海風に吹かれて ５
洗濯物を取りこんでいると湿った空気が流れてきた。
「一雨…きそう」
慌ててスピードをあげて籠に放り込み部屋に飛び込む。と、同時にスコールが甲板を叩きつけ始めた。
「ふぅっ、間一髪」
とはいえゆっくりと洗濯物をたたむ余裕などない。外に飛び出して近くの空樽を引っ張り出す。みれば甲板のあちこちで同じような光景。飲料水の確保だ。
暫く前も見えないぐらいの豪雨が続いた。が、半刻もしないうちに見事な晴天となる。
「もう一回、干そうかな」
樽に寄りかかりながらぼんやりとまだ濡れていた洗濯物のことを考えていると副長セルバスが声をかけてきた。
「シリア姐さん、考え事してるとこ悪いんだけど…」
「何」
「着替えてくれないですかね。そいつはちょっと、健全な俺達にはつらいもんがある」
いわれて自分を見ると、当然のことながら雨に濡れている。濡れた衣服が体にぴたりと張り付いており、女性特有のなだらかな曲線がはっきりとわかる。
普段から露出度が高ければそんなに気にされることもないだろうが、そうではなかった。普段とのギャップが余計に海賊たちの好奇をそそるらしい。
「あ…うん」
さすがにおとなしく部屋に入り、着替えてでてくると、甲板のあちこちからは明らかに安堵のため息。
「よかった。俺ら、女はご無沙汰してますから…。姐さん襲ったりしたらキャプテンに怒鳴られるどころじゃすまない」
「…はぁ」
冗談なのか本気なのか。笑いながらさらりというセルバスに、あいまいな返事を返すことしかできない。
「おや姐さん、綺麗なペンダントですね」
「あっ…！」
シリアの胸にかかっている蒼いペンダント。普段は服の中に隠してある。トップを握り締め、少し顔が赤くなる。
「ははーん…姐さん…」
何か思いついてセルバスが笑う。シリアも苦笑いを返した。
「すこしだけ…見せてもらえますかね？」
「…」
少し躊躇したが渡した。じっとそれに見入るセルバス。
「ふぅん…。何の宝石だろう…あ、ありがとう姐さん」
返しながら礼を言う。
「何の宝石だかわかりませんけど、そいつは大事にしてやってください。その首飾り、姐さんを守る守りの飾りです」
「守りの…？」
「海の男が、自分の一番大切な人間に贈るもんで。ほら、この留め金部分の彫刻がその意味です。自分が航海に出ている間、大事な人を守ってくれるようにという祈りが込められてて…」
「セルバスも、誰かに贈ったのね？」
「はぁ。陸には妻がいるんで…」
照れて頭を掻く様子がおかしく、くすりと笑った。
「そっか…。そりゃそうよね。海賊だって、それで生活してるんだから、普通の人と変わらない…」
まだ照れている副長に、
「大事にしてあげてね」
と声をかけ、先ほどから放っておいた樽の蓋をしめて脇に転がしていった。
「先約、か」
濡れた髪を掻き揚げながらトミーが残念そうに呟いた。それを傍らの親友が聞きつける。
「なんだ？」
「…これ」
差し出された手には小さな白い宝石のついた首飾り。よく見れば、セルバスの言う守りの彫刻が施されている。
「これって…」
カルサートがもっとよく見ようと近づいたとき、さっさと懐に仕舞ってしまう。
「なんだよ。俺には見せたくないのか？」
「そういうわけでもねぇよ。前、これ買ったときに見せたろ？いつか俺が心を預ける奴が出てきたら…」
「ああ、そういえば」
一年程前に見せられたことがあった。荷物を売りさばくため立ち寄った街で、市で見つけたと、うれしそうに言うトミーの姿を思い出す。
「ってことはもしかしてお前…」
「悪いかよ」
少々憮然とした顔でカルサートを見る。
「いや、悪いとは言ってねぇよ」
おかしいのか、肩を震わせる。
「言うんじゃなかった」
すっかり機嫌を悪くしたトミーは乾いた布を探しに立ち去ってしまった。
「あんなもんで本当に人が守れるって信じてるのがなぁ」
船乗りは基本的に迷信深い。現実主義の彼にしてみれば、バカらしいとしか言いようのないことを平気でする。
