海風に吹かれて １２
マクダミリア商会はそんなに大きくない店だが、長い間続いている。かつて大疫病がこの地方を襲った頃、店もつぶれそうにはなったのだが、無事に持ち直し、日用品などを扱いながらかれこれ１００年ぐらい続いているそうだ。シリアはそこの店員の一人となじみだった。
「リテ、元気だった？」
「シリア？」
評判の美人だ。下っ端の船員として、船に積む荷物を運んでいた頃知り合った。なぜか気が合ったのだ。
「どうしたの？船は？」
「まあ、いろいろあってね。仕事探し中」
「…恋人には、会えたの？」
苦笑いをする。
「まあ…そのうち話するよ」
「そう。で、仕事探し中だって？」
「うん。ねえリテ、なにかないかな？」
「うーん…」
お茶を入れるために立ち上がるリテを見ながら、あまり長居はできないとシリアは思った。
リテは結婚しておりすでに子どももいる。そんな彼女のところに居座ると、いろいろ迷惑もかかるだろう。
「あ、なければそれでもいいよ。また探すからさ。とりあえず、一晩だけごめんね」
「いいのよ、それぐらい。でも当てはあるの？」
「どうにかなるよ、きっと」
「またそんな」
呆れながら茶器を持ってくる。
しばらく世間話をしていたが、リテがこんな申し出をした。
「そうだ、お客様の中でね、召使が急に辞めちゃって困ってる、って人がいたわ。上手くすればお仕事につけるかも」
「へー」
「よかったら紹介してあげようか？」
「うん、頼むね」
「ただ少し大変かも」
「大変でもいいよ。いままでそういうのは慣れてるし」
「そう？」
「本当にありがとうね、リテ」
「お互い様。今度私が困ったとき、助けてね」
「了解」
「ところで、恋人は？」
「…あ…」
「逢えたの？あ、でも逢えたら船になんかもう乗ってないわよね」
興味深々で聞いてくるリテに、ため息をつくシリア。
「逢えたのは逢えたよ」
「すごいじゃない。…でもどうして？」
「……私のことわすれてて、結婚して、子どもまでいたんだ」
「……そう」
それっきりお互い何もいわない。リテは席を立ち、もう一度お茶を入れる。そして、何もいわずにシリアに差し出した。そっと肩を叩く。何も言わない優しさに、シリアは感謝した。
「まーだ見つからないのか！」
「八方手を尽くしてはいますが…」
手下達やカルサートを街に出し、街の情報屋も総動員してシリアを探させていたが、見つからずじまいでかれこれ二週間になる。
「いい加減にしてくれよ。滞在費もバカになんねぇのに」
「その辺は大丈夫ですよ。姐さんがこの間見つけてきた金貨で、おつりがくるぐらいですから。それよりも…」
「なんだよ」
不機嫌そうに副長をみるトミー。セルバスは何もいわずにじっとトミーを見ている。少し引いて周りを見れば、残っている手下も全員彼に視線を注いでいた。
「なんだなんだ！」
「ご自分が一番わかってらっしゃるでしょう？」
「なんだよ、よってたかって俺が悪いってのか？」
「そうとは言い切りませんけど」
ため息一つついてセルバスは続けた。
「大体、姐さんはキャプテンが勝手に連れてきたんですよ？それをお忘れになっちゃいけない」
「忘れてなんかねぇよ」
「ならどうしてあんなことを？」
「…売り言葉に買い言葉、って奴だ」
「…」
「おい、ちょっとまて。お前、俺に向かってそういう態度はないだろ？」
「…」
トミーがわめくが、セルバスはあきれたような疲れたような視線を送るだけ。そこに。
「見つけました！！」
手下の一人が報告を持って船に飛び込んできた。
「本当か！？」
船上の空気が一変する。ぎすぎすしていた空気が晴れたのだ。それを感じて、トミーはシリアがいかにこの手下達に慕われていたのかを思い知らされた気がする。
