海風に吹かれて ４
「結局なんであの人がキャプテンなのか、聞けなかった」
どうでもいいことではあるが、気になりだしたら止まらない。かといってなんとなくトミーに聞く気はない。妙に人懐っこいあの笑顔ではぐらかされそうな気がする。
そこでシリアは操舵長のところへ出かけていった。
「こんにちはっ」
「お、姉御。何か御用で？」
この船の中で彼女が一番初めに心を許したのが、この操舵長ケルだった。はたから見ればいかにも、といった海賊なのだが、例の宴会騒ぎで彼女と最後まで呑み比べたのが彼だ。
「ちょっと聞きたいこと」
「なんです？…とと、バカ野郎、帆はきっちり操作しやがれ！！」
帆の上で何かトラブルでもあったのだろう。船が少しかしいだ。それに気がついたケルが思いっきり怒鳴りつけたのだ。
「うひー。すごい迫力」
シリアが直接怒られたわけではないが、胃に悪い。
「すいやせん。まったく…最近だれてやがる」
「やっぱりケルが船長の器よねー」
「ん？」
「だって…」
不思議そうにシリアを見る操舵長。
「ねえ、聞きたいんだけどね、なんであの人が船長なわけ？私はケルの方が絶対適材適所だと思うんだけど」
「あのひと…って、キャプテンのことですか？聞きたいことってのはそれで」
「うん。つまんない用事だけど」
「先代の息子だからですよ」
「でもこういうのって実力社会じゃない。見てたら、海賊さんよりケルの方が上手くみんなまとめてる」
「そりゃ姉御、俺がキャプテンに惚れ込んでるからだ」
この海賊集団にも敵対している集団があるという。
「先代の頃から激しくちょっかい出してくるようになったんですがね。十年ぐらい前ですか、俺もまだ甘くって…。一人無意味に相手の所に突入した挙句、お決まりの道をたどったんですね。恥ずかしいことに」
激しく拷問を受け、もうこの命は尽きると思った時、当時まだ十代だったトミーが単身助けにきたのだという。
「俺は圧倒されましたよ。高々１５，６のガキが、自分の体程もあるでかい剣を振りまわしてるんだ。しかもものすごい速さで。気がついたら敵はみんなその辺りで転がってると来たもんだ。で、それからがまたすごい。俺はこっぴどくやられて身動きすら出来なかったんですが、キャプテン、俺を背負って歩き出したんだ」
「…ケル、その頃やせてた？」
「いえいえ。今より十年前はもっと血気盛んで、がたいももっと良かった。あのときの傷が元でかなりやせたんです、これでも」
「……そんな人を背負って、一人で敵地から帰ってきたの…？」
「もちろん追っ手はかかりましたけど、俺を背負ったまま片手で大剣振りまわして血路を開いて行きました」
あのときの情景が目に浮かぶとばかりに体をゆする。
「正直、姉御が言ったように俺もなんで先代の息子だからってちやほやしなきゃいけねぇんだ、と思ってました。先代には忠誠を誓いましたけど、息子には何の義理もない、と」
安全な場所まで来たとき、ケルは何故助けに来たのかを聞いた。自分は勝手に出ていって勝手に捕まったのだから、放っておいてもなんの害にもならないだろうと。けれどトミーは笑って答えた。
『理由なんかない。こうするのが当たり前じゃないのか？』
「あのとき決めました。俺は命果ててもこの人に付いていくと。…この船にいる人間は多かれ少なかれキャプテンに惚れこんでますね。姉御もそうじゃないですか？」
「私？私は誘拐されてきたのに」
「でも逃げようとしない」
「こんな海の真中でどこに逃げろってのよ」
「ははぁ。そうですかねぇ」
何かを言いたそうな笑みを向けるが、すぐそれは消えた。うわさの本人、トミーがやってきたからだ。
「ケル、どうだ？」
「いい風です。このままいったら一週間のうちにはつけるでしょう」
「シリアは何をしてるんだ？」
「何をしようと勝手でしょ。なれなれしく呼ばないでよ」
「おおこわい。姉御はご機嫌斜めか」
「キャプテン、それよりもあれ、どうにかしてくれませんかね。上での作業に文句ばっかつけてるようですけど…」
「あれか…」
二人の視線の先には吊るされたカルサート。風にゆれる蓑虫のようにゆらゆらしており、時折思い出したように、帆の調整にきた手下たちに文句を言っているようだ。
「…ねえ。なんであんなのと知り合いになったの？」
「腐れ縁って奴だ。親父が昔、コルウィスキーの奴らに皆殺しにされた街で見つけてきた。それから兄弟みたいにして生きてきてる」
「コルウィスキー……」
「俺らの天敵。なにかと俺らのすることに文句ばっかりつけてきて…。盗み、誘拐、人殺し、売買春、麻薬…何でもござれの、この世界でも一番汚い奴らのことさ」
「あんただって誘拐してきたじゃない、私を」
「それを言うなよ」
困ったように頭を掻く姿は、どうしても先ほどケルから聞いた話と結びつかない。けれどもケルは嘘をつくような人間ではないから、やはり本当のことなのだろう。
「世の中信じられないわ」
ケルがトミーと話し込んでしまったのでシリアはそっとその場を離れた。
凪の風が気持ちいい。
「甲板で昼寝できそうね」
