海風に吹かれて ３
夜明けが近いころ、轟音がしてシリアは飛び起きた。部屋を出れば海賊たちが集まっている。
「なに？なんか攻撃でも…？」
「違う違う、いつものことですよ…」
近くに居た男に聞けば、そう返ってきた。
「いつもの…？」
目を丸くしているとトミーが横を通り過ぎ、騒ぎの中心に向かっていく。なんとなくついていってみる。
「またか…」
渋面で甲板に開いた穴を見る。下を覗けば、妙な器具に囲まれた部屋のようだ。その中心には…。
「あっ、密航者！」
「いい加減にしてくれよカルス…。もう修繕用の板もあんまりないんだぞ？」
「いや、思わず力入っちまって」
「そんな一言で済むような問題か？」
何事かを合図すると穴から手下が降りる。そしてカルサートを捕まえ、甲板に上がってきた。
「今日という今日は勘弁ならねぇ」
「…なんだよ、深刻そうな顔をして…」
慌てふためく彼を、手際よくぐるぐる巻きにする海賊。綱の反対側をメインマストから張り出している突起に引っ掛け、持ち上げる。
「…ありゃま」
もちろんカルサートは宙吊り。
「あんた…、つられるの好きね…」
「好きでやってんじゃないっ」
「片付けに邪魔なんだよ…。こうでもしないと片付けるそばからまた面倒ごと起こしやがる」
苦虫を二十匹ぐらい噛み潰したような顔でトミーが言った。
「カルス、二晩ぐらいそうしてろ。…あ、あんまり動くなよ。動いたら解けるからな」
船員の結び方は特殊だ。ある一定の方向から引っ張れば、どんなに固く結ばれていてもすぐ解ける。それを思い出したカルサートはもがくのをやめた。落ちて甲板にまた穴でも開けようものならば、トミーに船から放り出されるだろう。
「で…一体なんなの、これ？」
妙な匂いもする。
「あんまり近づかない方がいいとは思うが…。あそこで吊り下がってる奴のラボさ」
「らぼ…？」
「一応一般的に奴は吟遊詩人でとおってる。けど、実際はこのとおり」
「…錬金術」
「そうだ。ま、どっちにしろ堅気の商売じゃない。…まぁ、お前除いたら、ここに堅気の商売なんかやってる奴はいないけどな」
カラカラと笑うとトミーは修繕の指示を出し始めた。
「…まだ材料はあるか？…そっちは？…よし、夜明けぐらいには妙なガスも無くなるだろ。そうしたら直すぞ」
確かに穴の方から妙な匂いが漂ってくる。
「これって…」
「俺はしらん。知りたいなら奴に聞け。俺らは普段近づかないようにしてるんだ。誰が言い出したのか、近づいたら生きて戻れないとかなんとか……まったく、たまったもんじゃない」
「なんでこんなところにあるのよ…。せめて船底に」
「そんなとこにラボなんか置いて、爆発なんか起きた日にはみんなそろって海の藻屑だ。ここならまだ甲板やら側壁がやられるぐらいで済む」
「あ、そっか…ってそうじゃなくて、なんでラボなんか作ってるのよ？」
「カルスを偵察に使ってるのは知ってるだろ？」
無言で頷くシリア。
「一回の航海は長い。奴は錬金術の研究がしたい。でも俺らとしては偵察もいなけりゃ困る。…で、このありさまだ」
「…他に人材はいないの？」
「みんないかつい、いかにもって奴らばっかりだからな。怪しまれる。その点カルスは海賊らしくない」
「まあ…それは認める」
背は高く細い体。腰まである髪は、どうみても海賊とは結びつかない。
「でもさ、…海賊さんも、普通の服きてたらきっと海賊らしくないよ」
「俺が船を離れるわけにいかないだろ？…一応船長だし」
ちょっと嫌そうな顔をしてシリアを見た。
「俺の名前は海賊さん、じゃない。トミーだ」
「なるほど…。でも私は頼まれても偵察になんか行かないからね、海賊さん」
そう言って持ってきていた毛布に包まる。
「……最初のなるほどってーのは一体なんだったんだ…」
「なんかいった？」
「何でも無い…」
無邪気に聞いてくるシリアに苦笑せざるを得ない。
「心配すんな。お前さんを汚れ仕事にかかわらせる気はない」
「じゃなんでこんなところに連れてきたのよ」
「勢い、が一番近いな。なんていうか、気に入ったんだ」
「…勢いで人を誘拐しないでよ」
「どうせ根無し草なんだろ？ならどこにいようといいじゃないか」
「そりゃそうだけど…なんか釈然としない」
腕を組むシリア。