「へぇ。この街を仕切ってるトーラムの屋敷で働いてました。住み込んでて、なかなか評判もいいようっす」
「なんでそんなところに」
「なんでも、この街の知り合いの紹介だとかで。…あの店員、美人だったなぁ…」
なにやら思い出している手下を捕まえて耳元で怒鳴った。
「そんなことはどうだっていい！さっさとあいつを連れ帰して来い！」
その大声に、近くに立っていたセルバスは耳を抑えた。当の手下は目を回している。
「こら、さっさといけ！…ちっ、おい、残ってる奴！行って来い」
しかし、誰も動こうとしない。シリアが、一回こうと決めたら早々滅多なことでは動かないことを知っていたからだ。自分がいったところでどうしようもないことも。
「おい！」
わめくトミーの肩にセルバスが手を置いた。
「キャプテン。姐さんが、どうしていなくなったかを考えてください」
「そりゃ…俺と口論して頭に来て出て行ったんだ」
「なら、キャプテンが戻るように説得する必要があるでしょう？この船に乗せた理由も含めて」
「…おい、俺がこの船離れてどうするんだ！」
「大丈夫ですよ、一日二日ぐらい。それで姐さんが嫌だと言うなら、おとなしくあきらめた方がいいと思いますが…」
「嫌だぞ！俺はあいつを諦めなんかできない」
「なら、そこのところ、ちゃんと説明してあげてください」
にこりと笑っていう副長。うろたえて周りを見ると、いつのまにか戻ってきていたカルサートがニヤニヤしている。
「カルス！なにニヤニヤしてんだ！」
「言いがかりだなぁ。俺は最初からこういう顔だ」
「うう…っ」
「じゃ、キャプテン、姐さんの説得お願いします。やっぱり姐さんいてくれたほうがいいですものね」
「そう思うならお前が行けーっ！」
「おいおいトミー、お前があいつを怒らせたんだ。お前が行くのが道理ってもんだろ？」
「…ああいいさ、分かったよ、いきゃいいんだろ！」
「でもどうやっていきます？姉御のいるところ、この街を仕切ってる奴のところだけあってかなり警戒してますが」
「俺にいい考えがある」
にこりとわらったカルサートに、妙な悪寒を感じるトミーであった。
「おい…その手は何だカルス！お、おい…」
面白がって手下も一緒になってトミーに近付く。
「うわーっ！！」
「なべなべ、なーべ」
鍋を鼻歌交じりでこすりながらシリアは台所に立っていた。
「おしっ、綺麗きれい！」
磨き上げられた鍋類はもとの輝きを取り戻したような状態だった。そこに、先輩のメイドが顔を出す。
「シリアさん〜。お茶しましょ」
「はーい」
ちょうど仕事も一区切りしたところだ。渡りに船、とばかりについて行った。
「シリアさん、よく働くわね」
「そうですか？まだ下っ端なんで、いっぱい働かないといけないと思いまして」
「そんなにむきにならなくていいのよ」
少し年上のメイドはにこりと笑う。
リテがいってたほど、怖いところじゃないわね。
心の中でほっとため息をつく。
最初、リテから「この街を仕切る人の家だ」なんて聞いたときはどうしようかと思ったが、働いている仕事仲間たちは怖いわけではない。まあ、たまに廊下でそれらしい人たちとすれ違うことはあるが。
「おいしい」
朝から座りもせず、ずっと立ち仕事をしていた。そのせいか、ただの紅茶なのにいつもの数倍はおいしく感じる。
「そういえば、ご主人様、最近よくない噂を聞くんだけど」
年かさのメイドが声をひそめる。
「あ、私も聞きました」
「確か…」
仲間たちが際限なくしゃべるのをシリアはじっと聞いていた。女ばかりが集まると、どうしても噂話に花が咲く。
「ふぅん…。ご主人様、一体どうしてしまわれたのかしら」
「あなたは新入りだからあまり知らないのね。コルウィスキー一家って、ご存知？」
いきなり知った単語に出会って少し動揺した。
「ええ…まあ一応名前だけ」
