８．Reassuring Volition

　遅々として何も進まない。時間だけがただ無常に過ぎていく。
「あー……もうダメ。寝に行ってくる」
「えっ？」
　この世の終わりだ、というような悲壮な表情でシリアがリテの肩を叩く。気持ちはわからないでも無いが一体どこで寝るというのだ。お互いの個室は意味のあるものから無いものまで紙で溢れ、自宅もまた似たようなものである。
「三日くらい経って戻らなかったら捜索願い出してちょうだい」
「待って待って待って、一体どこに行こうって言うのよ！」
　うつろな瞳のままようやくリテの問いかけに応じるシリア。
「アセフ」
「……ああ……」
　そういえばそうだ。シリアはどうしようもなく煮詰まったときにアセフ遺跡のある丘陵ですごすのだった。『予言の書』の解読をしているときはよく行方不明になっていたし、リテ自身もたまに付き合ったりもしていた。
「久しぶりねぇ、そこまで追い詰められるのも」
「うー……」
「事故起こさないようにね。ジェイ君には言っとくから」
「ありがとー」
「……」
　ヨタつきながら研究室を出て行くシリアを見送る。いつものことであれど、その後ろ姿になんともいえない不安をリテは感じるのだった。




「……風……気持ちいいな」
「……あー……そだね」
「……」
「……」
　発掘作業が一段落というより、今回の騒ぎで頓挫中なため人気はない遺跡。その様子を見下ろせるいつもの小高い丘にテントを張り、一口水を飲んだところだった。
「……つかぬ事を尋ねるんだけど」
「なんだ？　スリーサイズか？　意識して計ったことないんだが」
「んなもん欠片たりとも知りたくないから」
「なら爆弾の危険な収納法か？　安全な収納法は物研の待合室に本があるしな。やっぱり爆弾は身につけて、いつ爆発するかを楽しめるようにならないと。お前もついにそのあたりのことを理解するようになったか」
「それも違う。てか周りに迷惑。あんただけよ、んなド阿呆な解釈してんの。後で公安に言っとくわ」
「何っ！　そ、それだけは勘弁してくれ！　もうあんなゴタゴタはたくさんだ！」
「……ああもう、くだらないことばっかり言うからもうちょっとでこっちの言いたいこと忘れそうになったじゃないの。私が聞きたいのは……」
「わかった！　法に触れないネットワーク構築の方法だな！」
「いいから黙れ」
　鈍い音が丘に響く。
「……つまり、なんなんだ？」
「もっと、とっても単純なこと。なんであんたがここにいるのさ」
「……なるほど、確かに単純だな。まぁなんだ、細かいこと気にしてると体壊すぞ」
「あんたとやり取りしてる段階で十分に体調悪くなってきたわ。つか細かいことなの？」
　睨むシリアに、体の上に乗っかっている最後のおやかんを退けながらカルサートは苦笑いを返す。すこしばかり怯えた手つきでおやかんを丁寧に岩の上に置く。
「んー。ま、お前と似たようなもんだ。煮詰まりすぎてラチがあかなくなった」
　適当に車を走らせていたがシリアの車をたまたま見かけ、なんとなくついてきたらここまで来たのだと。そして設営作業が終わったときに何食わぬ顔で隣に座ってみたらしい。
「……なんかすごくアタマ痛くなってきた……」
「まぁ気にしないことだな。俺はいつだってこんなもんだ」
「それは嫌というほどわかってる。けど、こっちがダウンしかかってる時にやられると殺意沸くわ」
「……人死にだけは勘弁な」
「ならくだらないことだけはしないのが身のためよ。今ならあんたを昇天させることできる気がするから」
　じろりと睨みつけるその目は確かに殺意が宿っている。男の表情に理解が浮かんだのを見てもう一口水を飲んだ。
　ややあって。
「あんたが煮詰まって徘徊し出すってのも珍しいわね」

「……ここだけの話だけどな、俺程度じゃ出てこないんだ」
「何が」
「情報」
　膝を台に頬杖を突いてため息を漏らす男。こんな様子は長い付き合いの中でもあまり見たことがない。どうやら相当にへこんでいるようだとシリアは思う。
「……あんた程度って……あんたで出てこなけりゃ絶対他の人に無理じゃない」
「そうかねぇ」
「珍しい。いつも無駄に自信満々なのに」
「無駄にって……」
　泣きそうな顔でうなだれる。そんな男の頭に手を載せ軽くなでた。
「まぁまぁ、そんなにへこみなさんな」
「……む」
「性格に多々問題はあれど能力はずば抜けてるのは認めてるからさ」
「ほめてんのか」
「そうじゃないかもしれない」
「……すまん、俺が悪かった。だからさっきの仕返しは勘弁してくれ」
「わかればよろしい」
　撫でていた手で頭を軽く押して離すとそのまま体を伸ばした。空は厚い雲の切れ端が速い風に乗って通り過ぎていっている。
「外をウロウロするだけじゃ手に入らない。いつもなら微かであっても出てくるもんなんだが。出てくるのは俺たちや一般の噂ばっかり」
「恐ろしいまでの緘口令が敷かれてるのか、それともごくごく一部の人間にしか知らされていないか」
「俺は後者だと思ってる。ごく一部の信頼できる人間しか知らなければ漏れないわけだ」
「それはどこレベル？　検討はついてるんでしょ？」
「お前もな」
　互いの視線を外す。心なしか風が強くなったような気がした。

