海風に吹かれて １３
聞いたところによると、近々に娼婦の品定めがあるらしいんだ
それに紛れていけばいいだろ？
カルサートの無責任な一声で、あれよあれよと言う間に鬘をつけられ、女物の服を着せられ。挙句の果てに念入りに化粧まで施され…。
で、彼は新しく入る娼婦として、この屋敷までやってきた。ばれるかと思ったが、なにやら一番の上玉として迎えられるような展開になってしまった。
「お前らの目は節穴か」
口の中で文句をぶつぶつ言っていると、妙に屋敷が騒がしい。どうやら主の部屋で一騒動おこっているらしい。
何事かを聞こうとした直後に、奥から使用人たちが大挙して飛び出してきた。その勢いに思わず端の方に寄る。
「なんだなんだ？」
口々に叫んでいるのを聞けば、どうも主がどうにかなったらしい。それ以上は上手く聞き取ることはできなかった。
他の女達も一緒になって逃げ出し、ブローカーもいなくなった。けれども、玄関でずっと見ていたが、シリアは出てこなかった。
まったく…何をやっているんだ、何を…
しかめ面をしながら奥へと歩いていく。もっとも、シリアを探すためだけにわざわざ屋敷の奥に入ったわけではない。トーラムが一体どうなったのか、自分のこの目で確かめておく必要がある。
「ことによると、裏の勢力バランスが思いっきり崩れるかもしれないからな」
まとわりつくスカートをたくし上げながら歩いていると見慣れた背中を見つけた。もっとも、今はいつものラフな格好ではなく、れっきとしたメイドの装束だ。少しだけ、どきりとする。
もともとから凛々しい女だ。こういう格好をすると、いっそう凛々しさが増す気がする。
「おい…」
声をかけるが聞こえていないようで、すたすたと歩み去っていこうとする。慌てて後を追うが、どうもスカートには慣れていないので上手く追えない。やっとのことで捕まえられたときには、少々汗ばんでいた。
「あの…離してもらえませんか？」
遠慮がちにかけられる声が、彼と気がついていない証拠だ。なんとなくからかってみたくなり、わざと声を作る。
「他の人は全員逃げたって言うのに、なんで残って…」
不思議そうに彼を見た。何かを思い出しているようだ。
「早く逃げよう」
この声は上手く作れなかった。不思議そうな表情が、不審のそれに変わる。
首を傾げながら彼を見るシリアに、もう耐えられないと笑いがこみ上げそうになったとき、
「ゆ、…誘拐者！！」
耳元で怒鳴られた。ぱくぱくと口をあけたり閉めたりして、よっぽど驚いたのだろう。
「気持ちはわからんでもないが…俺だって嫌だし」
そんなことを思っていると、忘我状態から抜け出したらしく、
「あんた、なんで！？」
「何でって、お前を連れ戻しに来たんだ」
「嫌です」
きっぱり断られた。が、ここで引き下がるわけにはいかない。せっかく女装までしてこんなところにいるのだ、それなりの成果を出したい。
「いい加減に離して。人を気安く触るなって何回も言っているでしょ！」
また足を踏まれそうになったのでさっと離した。
「なあ。戻る気はないのか？」
「今私はここで働いてるの。どうせ、私がいたら心配事や厄介ごと増えるんでしょう」
そう言って主の部屋の戸を開けた。
「トーラム様、このお屋敷…」
それだけ言って止まった。白い毛のじゅうたんが赤く染まっている。それを視線で辿ると、机の上で臥したままの主。
「…！」
「…」
口を抑えて立っているシリアをそっと抑えるトミー。
「だから…他の奴らは逃げ出したんだ…」
「逃げたって…」
変わり果てた主人を見捨てて逃げたのだ。なんとなく薄情な気がしないでもない。
「どうやって…かなり警備はあるのに…」
「……銀のマイスター…」
「あ…」
ぼそりと囁かれた言葉になんとなく納得する。
「奴はどこにでもいて、どこにもいない。どんな警備もかいくぐって、依頼された仕事はやってのける…。そう、噂されてる」
「…マイスターさん…」
あの人はあの人の生きかたがあって、それが暗殺という仕事なのだ。彼女ではどうすることもできないし、どうにかする気もない。自分と違う立場…たとえば、狙うものと狙われたもので出会えば、お互いにできることをするべきだ。それが相手に対して失礼にならないことでもある。
シリアが腕の中でため息をついているとき、トミーはいささか場違いなことを考えていた。
このまま。
このまま口付けしてしまえば。
俺の思いの少しぐらいは、伝わってくれるんじゃないだろうか。
海の上では分からなかった彼女の匂い。こんなに近くにいるのも初めてだ。そっと、気づかれないようにやわらかい金髪に顔を寄せる。
「…」
しばらくその感触を楽しみ、意を決して事に及ぼうとしたとき。シリアは腕の中から抜け出した。
「…一体何の武器、使ってるんだろう」
血だまりに足を踏み入れないようにして死体に近寄っていく。行き場のない腕が、唇が、虚しく宙で止まっている。
「…ああ」
どうしようもないほどがっくりとした声でうなだれた。
「……なにかとても鋭利な…錐状？」
「シリア、一体何をやっているんだ」
「うん…」
生返事ばかりでまともに取り合おうとしない。
「あまりこんなところに居たくはないんだが」
こういう現場に居残ってもだいたい貧乏くじを引くだけだ。ただでさえ人目にあまりつきたくないのに、容疑者ともなればそうそう自由にしてもらえない。つまるところ、
