海風に吹かれて ９
甲板でなにやら作業をしているカルサートをじっとシリアは見つめていた。その視線に気がついて少し意外そうな顔をする。
「…なんだよ」
「……何してんの？」
「トミーに頼まれたんだ。殺傷能力のそんなにない投擲武器を作ってくれって」
「…物騒な」
「多分、コルウィスキーの奴らとやりあう羽目になったときのためだろうな」
「ああ…」
「なんだ、まだ用事があるのか？」
「…あんたってさ、兄弟とかいないの？」
変なことを聞くなというように視線を投げる。
「さあ。俺は赤ん坊のころにトミーの親父さんに拾われたらしいから。他にいたのかどうかもわかんねぇ」
「そうなんだ…」
「いきなりだな」
「いや…」
視線をはずして手元を見る。
ちらりと垣間見たマイスターの姿。ほんの一瞬だけであるが見えた瞳。それが、あまりにカルサートに似ていた。
「気のせいよね」
「？」
「なんでもない」
怪訝そうな顔をしていたがすぐにまた作業に戻ってしまった。シリアはまたぼんやりとその様子を眺める。
記憶力には自信がある。一度見た人間の顔は、そうそう滅多に忘れたりはしない。
「ただの通りすがりかもしれないのに…なんでこんなに気になるんだろう」
普段ならすぐ忘れてしまう。けれど、心に引っかかる。何かが起きそうな予感。たぶん、悪い。
考えていると風に湿気が混じってきたのを感じた。空気も妙に生暖かい。
「…嵐がくる？」
立ち上がって西の空を見た。暗くなっている。
「やっぱり」
「どうした？」
「そんなところで作業してたら海に投げ込まれちゃうわよ。嵐がくる」
カルサートは慌ててその場に散らばった物をかき集め、自室に戻っていった。周りを見れば他の船員達が甲板の上の物を整理し始めている。シリアもそれに混じって木箱を持ち上げた。
船体が軋んでいる。マストにしがみつきながら、この船は大丈夫なのかとふと心配になった。風は容赦なく吹き付け、雨は痛い。けれども甲板の水を掻き出さなくてはならないのでいなければならない。
「なんか嫌な感じの音がしてるんだけど…」
「なんとかなるだろ」
「そんな楽観的でいいの？」
「何とかならないときは何とかならない。そういうもんだ」
「そりゃそうだけど」
「ま、もっともそんなに簡単に沈むようじゃ親父に怒られるから、がんばって水を掻き出すぞ」
「へいへい」
トミーとシリアは手桶を持って手当たり次第に水を掻き出す。降ってくる量に負けないよう、また激しく揺れ続ける船体から放り出されないよう必死だ。
珍しくカルサートが水の掻き出しに参加していた。しかも、動きやすいような格好だ。思わずトミーは目を見張った。
「…あいつがなんで水掻きなんか…信じられん」
「ん？あ、密航者だ」
「俺たちがどれだけ言っても絶対に出てこなかったのに」
「この間茶器で殴り倒したから…そのせいじゃない？」
「茶器…おまえ、ものすごいことするな…」
本人は必死で掻きだしているのだろうが、何せカルサートにとっては初めての仕事である。海に捨てるはずの雨水は彼の体にかかり、結局何のために手桶を持っているのかわからない。その様子に、思わず笑ってしまった。
「笑ってる場合じゃないぞシリア」
「そうね」
それからどれだけ手を動かしたか。数えていたとしても、途中で飽きただろう。腕が上がらなくなるまで手桶を動かし、帆を傷つけないように絶妙な操作が行われた。
クリスタルダイヴはかなりの大きさなのだが、適度な喫水が守られ、また乗組員の腕がよかったのか、荒れ続ける海の上をそれは見事に走り続けた。たまにはあおられすぎて転覆しそうにもなったが。
恐らく二日ほどそうしていただろうか。気がついたら嵐は通り過ぎ、半ば幽霊船のようになってしまった船が一隻。マストからマストに渡されていたロープは寸断されて垂れ下がり、甲板に置いたままになっていた樽はどこかに消えてしまい、妙に広い空間を作り出している。
「帆が無事でよかったよ」
「いや本当に。でもキャプテン、これじゃホームに戻るのはちょっと辛いですね」
「そうだなぁ。ここから近くには確か…げっ」
「？」
海図を覗きながら妙な声を出したトミー。それを不審に思ってセルバス覗く。
「あ…っ…この街は…」
現在の海域から最も近い港町は、コルウィスキーが仕切っている街だ。いくらなんでもそこに行くわけにはいかない。
「どうする？」
「…どこか島でもあれば、そこに寄って応急的に処置するんだが…」