　ずいぶん以前だがカルサート本人の口から聞いたのだ。よほど切羽詰らない限り潜りたくないところがあると。国家機密にかかわる部署がそれだ。国策、国防、中途半端に向かえば言い訳の「い」も発せず最速で処刑台送りは間違いない。
「……いっそそういう部分全然ないって考えたほうがいいのかもしれないわね。一般的には、「無駄金を使いすぎてるから削減しよう」って話なわけだし」
「俺もそう思いたいよ、ほんとに」
「じゃあ思いたくない理由があるの？」
　カルサートは大きくため息を一つ。
「もはや意地なんだよな。お前にもわかるだろうけど、今回まったく前触れもなく降ってきたことで、俺たちがやってきたことを否定されたような気がしてなぁ。もちろん金使い過ぎってのは大きな理由で、もしかしたら中にはそれ以上の理由なんてないって奴もいるんだろう。けど俺はそれじゃ納得できないんだ。自分の研究が、そんな程度のことでやめさされなきゃいけないのかって。もっと、もっとなにかあるだろう！」
　声を荒げるがすぐにトーンを落とす。
「……バカらし過ぎるけどな……」
「……」
　女は黙ったまま。男は風に吹かれる自分の髪を見ている。
　狂おしいまでのプライド。カルサートはそういう男だった。長い付き合いであるシリアは多少なりともそんな部分を見てきたが、今また初めてその一端を見せつけられたような、どうにも居心地が悪くなる。自分はどうだろう。
　研究は好きだ。生涯をささげていいと思っている。けれど彼ほど強い思いはあるか。この騒動の直前に室長とやりあったことが脳裏を掠める。
「……お金は、大事だよね」
　長い沈黙の後、唐突につぶやいたシリアに少し面食らう男。
「まあな……」
「けど……プライド売ったら研究者じゃないよね」
「……」
「どうなるかわかんないけど……精一杯悩んで。精一杯工夫して。それでも相手に反駁できないならそれはそれでいい。あんたもそうなんでしょ。根本は」
「まだ何か……できそうな気はするんだ。何かはわからねぇけど」
「うん、私もそう。だから彷徨って挙句こんなところまで来たわけよ」
「俺もだ」
　一呼吸おいて同時に笑い出した。心から。何がそこまで面白いのか、腹を抱えて転がりながら。
　その嵐もやがて収まり、元通り岩の上に座る。
「あーすっきりした。やっぱ大声出すのはいいな」
「そうかも」
「すっきりしたところで俺は帰る。二晩くらい何もせず寝てまた情報集めることにするさ。お前と違って外で寝るのは慣れてないしな」
「一言余計」
　立ち上がる男についてシリアも立ち上がった。肩をすくめるカルサートににやりと笑う。と、同時にお互いの手を叩き合わせた。
「じゃ、また今度」
「おうよ。煮詰まり過ぎないようにな、お互い」
「だね」
　笑い、カルサートは丘を下っていく。シリアはそれを見送ったあと、まだ岩の上に置かれていたおやかんを膝に置き、星の見え始めた空を見上げるのだった。


