海風に吹かれて ２
数人の屈強な男たちに迎えられ、シリアは辟易とした。今まで乗っていた船もかなりの男丈夫たちが乗っていたのだが、ここはそれ以上だ。
「キャプテン、ご苦労様です」
「ちゃんと運んだか、セルバス？」
「はい。船倉に全て」
副長らしい男と話をしているとき、
「この女も戦利品ですか？」
と、手下の一人がシリアを興味深そうに眺めている。思わず視線をそらした。
「まあそんなもんだ。今までの中で、最上級品だぞ」
「珍しいですねぇ。というか、女連れてきたの初めてじゃないっすか？」
「そうだったかな。まあいい、俺は部屋に行く。風が出次第、動くぞ」
「アイ、サー」
部下の声を聞きながら、シリアの手を引いて歩き出す。仕方なく付いていく。途中、例の詩人の姿が目に入った。気がつかないだろうが、思いっきり睨みつける。
「…い」
「……」
「おい」
呼ばれていたのに気がつかず、体を揺らされ始めて気がつく。
「…なに」
警戒した声で返す。
「名前は？」
「…」
「…名前は？」
「……」
なぜ言う必要があろう。どうせ慰み者にされつづける身になるのだ、名前など意味がないはずではないか。
「…強情だな。シリアさんよ」
「なんで…知ってる！？」
思わず海賊の顔を見た。彼はにやりと笑う。
「…有名だからな。あちこちの港を流してる女セイラーがいるっての。その名はシリア。ってさ」
「…」
「それにカルスも言ってたしな」
「かるす？」
「ああ、あの詩人さ。奴はカルサート。みんなカルスって呼んでる」
「…」
仏頂面のままシリアは後について歩く。そのうち、とある部屋に連れこまれた。伝令管が縦横に走っている。トミーの部屋だろうか。
「ま、すわれ」
と、ベッドを指す。こわごわ座るシリア。
「…おっ、あったあった」
何やら棚をごそごそと漁っていたが、やがて何かを持ってシリアの横に座る。
「動くな」
命令し、彼女のあごに手をかける。思わず目を閉じた。と。
「すまないな。傷つける気はなかったが」
のど元から冷たい感触。つんとした消毒薬のにおい。しばらくして、そこにはバンソウコウがはられた。
「あ…あ、ありがとう…」
「まあな。それぐらい、しておかないとな」
にこりと笑う。そしてまた部屋から連れ出し、今度は空き部屋につれてきた。
「ここ、使ってくれ。誰も使ってないからちょっと埃っぽいけど」
「…私の？」
「ああ。狭くてすまんな。ただ、大部屋は野郎と相部屋になるんだ。嫌だろ？」
即座に顔を縦に振る。
「はははっ、正直だ、結構結構」
そしてその部屋の片隅に置かれていた箱を持ち出す。中には様々な色彩の布。
「裁縫、できるか？」
「一応は…」
「よし、じゃシリア、これ使って服を作ればいい。女物の服なんか持ってないからな、俺ら」
「……これ…盗品？」
もしそうなら絶対に使うものかと思いながら問う。
「違う違う。俺が、買ったんだ」
「…ふーん」
何で買ったのかは問う気はない。とりあえず盗品ではないということが分かってほっとした。
風の音がした。
「風…じゃ、俺は甲板にいる。あとでな」
言い残してトミーは出ていった。シリアはベッドに思わず倒れこむ。埃が思いっきり舞いあがり、むせた。
「…げほっ。何なのよ、一体…」
泣きそうになりながらシーツを剥ぎ取り始めた。
ひいひい言いながらシーツを洗濯し終わり、甲板に持っていって干そうとしたところで思い出した。
「そうだ、ここって海賊船なんだ」
順応してしまっている自分が少し怖い。かといって山のような洗濯物を持って部屋に戻るわけにも行かず、立ち往生してしまった。それを乗組員の一人が見つける。
「姐御。洗濯ですか？」
「あ、姐？」
「キャプテンとやりあって生きてたってんで、十分姐御と呼べますよ」
にこりと笑う。つられて愛想笑いをした。
「洗濯物はこっちに干します。ついてきてください」
「あ、ありがとう…」
先導されるがままに歩けば、ちょうど帆の真裏。
「風は全部帆に受け取られますがね、ここがあまり目に付かなくていいんです」
「そりゃ海賊船が洗濯物翻してても格好がつかないものね」
想像して少し笑う。
「そうですねー。だから「仕事」をするときはいつも洗濯物が乾いてからです」
「ははは。あ、ありがとう、一人で出来るから」
「用事があったら呼んでください。洗濯バサミはそこです」
手を振ってから気がついた。
「何で私、順応してるの？」
渋面になる。が、とりあえず洗濯物を干すことにした。
一仕事終えて一段落ついた頃、何やら騒がしい。どうも、甲板の上で酒盛りをしているようだ。