「その一家、裏世界を取り仕切ってるらしいんだけど、うちのご主人様とつながりがあるのよ。でもね…」
「あんまり仲がよくないみたいで…」
「…騒動は嫌よ、私」
要するに、今までなんとか取り繕いながらもやってきていたが、長年のずれがここに来て爆発しそうだと言うことらしい。
「厄介なときに私、仕事しにきちゃったのね」
そっと肩をすくめていると、給仕が手伝いをしてくれと呼びにきた。なんでも、娼館に入れる女のお目通りらしい。あまりいい気持ちはしないが、それも街を仕切る人間ならば仕方のないこと。
「私、ここを片付けておきますね」
入ったばかりであるシリアは行かなくてもいいことになり、お茶会の後片付けをし始めた。
「もしも、コルウィスキー一家と全面的にやりあうってことになったら、ここで働いてる私たちもただじゃすまないわよね…」
カップを拭きながらため息をつく。どうも最近、ため息しかついていない気がしないでもない。
「まあ、悪い方に考えると悪い方に行くから、やめよ」
綺麗にカップや茶器を並べ終わり、ほうきを持って庭に出て行く。途中、玄関の近くを通ったときなにやら騒いでいたが、特に気にするでもなく庭に向かった。
庭師が片付け損なった木の枝を集め、一箇所に集めてから火をつける。その火を見ながらぼんやりとする。
「…火。なにもかも、奪ったのは火」
両親が殺されているのを見たあの時。誰かが研究室に火を放った。かろうじてシリアは逃げ出せたが、両親はそのまま火の海に攫われていってしまった。
「…いい思い出じゃないよな」
枝は燃えつき、念のために池から汲んできた水をかける。
「さ、次は廊下だ」
ほうきをもとあったところに戻すため、使用人の台所に向かう。
「先輩、廊下掃除用のほうきは…あれ？」
誰もいない。まだお目通りの手伝いをしているのだろうか。
「参ったな。置き場所忘れちゃったんだけど…」
仕方がないので、このあたりだと思ったところを片っ端から開けていく。不思議なことに、その間誰にも会わなかった。
「変…ね。このお屋敷、もっといっぱい働いてたんだけど…」
不安が胸を支配する。嫌な予感がする。先ほど、玄関で起きていた騒ぎが急に思い出された。
「なにか、違うことが？」
目通りを装って、コルウィスキー傘下の者が来たのだろうか。それで、同僚達は。
「やだ、そんなの」
自分の想像に身を震わせ、歩みを速める。屋敷の主のところに行けば、何かわかるかもしれない。
だが、今にも扉に手が触れるというところで、誰かに体を引き寄せられた。
「！！」
しくじった。コルウィスキーの手の者が屋敷内にいて、自分の想像が正しければ、自分の身も危ないということなのに。
殺される。
そう思って目を閉じた。が、一向に衝撃はこない。そっと目を開く。
「…？」
彼女を抱いているのは女。長い髪を上に纏め上げ、耳には大きな飾り。なかなか体格はよさそうだ。深い紫色の目が困ったようにシリアを見ている。
「もしかして、遊女かな？」
屋敷の中では見たことのない女だった。
「あの…離してもらえませんか？」
遠慮がちに声をかけるが、聞こえていないのか離そうとはしない。
「あのう」
「…」
何もいわない女を凝視する。と、誰かに似ていることに気がついた。
「他の人は全員逃げたって言うのに、なんで残って…」
聞いたことのある声に首をかしげる。
顔をよく見る。少し濃い化粧だが、美人だ。赤い口紅が官能的で、女であるシリアもどきりとする。
いや、少し待て。
眉をひそめてもう一度見る。
「早く逃げよう」
その口調。女の声にしては低いのではないか？無理に作っているのでは？
顔の部分を一つ一つ見て、その紫の瞳にたどり着いたとき、シリアはあいた口がふさがらなくなった。
「ゆ、…誘拐者！！」