と思ったものの、そこまで順応してしまうのもどうかと思い、厨房に足を向けた。シリア自身は認めたくないだろうが、他の誰から見ても彼女はこの船に順応しているのだが…。
「シェフ、なんか手伝うことある？」
「姉御？ちょうど良かった、皮むきの人手が足りなくって」
山のように詰まれたジャガイモの向こう側から声がした。
「了解」
船において船長の次、時によっては船長よりも強い実権を持つのが料理長である。長い間船員としてさすらったシリアは、どんな船に乗るときでも料理長と喧嘩だけはしないようにしていた。そうしないと食事にありつけないからだ。ほかに食糧調達の方法がないだけに、どんなにあらくれでも料理長を敵にまわすような真似はしない。
「何を作るの？」
「できてからのお楽しみ。それにしても姉御、いつも思うんだけど手つき、いいよね。どこかで料理習った？」
「別にたいしたことしてたわけじゃないよ。ただ、両親が結構早くに死んだから自炊してたってだけで」
料理長はふと手を止めて隣でジャガイモの皮をむく女をしげしげと見た。不意に涙がこぼれる。
「シェフ？タマネギ切ってたの？」
「あたしはこういう話に弱いんだ。姉御、苦労したんだなぁ…うっうっ」
ぐぐっと袖で涙をふき、たくましい腕をシリアの両肩に乗せた。
「姉御。これからは苦労なんてしなくていいから。あたしや他のみんなが守ってやるから」
「あ、ありがとう…」
苦笑いをしながら男泣きに泣く料理長をなだめた。
「ってことは私、この船にずっといなきゃいけない訳？」
ふと疑問が頭を掠めた。
「冗談。いつか逃げてやる」
心の中で誓うのだった。
しばらく皮むきをしていると、料理長がまた聞いてきた。
「姉御はなんで海に？」
「…仕事、探してたの」
「姉御ほどの腕があればどこの料理人になっても大丈夫だと思うけど…。何でまた海を選んだんだ？」
「何でって言われても…」
口篭もるシリアに、彼はそれ以上聞かなかった。誰にだって言いたくないことはある。
「じゃさっさと終わらせよう。そうしないと腹を減らした奴らに殺されッちまう」
ニコリと笑って料理長が包丁を構えて見せたので、シリアもほっとして皮むきを続けるのだった。
歌が聞こえている。吊るされたままのカルサートが暇つぶしに歌っているのだろう。シリアは少し考えてマストに昇っていった。
「元気、密航者？」
「…」
元気なはずがないだろう、とでも言うかのようにシリアに目を向けた。
「なんで錬金術なんかやってるの？」
「やっぱり一攫千金は男のロマンだろ」
「そういうもんなのかな」
「そういうもんだ」
「でも父さん、すごくつらいって言ってたけど。何をどうやっても金なんか出来ないんじゃないかって…」
「おまえの親父も錬金術やってたのか？」
「うん。結構有名だったみたいだよ。後からうわさで聞いただけだけどね」
名前を聞いてカルサートは驚いた。錬金術を極めようと思った人間なら誰でも知っている、伝説中の伝説だ。
「で…でも師はかなり前に殺されたって…金の変成法を見つけて、そのために殺されたって…」
「父さん、そんなもの見つけてなんかなかった。でもどこからかそんなうわさが流れた。多分、父さんのこと妬んだ人…。たまたま研究室に届け物をしてた母さんも一緒に」
ラボはあらされ、その中心で寄りかかるようにして二人は殺されていたという。小さかった彼女がその現場を一番はじめに目の当たりにした。
「あれはつらかったなー。だってさ、まだ１０歳にもならないような子どもだったんだよ」
「…なかなか凄惨な子ども時代だったんだな」
「あんたも似たようなもんじゃない。家族いないんでしょ？ケルから聴いた」
「本当の家族のことなんて覚えちゃいないよ。それくらいガキのころに、トミーの親父さんに拾われた」
「…それはそれで幸せなことかもね」
「…シリア」
ぼんやりと風に吹かれていると、その風に乗って良い匂いがしてきた。
「あ、ご飯」
「あー…腹減った…」
「じゃね」
明るく言い残してまたするすると下りて行ってしまった。
「俺も腹減ったなぁ…」
「少しは懲りたか」
船長室の窓からトミーが顔を出している。
「懲りたよ」
「本当か？おまえからはおんなじ言葉、何回も聞いたが」
「そんなこと言うなよぉ」
「…」
泣き言をいうカルサートはとりあえず放っておいて、厨房に向かうシリアを見つめた。その視線に気がつき、詩人もそちらに目をやる。
「思ってたよりすごい女みたいだな」
「…ああ。年端も行かないガキの時分に、自分の両親が殺されてるのを見るのは、一体どんな気分なんだろうよ…」
「俺ははっきり言って覚えてないぞ」
「おまえは赤ん坊だったじゃないか。物心ついた時にはいつもおまえに振り回されてた気がする」
「そうか？」
「そうだ。…まだ反省が足りないようだな。もう三日ぐらいそこにいるか？」
「勘弁してくれよーっ」
「冗談だ。と言うよりケルから苦情が出てな。明日にはおろしてやるよ」
「明日ぁ？」
「さ、俺もメシ食いに行くか」
わめく男をよそに、彼も食事へとむかうのだった。