「着替えられないってことか」
それは嫌だ。断じて嫌だ。
業を煮やしたトミーはスカートを引き裂き、腰に巻きつける。下にはズボンを穿いているのでそうそう見苦しくもないだろう。上着も前を裂いて、女物と分からない程度になったら前でくくる。あまり布でさっと化粧を拭くと、最初から持っていたマントを身につけながら今だ考え込んだままのシリアに近付いた。
「行くぞ！」
一言だけいって抱え上げる。そのまま全速力で走り始めた。
「ちょ、ちょっと！！」
なにかわめいているがさっさと離れてしまうに限る。今後、裏社会におこるごたごたを考えると頭がいたい。
「おーろーしーてーっ！」
「うるさい、ちょっとはおとなしくしてろ！」
頭をガンガンと叩かれるがそれでも走った。階段など降りるまでもなく、二階から一気に飛び降りるようなまねまでして見せた。さすがにそのときはシリアもおとなしく彼にしがみついていたが、また平地を走り始めるとわめき始める。
「キャーっ！キャーっ！」
大通りを走りぬけたときも騒いでいたが、通行人はなにかのパフォーマンスだと思ったらしく手を叩く始末。
やがて走り続けた彼は、リテの家に飛び込んだ。そこにはケル以下、海賊たちが数人。
「姐さん！」
「姉御！」
一体何事かと、トミーに抱えられたままリテの姿を探す。
「リテ！一体、どういうこと！？」
「聞こえてるわ。子どもが起きちゃうから、もう少し静かにして」
手を拭きながら親友が顔を出す。
「実はね、ヴァリスさんところとも、おとくいさんなの。セルバスさんとは結構付き合いも長いのよ」
「え？」
ニコニコしながら言うリテに間抜けな返答。
「あなたも大切だけど、セルバスさん、ひいてはヴァリス一家も大切。で、まあ協力するって事になって」
「…なんで言わなかったのよぉ？」
「聞かなかったからじゃない。それに、貴女がヴァリスさんのところと縁があったなんて、知らないもの」
「…そりゃそうだけど。…いつまで抱えてんのよっ！」
頭の上で怒鳴られ殴られた。涙目になりながらおとなしく降ろす。
「少しは構ってくれていいじゃないか」
口の中でもごもご言っているとケルが笑いをこらえている。
「何だ」
「キャプテン…その格好は…」
無言でリテに差し出された鏡を見ると、中途半端に落とされた化粧と乱れに乱れた鬘が、昔語りの妖女の様相を呈している。慌てて鬘を引き剥がし水汲み場に走っていった。
「…若い船長さんなのね」
「誘拐者よ。人を勝手に連れてきて」
「まあまあ。落ち着きなさいよ」
憤然と腕を組むシリアと、なぜかニコニコしているリテ。そこにトミーが戻ってきた。
「ひどい目にあった」
「キャプテン、結構似合ってましたよ。今度からその手で行きますか？」
「バカ言うな。俺は嫌だ」
手下の冗談に本気で受け答えするあたり、よっぽど懲りたのだろう。
「で、リテさん、どうもありがとうな。俺らの厄介ごとのために」
「ううん、構わないの。珍しいもの見られたし」
それがトミーの女装を示していることは、誰の目にも明らかだ。
「ま、まあいいや。じゃシリア、帰るぞ」
「いーやーだ！」
そっぽを向いて拒絶。トミーが腕を掴もうとすると、その手を逆に掴んで噛み付いた。
「いてっ！」
「まあまあ。シリア、一晩ここに泊まっていかない？」
リテが両者の間に割って入った。
「それはうれしいけど」
「じゃ、決まりね。はいはい、海賊さんたちはさっさと出て行って」
「あ、おい…」
「まあまあ」
リテの奇妙な迫力に押され、全員外に追い出されてしまった。
「キャプテンー。これからどうするんです？」
「どうするって…お前らは、船に戻れ。俺は…ここにいる」
リテの家の目の前にあった空き地を指す。
「でも」
「いいから戻れ！……明日には、俺も戻る」
「はぁ」
「セルバスにもそう伝えておいてくれ」
「分かりやした」
遠慮がちに去っていくケルたちを見送ると、空き地の目立たないところに座った。今の季節なら、一晩野外で明かしても病気にはならないだろう。
「それにしても」
ここの街はコルウィスキーの手に、完全にわたったということになる。なんだか厄介なことが起こりそうな予感がした。
「あの部屋には…誰かいた。そんな気配がした」
血まみれの部屋。一見、どこにも隠れるような場所はない。けれど、彼は誰かの気配を感じた。だからシリアを抱えて飛び出した、というのもある。
恐らく殺した本人、マイスターがいたのだろう。
「もっとも、依頼されてなきゃ他の奴は殺しゃしない、って聞いてるが」
ため息をついてリテの家の扉を眺めた。
「まだいるわよ、あの若い船長さん」
「うそ」
あからさまに嫌そうな顔をしてシリアは窓を覗く。
「なんでさっさと消えてくれないかしら」
「そんなこと言いなさんな。それだけ、必要って思ってくれてるのよ」
「どうだか。勝手に誘拐しておいて、厄介者扱いするような奴よ」
「そうなのかな。…ねえシリア。人間にとって、一番幸せなことって何だと思う？」
「え…？」
「私はね、『自分を必要としてくれる人のそばにいる』ことが、一番幸せだと思うの。フロストは私のことを必要としてくれてるから、私は今幸せなの」
「のろけられちゃった気が…」
「へへへ」
笑いながら、今リテがいったことをじっと考えるのだった。