海風に吹かれて １９
暇つぶしを兼ねてシリアはいつか難破船から持ち帰った航海日誌を見ていた。カルサートがまだ持っていてくれたのだ。目を覚ましてぼんやりしていたらもってきてくれた。
「あれ…？」
最後のページには某国の船が見えたと書かれていた。
「ってことは、海賊船に襲われた？」
海賊達も旗は使う。だが、カモフラージュのため、各国の旗を勝手に掲げているのが常だ。そして、獲物が逃げられないような位置にまで近付いたとき、その正体をあかす。
「オーウェルも、海賊に襲われたんだ…」
どこの海賊かはわからないが、同じ海賊に拾われるなんて皮肉なことだ。
「私も…似た様なもの…って、ええっ！？」
不安になっているところに地震が来た。思わずシーツを頭からかぶった。しばらくそうしているとやっと収まったので顔を出す。
「ふー…この部屋は被害なくてよかった…」
窓が割れるでもなく、何かが落ちるでもなく。もっとも、この部屋には落ちてくるようなものはない。窓の下のベッドと簡素なテーブル、その上に乗っているランプが調度品。着替えなどはミータからいくつか籠を借りて、その中に振り分けている。
「まちがっても女の部屋じゃないわよね…」
あまりの殺風景さに肩をすくめた。
「あれ？誘拐者と密航者は？…セルバスさんもいない」
「ああ、三人ともラボの片付けさ」
ミータと差し向かいで食事をしている。
「ラボって…錬金術？」
「そうそう。この街からちょっと離れたところに建ててるんだけど…。それでも風の向きによったら異臭が漂ってくるときあるから気をつけないといけないんだけどね。カルスちゃんがね、またなんか爆発させたみたいで…。ほら、今日地震あったろ？あれだよ」
「はぁ」
スープを口に運びながら困った顔。
「カルスちゃんも、あれさえなければ悪い子じゃないんだけどね」
「なんていうか…懲りない奴」
「そうだねぇ。どうせ船でも無茶やってるんでしょう。…でもね、悪く思わないで。何かに熱中できるものがあるのは幸せなんだから。みんなそれを知ってるから、文句言わないんだ」
「そんなもんですか」
「そういうもんだよ。…どうしたの？口に合わないかしら？」
頭を振ってまた食べ始めた。そうこうするうちに男達がどやどやと戻ってくる。
「まったく…人騒がせにもほどがある」
「んなこといったって、材料に聞いてくれ。俺はちゃんと合わせたんだ」
「二人とも、食事時にまで喧嘩しないでくださいよ」
言い合う二人と、やれやれといった表情のセルバス。やがて彼は仲裁をあきらめて、愛妻の手料理の方に意識を集中した。ふと顔をあげてシリアに笑いかける。
「ところで姐さん、もう体の方は？」
「あ、もう大分よくなってます。ミータさんの看護がよくって」
「うれしいこといってくれるね」
まんざらでもないセルバス。
「あたしもちょっとうれしいな。大体他の野郎たちを看護しても、それが当たり前みたいに威張ってるんだから」
「おや、こちらに飛び火したか」
笑いながら夫を見るミータに、セルバスは苦笑した。その様子が、かつてのシリアの父母と重なる。
「…ごめんなさい。ちょっともう…おなかいっぱい…」
「…そう？まだ本調子じゃないものね。残りは後で部屋に持っていくから、先におやすみ」
何も聞かない優しさがうれしかった。潤みそうになる目を隠しながらそそくさと部屋に戻り、横になる。
父に会いたい。母に会いたい。叶わぬ望みなれど、消すことのできない望み。普段は押し隠そうとも、ちょっとした拍子に心の底から上がってくる。先ほどのように幸せな風景を見たときは。そんなときには一人になるに限る。一人でひっそりと涙を流し、次には何事もなかったかのように笑うのだ。
「ところでさ、いつもの情報屋の名前、なんていったっけ？」
「お？」
突拍子もなく聞いてくるカルサートに目をやる。
「情報屋」
「ユエだけど」
「そうそう、そんな名前の奴が夜逃げしたって」
「なんだって？」
「なんでも、コルウィスキーににらまれたらしい。まさかとは思うけど、一応確認しておいた方がいいんじゃないか？」
「そうだな」
あごに手を当てながら考え込む。ふと思い出したように顔をあげた。
「なんでおまえ、んなこと知ってるんだ？」
「俺には俺のルートがある」
「なるほどね」
納得しながら部下に指示した。なんとなく、嫌な予感。
「…どうしたんです、キャプテン？」
「いや…なんでもない」
いまのところ静かだが、コルウィスキーはこの街を狙っているはず。街道はずれにプルファンのアジトがあったのは、その前哨戦だろう。そしてあの茶器。
「一体誰がおいたんだ…誰なんだ…？」
