海風に吹かれて １７
やまない雨。他のメンバーは家に戻ったりなんだかんだで現在は散り散り。トミーはセルバスと今後どうするかと悩み、カルサートは相変わらず店で歌っている。
シリアはすることもなく街を歩いていたが、人々の視線がひどく痛かった。気のせいだと思いたい。けれど、自分が原因で、この街を狙う理由ができてしまったかもしれないと思うと、どうしても人のいるところにはいたくなかった。彷徨い、街外れの森へと入る。
森とはいうがそんなに大きくはない。少しいけば湖が広がっていた。木陰の、そんなにぬれていないところを見つけて座った。何もいわず、ため息もつかず彼女は水を見つめる。
どれくらいそうしていただろうか。
「風邪…引きますよ」
やさしげな、涼やかな女の声。その声から想像ができる女がそこに立っていた。
「あ…大丈夫です。これ、結構しっかりした布地なんで…」
肩にかけていた、トミーから借りたままのマントを引き寄せる。
「そう…ですか？…」
女も座った。シリアは少し心が痛い。
「以前、キャプテンと一緒にうちに来ましたよね？…ええと、シリアさん、でしたか」
無言で頷く。エリザはかまわず続けた。
「…長く伸ばせばきっときれい。なぜ短いまま？」
シリアぐらいの年の女ならば髪は長く、高くそれを結い上げるのが常だった。わざと男のような格好をしている遊女もいたが、ほとんどは長いものだと決めてかかっているようなところがある。
髪に手をやられ、内心は振り払いたくてたまらなかったが耐えた。
「…邪魔だったから…船には」
「船乗り…？珍しいのね」
「…」
「どうして？」
「悪気はないのだろう。そんなことはわかっている。けれど、皮肉だ。
「あんたは私の恋人を奪ったんだ！」
そういいたい。叫びたい。けれども、そんなことをいったところでいたずらにこの家庭を乱れさせるだけだ。自分も乱れるだけ。なにより、オーウェルはシリアのことを覚えていない。
「…人を探して…」
「…恋人？」
シリアは反応しなかったが、その雰囲気から肯定だと知ったエリザ。そして、まだその人は見つかっていないのだということも。しかし、彼女の沈黙の、もっと奥深くまでを理解するには至らない。
「キャプテンに無理につれてこられたんでしょう。あの人は基本はいい人ですけど、ちょっとだけ強引で、何を考えているのかわからない時があります」
「そうですね」
「でも、あの人が私とオーウェルを引き合わせてくれた。そのことには感謝してますけど」
「…」
血を流す心を抑えながら必死で笑った。ほかに何ができるだろう。何と言えるだろう。
「私の家に来ませんか？お茶ぐらい、ご馳走します。すぐ近くですから」
いわれてみればいつか見た家がある。だから、エリザが彼女を見つけたのだろう。
エリザの家。エリザと…オーウェルの家。そんな家に入って、私は平常心でいられるだろうか。
「キャプテン…少しいいですか？」
街の中心。少しだけ大き目の造りの建物が、現副長セルバスの家だった。もともとはトミーの家だが、彼には家族がいないので潔く副長に譲ったのだ。現在、彼はカルサートとともに居候という形で住まわせてもらっていた。
「オーウェル？」
めったにこんなところにこない男がいる。なんとなくいやな予感。
「エリザが…いないんです」
「いないって…まだ夕方だ。どこかに買い物にでも」
「子どももおいたまま、ですか？」
「うーん…」
心当たりをあたってもだめ。よく家族で散歩する湖で、妻のショールと赤い地のマントを見つけたという。
「こいつは…俺がシリアに貸した…」
差し出されたそれは紛れもなくかれのもの。そばにいた手下に耳打ちする。
しばらくして戻ってきた手下は渋い顔をして頭を振った。
「キャプテン…」
心配しきっているオーウェル。
「もしかして、あの人が私のエリザを…」
「馬鹿なことを言うな！…いくら妙なうわさが立ったからって…あいつはそんなことしない！」
彼女が持っていた茶器がコルウィスキーの所有物であることはもうすでに広まっていた。そして、誰が言ったのか、それをめぐって奴らが攻めてくるとも。まったくたまったものではない。態度には出さないが、シリアがそれをかなり気にしているのは知っている。だからこの家に今いないのだろうとも思う。
「絶対に、絶対にだ！」
妻を思うあまりシリアを疑うオーウェルにトミーはいらだった。
あいつはお前を信じてた。信じて、船に乗った。なのに、こんなのは哀しい。
「しかし現に！」
証拠だとばかりにショールとマントを出す。
「馬鹿野郎！」
セルバスが、オーウェルにつかみかかろうとするトミーをとめた。が、その手を振り解いて、トミーの拳がオーウェルの顔面を捉える直前。場に合わない冷めた声がかけられた。
「取り込み中失礼する」
「！」
背の高い銀髪の男。腕には気絶したままの女を抱えている。表情はめがねの奥に隠れてわからない。
「殺し屋マイスターか…？一体何の用だ！貴様の親父からの、宣戦布告でも持ってきたか！」
声を荒げるトミーとは対照的に冷静すぎる声が返ってきた。
「依頼を受けた。彼女を、彼女の夫の元へ、と」
「エリザっ！」
マイスターの腕から女を奪い取るオーウェル。彼の妻だ。
「エリザ、…エリザ！」
「オーウェル…」
夫の呼びかけにそっと目を開くエリザ。微笑んで、また気を失う。
抱き合う夫婦をよそにトミーはマイスターをにらんだ。
「誰が貴様に依頼を？」
「夫に伝言を、預かってきた」
トミーの問いに答えず自分のペースを貫くマイスター。それが腹立たしい。