船長室でああでもない、こうでもないと言っているころ、シリアは海に何かが漂っているのを見つけた。ケルに、自分に巻きつけたロープを持っていてもらい、海に飛び込んで拾い上げてみると、ビンに入った手紙だ。
「お手紙だ」
「なんて書かれてるんです？」
「ちょっと待ってね…」
ところどころ水に濡れて消えかけている字を追いながら彼女は手紙を読んだ。
「へぇ。このあたりの島のどこかに、お宝を隠したんだってさ。でも、誰も探そうとしなくて、隠した本人がなんか悲しくなったからこの手紙を流す、って書いてる」
「悲しくなったからって…本当ですか？」
「うん、ほら」
半信半疑の目を向けるケルに手紙を差し出す。
「……。本当だ。こんな奴いるんですねぇ」
と、しみじみしている。
「でどうする、これ」
同封されていた、これまた消えかかっている地図をひらひらさせた。
「俺としちゃあ探しに行きたいんですがね。隠し財宝なんて聞いたら血が騒ぐ。けどそいつはキャプテンに聞いてみねぇと」
「そうよねー。面倒だなぁ。…そうだ！」
おもむろに立ち上がって板などの修繕道具を置いてあるところから、木材とロープを引っ張り出してきた。何事かと周りで作業をしていた手下達も集まってくる。
「…あ、姐さん？」
「ここをこうして…そんでこのロープを…」
「あの…」
ケルたちが不安げに見守るうち、あれよあれよと筏ができてしまった。
「じゃーん、完成！」
「…まさかとは思うんですが…」
「うん、ちょっと行ってくるね。誘拐者によろしく〜」
「よろしくってちょっと姐さん、俺らいつまでもここにいるってわけじゃ…」
ケルの言うことなど耳に入らない様子で彼女は筏を海に放り投げ、櫂用の板切れを持ってその上に飛び乗ってしまった。手などを振りながら嵐の後の海をどんどん進んでいく。
「なんて無茶な人なんだ…」
しばらく呆然としていた操舵長。部下の声ではっと気がつき、慌ててトミーのところに走っていった。
「なんだって！？」
トミーに耳元で怒鳴られケルが一瞬肩をすくめる。セルバスが幾分やわらかい口調で聞く。
「どうして止めなかったんだ？」
「止める暇なんかなかったんですよ。ものすごい手際のよさで筏作っちゃって…」
「大体その手紙だってこのあたりの海って確定したわけじゃないのに…」
「しかし、姉御…本当に姉御ですよ…」
「妙な感心してる場合か！ああもう、この忙しいときに…」
頭を振りながらトミーが文句を言うが、聞かせるべき相手は今海の上だ。
「ここから一番近い島はどこだ？どうせ簡易の筏だ、そんなに遠くまでいけないだろう」
「そう祈りましょう。……海図ではここですかね」
セルバスが先ほど割り出した現在位置から、そう遠くない島を指した。
「じゃあとりあえずここへ。船の応急処置もついでにしてしまうか」
「了解」
「アイ、サー」
二人が船長室を出て行き、トミーは深いため息をついた。
凪いでいるわけではない海の上を筏は快走した。久しぶりになんだか楽しい気分で船の上にいるシリアは、手にもった地図と目の前の景色を見合わせながら櫂を漕ぐ。
「よし、あの島ね！」
どこか別の場所かもしれないという可能性は全然考えず、ものすごい勢いで砂浜に到着した。
「到着！」
砂浜を歩きながらよく地図を見る。が、一向に目印になるようなものは見つからない。今までの高揚した気分が急に不安へと変わる。
「…あれ？」
どんどんと島の奥に分け入りながらあたりを確認するが、どうもだめらしい。
「もしかして、違うのかな？」
そういうことはもっと早く気がついた方がいいと、カルサートあたりが聞けばそういっただろう。しかしかなり奥まで来てしまっている。その上悪いことに、そろそろ日が暮れそうだった。あまりよく分からないところで夜に歩くのは自殺行為だ。自分の暴走に呆れながら、手近な木に登って様子をうかがう。
「…もしかして、無人島かなぁ」
どう見ても人工の明かりはなさそうだ。半ばあきらめながらあたりをみていると、煙が上がっていた。
「人だ」
動物が煙、つまり火を扱えるはずはない。人がいるのだ。今ならまだ暗くない。上手くすればそこで一晩をあかせるだろう。
「もしも変な人だったら…そのときはそのときよね」
妙に強気になって木から降り、あたりをつけた方向に歩き出した。
下生えを掻き分けつつ歩いていたら、いきなり崖だった。
「うそーっ！！」
悲鳴をあげながら、シリアは崖を転がり落ちていくのだった。