　耳に届く音がなくなりふと息を吐く。持ったままだった携帯電話を仕舞い込み目の前の資料を軽くまとめた。とはいえたいしたものもなく、電話の合間にした落書きがあざ笑うようにフロストを見ていた。
「じゃあ俺はもう帰る。みんなも早く帰れよ」
　軽く手を上げて会議室をでた。何人かの声が背中に届く。
　図書館を出たところで思いっきり伸びをした。リテは最近日が暮れる前後には帰らせている。自分自身の帰る時間は変則なため今のように帰る直前に連絡を入れるのが日課だ。部屋から出る前に連絡をするのは「本当に帰るのだと自分に認識させるため」である。独身のときにこんな事態になれば一週間ぐらい軽く会議室に泊り込んだだろうが。
「……お？　トミーか」
「先輩、帰るんですね」
　どこからか調達してきた湯気の立つコーヒーを手に入り口階段を駆け上がってくる。
「お前もたまには帰れよ。もしかしてずっと会議室にいたりしないか？」
「俺は身軽なんで。帰っても誰もいないし」
　その目は言外に、フロストがいられない分を、と続けている。
「いやそれはやめとけ。そのうち体がボロボロになる」
「そうですかねぇ。体力だけは自身あるんですが」
　軽く息を吐いて、
「それだ。そういう生活態度では本気で体壊すぞ。壊したあとじゃどうにもならん。……前にも似たようなことを言った気がするが」
　記憶を辿る。トミーが研究室に来た直後ぐらいだったような。何かしなければ、焦燥感に駆られた後輩を見るに見かねて飲みに誘ったことを思い出す。
「言われましたね、確かに」
　照れ臭そうに頭を掻く後輩を見て口元を緩めた。
「そういや最近リテさんとあんまり喋れてないんですが、どんなですか？」
「ん？　ああ、別にたいしたことはない。ただ少し気分が悪いときがあるらしいから早めに帰るように言ってある。医者いわく、今の時期のほうが危ないそうだからな」
「へえ。育ったときのほうが危ないような気がするんですが」
「俺も知らなかった。見えてないからこそ無茶をするし回りもそう扱うから、という側面があるようだ」
「そうなんですか。それにしても先輩とこんな話するの久々ですね。ずっと例の件ばっかりだった」
「確かに」
　トミーは持っていたカップを塀の上に置き笑う。
「先輩……命って、何でしょうね」
「なんだ藪から棒に」
「んー。俺らの周りで子どもできたって言ったら先輩のとこだけなんですよね。だから全然そういうことに意識向いてなくて、今回初めてきちんと考えたというか」
「それは俺も似たようなものだ。加えて、お前の疑問には俺も答えられん。俺も考えてる最中だ。リテに聞いたほうが早いんじゃないか？　あっちは実際に体調変化ってことで実感してるが俺は正直まだよくわからん」
「……」
　黙って明かりのついた各棟を眺めるトミー。いつになく真剣な表情を少しからかいたくなった。
「そういやお前はどうなんだ？」
「は？」
「お前も「命」について考える相手はいないのか？」
「えっ、あ、いや、俺はっ」
「なんだそのうろたえ方。いるのか？　俺だけに教えてくれないか？」
「嫌ですよ、先輩結構おもしろがりじゃないですか。ていうかそれより以前にそんな相手いません！」
「そうかぁ？　お前は結構いける口だと思うんだが……どこかでお前のことみてため息ついている人がいるかもしれんぞ？」
「いないと思います……視線は九割超えて先輩のほうに行ってますから相変わらず……」
　半眼でじろりと睨みつけてくる。
「いやまあその辺は置いておいてだ。若干不思議には思うんだ。他の面子には多かれ少なかれそういう噂があるのにお前にだけはないからなぁ。よっぽど上手く隠してるんだか」
「隠してないですよ。何にもないから何にもないんです」
　あわててコーヒーを二口ほど飲みむせる様子に笑うフロスト。これ以上は勘弁してやろうと思う。彼女の名を出したら階段から転げ落ちかねない。
「ま、俺は帰る。お前も帰れよ。寝るのは椅子の上よりベッドの上のほうがいい」
「ははは、確かにそれは全然違いますね。善処しますよ。お休み先輩」
「ああ、また明日」
　別れ、ようやく家路に着くフロストはふと図書館を振り返る。
　一体いつまでこんな事態が続くのだろう。もちろんこれが終わるまでは研究など手につかないのはわかっている。けれど自分たちの本質は研究者だ。ただただ研究をしたいだけなのだ。
「……」
　頭を振って今度こそ帰り道を辿る。今頃はリテが料理を作って待ってくれていることだろう。


　どうしたものだか。どうあっても途切れてしまう糸。これ以上やれば折り返し連絡が来てもおかしくないほど深く、深くもぐりこんでいるというのに。
「……そろそろ引退時か、俺……」
　「COLSED」と無慈悲に記されてる画面を落とし直前までやっていたデータ解析画面に戻す。だがすぐにそれを見ることもなく、椅子の上で大きく伸びをした。
「……国の切り札だから厳重なのはわかる。わかるんだが、公安や政府のブラックボックスより厳重ってのは……」
　やはり何かあるのかもしれない。カルサートはすっかりぬるくなったコーヒーを流し込んだ。胃が鈍く痛み、そういえば空腹だったと思い出す。
「ん？」
　モニタの端で着信の合図が瞬いている。見ればハッカー仲間だ。
『こちらも無理』
　短いメッセージに嘆息した。
「やっぱり外部からじゃ無理なのか。なるべくなら中からはつなぎたくないんだが」
　立ち上がって洗い物がたまりつつあるシンクに適当にカップを放り込みしばし考える。
「メシにしてからシャワーでも浴びるか」
　モニタの電源を切って冷蔵庫の中身を確認。すぐにほとんど何もない状況を把握し頭の中はいかにして食糧を調達するかでいっぱいになる。だから、電源を切る直前、知らないアドレスから連絡が来ていたことなどすぐに忘れてしまった。