。話、シリアから聞いた」
「あ、うん。まだ全然実感無いんだけどね。ま、この子のおかげでシリアを引っ張り出すことが出来たわけだし、まあよしって感じよ」
　腹部をなでながら笑う。が、すぐに笑みを引っ込めた。
「というか、カルサート君がなんでここに？」
「ああ、俺も何か出来ること無いかって思って。ボロクソ言われたシリアがああやってまた研究室のために動いてるんだ、俺も引きこもってばっかじゃいけないような気がしてね。まあもっとも、あんまり表立っては動けないと思うが。そんなわけで顔出してみた」
「そうなんだ……うん、でもありがとう」
「照れ臭いな。それで、何か出来ることはあるかい？」
「そうねえ。シリアは次の公開質問のときの、こちらの代表になってもらおうかって話になってる。あの子以上にああいう場で弁が立つ人はそうそういないし。そのためには十二分に戦える材料が必要なんだけど、そっちが遅々として進まないの」
　全員が研究員なので書籍やネットワーク上にある情報収集には長けておりすぐに集まってくるし、解析もお手の物である。またそれぞれの持つコネも現在フル活動の状況だった。それでも有力な反対材料にはなりえていない。
　ならば非合法なルートをたどればいいとカルサートが口を挟んだ。この研究室群のレベルならばそれぐらい軽くやってのける人間が多数いるはずだと。
「だめよ。あくまでもこっちは合法で攻めなきゃ。フロストが先週言ったじゃない……ってそうか、カルサート君はそこにいなかったんだっけ」
　もちろんこの本部につめている全員が、本気を出せば足のつかない非合法なルートを辿れる。それはそれぞれが理解しているが、一度そうしてしまうと正々堂々と戦うことが出来ないかもしれない。そして、訴えるべき一般人に信頼を置いてもらえなくなるかもしれない。
「というわけで非合法は封印中。カルサート君もだめよ」
「そうか。まあ仕方ないか。けどリテさん、正直なところ、ばれなきゃいいんじゃないかって気もするんだけどな」
「……その辺はなんともいえないわね。でも、普通は最終手段でしょ、そういうの。最初から安易にそっちに走っちゃって、いいのかな？」
「……」
　カルサートとしては、リテの言うこともわからないではないのだが、必要に迫られたなら手段の一つとして頭に入れておいてもいいのではないかと思っている。特にこんな国政にかかわる事態なのだ、まともな手段では有用な情報など出てこないに決まっている。
「ま……俺は俺で当たってみることにするさ。出てきた情報は誰に送ればいいんだ？」
「あ、全員に流してる。その辺のメーリングリストはイントラに上げてるからまた見ておいて」
「わかった」
　一通りの話が終わったところにトミーが声をかけてきた。リテはほかの研究員と話をするということで本部から出て行ってしまい、シリアは相変わらずフロストと話しこんでいた。
「……カルス、ちょっといいか？」
「どうした」
　トミーは黙って自分が先ほどまで座っていた端末に向かう。カルサートも後についていくとメール画面が開いていた。
「これがどうしたんだ？」
「まあ読んでみろ」
　近くの椅子を引き寄せ座り、トミーにいわれたままに文章に目を落とす。まず差出人の名を確認した。
「あ、これ。クィンランドの」
「そうだ」
「何？　俺とメールのやり取りがしたいって？」
「前々から何か変わったことがあれば小さいことでもいいから教えてくれって言われてて、シリアとお前が最終的に運動に加わったことを送ったらこの返事だ。お前にどうやって聞こうかと思ってたが来てくれて少し助かった」
「うーん。別にメールのやり取りくらい構わんのだが。どうせお前んトコにも入るだろうし」
「それはわかってる。下のほうにそれで構わないって書いてきてるよ。手早いというかなんというか。けどなぁ……」
　トミーは言葉を選ぶため考え込んだ。カルサートのほうも状況が読め出したようでなんともいえない表情をしている。
「この教授さん、なんかこう、一言ではいえないけど、怪しい感じだよな。前こっちに来たときなんとなく思ったけど」
「……シリアなら知ってるんじゃないか？　ちょくちょくあいつが車出してあちこち遺跡回ってたみたいだし、例の誘拐騒ぎのときにも、あいつ何も言わないけどなんかあったみたいだし」
「うんまあ確かにそうだよな」
「どうしたよ。歯切れ悪いな」
「……そうか？」
　ああ、と、数日前に出来たのにいまだ引く気配を見せないたんこぶが痛いと思いながら頷くカルサート。対してトミーは微妙な表情だ。
「……トミー？」
「ん？　ああ、すまん。シリアに聞いてみることにするか」
「そうだな……」
　やはり歯切れが悪い。けれどあまり深く追求してもきっと何も言わないだろう。
「とりあえずはこの教授さんとしばらくやり取りしてみるか。てーかなんで俺名指しなんだろ」
「さあ。でも知ってるんじゃないか？　お前のこと」
「確かに、吹聴はしないが厳重に隠してるってわけでもないしなぁ。基本、企業から穴探し依頼が来ない限りだな……」
「どうだか。あんまり言うなよ。いくら回りに人があんまりいないからって無用心すぎるぞ」
「何やってんのよコソコソと。うっとおしいな」
　不意に後ろからあきれ声が掛けられた。振り返るとシリアが心底嫌そうな顔をして立っている。
「シリア、ちょうどいいや。ちょっと聞きたいことがある」
「なによカルス」
「この人のことだ」
　相変わらず開いたままのメール画面を指した。シリアはざっと目を通し少し眉を顰める。
