海風に吹かれて ２２
熱さで揺らいで見える視界の中、屋根の上にいる人間が見えた。
「エリザ！」
「シリア！」
二人はそれぞれの女の名を呼ぶ。しかし、炎の音にかき消され届かない。
「オーウェル、ここから上がれるぞ！」
入り口を見つけ、入ろうとした直後にシリアがマイスターとともに屋根を転がり落ちた。
「！」
考えるより先に体が動いた。オーウェルは屋根に登ろうと動き、トミーはシリアが落ちてくると思われる場所へ。
「エリザーっ！」
屋根に登ったはいいが、肝心のエリザの姿が見えない。
「どこだーっ！」
あらん限りの声を出して探す。
『オーウェル！』
二人の女の声が同時に聞こえてきた。そちらに向かうと、シリアとエリザが必死にしがみついている。
「シリア…さん」
「…」
なにかシリアが言っている様だが聞こえない。手を伸ばしてきた。が、その瞬間に崩れる屋根。とっさに伸ばした手はエリザを掴んでいた。
「エリザ！」
引き上げ、シリアが落ちていった穴を見る。煙が充満していて良くわからない。
「オーウェル…」
「お前を助けるだけで…精一杯だった」
震える声で謝るエリザをきつく抱きしめる。下にはキャプテンがいたはずだ。あの人が、どうにかしてくれるかもしれない。そう思って彼女を抱え、屋根を下り始めた。
下では確かにトミーがいた。けれども、その前に立ちはだかるように男が立っている。
「退いてくれって言っても、退いちゃくれねぇんだろ？」
「…おもしろいものだな」
「なにが」
「今日一日で、いろいろな目にあった。お前の親友には妙なガスをかがされ、シリアさんとは命の取り合い、そして、最後はお前か」
「…最期にしてやる」
「そう簡単に死ぬ気はない」
瞬間、二人の男の姿が消えた。直後にお互い相手が立っていた位置にいる。
「ああ、私は待っていたぞ。その速さ、その動き。間違いない、お前は、私が待っていた存在だ」
「男に待たれてもうれしかねぇよっ！」
笑みを浮かべているようにすら見えるマイスターにトミーは言い返す。
「どうやら、お前は俺にとってすんげぇ邪魔だ。…後悔するなよ！」
「今までの生き方、後悔したことなどない！」
本気の攻防。時折天井から燃えカスが落ちてくるが、それすら、彼らの戦いを邪魔しないように落ちてきているようだった。
右手にシリアから奪ったレイピア。左手に愛用のスパイク。その二つが凄まじいスピードで繰り出されてくる。もともと双方ともに突きに特化した武器だ。正面だけではなく、右からも左からも容赦なく襲う。
対してトミー。長剣だがあまり刀身は分厚くなく、剣にしては珍しく斬る方に重点をおいて作られている。いつも使っているバスタードソードではなく、自分の父親から譲られた代物だ。重くない分、スピードに違いが出る。
言ってみれば水平と前進の軌跡。決して交わることがないゆえに、当たればどちらも致命傷となる。それがないのは、抜群のバランス感覚と卓越した体術のたまものであろう。
「なに…あれ」
火傷を全身に軽く負いながら、シリアが身を起こしたとき、二人はすぐ近くで攻防を続けていた。
「…うそ…あれ、海賊と…マイスターさんよね？」
トミーの動きに目を見開く。自分相手に練武をした時の比ではない。目で追うのがやっとだ。
こんなひと相手に練武して、こんな人相手に私、生き延びたんだ…。
今更ながら足が震えてくる。
切れたあいつは手がつけられん
誰が言ったか。聞いたそのときは信じられなかった。しかし、実際見るまでわからないことは多々ある。このときの様子がまさにその通りだった。
「…っつぅ…」
落ちたときどこかを強く打ったのか、動こうとした瞬間に鈍い痛みが走る。
「この間からろくな目にあってないなぁ…」
頭を振りながらそれでも立ち上がろうとした矢先、梁が炎とともに落ちてきた。
動けない。
これまでか。覚悟を決めた。目を閉じ、その時を待つ。しかし、紅蓮の炎の熱さと重みは来ず、代わりに一瞬の跳躍。
「…あっ」
マイスターの横顔が目の前にあった。端正なその横顔には無数の切り傷。トミーが巻き起こす風が、頬を切ったのだろう。
「……どうして」
「…」
シリアを放し、視線をすぐに海賊の方に向ける。しかし、そこには燃える梁。
「マイスターっ！！」
梁の向こうで叫ぶ声が聞こえた。
「どうなったんだ？居るなら返事しやがれ！」
「こっちは生きてるわよっ！」
黙っている男の代わりに言い返しながらマイスターを見た。
なぜ、この人は私を助けたのだろう。命がけの攻防をしていたはずなのに。
「助かった、とはいいがたいな…」
呟きを聞き、あたりを見る。巨大な梁が、炎とともに出口への道を塞いでいる。