あまり考えたくはないが、密通者がいるのかもしれない。クリスタルダイヴには常に人がいて、乗り込んできたらすぐわかる。船底に何か置こうと思っても、ほぼ不可能。
「セルバス…」
「はい？」
「明日から、街の奴ら避難させるぞ」
「…わかりました」
長い付き合いになる副長は、彼が言いたいことがすぐ理解できた。食卓に緊張が走る。
「ついに、来たってところか」
「…なあカルス、お前、どこかいい避難場所しらねぇか？」
「そうだな…」
カルサートの案を聞きながらなぜかシリアのことを思った。
突然の避難勧告に、それでも住民はおとなしく従った。なんとなくそんな空気が、しばらく前から漂っていたからだ。
ついに来た。
そういう声が小さく聞こえてくる。それを感じながら、シリアは港に立った。
「…私のせい？」
顔をしかめ波に揺れる船を見る。
「こんなところにいたのか。お前も早く行け」
「…闘う」
「あ？」
振り返り、厳しい表情でトミーをみた。
「私も、闘う。…街の人たちとは、いられないから」
「……好きにしな」
そのまま彼は近くの酒場に入っていく。なおもシリアはその場に立ったままだ。そこに、もう逃げたはずのエリザの姿。必死で走ってきたようで、肩で息をしている。
「一体どうしたんで」
「返して！！」
シリアが言い終わる前に半狂乱の叫びが打ち消した。
「…え」
「オーウェルの心…返して！」
「なに…オーウェル…？」
事態が把握できない。詳しく問いただそうにも泣き叫び、手がつけられない。
「どうしたんだ？」
騒ぎを聞いてトミーが戻ってきた。
「私にも…」
「エリザ、どうしたんだよ？」
トミーが肩を震わせて泣いている女を向き直らせる。
「…オーウェル…記憶戻った…あの人の心、私にもうない！」
「記憶が…」
「戻った…！」
何故こんなときに。どうして。
「貴女かいなければ、貴女がここに来なければ！私は…私とオーウェルは幸せに…暮らせたのに！！」
すさまじい形相でねめつけられ、思わず目を伏せた。
「私…」
シリアがなにか口を開きかけたところ、先日使いに出した部下が息を切らして戻ってきた。
「どうした？」
「ユエが、殺られてました！」
「！」
緊張がピークに達する。
「…なんだと」
「どうやら…奴らの縄張りに引っかかるような情報を勝手に流して…制裁、のようです」
「…ものすごく嫌な予感がするんだがな」
「へぇ」
「その情報流した相手って…」
「…お察しの通りです」
「…やっぱり」
おもいっきり頭を掻き、天を仰ぐ。確定だ。近いうち、コルウィスキーがここに攻めてくる。自分達の縄張りに手を出した、という名目で。
「ってことは…ユエの野郎が馬鹿な情報流さなけりゃ…」
「確かに。けど、もう文句を言える相手は地獄に落ちてますぜ」
「…文句言いに、地獄に行くとするか」
息を吐きながらシリアの方に向き直った。
「戦う気か？」
即座に頷く。
「死んでしまえばいい！」
エリザは呪詛の言葉をシリアに投げつけ続けた。それでもシリアは黙って耐えた。
「いい加減にしろ…」
「いいから」
その様子に見かねたトミーが女を止めようとしたが、シリアに止められた。悲しそうな顔で首を横に振る。
「…」
エリザのビンタを受けながら、それでもシリアは立っていた。やがて疲れ果て、その場で啜り泣きをはじめる。
「…エリザ。お前の家族はどこだ？連れて行ってやる」
「この人が…壊した…」
「お前の家族は、そんな程度で壊れるぐらいはかないものだったのか…？子どもまで、偽りだったのか…？」
優しい物言いだが、その言葉の裏には強い非難と正しい理屈。しばらく迷っていたものの、結局彼女はトミーに連れられて街の方に消えていった。
「……痛かった、な」
「姐さん…」
おろおろしながら様子を見守っていた海賊が遠慮がちに声をかける。
「…大丈夫、ですかね？」
「うん。私は、大丈夫…」
潮風を受けながら、記憶が戻ったというオーウェルのことを思った。
「…おもいだして、くれた」
会いにいきたい。彼にみつめてもらいたい。私だけを。
「けど」
痛む頬に手をやる。
「今は、エリザさんの方があの人を愛している」
この痛みはそのまま、エリザが受けた心の痛みだ。自分を愛していてくれた人が、突然他の女のことを思い出して…。省みられなくなる。さぞ、痛いだろう。
エリザの事を抜きにしたとしても、不思議なことにあまりなんの感情も湧かなかった。初めて船に乗ることになった時の想いはもはや遠く、長期の別離はその間に不思議な距離を作ってしまっていたのだ。
「…この戦いが終わったら」
私はここにいてはいけない。ここには、いられない。