海風に吹かれて ２０
「街道への門は全て封鎖。ごく一部の人間以外、全員避難しましたぜ」
「わかった。船はどうした？」
「目立たない入り江に」
満足そうに、けれど神妙に頷いて報告に来た海賊を見た。これで、進入は山越えか海からになる。おそらく、という憶測ではあったが。不安がないわけではないが、彼らは港にいた。ここが一番開けているだけに、一番攻められやすい。
「あの船がなけりゃ生活できなくなるもんな」
「そうだな。…おいカルス、何でお前もここにいるんだ？闘いは無関係だって、いつも言ってたじゃねぇか」
「そんなつれねぇ事言うなよ。こんな正念場で逃げられるほど、俺は腐っちゃいない」
じっと親友の顔を見た。いつだって人を巻き込んでは騒動を起こし続けた幼馴染だ。けれど、彼は彼なりにこの街を愛している。
「自分の身は、自分で守れよ」
「わかってるさ、船長」
お互いににやりと笑う。そして、その視線は同時に埠頭に立つ女のもとに。
「…あいつ、死ぬ気かな」
「縁起でもない事いうな」
「でも。そんな決意が見えるぞ」
「…」
人を近寄らせない空気がシリアからは出ていた。数日前から誰とも口をきいていない。食事すら、しているのかも危うい。
「エリザの件が堪えてるんだろ？」
「だろうな」
いま彼女がどういう心境なのか、想像はできるがはっきりと知ることはない。見守ることしか出来ないもどかしさが、二人を支配していた。
「他の奴らは？」
「所定の位置に」
「わかった。俺も動こう」
長剣を担ぎ物見塔まで歩く。見張りが緊張した面持ちであたりを警戒している。
「どうだ？」
「今のところ変化はなし。ただ…なんとなく空気が変わってきましたね」
「…そうだな」
ぴりぴりとした空気。ひっそりと静まり返った街が、極度の緊張状態を助長する。
「近いぞ」
「わかってます」
街角を彷徨う女。
「…憎い…返して……」
泣きはらした目は赤く、焦点が合っていない。
『綺麗な体であろうとなかろうと、エリザであることには変わりないよ…』
それはきっかけ。かつて、同じような言葉を別の女にも投げかけていた。そして、妻を命がけで逃がした女の存在。その名前は？
「…あの人が、いなければいい…」
足取りは軽やかとは言いがたい。しかし、確実に近付いていた。
ふらつきながらエリザが歩いていると誰かにぶつかった。少しだけ視線を向け、目的の人間でないことを見て取るとまた歩き始める。ぶつかった人間は、じっとその後姿を見守った。
「……あのときの」
どうやってかは知らないが、この街に入り込んでいたマイスターだ。ふらふらと歩く女が、この間自分がこの街につれて来た女だということに気がつく。けれどもそれは一瞬だけ。すぐに彼は、彼に課せられた仕事をしに行った。
決戦前の静かな時間。物見塔の片隅で、長剣を抱えてトミーは目を閉じていた。もちろん眠っているわけではない。張り詰めた空気が乱れる瞬間。それが、始まりだということを知っている。こうして全神経を集中して、その瞬間を待つ。
長い、長い時間のあと。
「！」
かっと見開かれる紫の目。直後に街から火の手が上がる。
「なんだと！？」
街に炎。門が破られたか、内通者がいたか。自分の甘さに舌打ちした。
「私が行く！」
下からシリアが叫んだ。
「とりあえず門を！」
届いたかどうかはわからないが、彼も叫び返す。後を振り返らずに彼女は駆けた。
門に立っていた見張りの姿は見えない。しかし、肉の焼ける匂いがその末路を物語っていた。
「…くっ…」
開け放たれた門からはすでに敵が侵入しており、すさまじい殺気を放ちながら彼女に飛び掛ってくる。間一髪でそれを避け、細身の剣を引き抜いた。
「殺したくない。でも、…でも！」
自分が殺される。
死んだっていいと思っている自分がいる。けれど、もしかしたらこれは自分が招いたこと。それの後始末もせず、安らぎを得るわけにはいかないのだ。
煙に喉や目をやられながら剣を振るい続けた。返り血を浴び、刀身は真っ赤に染まる。幾度屠っただろう。幾度、剣を落としそうになっただろう。駆けつけた応援の男たちとともに必死で闘う彼女は、自分に降りかかった理不尽全てを剣に込めた。
「あっ！エリザさんっ！！」
倒れた人間の合間に女。駆け寄り、その焦点のあっていない瞳に驚いた。
「どうしてこんなところに！？早く、早く避難を！」
しかし、街の人間が逃げたところに連れて行けばよい道案内になってしまう。それならば、だれか安心できる人間の下へ。
「付いてこられる？行くよっ！」
手を引いて駆け出そうとした瞬間、地面が激しく揺れた。何事かと考えていたが、銀髪の男がこちらに向かってくるのが見えたのでやめた。
「…」
「…」
双方ともに無言。シリアはここがこうなってしまった理由をはっきりと理解した。つまりは、彼なのだ。冷たい表情で愛用の錐をシリアに向ける。
「勝てるかな？」
相手は凄腕の暗殺者だ。しかも、こちらはエリザを守らなくてはならない。ならばこの場から逃げるのみ。
