海風に吹かれて ８
路地に積み上げられた様々なものを蹴飛ばさないようにシリアは歩いた。露店でみずみずしい果物を見つけ、小銭を投げてそれを取り、一口かじる。
「甘い」
思ったよりおいしく、足取りが軽くなる。が、街のある一角で足をとめた。
「多分ここから先は…」
この街を仕切る人間の区画。なんとなくそういう空気は分かるものだ。
「…行かないほうがいいな」
引き返そうとしたとき、視界に銀色の何かが入った。そちらを見ると、見事な銀髪の男がこちらを見ている。眼鏡に隠れてはっきりとは分からないが、その瞳はどこかで見た記憶がある。
「…どこかで…会った…？」
考えているうちに男は角を曲がる。シリアも吸い寄せられるように曲がった。
「親父、いねぇのか？」
悪魔の彫刻が施された燭台。何かがこびりついて取れなくなった皿。あまり見かけない、毒々しい色の花。そういった、一般の人間なら寄り付きもしない店にカルサートはいた。
「まったくあの親父は…。用事があるときに限っていやしない。その上ぼったくりと来たもんだ」
ため息をつきながらミイラの置物を叩く。と、それが動いた。
「うわぁっ、ミイラ動いた！？」
「バカ者！わしゃ生きとるわい」
「親父？なんだ、いるならいるって言ってくれよ。干物かと思った」
「悪かったな。わしはこんな人間じゃい」
「機嫌直してくれよ親父。あんたが例の薬に必要なものの情報手に入れたって聞いたから、ここにきたんじゃないか」
「例の薬…ああ、あれか」
この老人とカルサートは錬金術仲間である。どこで知り合ったか忘れてしまうほど昔にであった。
「必要なもんはこれだけだ、ほれ」
と、汚い字で書かれたメモを渡される。
「そこにある大体のもんはあるが、一つだけ手に入らないもんがあってな。リストの一番下の奴じゃ」
「…おっ？これは…生娘の…っておい、なんでこんなもん…」
「例の薬完成には欠かせないもんらしい。昔ならわしも、何人でもこいだったが、今はさすがに無理なんじゃ」
「どうだか」
「言ったな、この青二才。…と食って掛かりたいところじゃがやめておこう。お前、わしを敵に回すとそのリスト、上から順番に全部自分だけで集めにゃならんぞ」
「…うーん」
メモを見ながら渋い顔をする。どれもこれもかなり特殊なもので、おまけに高額だ。一つや二つぐらいなら買えないこともないが、全部となるととてもでないが手が出ない。
「そこで相談だ。お前がその下のを手に入れる。代わりに上のを分けてやろう。どうだ？悪い話じゃないだろう？」
「そりゃそうだけど。でも」
「なぁに大丈夫。お前なら女の方が寄って来るだろうよ。よりどりみどり。わしにもそんなころがあったのう…」
しみじみと思い出に浸る老人にあきれた視線を送る。しかし、まぁ悪い条件ではない。
「成立だ。いつになるかわかんねぇけど、まあ持ってくるよ。それまで干からびて死ぬんじゃないぞ」
「口が悪いぞ青二才。言われんでもまっとるわい」
店をでて港の酒場に向かっていると、シリアとぶつかった。彼女の勢いが強く、その場に座り込んでしまう。
「なんなんだよ」
「あ…密航者…ね、ねえ、銀髪の人見なかった？」
「銀髪？しらねぇぞ」
「…そう」
「なんだ？男か？船乗りってのは港ごとに違う女がいるのが相場だけど、お前の場合は男がいるんだな」
軽口を叩くとものすごい顔でにらまれた。おびえたように手を振ると視線を路地の奥に戻す。
「…」
カルサートとならんで歩きながらふと思いついた。あの路地で見た男の瞳は、なんとなく、この隣りを歩いている男に似ているのだと。
（だから、知っていると思ったんだ）
そう結論付けたものの、釈然としないのだった。
トミーは自分の船を見上げていた。遠くから見ればしっかりしたように見えるこの船、実はあちこちがたがきている。
「いい加減修理時だよな」
「ですねぇ。今度戻ったとき、しばらくそれに時間かけますかね」
「だな。俺ら、こいつがいないとどうにもならないし」
船長、副長がそろって頭を抱える。船の修繕にはかなりの金がかかる。頭の中でいろいろな計算をしながら、あまりかかってくれるなとため息をついた。
「ま、キャプテン。いざとなったら全員総出で直しましょうや。こいつを手放すなんて、考えられねぇですし」
「そりゃそうだ。手放したりしたら、俺の家がなくなる」
冗談めかしてトミーが笑う。
「そろそろ酒場に行こうか。例の勝負やっていくか？」
「じゃ、今度こそ決着を」
「のぞむところだ」
しばらく道を行くとセルバスが不意に声をかけてきた。
「ところでキャプテン、気にはなってたんですが何でそれがキャプテンにかかってるんです？」
「なに？…ああ、こいつのことか？」
首飾りを指すと頷く。
「もらったんだ。シリアから」
「はぁ…。あの人がそう簡単に手放すとは思えないんですが…、無理矢理奪ったりとかしてませんよね？」
「少なくとも俺はちゃんともらったと思ってるんだが」
「…あんまり強引なのも、よくないですよ」