「気にすんなって。悪いようにはしないさ。ただまあ仕事ぐらいはしてもらうさ。普通のな」
「それならまぁいいけど」
やはり釈然としないのだが、あまり考えてもたいした糧にならないのでやめた。その代わり気になっていたことを聞く。
「なんで海賊さんがキャプテンなの？他にももっと、…ほら、あの副長のセルバスさんとか、操舵長のケルさんとかの方が似つかわしい気がするんだけど？」
「…俺はなんでセルバスやケルの名は呼ぶのに、俺の名前だけ呼ばないのかを聞きたいぞ」
「海賊さんだけじゃないよ。密航者は密航者だもん。なんなら誘拐者にしようか」
「……」
めまいがするというように頭に手をやってトミーがうめいた。
「……それよりかは、ましか」
うめくトミーをよそに、水平線に魅入った。夜明けが近い。寒いが、もうすぐ暖かくなる。船べりによって光の帯を待った。船に乗りはじめてからずっと忙しい日々を送ってきたが、夜明け前のこの時間は楽しみだった。夜勤でない日もわざわざ早起きして、必ず見た。
「これだけが楽しみよね」
「そうだなぁ。俺も好きだ」
「あ、復活した」
「……」
気を取りなおし、彼もシリアの横に立つ。
「これはこれでいいが、夜空もいいぞ」
「そだね」
しばらく黙っていたところに、船員の一人が声をかける。
「キャプテン…」
「どうした？」
「バラストに……ヒビが…さっきの衝撃で…」
見る見るうちにトミーの顔つきが変わる。
「で？…被害は大体どのくらいになりそうなんだ？」
「………」
報告を受け、キッと、吊り下がったままのカルサートを見上げる。長剣を鞘ごと腰紐からはずし肩にかかえ、にこりと笑いかけた。笑いかけられた詩人兼錬金術師は物凄く嫌な予感に襲われた。
「世界の…」
縛ってある紐を思いっきり引っ張る。
「果てまで…」
落ちてくるカルサートに鞘付長剣を構える。
「飛んでいけーっ！」
見事にカルサートを捕らえた剣。哀れな詩人は海に落っこちた。
「うあ…」
「キャプテン怒りの天誅…久しぶりだ…」
シリアと報告しに来た船員が、開いた口がふさがらないというようにその様を見ていた。
「ね、ねぇ、なんで？バラストって水や砂でしょ？ヒビって…」
「姐御。この船がなんだがお忘れじゃないでしょうね？」
「そりゃ海賊船でしょ？」
「密輸船専門のね。今密輸で大騒ぎしてるのは何でしょう？」
「それぐらいわかるわよ。茶器でしょう？…あ、もしかして」
「そのとおりです」
船の喫水を下げるために使われるバラスト。つまり重りのことである。ある程度喫水が深くないと、船はバランスを失ってひっくり返ってしまう。この海賊船では奪った密輸品、つまり茶器をバラストにしているのだ。
「あー…。バラストとしての機能は果たせるだろうけど…」
「そう。商品価値丸で無し。まったく…」
トミーが剣を直しながら文句を言う。
「でも…密航者大丈夫かな…」
「あいつは殺しても死なないだろうよ。それにこの辺りの海は安全だ。サメなんか出ないしな」
カルサートが落ちた辺りを見ながらため息をつく。
「まったく…思ったより稼ぎが減っちまった。やっぱり無理があるよなぁ…」
「そりゃそうでしょ。この際だからつぶしちゃったら？あのラボ」
「そうだな…」
まんざらでもないというように考え込む。
「よし…」
彼は近くの船員に指示を出し始めた。日はいつのまにか昇っており、次第に暖かくなってくるのだった。
「あ…あれ？」
海からなんとか拾い上げてもらったカルサートが一番始めに発したのがこの言葉。
「俺のラボ…」
「ああ、片付けた」
「片付けたって…トミーどういうことだよ？」
「そのまんまの意味だ。もろもろの器具は…一応捨てては無いが…壊れたバラスト代わりに使わせてもらってる」
「なん…」
「さて、上がってきたことだし、また吊るぞ」
「おいちょっとまて…」
「二日ぐらい吊るって言ったろ？おい、縄持って来い縄」
「へい」
ビショヌレのまま再びぐるぐる巻きにされ、マストから吊り下げられることになった。その様子を見たシリアは、悪いとは思いつつ大笑い。
「笑うなーっ！」
それを見たカルサートが上から文句を言うものの、手も足も出せない状態である。
「落ちるよー、密航者ー」
「密航者って言うなーっ！」
二日ほどの間、この海賊船のなかで一番不幸なのは、彼に間違いは無かった。