恋敵の手を掴み走り出す。その後からマイスターも追ってくる。足に自信がそんなにあるわけではない。追いつかれるのは時間の問題だ。手近な建物にでも飛び込んで上手くやり過ごそうと、教会に飛び込んだ。
「しまった！」
失敗だ。上の、鐘突き堂に行く道しかない。けれど後にはもう戻れない。エリザを押しながら狭い階段を登った。どこからか煙が舞い込み、涙を流しながら上に行く。
そのまま行けば行き止まりなのはわかっている。シリアは鐘突き堂から屋根に移ろうと考えたのだ。
「大丈夫？」
「…ええ…」
か細い声で返してくるのに、少し安心した。出会ってからいままで、一言も口をきいてくれなかったのだ。
「貴女が死んだら、あの人が哀しむ」
「……」
心からの言葉。それは、エリザにもわかった。絶体絶命のこの瞬間、こうも他人を思いやれるのは相違ない。しかし、それでも彼女の心に宿った殺意を消すには至らなかった。
「気をつけて…」
人間、追い詰められたらなんでも出来るものだ。普段なら教会の屋根を渡り、他の家に飛び移るなど決して出来ない。しかし、今はいとも簡単に出来てしまう。
「これが…生き延びようとする力」
少し感動したが、そんなものに浸っている余裕はなかった。どう回ってきたのか、進行方向にはマイスターが立っている。
「…！」
「…」
エリザがシリアにしがみついてくる。
「…どうしても、やらなきゃならない、のね」
「…私の、仕事だ。街の人間は、皆殺しにせよと」
納めていた剣を抜く。相変わらず炎はあちこちで上がり、明らかに有害な煙が吐き出されている。そんな中、不安定な足場の上で二人は対峙した。
「…思い出したよ、マイスターさん」
「…」
「私の両親。…あなただったね」
炎に巻かれる直前、幼い少年を見た。自分と同じぐらいの、銀色の髪をした、とても冷酷そうな、そしてとても寂しそうな少年だった。手には血塗られた短剣。
「そんなことも、あったやもしれぬ」
戯言はそれだけかと言うように暗殺者は突きを繰り出してくる。ぎりぎりのラインでよけたが、髪が幾本か切れて飛んだ。
「べ、べつに、うらんでいってるわけじゃない。それが、仕事でしょうから…」
「そうだな」
狭い屋根の上で続く攻防。足を払おうとすれば飛び上がり、叩き落そうとすれば避ける。見事な動線を描きながら二人は戦った。彼にとって普段であればてこずる相手ではない。けれど、足元の不安定さが技のキレを少し奪っていた。シリアにとっては僥倖である。
「誰が、あなたに依頼を？」
「知って、どうする？」
「…」
知ってどうする。どうしようとした？今更、両親はもどらない。
視界の端で、エリザが動くのが見えた。
「エリザさん！？」
マイスターからの注意がそれる。それを見逃す彼ではない。利き腕を蹴り上げ、手から離れた剣は彼の手に。
身を守る手段を無くしてしまったが、それでも構えた。エリザの動きも気になるが、目の前の脅威の方が気になる。
「…さようなら、だ」
彼の腕が動くのと、エリザがシリアを突き飛ばすのが同時だった。突然のことに驚いてバランスを完全に失ったシリアは、同じく驚いていたマイスターに体当たりをする恰好になる。けれど、壁があればよかったがそんなものはない。二人は転がって、くずれ落ちた屋根の穴に落ちる。
「あ…はは。これで、オーウェル…私にもどって…」
調子外れの笑いを繰り返すうち、屋根に乗っていた石に足を取られ、彼女自身も転がり落ちる。シリアが落ちた穴と同じ穴に向かって。
「！」
必死で手を伸ばし、端を掴む。みれば、シリアが近くで同じように端を掴んでいた。
「そんなに…そんなに私が憎かった？」
煤で真っ黒の顔で泣く。蹴り飛ばされて痛む利き腕を押さえ、滑りそうになる手を必死でつなぎとめながら。
どうやらマイスターは下に落ちることを選んだようだった。下はすでに火が回っている。けれど、彼がそんな程度でどうにかなるわけはない。中途半端に残るより、そちらの選択が良かったとシリアは後悔した。
「憎い…でも、もう…」
このままでは二人そろって下の火の海に消えてしまう。手はもうしびれ、限界が近い。
「エリザーっ！！」
幻聴か。オーウェルの、声。二人はハッとして顔をあげる。
『オーウェル！』
彼女たちはあらん限りの声で叫んだ。幻聴でもいい。幻覚でもいい。あの人に、会いたい。その気持ちしかなかった。
「ここかっ！？」
屋根の上に一人の男。女達が焦がれて、焦がれ続けた男。
「オー…ウェル…」
「シリア…さん」
どんな表情をしているのかはわからない。無意識のうちに手を伸ばす。しかし、非情にもその瞬間屋根が少し崩れた。支えを失った二人は手を伸ばしながら火に向かって落ちていく。とっさにオーウェルが伸ばした手の先には、エリザ。
「…」
一筋の躊躇もなく妻に伸ばされた手。それが、彼の答えだ。いや、彼女はその答えを知っていた。家族で笑う姿をはじめて見たときから、彼の答えはきっとこうだろうと。
めぐり合えた手を、離さないで。
そう願いながら、シリアは落ちた。