「どうか、互いの手を離さないで、幸せになってくれと。…確かに伝えた」
そのままきびすを返して去ろうとする男をトミーは追った。
「マイスター！あんたに依頼したのは！？」
「…金の髪に深い蒼…凛々しい女性だ」
「…シリアか！？」
黙って頷く。
「私はまだ、依頼料を受け取っていない」
そのまま玄関に向かった。
「セルバス、ちょっとあける！」
自分の部屋に飛び込み、愛用の大剣を持ち出して背負い、マイスターの後を追った。
玄関を出て殺し屋の姿を探す。彼についていけばシリアの元にたどり着けるはずだ。銀を認め、彼は走った。
「…」
「…」
「…あんた…殺し以外も受けるんだな」
「時と場合による」
マイスターがその屋敷に行ったとき、まさに彼女とエリザが屋敷に連れてこられたところだった。数回男たちに暴行を受けたのか、二人はぼろぼろになっている。
『この人にはこれ以上手を出さないで！その代わり私が全部受ける！』
叫び、エリザの代わりに男たちのもとに連れて行かれるとき、マイスターと目が合った。これから起こることはわかっているだろうのに、それまでされてきたこともあるだろうのに、それでも彼女の瞳には、初めて彼と会った時と同じように光が宿っていた。
『マイスターさん…依頼したいの！』
彼女をつかむ男を振り払って彼に駆け寄り、ささやく。
『あの人を…夫のもとへ。お願い』
『…』
『依頼料は…後払いでいい？今の私には何もないけれど、必ず、必ず払うから！』
『…承知』
聞こえたのだろう。男に引きずられる彼女は、マイスターに向かって微笑んだのだから。
受ける気などなかったのだ。けれど、その状況でどうして断れよう。その身を省みず、他人を思うことができる心。自分が代わりに傷つくからほかの人は傷つけたくない。遠い昔の彼も、そうだった。
「たいした人だ」
「何かいったか？」
「あの女性は、たいした人だと」
「…ふうん。あんたもそんなことを思うんだ」
傍らを歩く男が妙に殺気立った声で返した。
霧になった外を二人は進んだ。やがて街道に入り、かなり進んだところで古びた屋敷が見えてくる。マイスターは何も言わずにドアに手をやった。と、数人の男たちが彼らを囲む。
「マイスターさんかい。…そのお連れは？」
「おっと、妙なまねはやめてくれよ。おとなしくしてくれてたら、それなりの理由ぐらい聞いてやる」
トミーはマイスターにささやく。
「こいつらは？」
「トーラムの手下だ」
「トーラムって…スマロックの街を仕切ってた…」
トーラムは、目の前にいるこの男に殺されたはず。それはトミー自身が見ている。シリアが働いていた屋敷こそが、トーラムのものだった。
「でも奴は」
「プルファンについた、元トーラムの手下だ」
「テバと対立してた、あんたの親父の色女プルファン…か」
「何をごちゃごちゃ言ってるんだ！」
痺れを切らし、声を荒げる。
「私は用事がある。この男に用があるなら、勝手に直接聞けばいい」
冷淡に突き放してさっさと中に入ってしまった。
「やれやれ」
残されたトミーは肩をすくめ、担いでいた大剣をおろす。
「俺はここに女がとらわれているってんで来た。俺の女だ。返してもらう」
「女がいない！」
屋敷の中では大騒ぎになっていた。捕らえていたはずのもう一人の女が、いつの間にかいなくなっていたのだ。総出で探しはじめ、シリアの見張りに付いていた男もいなくなった。
「今しかない」
思い出したくない暴行を繰り返され、体は疲れ切っている。おそらく数度気を失ってもいただろう。けれど、今動かなくては。その思いだけが彼女を動かしていた。
手を縛っている紐をなんとか噛みちぎり、お情けでしかれていた布を、痣や怪我だらけになってしまった体に巻き付ける。あまりほめられた姿ではないが、今更言っても仕方がない。
「さあ行くわよ…」
助走をつけて戸に体当たりをすると、古い扉はひっくり返ってしまった。すぐさま飛び出し、連れてこられた道を辿っていく。
「えっ…？」
突然めまいがした。息をどれだけ吸っても肺が大きくならない、そんな感じがする。
「どうして」
視界が揺れて立っていられなくなり、その場にしゃがみ込んで息が整うのを待つ。ここで座っている場合ではないが、体が動かない。
体力には自信があった。どんなにひどいコンディションであっても、こんなにくらくらすることはなかったのに。
「逃がすわけにはいかない。せっかくの商品だ」
中年の女が立っていた。
「そんなカッコで逃げようってのも、いい根性だけどね。こういうこともあろうかと思って、あんたの肺に穴、あけさせて貰ったよ」
そう言って長い長い鍼をちらつかせる。
背中の筋肉は薄い。そういう技術を持った人間なら、痛点をよけて鍼を入れ、易々と肺に穴をあけることができるという。両方に穴をあけられた人間が激しく動けば、酸欠で倒れるのも無理はない。
「もっと休んどきな。一週間は逃げようなんて考えても、走れないよ。どうせその頃には、この世界から抜けられなくなってる」
女、プルファンの声を聞きながら、何故マイスターが現れたのか何となく理解した。彼ならば、痛みを感じさせずに肺に穴をあけることなど造作もないだろう。
「でも」
彼女の依頼は果たしてくれた。きっと、エリザは無事にオーウェルの元に戻っただろう。かつての恋人の笑顔が浮かぶ。
「そこの見張り！このおネェちゃんを、もとの部屋に戻しな」
通り過ぎようとした手下に命じた。
「丁寧に、だよ」
「へい」
下卑た笑い。中年女がいなくなると男はシリアの腕を掴み、もといた部屋に引きずっていった。