海風に吹かれて １１
あくびをしながらドアのノブに触れる。と、鍵がかかっているはずなのにするりと開いた。
「あれ？」
もっとよく見てみようと体をかがめると、ちょうつがいの部分が妙になっている。それに、鍵がちゃんとかからない。
「昨日の夜はちゃんとかかったのに」
直さなければならないだろう。肩をすくめながら甲板に出た。
甲板ではまだ目覚めきっていない手下達が体を伸ばしている。嵐の被害がまだ完全に直りきっていないので、細心の注意を払いながら船は進んでいた。
「ここでまたもう一回嵐なんて来たら、この船お陀仏かしらね」
「朝から縁起でもないこというな」
「あ、海賊さんだ」
「…だから…」
何かをいおうとしてトミーは口を閉じた。
「この船、どのくらい使ってるの？」
「親父のころからだから、かなりになるだろ。俺と同い年か…年上か」
「ちょっとどうにかしたら？鍵も壊れるぐらいだし」
「鍵が壊れた？」
「ほら、こっち」
部屋の戸を見せる。
「…これは、外から無理矢理壊したんじゃねぇか？すくなくとも、普通こんな壊れ方しない」
「ってことは、夜中に誰か戸をあけようとした」
「そうなるな」
「誰よ」
「知るか。俺にそんなこと聞くな」
「そうよね。でもどうしよう、今晩…。そうだ」
鍵を見つめていたシリアだが、おもむろに顔を上げると部屋に入ってしまった。しばらく待てば出てくるかと思ったが一向にその気配がないので、トミーは戸を開けようとした。
「あれ？」
あかない。鍵がかかっているはずはないのに。
「おいシリア、一体何をやってるんだ！？」
しばらくの間があって戸が開く。
「あかなかったでしょ？」
「一体何をしたんだ」
「ノブに布巻きつけて、思いっきり引っ張ってベッドに反対側くくりつけたの」
「なるほど…」
「でも早く直さないと」
「まあしばらく待ってくれ。あと５日もしたら帰るから」
「５日も？」
不満そうな顔をしたがすぐ戻す。仕方がないことをうだうだ言ってもしょうがない。と、船体が妙な動きをした。
「ちょっと…」
「シリアがあんまり縁起でもない事いうからだ」
「人のせいにしない…わっ」
思わずバランスを崩してトミーの腕の中に飛び込んでしまった。
「お？役得役得」
「バカっ！」
わざと力をこめて抱きしめていると、思いっきり足を踏まれた。
「…っ…」
「人に気安くさわるな！」
うめく男をよそに歩き去ろうとしたところ、セルバスが慌ててトミーに向かってくるのを見た。なんだろうと思って歩みを止める。
「キャプテン…！出ました」
「出たってなにが」
「幽霊船…」
「ゆうれい〜？」
シリアは思わず素っ頓狂な声を出してしまった。二人が彼女の方を見る。
「あ、…ごめんなさい。でも幽霊って…」
「世界中の海を彷徨うって話の幽霊船。…聞いたことないのか？」
「そういえば、…昔乗った船で噂には聞いたけど…」
物事を疑ってかかる人間ではないが、かといって信じ込むほどではない。どんなに無茶な状況であっても、頭のどこかは冷静なのだ。
「…で？」
「あそこ…」
セルバスが恐る恐る指した方向に、いかにも、といった様相の船。嵐をすごしたこの船もあんまり変わらないんじゃないか、とシリアは心で思ったが、口に出すようなまねはしない。
「本当にそうなのか？単なる難破船とかじゃないのか？」
「そうだったら知らせにきたりしませんよ！舵が動かなくなったんです！」
「！」
慌ててケルのところに行く二人。シリアもついていこうとしたが、船の方が気になってその場にとどまった。
「…近付いて…」
信じられない。単に潮に乗っているだけだろうと思っていると、カルサートが寝ぼけ眼であがってきた。
「なんだぁ？」
答えている暇などない。このままではぶつかってしまう。
「ケルーっ！回避してー！！」
大声で叫ぶが一向に船体が動く気配がない。その間にもどんどん船が近付いてくる。思わず目を閉じた。
振動が伝わる。突っ込まれたのは突っ込まれたようだが、船壁に穴があくほどではないようだ。しかし相変わらず舵は動かず、くっついたまま身動きが取れない。
「…」
原因を調べようにも手下達は右往左往している。操舵輪は相変わらず動かないようで、船尾では大騒ぎのようだ。
「…あの船からなんかでてる？」
波間にほんの一瞬、何かが見えた。もっとよく見えないかと身を乗り出すと、また船が揺れた。
「わっ！」
「シリアっ！」
落ちそうになるシリアを見てカルサートが思わず手を伸ばす。しかし、船の揺れは納まらず、二人はボロボロの船の甲板に落ちた。
「ちょっと、どいてよ密航者！」
「わっ」
上に乗っかってしまった男を思いっきり払いのける。うつ伏せから起き上がったシリアの服はひどく汚れていた。
「うわあ…ひどい…。洗濯して落ちるかなぁ」
「それよりどうすんだよ、こんなところに来てさ」
「好きできたわけじゃないわよ。なんであんたもいるわけ？」
「そういう言い方はないだろ」
