海風に吹かれて６
あまり広くない街だった。そして新しい街だと思った。
「俺の親父が、孤児や捨て子、戦争で焼け出された人を集めて作った。小さいけど、居心地はいい」
帰港した際にトミーが言っていた言葉が響く。
「…私、どうしよう…」
後先考えずに家財を売り払って船に乗った。いつか誰かに言われたように、本当に根無し草なのだ。戻る場所はもうない。それだけ、オーウェルのことを信じていたといえば聞こえがいいが…。
「単なるバカ？」
舌を出しながら肩をすくめる。そして、カルサートが出演していると言う店に向かった。
一応吟遊詩人なので歌を歌う。なかなかによい声なので、出演依頼も彼女が思うよりかはあるらしい。
「錬金術さえなけりゃ、それはそれでいいとは思うんだけど…」
嬉々として語った顔が忘れられない。彼女は錬金術がどういうものか、あまりしらない。父親は偉大な錬金術師だったとはいえ、彼はシリアや母親にそういったものに近寄らせないようにしていた。けれども、カルサートが言うほどいいものでないことは知っている。経験的に感じている。
「人それぞれの典型ね」
店に入るとすでに演奏が始まっていた。黙ってカウンターに行き、マスターに飲み物を分けてもらう。寄りかかって立っているとトミーが彼女を呼んだ。
「座れよ」
「…」
視線で断りを言うと立ったままのシリア。やれやれ、というようにトミーは再び歌っている親友に目をやった。
余韻を残して全ての音がやむ。一呼吸置いて歓声。その真ん中で、照れながらも得意げなカルサートが笑っていた。
「…船で聞いたときよりも上手くなってる気がする」
海賊船に連れ込まれる前、一度だけ彼の歌声を聞いた。サロンで上流客相手に歌っていたのを、作業をしながら聞いた。
「まさかあの時は、こんなにかかわり合いになるとは思ってなかった」
それがどうだ。海賊に襲われるわ攫われるわ、挙句の果てに信じた恋も破れてしまった。
「ま、すっきりしていいのはいいの…かもしれないけど」
「シリア、帰ろう。居候の身で遅くなるのもな」
トミーが声をかけてきた。何も言わずに頷いた。
シリアはセルバスの家に、トミーと共に身を寄せている。どちらもこの街に家を持っていないからだ。
始めの日になんでトミーが居候をしているのかを聞いた。
「最初はあったぞ。親父の家。というか、セルバスの家が俺の親父の家だ。でもセルバスには家族がいるけど、俺にはいないからな。それに必ず航海に出なきゃならない。だから、セルバスの家族に使ってもらってるんだ」
あの船が俺の家さ。そういって快活に笑ってくれた。そういうものなのかとなんとなく納得してしまった。シリアはまだ一年ぐらいしか海に出ていないが、しかも港を渡り歩いているが、それでも船は落ち着く。もっと幼いときから海に出ていれば、船が家のようになってしまうのかもしれない。
「姐さん、姐さんはこれからどうするんです？」
今後の出港予定などを打ち合わせしているとき、聞くともなしに聞いていたシリアにセルバスはそう声をかけた。
「これから？」
「降りるんですか？船から」
答えられなかった。トミーはその様子を黙ってみている。
もう船に乗ってあちこちさまよう理由はない。それならばこの街にとどまってもいいだろう。どこかまた、別の街へ行くのもいいかもしれない。
「…ここには…いたくない、な」
「…」
セルバスはオーウェルの顛末を聞いている。居たくないというシリアの気持ちがわかった。
「だからって、他の街に乗せていく気はないぞ。海賊船は連絡船じゃないからな」
「キャプテン！」
口を開いたトミーにセルバスが渋面を作る。
「…ならいい。歩いてでも行くから。泳いででも、この街から出て行くから」
「姐さん…」
表情を変えずに言うシリア。
「それもダメだ」
「なんで…？」
「お前は俺が取ってきた戦利品だ。勝手に出て行ってもらうわけにはいかないな」
「ば…っ、バカなこと言わないで！私は私、誰のものでもないから、自分の思ったとおりに行動するわっ！」
トミーの言葉に怒ったシリアは立ち上がり、そのまま部屋を出て行く。が、戸を開けようとした瞬間に海賊の手下が大挙してなだれ込んできた。
「姉御！」
「行かないでください！」
「せっかく航海に張りが出てきたってのに…」
「御願いしますよ、このとおり！」
「てめぇら、うるせぇ！」
懇願する手下の後ろにケルが立っていた。
「ケル…言っちゃ悪いが、お前の声が一番でかい…」
「あ、副長、そいつはすまないです」
あきれた声でセルバスがたしなめた。
「姉御〜」
「御願いです」
なおも言いすがる手下達に戸惑う。
「え…？」
「自分が思ってるより、お前はこいつらにとってかけがえのない存在になってる、ってことさ」
トミーが笑う。
「こんなにここで必要とされてるのに、どこかにいっちまうのか？」
「じゃあどうしろって言うのよ」
「…お前の職業は何だ？」
「何って船乗り…え？」
何かに気がついたシリアはトミーの顔を見る。海賊はにやりと笑って見せた。
「私は嫌よ。海賊になんかならないって言ったわ」