「さすがにそれは…前の船ではなかったわね…」
男たちを刺激しないよう、わざと隠れながら歩いたが、ブリッジの窓からトミーに声をかけられた。
「洗濯は干せたかい？」
「…」
「冷たいなぁ」
と、窓枠に手をかけ、そのまま飛び出してくる。そんなに高くはないとはいえ、普通の建物の二階ぐらいの高さのはず。だが彼はそんなことは何処吹く風、というようにシリアの目の前に降り立った。
「手下とは話すのに、俺とは話さないのか？」
面白そうにいう。シリアはちょっと引いて嫌そうな顔。
「まあそんな顔するなって。毎日顔合わすのに、そんなじゃお互い疲れるからな」
「あんなつれてこられ方して、どうして笑え、ってのよ」
「そうだなぁ。そのこと、忘れてた。……気にすんな」
「はぁ？」
目の前の海賊の能天気さにあきれる。
「気にしないのが一番だ。どーせ、お前帰れないもん。今から泳ぐか？サメ、いるけど」
「…ううう」
「それにあの様子じゃきっとお前、もし戻れても疑惑でいっぱいになる。なんせ密輸船だから」
「そんなのあんたが言わなけりゃ…」
「いずれ気がつく。気がつかないうちに密輸の片棒を担がされるかもしれない。それでもよかったか？」
「…それはちょっと」
「だろ？じゃ、気にしない気にしない」
「だからどうしてそこにつながるのよ！？」
「キャプテン、始まりますぜ」
近寄ってきた手下の一人が声をかける。
「そうか。シリア、行こう」
問答無用で彼女の手を引き、騒がしい方へと連れ出した。
「な、なに？」
「宴会さ」
あちらこちらで思い思いに飲み騒ぐ。詩人が二人の姿を見つけてやってきた。
「遅いぞトミー。呑み比べはお前がいないと始まらないんだ」
「すまねぇ。こいつも連れてきたんだ」
「ああ、戦利品ね」
「なによ、密航者」
あからさまな敵意を感じているはずだが、カルサートはなんとも感じていないようだ。詩人という繊細なことをする割には、無神経のようだと思った。
「あ、キャプテン！」
「おし、はじめるか」
「やっぱこれがないとね」
にこにこしながら子分たちが集まってくる。その真ん中でトミーは一本の酒瓶を投げ上げた。それを合図に彼の周りに円が出来る。
「よっと…」
高く高く投げ上げられたそれは落ちてくるのに時間がかかる。その間に剣を抜き、舞いあがった。
次の瞬間にはあたり一面に酒が撒き散らされる。
「えっ？」
降り立った彼の手には綺麗に切られた酒瓶。目を丸くする彼女にカルサートが説明した。
「あれが宴会の合図さ。ああして奴が酒をまいて、それからは全員撃沈するまで無礼講。甲板掃除がキャプテンを殴ろうが、一切おとがめなし。こうやって下のストレス発散をしてるんだ」
「…ふぅん」
少しだけ見なおした。無茶だけど、下の人間が思いやれるなんて、いいとこあるじゃん。
「シリア、あんたも飲むか？」
「私？昼間っからなんて…」
トミーがグラスを両手に持ってやってきたが、いくら何でも呑む気にはなれない。
「水でいい…」
と、すぐそばにコップに並々と注がれた水を飲んだ。
『あっ！』
辺りの注目が集まる。飲み干したシリアはその視線に気がつき、驚いた。
「な、なに？」
「あんたそれ…」
「水じゃなの？なんともならないし」
「…水。水だって？」
ざわざわとする。不安になりトミーを見た。彼も驚いているようだ。
「シリア…本当に、何ともないのか？」
「ぜんぜん。ねえ、これなに？水じゃないの？確かになんか匂いがした気がしたけど…」
「今呑んだのは、れっきとした酒だよ。しかも、こいつらみたいな野郎どもが一口呑んでも一瞬でぶっ倒れるかもしれない、って言うきつい奴。それをお前、一息に呑んで何ともないだって？」
カルサートがあきれた声を出す。
「だって…本当に何ともないんだからさ…」
「頭がぐるぐるするとかは？」
「ううん」
「体が熱いとかは」
「ううん」
「…」
「…」
一瞬の間を置いてシリアは海賊たちに担ぎ上げられた。
「すげぇ、すげぇよ姐御！」
「あの酒を呑んで平気なのがいるなんて！」
たちまち大騒ぎである。異様な熱気と共にシリアもだんだん楽しくなってきた。
「トミー」
「なんだ？」
「おまえ、すごいの拾ってきたな」
「まあな。いい女だろ？」
「確かに…今まで見たことのないタイプだ」
二人がそんな会話を交わしているとは知らず、シリアは輪の中で笑っていた。いつのまにか完全に順応してしまったが、それはそれでもいいかもしれないと思った。
そして、この日の宴会は、シリアが眠りにつくまで続けられた。結局彼女、撃沈は、しなかったとか。