憮然とした表情でそっぽを向くカルサートをよそに、シリアはあたりを調べ始めた。幽霊船ということだが、特にそんなに変わったところはない。第一まだ朝早いのだ。太陽は次第に輝きを増してくるような時間。こんな時間に出る幽霊はかわり者だろうなと思いながらシリアは歩き回った。
「姉御ーっ！」
上からケルが呼んでいる。ロープを投げようとする彼を制し、少し調べてくると言って船底に入っていってしまった。
「おい！」
思わずカルサートも後を追う。
「姉御ーっ、カルスさんーっ！！」
「どうした、さっさと上げてやれよ？」
「キャプテン、二人…調べてくるって…いっちまった」
「なにぃ？」
握り締められた拳が震えている。ケルはその様子にびくりとした。
「…とりあえず、ロープはかけろ。あと…手の空いている奴、あの二人を引きずってでも連れ戻せ」
「はい…」
「一体どこからこの船は来たんだろう」
「知るか。なあ、さっさと戻ろうや」
「だめよ。多分この船の何かが引っかかって、あっちの舵が動かなくなってる」
「なら外から調べるだけでいいだろう？何でこんなところに」
「航海日誌かなにかないかと思って。ちょっと、気になるから。あんた、嫌なら戻っていいよ」
「ここまで来てそんなことできるか」
この船には見覚えがあった。遠くから見たとき、もしやと思った。
「オーウェルが乗ってた船…」
そんなに大きくない船体に、独特の細工が施されていた。現在ではわずかにその痕跡を残すのみだったが。
「…これは…」
「お探しのもの、だな」
ボロボロになった本。ここで読むことはさすがに落ち着かないので、持ち出すことにした。
「今度は外を見て回らなきゃね」
「俺は…多分海草だとおもう」
迫ってきた船はどこにいたのか、信じられない量の海草がまとわりついていた。
「私も。もぐってみようか」
その言葉にカルサートは固まった。
「なにもあんたにもぐれなんていってないわよ」
「違う、船が二隻こんなに接近してるところで、どうしてもぐるなんていえるんだ！？」
「だって、そうしないとどちらも身動き取れない」
日誌をカルサートに渡すと甲板に向かって上がっていく。後を追った彼は、腐っていた板を踏み貫いて躓きそうになるが、シリアを止めようとすぐさま立ち直った。
「おい、つぶされて死んじまうぞ！！」
カルサートの声など聞いていない。また、甲板にいる海賊たちの制止を振りほどいて、短剣を口にくわえ海に躊躇なく飛び込んだ。
「！！」
クリスタルダイヴでその様子を見ていたトミーが声にならない悲鳴をあげる。
緩やかな波に乗って二隻の船は揺れる。その間を縫って、シリアは泳いだ。一歩間違えばつぶされて死んでしまう。だが、不思議と恐怖はない。
あった。
古い船とクリスタルダイヴが、海草の束でつながってしまっている。舵に巻き込んでしまったのだろう。くわえていた短剣で片っ端から切る。
よし、これで後は…あっちの船を操作して、クリスタルダイヴから離さなきゃ。
そう思いながら泳いでいると、トミーが彼女の手を掴んだ。ジェスチャーで上にあがれと言っている。振りほどこうかと思ったが水中では上手く力をかけることができず、仕方なく彼について上がった。下ろされていたロープにつかまり船に戻っていく。
「ちょっと、あっちの船離さないと」
開口一番文句を言う彼女の頬を、トミーは容赦なく叩いた。船中にざわめきが広がる。
「バカ野郎！」
「…な、なんで？」
「他にもっと方法ってもんがあるだろう！なんで考えなしに飛び込むんだ！」
「ああするのが一番手っ取り早いからに決まってるじゃない！」
「だからって、自分のことをないがしろにしてまですることはないだろうが！」
「そんなの、私の考えだわ、人にとやかく言われることなんかじゃない！」
突如始まった口論に、どうしていいのか他の男たちはおろおろと見守るばかりだった。止めようにも、双方の気迫がすごすぎて声もかけられない。
「大体お前がそんなだから、こっちは余計なことばっかり心配しなきゃいけない！」
「あんたが勝手に私を誘拐してきたんじゃない。自分で厄介の種を蒔いたんでしょう！」
思わずトミーが言ってしまった言葉に、シリアは完全に頭に来た。そのまま自分の部屋に閉じこもってしまう。まだ怒り覚めやらぬ船長に、そっと部下が声をかける。
「あの…キャプテン…」
「なんだ！」
「このまま航海続けると…すごくやばいんですが…」
口論している間に気を利かせた部下が古い船を操作していた。その船と接触した部分がどうもよわっているらしい。
「あいつ、疫病神じゃないのか？」
となりで聞いていたカルサートがそんなことをもらす。トミーはそんな彼をじろりとにらみつけた。
「…おお、怖い」
肩をすくめて舌を出した。
船がどこかの港に向かっている。この位置から一番近い港は、かつてシリアがただの船員だったころ、立ち寄ったことのある港。
「…この街なら」
自分がいるから心配事が増えたと言うなら、いなくなればいい。この街ならば知り合いがいる。
「何で怒鳴られてまでこの船にいなきゃいけないのよ」
赤く腫れた頬を抑えながら、簡単に荷造りをする。
そしてその夕方。入港してばたばたと忙しい隙をぬって、シリアは街の雑踏に消えていった。