海風に吹かれて １４
うつらうつらしていると誰かに蹴飛ばされた。
「んあ？」
まだ寝ぼけている目で相手を見上げる。
「幸せそうな顔して…。本当に船長なのかしら」
「…シリア」
「朝よ朝。気持ちいい朝」
仁王立ちをしてトミーを見下ろす。
「船に戻んなくていいの？」
「戻るけど…」
「じゃさっさと行きなさいよ」
「…お前は？」
「ケルやみんなに泣きつかれたもん。いかつい体の野郎が数人かかりで泣き落としなんかすると、こっちの神経が参っちゃう」
「そんなことしてたのか」
昨夜遅くに数名リテの家に入っていったのは知っている。自分がここにいることは向こうも知っていただろうが、お互い声を掛け合うことはしなかった。それから二時間ぐらいして戻っていったとき、一体何をしに来たのだろうと思ったのだが。
「そりゃうっとおしいだろうな」
彼は泣き落としをされたことはないが、彼の父親は一回されたことがあるといっていた。その時かなり参った様子だった。
「だからさっさと戻んなさいよ誘拐者」
「だからお前はどうするんだ」
「…降参。戻りますよ、ええ、戻ればいいんでしょ」
かなり投げやりに言葉をつむぐシリア。それを聞いて心が晴れた。
「おっし！」
勢いよく立ち上がる。
「じゃ、戻るぞ」
「待って！」
「なんだよ」
「一つ条件。もともと、あんたが私を勝手に連れてきたんだから、私は私の自由にする。だから、人を厄介者呼ばわりしないでちょうだい」
「重々心得ました、姉御」
肩をすくめながらもうれしい。ふと顔を上げると、玄関にリテが立っていた。彼の視線に気がついたようで、軽くウインクする。トミーもシリアに気が付かれないように手を上げるのだった。
「お帰りなさい、姐さん！」
ケルの力強い手に引かれ、船にあがる。しばらく見ていないうちに大分綺麗になったようだ。シリアが見つけた金貨を利用して修繕したらしい。
「じゃ、私の部屋の鍵も直ってるかな」
と、部屋に行くとちゃんと直っていた。思わずにこりとする。部屋に放り出したままの長い布をもって、何かに使えないかと思案していたらカルサートが声をかけてきた。
「おう、久しぶりだな」
「あんたもね、密航者」
「だーかーら。それは…」
何か言い募ろうとしたところ、通りがかったトミーがぽんぽんとカルサートの肩を叩いて首を横に振り、そのまま去っていった。その様子を見て渋面になる。
「…ところで、その布一体何に？」
「部屋の鍵が壊れてたから、勝手に開けられないようにってくくってたんだけど。用事なくなったから」
「まあ置いとけば？なんかに使えるんじゃないか？そんなことより、どうだった？」
「なにが」
「あいつだよ」
あごでトミーの後姿をしゃくってみせる。
「あの案、俺が発案したんだ」
「案…って、あれ？」
「そう、あれ」
思い出すたびにおかしいとばかりに笑う。つられてシリアも笑った。
「どうだった？なかなか美人だったろ？」
「…まあ…それは…」
複雑な表情でお茶を濁す。
確かに、最初見たときは彼だなんて気がつきもしなかった。少々大柄ではあるが、そういう女性なのだと思った。
「眉毛まで抜いて、すごく念入りに。あのリテさんにも協力してもらって。というか、あの人が一番面白がってやってたな。化粧道具一式を貸してくれたり、あまり布でトミーにあわせた服作ってくれたり」
「リテ…」
親友が一番楽しんでいたと聞いて、冷や汗が流れる。確かにそういう面白いことを好んでする人間だとは思ったが。
「途中までついて行った情報屋によると、今回目通りする中で一番の上玉になったとか。そのまま事が運んでいたら、面白いことになってたろうな」
「それは…」
汗を流しながら愛想笑い。少し想像してしまった。
「な？美人だろ？」
くすくす笑っている。
「仮にもあんた達、親友なんでしょう？からかっていいわけ？」
「いいんだ。そういうことをしても許しあえるような仲さ。それに、今回は成果あったし」
と、シリアを指差す。
「私？」
「そりゃそうだ。そうでないといくらなんでも、あの船長さんがそんな真似するかよ」
「…」
複雑だ。それほどまでして彼女に執着する理由はなんなんだろう。考えているうちに出港した。
深夜。久しぶりの船で、寝付けなかった。窓から差してくる月明かりを浴びながら、寝台の上でぼんやりとする。空と海の境目が分かるほど、月の光は強かった。
「…」
あの死体のことも頭にあったのだろう。少しだけ、気分が落ち込んでいた。
ため息をつくと、扉に近寄る。夜の風にでも当たってみようと思ったのだが、ノブに手をかけようとした瞬間がちゃがちゃと音がした。
「？」
不安になって少し戸からはなれる。
侵入者？
とっさに思ったが、この船に乗っているのは気心の知れた人間ばかり。あるはずはないと頭を振る。
けれどもノブは動く。どうやら、向こうから鍵を開けようとしているようだ。シリアはあたりを見回して、捨てようとしていた長い布があるのを見つけた。
「よし」
そっとノブに巻きつけ、限界まで引っ張ってからベッドにくくりつける。外に開く扉なので、これで開けようがなくなるだろう。とどめとばかりに、ベッドの上にそっと乗った。
しばらく扉の向こうで悪戦苦闘しているようだったが、やがて気配が消えた。ゆっくりと布を取り、扉を開けてみるがそこには誰もいない。ただ、甲板を冴えた光が照らし出していた。