「……」
「なあ……」
「あー、えー。そう、そうね。ちょっと個室にお茶飲みに行って来るから。また後で顔出すよ」
　いうなりスタスタと部屋を出て行ってしまった。
「おいシリア！」
「カルス、ちょっと待て。あれはあいつなりの気遣いだろ。わかりやすすぎてみんなスルーするレベルだけど」
「てことは俺らも茶を飲みに行けばいいわけか」
「だろうよ。俺はまだちょっと離れられないからお前行ってきてくれ」
「あいよ」
　了解、と立ち上がったカルサートは見なかった。トミーがそっとため息をついたのを。


　ここではとりあえず紅茶である。それ以外の飲料は水くらいしか認められていないのだろうとカルサートは思う。機嫌よくシリアは紅茶を淹れ男に差し出した。が、珍しく自分はすぐに飲まない。少し不思議に思いつつも話を切り出した。
「でだ。まあお前のことだから言いたいこともわかってると思うんだが、あの教授さんのことだ」
「……うん」
　歯切れ悪く手元のカップを見つめるだけのシリア。
「前の誘拐騒ぎがあった後、ちょっとあの人のことを調べてみたことがある。過去に軍隊経験がある以外特に目立って変わった経歴は全然無かったが……その潔白ぶりが引っかかったな」
「……あのときマスコミに追い回されずに済んだのはグスタルド教授のおかげだと思ってるよ」
「うん？　そういや確かにあの事件、すぐ消えたな」
「ねえカルス。あんたはどう思ってる？」
　いつになく真剣な表情でシリアが聞いてきた。
「どこぞの汚れ仕事役、ってところか。お前の態度からしてほぼそれ間違いないな」
「あたり」
　ため息と共に女は背もたれを軋ませた。カルサートは少し冷えてきた紅茶を飲む。思っていたより美味で半分ぐらい一気に飲んだ。ふと顔を上げるとシリアがこちらを見ている。
「……私もね、最初から知ってたわけじゃないのよ。知ったのはあの事件の最後の最後だし。でも別に犯罪結社に属してるってわけでもない。聞いたこと無い？　国際治安機構の非公式機関」
「……イレギュラーズってやつか」
「むかーし、まだオーウェルがいた頃に聞いたことあるわけよ。もっとも、全部終わった今だから結び付けられるだけであの時はそんなどころじゃなかった。夜の海は辛かったわ」
　カルサートは紅茶を飲み干して軽く頷いた。
「なるほどね。それじゃやっぱり確実に俺のこと知ってるだろうな」
「んー？」
「さっきメール着てたろ？　何でだろうってトミーと言ってたんだが。そのとき、もしかしたら俺のことも知ってるんじゃないかなって話になったんだ。何で知ってるのかわからなかったがイレギュラーズならわからないでもない。噂ではこの世界すべての情報にアクセスできる権限持ってるって話だ」
「ふうん」
「俺はそっちには本気で手を出してないから詳しくは知らない。流石にそこ突入すると裁判無しで死刑にかかりかねない。興味深くはあるんだがな。あ、お代わりもらえるか？」
　言われるままにシリアは空のカップに紅茶を注ぐ。
「ねえカルス。他に、この話誰かにする？」
「するっつってもトミーに顛末伝えとくぐらいだが。喧伝しても教授さんの所属が情報操作しにかかるだろうから、一般の人じゃ冗談としか受け入れない気はする。とにかく奴に伝えるだけだ」
「そっか。うん、よかった。必要以上に秘密主義はもちろんダメだけど、それでも「知らなくていいこと」ってあるじゃない。教授の件はその「知らなくていいこと」にあたると思うんだ。それに……私は命助けてもらってるから、やっぱり後味悪いもの」
「まあそりゃそうだろう。心配すんな。俺はそういうことは外には言わない。トミーだって吹聴するような奴じゃない」
「わかってる。信じてる」
「素直に信じられるとなんか不気味だ……ってまて！　俺が悪かった。だからその……おやかんは、しまってくれ」
　不意に背後に浮かんだ丸い巨大なものに平謝り。引っ込んだのを確認し、ため息を気づかれないようにまた紅茶を飲み干した。
「……さっきから見てたんだけどさ」
「うん？」
　口をへの字に曲げてシリアは呟いた。
「あんたの味覚ってどうなってるのよ」
「は？」
　それ、と紅茶を指す。
「私やリテ、地質学研究室全体を地獄の底に落としたお茶よ、それ」
「え？　そうなのか？　全然そんな気はしないんだが。匂いもいいし」
「においは普通のと変わりないのよ……家で飲んでたらジェイが被害にあったから結局またこっちもってきたんだけどさ。煮詰まったときに飲むと一撃必殺だからどうしようと思ってたんだ。素焼きポットの上において下からあぶって、お香代わりに使おうかと思ってたくらい」
「お前……んなもん俺に飲ませたのか」
「でもおいしそうに飲んでたじゃない。これあんたにあげるわ。悪用しないように。悪用したらおやかん派遣するから」
　と、棚から大きな袋をどさりとテーブルに置いた。中身はもちろん茶葉。ついでにこれも、と、布製の小さな袋を渡される。
「これに茶葉入れてカップに直接放り込んで、そこからお湯入れたらすぐに紅茶になるよ。洗うのが面倒だと思ったら市販で使い捨てのこんな袋あるからそっち使って」
「あ、ああ……」
「あーよかった。これでお茶葉無駄にしなくて済むわ。やっぱりもったいないしね」
「……」
　なんとなく釈然としない。何が、とはっきりわかるわけではないのだがどうしても釈然としない。なぜだろう。必要な情報は手に入れたのに。
　後でトミーに顛末を伝えに行こうとした際、茶葉を持ったままだったためその匂いで逃げられたのは言うまでもない。