「海賊になれなんていってない。略奪行為なんか、お前にさせるもんか」
「じゃあなんで？」
なおも問い詰めようとした女の耳に、セルバスが囁く。
「あんな口調ですけど、キャプテンはシリア姐さんにいて欲しいんですよ」
「…！？」
「バカっ！」
顔を赤くしたトミーが副長の頭を叩く。そしてそのままそっぽを向いてしまった。
「…」
「…わかったわよ」
ため息混じりにシリアが呟くと、とたんに海賊たちがニコニコと笑う。
「あんたたち…もしかしてこの誘拐者になんか弱みでも握られてるの？」
「誘拐者はやめろ、誘拐者は」
そっぽを向きながらもそのあたりはきっちりと突っ込むのだった。
「まだまだっ！」
丘に女の声が響いた。続く剣戟の音に混じり、激しい威嚇も聞こえる。
「そこまでっ！！」
野太い男の声。気がつけば、トミーはシリアに剣を突きつけられていた。
「…参った。すげぇ上達の早さだ。俺じゃもう相手になんないな」
「海賊さん、あんた、どうしてそれで頭なんかできるの？確かに最初は私、遅れをとったけどさ」
「それだけお前が強いってことさ。だけどなシリア、俺の名は海賊さん、じゃない。トミーだ」
「……そう、じゃ誘拐者、私はケルに相手になってもらうわ。じゃね」
「…まったく…」
誘拐者、ではなくてトミーはダメだこりゃと頭を振る。
海賊行為はしないという条件付であっても、海賊船に乗るのだ。戦闘は避けられない。そのとき、最低限自分の身を守るためにシリアは剣術を習い始めた。始めて一週間程度しかたっていないものの、もとのすじが良かったのか、異様なスピードで上達した。
「教えなくても良かったかな…あいつには」
「そう思いたくなる気持ちもわかりますけどね。あそこまですじがいい人は初めてだ」
先ほどの試合の審判をしていたセルバスがトミーの呟きに同調する。
「それにしてもキャプテン、本気を出さないんですか？」
すこしからかい気味に聞いた。
「俺はこれで本気さ。それにしても…襲えなくなったじゃないか」
「キャプテンー…」
「なんだセルバス、その目は」
「そんな悲しくなるようなこと、言わないでくださいよ」
「心外だな。お前だって惚れた女、抱きたいだろ？」
「そりゃあまあそうですが」
「俺だってそうだぞ」
渋面のセルバス。そこにカルサートが声をかける。
「トミー、次の航海はいつ出発だ？」
「ああ、もうすぐだ。情報屋によれば、二週間ののちにまた密輸が行われるらしい」
「…住みにくい時代だよな」
「俺たちがやってる事だって合法じゃない。それに、そういうのがなけりゃ生きていけない」
土を払いながら立ちあがり、シリアとケルの立会いを見る。夕方の光が彼らを照らす。
汗に輝くシリアの体は、無数の宝石をまとっているようだ。
「…綺麗な女だな」
「お前もそう思うか」
「まあな…」
目を細めながらカルサートは調弦をする。ハープの音をなんとなく聞きながらシリアとケルの立会いを見た。ちょうど、音楽が途切れたときに決着はつく。
「そこまでだな、ケル」
「へぇ…。姉御は強いや」
「さあそろそろ戻ろう。日が暮れる」
街への道を思い思いに辿っていると声がした。
「トミー様ーっ！」
「ただいま、メルカ」
６，７歳の少女がトミーに向かって走ってきた。彼はそれを受け止め、肩に担ぎ上げる。
「今日はなにをしてたの？いつまた海にいっちゃうの？」
「今日は剣術の稽古。海は、来週でるよ」
「メルカも一緒にいけたらいいのに…トミー様と一緒にいたいもん」
「ダメだよメルカ。君はちゃんとこの街で待っていてくれ。俺はかならず、戻ってくるから」
「…うん。トミー様、約束破ったこと、ないもんね」
にこにこしながら語りあう二人を、何の気なしに見ていたシリア。そこにカルサートが声をかける。
「あのメルカって女の子は、トミーの嫁さんになりたいんだってさ」
「へぇ。かわいい子じゃない。後何年か待たなきゃいけないけど」
「……」
「でもあの子も、よわっちい頭でいいのかしら」
「あいつは、弱くなんかない。俺たちの誰よりも、強い」
「だって…」
「切れてないからさ。切れたあいつは手が付けられん。だけど、自分の仲間を守るためだけ、あいつは怒る。だから奴はキャプテンなんだ」
「……」
二人に気づいてトミーが手招きをする。メルカは彼の肩の上で腕組みをする。まるで、居心地の良い玉座に座ったように。
「カルス様、また今度、お歌聞かせてね？」
「ああ、いつでもおいで。俺はいつもの店にいるから」
「こっちのお姉ちゃんは？」
「トミーが拾ってきた戦利品」
「失礼ねっ、誘拐よ、誘拐」
「ゆう…かい？」
「シリア、メルカに妙なことを覚えさせるなよ」
トミーがあきれた声を出す。
「メルカ、知らなくていいからな。こいつはシリアだ。今や一家最強の女になった」
「…よろしく、メルカちゃん」
「トミー様より強いの？すごい、お姉ちゃん」
「ははは…それって誉められてるのかしら…」
苦笑いをしながら二人の後姿を見た。
「海賊にだって、守りたいものがあるんだ…」
この街を、この人たちを守るために彼らは海に出る。彼女も、守ってみたいと思った。