「多分…この間鍵が壊れてたのも、さっきの奴のせいね」
このことをトミーに言うが、彼は知らないといった。他の仲間たちも一緒だ。
「一体なんなのよ」
こんなことは初めてだ。
「たまんないわね」
ため息をつく。この間からため息ばかりついている気が、しないでもない。いや、ため息ばかりだ。なんという生活だろう。心の中で彼女は嘆くのだった。
「…ま、気のせいよね。気のせい」
そう言い聞かせたが、その後二日続けて同じ事が起こった。万が一のために布で引っ張っておいたのが幸いだ。
鍵穴に何か細長い物を突っ込んであける。泥棒の常套手段だ。
「この船に泥棒？」
それを聞いていたトミーが、珍しく不満そうに言い返す。
「まさか。陸に上がればどんなに荒い奴らでも、航海中は自分達で決めた規則に従ってる。それは俺が保障するぞ」
「そうだとしても」
「…しかし…」
「もういいよ」
この男はあてにできない。ならば自分で正体を確かめるのみ。
「お、おい」
トミーが呼ぶ声にも振り返らず、甲板の掃除に行くのだった。
この夜も、懲りずにやってきた。いつもと違うのは、布で巻いていないことだ。扉は開き、侵入者が部屋を見渡す。寝台を見つけてそれに近寄り、相手がよく眠っているのを確かめてそのシーツを剥ぎ取る…。
「うぉらっ！！」
突然、寝ているはずの女が動いた。侵入者はシーツに巻かれてもごもごともがいている。
「一体何をしてやがる」
「あえ？その声…」
シーツから顔を出したのはカルサートだ。
「トミぃー！？」
「あ？お前…一体何やってんだよ」
「それはこっちのせりふだ」
「お前、そんなにえらそうにいえる立場じゃねぇんだぞ？」
明らかに不機嫌なトミーの声にびくっとする。この男を怒らせるとろくでもない目にあう。
「いや…その…シリアは？」
「…」
詩人の首根っこを捕まえて引きずりながら、船長室に向かった。
「シリア、犯人はこいつだ」
「密航者！？」
「何でこんなとこにいるんだよ！？」
三人が三人とも違う反応をしたので一瞬しらけた間が入り込む。始めにしゃべったのはトミーだった。
「こいつがなんか変だって言うから、俺と交換したんだ、部屋。俺も、船の責任者だしな。そんな妙な輩をちゃんと確認したかった」
「そういうわけ。でもあんた、一体なんで？もしかしてこの前鍵が壊れてたのもあんた？」
問いかけに黙ったままだが、シリアの無言の圧力に押されて頷いた。
「さあカルス。一体どういうことなんだ？ことと次第によっちゃ無人島に放り出すぞ」
「いや…霊薬作る材料を…」
「材料？一体何さ」
「それが…その…」
次第に声が小さくなる。必然的に二人もカルサートに近寄った。それでも聞こえない。
「一体なんなんだよ、はっきり言え！」
「………」
トミーがいらだって声を荒げた。仕方がないなというように呟く。
「…」
またその場をしらけた間が支配した。トミーとシリアは目が点になっている。
「…は？」
「…正気か？」
「正気だ」
『……』
シリアは肩を落とし、トミーは頭を振る。
「お前なぁ。乙女の…って、とにかく！そんなもんのためにシリアの部屋に忍び込もうとしたのか？」
「ああ」
「ああ、じゃねーよ！」
拳骨で思いっきり親友の頭を叩くが、どうもあまり効いていないようだ。
「だって、多分直接言ったってもらえないだろ？」
「当たり前よ！」
真赤になりながら否定する。
「だから忍び込んだんだ」
『威張るなっ！』
二人同時に殴った。
「まったく…何を考えてるんだ何を…」
「…大体、どうして私がそうだって、わかるのよ」
「だって、お前男に縁なさそうだし」
無言で近くにあった携帯用羅針盤を投げつけた。そっぽを向きながらぼそりという。
「…綺麗事ばっかりじゃ、今まで生きてこられなかったわよ」
「シリア…」
幼い頃親に死に別れ、それから一体どういう人生を送ってきたのか。シリアは何も語りはしないが、想像するには難くない。
ま、そんなに綺麗には、生きてこられるはずもない、か。
部屋を出て行く女を見ながらトミーはそんなことを思った。
「でだ…」
「…なんでせうその目は」
「分かってるよな？…俺たちの決まりごとの中にこういうのがある。人の空間を…」
「…邪魔するな、ってやつですか、キャプテン？」
冷や汗を流しながら答えるカルサートに笑いかける。
「そうだ。よくできました。分かってるんじゃねぇか」
「そりゃあ…一応この船に乗せていただいているわけだし…」
「じゃ、その後にくるのもわかってるよな？」
「…へい」
がくりと頭を垂れる。トミーはまた首根っこを掴んで甲板に引きずり出した。手際よくミズンマストにロープをかけ、当たり前のようにカルサートを縛り上げた。
「というわけで頭冷やして来い」
「へーい」
あきらめたように答えた瞬間、彼は空高く引き上げられていくのだった。
「まったく…」
あきれ過ぎて疲れてしまった。あたりを見回すとシリアが後部甲板に立っている。
「……なあ」
「ん？」
「オーウェルは、そのこと知ってたのか？」
「私は、隠し事苦手だからそう言った。…それでもいいって、言ってくれた」
トミーの横をすり抜けて部屋に行ってしまった。後に残された男は蒼い首飾りを握り締める。
「…嫉妬、だなこりゃ」
少々もてあまし気味の気持ちを抱えて彼も部屋に戻った。後には、蓑虫のごとく揺れる男の影ばかり…。