「そうかなぁ」
首をかしげているうちに酒場に着いた。中ではケルを筆頭に、彼の部下達が大騒ぎしている。
「やれやれ。こいつらは酒があると本当に無邪気だよな」
「仕方ありませんね。それが我々ですから」
「確かに。…マスター、いつもの頼む」
カウンターに座って、その後ろでグラスを磨くマスターに声をかけてからあたりを見回す。カルサートとシリアがいない。
「…？」
先に宿に行ったのだろうか。いや、カルサートとはここで落ち合う約束だったのだが。
「キャプテン、どうしました？」
「いや…」
「きましたぜ。勝負と行きましょう」
「…よし」
ケルが手をあげ、二人が大きなジョッキを持つ。十分な間合いを計りケルが手を下ろせば、二人は一気にそれをあおった。
「…わずかに副長のほうが早いか…？」
「いや船長も…」
手下達は彼らをダシにして賭けに興じる。ちゃっかりとケルが胴元となりくたびれた帽子に小銭を集めている。
「ぷはっ！」
「ふうっ！」
「わずかの差で…キャプテン！」
勝負を見ていた手下が叫ぶと、酒場がぶっ壊れそうなほど大きい声が上がる。
「キャプテン、大分強くなりましたねぇ」
「まあ、海賊が酒もまともに飲めないってのはちと格好悪いしな。少々練習はした。それに、酒場に着くたびこんなことやってりゃ、誰だってある程度飲めるようにはなるさ」
実は彼、あまり酒は強い方ではなかった。それがいくらかコンプレックスなところがある。
「なるほど。ところでキャプテン、強くなったところでもう一勝負しませんかね？」
「のぞむところだ」
身を乗り出したトミーに、慌てないでと手を振る。
「今度は私じゃなくて…」
と、いつのまにか端のテーブルでぼんやりと座っていたシリアを指す。
「おおおっ、姉御っすか？」
収まっていた興奮が再び噴出す。
「ちょっと待て！俺はあいつとは…」
なにやら文句をいうトミーを無理矢理シリアのほうへ押しやる集団。
「賭けになんねぇぞ！？」
「万が一、って事もありますから、ささっ」
「ちょっとまて、それって俺が勝つことはほとんどねぇって言ってねぇか？」
「やだなぁキャプテン、気にしすぎ」
勢いに押されてシリアのテーブルに座る羽目になった。
「…」
なにをやっているんだか、と問いたげな視線をおくる。
「よ、よう…」
「…私は飲み比べしないからね」
シリアの言葉に店の空気が下がった。が、次の言葉で爆笑が巻き起こる。
「だって飲み比べってのは、実力がにてる人間どうしでするのが一番面白いでしょ？」
「シリアー…。それ、かなりひどいこと言ってねぇか？」
「だって本当じゃない」
「いやそりゃ確かにそうだけど…」
渋面のままトミーは机に伏せた。と、その頭の上からため息が聞こえる。
「…どうした？」
「…ちょっとね」
路地で見かけた銀髪の男がやはり気になる。
「銀髪？…もしかして、俺らぐらいの年の男で眼鏡かけてる？」
「うん。知ってるの？」
「噂には聞いたことがあるが…」
しばらく考え込んでいたがいきなり今すぐ出港すると告げた。もちろん文句が上がるが、
「マイスターが動いてる！」
の一言でおとなしく船に戻り始めた。
お や か た
「マイスター？」
「コルウィスキーの右腕でマイスターって野郎がいる。それが銀髪の伊達男」
酒場の主人に金を払い、店を出る。
「銀のマイスター。奴の、通り名だ。コルウィスキーの息子で、恐ろしく頭よくて冷静、らしい。だけどそれより厄介なのは、奴の仕事だ」
「あー、なんとなくわかるような…。汚れ仕事でしょう？」
「汚れの中の汚れ、暗殺者だ。それも、とびっきりの」
「！」
「コルウィスキーから命じられてやる場合もあるが、フリーで動いているときもある。何のためにこの街にいるのかは知らないが、いずれにせよ係わり合いにはならないほうが身のためだな」
「そう…ね」
「しかも俺ら、コルウィスキーとは何度もやりあってるから…俺らの街、今攻められるようなことになったら…」
想像したくないというように頭を振る。シリアも想像したくなかったので止めた。
しばらく歩いているとカルサートが合流した。
「探したぞ、トミー。あの酒場で落ち合うって約束したじゃないか」
「マスターには言っておいただろ？」
「だからここに来たんだ」
「ならいいじゃないか。それにだな、お前のほうこそ一体どこうろちょろしてたんだよ？」
「秘密」
悪びれもせずそういってのける友人を見て頭を抱えた。
「…まあいい、すぐこの街を離れて帰る」
「あ、おい、帰りの仕事は？」
「取りやめだ。マイスターがこの街にいる」
「マイスター…ってあの銀の？」
「ああ」
「そりゃ大事だ。さっさと帰るか」
と、ひとり走って港に向かう。
「ねえ…あんな長いの着てて走ったら…」
シリアがみなまで言うまでもなく、カルサートはその先で見事にすそを踏んづけて転んでいる。
「ってなことになるよね、やっぱり」
「だな」
起き上がって頭を振る男を見て、二人はあきらめのため息をついた。