「最期に朽ちる相手が貴女か…。悪くない最期といえるか…」
「マイスターさん…」
この人は、どこまで行っても孤独なのだろう。何をしても、何を言っても。いつの頃からか、自分を理解してくれる人間を必要としなくなった。
「…だめ、だよ」
「ん？」
「貴方でなきゃだめ、って人だって、絶対いるから。一人だけだと、生きて行けない」
「……」
「…でも、説得力ないか。私だって、私を必要とする人はいないからね」
もはやこの街にとどまることはない。守りたいものはあれど、近くに居てはいけない。
「だからあのまま焼け死のうとしたのか」
「…かもね。よくわからないよ」
どうでもいいじゃない、そんなこと、とでも言うように笑いかける。
「以前も思ったが…どうしてそんなに笑えるのだ？」
「…癖。笑っておけば、それ以上人に自分に近寄られる心配がない」
「……そうか」
つい数刻前には命の取り合いをしていた二人。今は、しかし、そんな気配は微塵も感じられない。熱風と煙が渦巻く空間の中、信じられないほど穏やかな空気が流れていた。
「さて…どうしますかシリアさん…」
「…助かる気か」
「貴方を死なせたくないだけ。そんな傷負ってまで私を助けてくれた人だから」
黒の服なのであまりわからないが、彼自身の血に染まっていた。シリアを助けようと注意がそがれた瞬間に、海賊の剣が腹部を薙いだのだろう。決定打までには至らなかったが、このままいれば失血死は目に見えている未来だ。
「なぜ、助けたのだろうな。…わからないのだ」
「生きてたらわかんないことばっかりよ。さ、行きましょう。私が火傷で倒れるか、貴方が失血で倒れるか。どちらかしかないのかもしれないけど」
「…貴女からは、依頼料をもらわなくてはならない」
「？」
突然の言葉にきょとんとする。が、すぐ思い出した。
「そうね。だから、生き延びましょう？」
「貴女もだ。受取人だけいても、払う人間がいなければ」
力強い声にうれしくなった。少なくとも、この瞬間は彼に必要とされているのだから。
「トミーっ！どこだーっ！？」
親友の声にハッとして振り向く。
「カルス！お前、港どうしやがった！」
「あっちははっきり言って陽動だ！」
一息ついて、彼がここにくるまでに起こったことを話す。
「そうか…。ありがとう、カルス」
「気持ち悪いよ、お前に改まられると」
困ったような笑いを浮かべながら頭を掻く。
「じゃトミー、さっさと街に散ったほかのバカどもを退治しに行くぞ」
「ちょっと待て、この奥にシリアがいるんだ」
「なんだと？」
奥にあるのは炎ばかり。人がいるといわれても信じられない。
「まさか」
「いるんだ。あいつが。マイスターと一緒に！」
「まいすたぁ？」
理解できないと頭を振る錬金術師をその場に、落ちてきた梁に向かって虚しく剣を振るう。
「消えてくれ、消えてくれよ！」
「トミー、んなことで炎が消えるはずねぇだろ！？さっさと出ないと、この建物もう危ないんだ！」
「わかってるさそのぐらい。けれど、シリアが！！」
「お前、他に守らなきゃいけないもん、あるだろ！」
声を荒げる親友。
「あの女は、守られる人間じゃない。守る側なんだ！だから、絶対にここから這い出してくる！」
お前の守りは必要ないんだ。
言外に込められたその意味を考え、涙を流しながらその場を離れた。
「さっきティムに会ったんだが、街の中に散った奴らはかなりの数らしい」
「…」
「結構な数仕留めたって聞いたけど、まだ一掃の余地ありって所だな」
「……」
「おい、聞いてるのか！？」
少し苛立つ。
「聞いてるよ。…要するに、邪魔者はいらねぇって事だろ？」
「…そりゃ確かにいらねぇが」
淡々と言い放ち、突然剣を旋回させる。
「うわっ！」
傍らの錬金術師が情けない声をあげた。その直後、近くのゴミ箱のなかに隠れていたコルウィスキーの手下が転がり出る。すでに絶命していた。
「……こいつが問答無用で殺るときは…」
間違いない。切れてやがる、この野郎。
「カルス…」
「な、なんだ」
「悪いがお前、港あたり、もう一度頼むわ」
「ああ。…お前は？」
「このあたりにいる」
「…死ぬなよ」
それだけ言って、港までまた走った。それを見送り、燃え続ける建物を見る。もともと資材置き場だったので、広い空間のなかに燃えやすい木が大量にあった。
「死ぬなよ…死んで、くれるなよ」
感慨に浸る暇はない。トミーの背後に数十人の気配。
「おや…お頭さんのようですな」
「こいつやれば、特別手当付くって言ってましたよね？」
「そうだ。弾むぞ」
「よーし…」
好き勝手なことが聞こえてきた。黙ってそれを聞いていたが、無表情に振り返る。
「……死にたい奴から、かかってきな！」