「それにしても…、あの女には守りなんて必要ないと思うんだが…」
自分の目の前でトミーと攻防を繰り広げていた姿を思い出す。守られるというより、守る側の人間に近い。
「物好きな奴もいたもんだ。…トミーの奴もそうなるな。まさか、とは思ってたけど」
自分の周りには物好きな奴しかいないのかと悩んでいたが、一番物好きなのは言うまでもなく彼だった。シリアに飾りを贈ったのは誰か。好奇心が心を騒がせる。
「おーい」
部屋に戻って洗濯物をたたもうとしていたシリアに声をかける。
「何さ密航者」
「……それはないだろうよ。俺にはちゃんと名前が」
「用事ないんだったら放っておいてよ。それにあんた濡れてないじゃない」
「それがどうした」
「水、集めなかったのね？」
「そんなもん、他の奴らがするだろ？」
「あきれた！船にのるものは一蓮托生。ことに、飲み水がどれだけ重要かわかってるでしょう？雨はそれを確保する絶好の機会で、みんな集めるってのに…」
「わかったわかった。今度からは一緒に集めるよ」
噛み付かれて思わず肩をすくめる。
「わかればよろしい」
と、また部屋に向かって歩こうとしたシリアを見て思い出す。たしか、自分は怒鳴られるために彼女を呼んだわけではなかったはず。
「ちょっと待てよ」
「…なんだってのよ」
「ほら、それそれ」
と、あごで胸元をさす。瞬間、頭に衝撃がきた。
「…っつーっ！」
「あ、あんたねぇ…！」
どうも殴られたらしい。早すぎてよくわからなかったが。慌てて弁明を試みるが、余計事態は悪化する。
「違う違う。貧弱な胸なんて関係ねぇ…ぶっ！」
近くの樽の上に置かれていた欠けた茶器をもち、真っ赤になりながら躊躇なく頭に振り下ろした。そのままのびてしまう詩人。
「失礼な！」
とどめとばかりに思いっきり蹴飛ばしてその場を去る。しばらくして甲板掃除が彼を見つけ揺さぶる。
「カルスさん、邪魔なんすけど…」
「へべろ〜ん…」
「…」
ダメだとばかりに頭を振り、担ぎ上げて樽の上に放り上げられるのだった。
海鳥が飛んでくるようになった。陸が近いのだろうか。
「そういやこの船…一体どこに向かってるんだろ？」
陸についたなら荷の積み出しなどで忙しくなる。その隙を狙えば逃げられるだろう。
「…オーウェル…」
そっと飾りを握り締める。
船乗りだった。今度の航海から戻ったら、伝えたいことがあるといったまま、戻らなかった。噂で嵐に遭ったと聞いたけれど、彼女は死んだなどと信じられなかった。だから長かった髪を切り、自分も船に乗る道を選んだ。こうして港を行き交っていれば、いつかは出会えるかもしれない。最悪でも、その遺品ぐらいは。
「ふーん。そいつが、お前に守りの飾りを渡した野郎なんだ…」
「！」
「めずらしいな。ここまで近付くまで気がつかないなんて」
すぐ後ろにトミーが立っており、彼女のペンダントを覗いている。
「ななな、何！」
「つれないなぁ…」
肩をすくめて隣に立つ。
「あんた、いつも暇そうだけど、そんなでいいの？甲板ぐらい掃除したらどう」
「昔散々やったよ、甲板掃除は。親父、他の奴より俺に用事言いつけるんだもんな」
もうたくさんだと頭を振る。
「それにしても、オーウェル…か？オーウェルね……。どうせ、そいつに会うために船乗りなんかやってんだろ？」
無言のシリア。
「お前、単純だよなぁ。でも、…そこまで思われる野郎に、少し嫉妬」
「…？」
不思議な発言に彼を見る。
「あ？気がついてなかった？…まいったな」
「なにが」
「いやだからさ…」
「キャプテン！見えました！」
何かを言おうとした瞬間に見張りが大声を上げる。
「…わかった！総員、下船作業にかかれ！」
タイミングが悪い、と言うような表情をして仕方なく命令した。彼の機嫌の悪さとは裏腹に、船中がなんとなくうきうきした気分になる。
「…一体どこに？」
「俺らの本拠地。親父と俺が作った街」
「作った？」
「ま、詳しいことはおいおい話すさ。で…おまえさ、あきらめた方がいい」
「何を」
「それくれた男の事」
「なんで！」
「あきらめた方が…いいと思うが」
あきらめた方がいいと繰り返す海賊を不審に思う。ふと、あることに思い至った。
「ねぇ海賊さん…」
「俺の名前はトミーだ。そう呼んでくれ」
「オーウェルのこと、もしかして知ってる？」
「……」
しばらくじっとシリアを見ていたが、あきらめたようにしゃべる。
「…確かに俺は、オーウェルって名の男、知ってるよ。でもお前の言う野郎かどうかは知らないけど」
「どこ？どこに？」
「……陸についたら、教えてやるよ」
「あれがそうだ」
指差された先には小さな一軒家。その玄関で、男が何か作業をしている。
「オーウェル…っ！」
「落ち着け。よく見ろ」
駆け出そうとした瞬間、トミーに肩をつかまれた。言われてみれば、女が家から出てきた。
「…え…？」
「…これが、おまえが探してた現実だ」
一年前、かなりひどい嵐の晩に赤毛の男が海に浮かんでいた。助け出してみれば、彼は記憶喪失だという。かろうじて思い出したオーウェルという名だけでは、彼を元の国に戻すことはできなかった。
「だから、ここにつれてきた。いつしか看病してた娘と恋仲になって、結果があれだ」
幸せそうに笑う女の腕には小さな命。シリアは体が動かない。
「…でも…でも私を見れば…思い出すかも」
「……」
トミーはシリアの手を取り、歩き出した。
「あっ、キャプテン！」
「オーウェル、元気にしてるか？」
簡単に挨拶を交わす二人。
「いやー久しぶりですね。結構長い航海だったんですか」
「ああ。またすぐに出かけるけどな。そっちは？」
「大丈夫。エリザがいてくれるから…」
女がはにかみながら礼をする。
「こりゃ惚気られちまったな」
「キャプテンもいい人探せば…って、いるじゃないですか」
オーウェルはシリアの姿を見つけ、微笑む。
「こいつか？おまえ、こいつ知ってるか？」
「この女性？」
しばらく眺めるが、やがて首を振る。
「いいえ。まったく。どうして？」
「いや、シリアが知ってるやつに似てる、っていうからな」
「シリアさん…とおっしゃるんですか。キャプテンはいい人ですよ。この人がいなけりゃ、僕は今ここにいなかったんだから。幸せになってくださいね」
「…は、はい…」
それだけを搾り出せた。
風が気持ちよい丘。街が一望できる。
「…現実ってのは、辛いよな」
「……」
「もう、会わないほうがいいとおもう。…俺は」
「でも、でも！私がそばにいればオーウェル、思い出してくれるかも…」
「…その飾りにも気がつかなかったんだろう？」
珍しく出していた飾りを握る。
「確かに、思い出すかもな。でも。そうなったらエリザはどうすればいい？あの子どもは？」
「…」
「お前がしゃしゃりでるのは勝手だ。でも、間違いなくあの家庭は崩壊する。それでもいいなら、何回でも会いにいけばいい。そばに住めばいい」
黙って家を見た。あの家には不安の影はない。でも自分がそこに入れば一変してしまうだろう。彼女は、自分の幸せのために人を犠牲にはできなかった。
ふうっと息を吐くと飾りをはずした。
「ずっと。信じてたんだけどな…」
「誰も悪くない。こういうことも、あるさ。記憶喪失なんて、誰が予想できたか」
「だけどさ…本当に、信じてたのに」
あきらめた口調で手にもった飾りを投げ捨てようとしたが、止められた。
「それはやめとけ。そうしたら、お前が信じてた、っていう心も捨てちまう」
「……でも」
「じゃ、俺がもらっとく。お前から、俺に贈り物、ってことで」
「なんで誘拐者に贈り物なんかしなきゃならないのよ」
「…やれやれ。ま、いつものお前に戻ったか」
苦笑しながら握られていた蒼い首飾りを取る。ついでに腰を少しかがめ、ほんの一瞬、女の額に口付ける。
「…えっ？」
「ははは。じゃ、先行くぞ。道はわかるよな。早く戻って来い。晩飯、そうしないとなくなるからな」
後ろ手に手を振りながら去る男を見つめるその顔が赤かったのは、決して夕方の光のせいだけではなかった。