海風に吹かれて ２３
どれだけ屠ったか。もうわからない。火の勢いが次第に収まり、代わりに辺りには血の匂いが漂い始めるのがわかる。
「一体…どれだけいやがるんだ！」
底なしの体力を誇る船長もさすがに疲れが見えてきた。けれど、ここで疲れるわけには。彼には街を守るという義務がある。
「キャプテン、遅くなりました！」
オーウェルが剣を構えて乱入してきた。
「おい、お前は！」
「他の街のみんなも散ってます！みんな、この街が守りたいんです！」
ヴァリス一家に任せておくだけでなく、自分で街を、生活を守りたい。そんな空気がいつしか生まれたのだ。
「…そうか」
猛っていた心が少し凪いだ。
「それに、皆さんに犠牲になって欲しくないんです！」
「…なに？」
剣を振るって敵を牽制しながら続けた。
「ヴァリスの皆さんは、私たち街の人間にとって、みんなみんなかけがえのない人たち、って事ですよ！」
こんなときでないと聞けない、街の本音。少し照れながら戦いは続いた。
背後で崩壊音。振り向くと、資材置き場の屋根が落ちたようだ。
「！！」
オーウェルと、その他数人の自分の手下に後を任せ、燃え続ける廃墟に近付く。
「シリアーっ！！」
声を限りに絶叫。
こんな別れ方するために連れてきたんじゃない！
「シリアっ！シリアーっ！」
地面に拳を叩きつけ、肩を震わせるトミーをみてオーウェルが近付く。いつのまにかそのあたりの敵は全滅しており、海賊達は他の場所へ敵を探しに行った。
「シリア…俺は…」
黒焦げになった地面を見ながら呟く。だから彼はオーウェルに肩を叩かれるまで気がつかなかった。煙の中、揺らぐ人影があることを。
「……！」
マイスターとシリアだ。男はシリアに肩を借りて歩いている。トミーと対峙したときとはまったく様子が違う。その腹部にはきつくサラシが巻かれていた。
シリアはそんな彼の様子を気遣いながら、自身火傷だらけであるのにもかかわらず、それをものともせずに歩いてきていた。
「……良かった…」
安堵とともに、かすかな怒り。それはすぐに大きくなる。
「っておい、何でマイスター連れてるんだよ！」
「だって、そのままになんかしておけない。私を助けてくれた人を、見捨てられるほど私はバカじゃないから」
「だからって……おい、なんて恰好してやがる！」
遠目には良くわからなかったが、常に胸に巻かれているサラシがない。服はかなり焼けてしまいお情け程度にしかまとわりついておらず、ほとんど丸見えの状態だった。
「だって、マイスターさん怪我して…そのままだと失血死しちゃうから…だから巻いたの」
「おまえ、羞恥心ってもんはねぇのか！？」
「そんなどころじゃないよ。それに、マイスターさん相手に今更恥ずかしがっても…」
「なんだとーっ！！」
猛烈に怒り始めた海賊を見て、自分の失言に気がついた。多分、かなり勘違いをしているだろう。
「…なに想像してんのよ…」
なにやら怒り狂っている海賊の誤解を解いても良かったが、その気力もない。盛大にため息。
瞬間、鬨の声。その場の全員がそちらに顔を向ける。
「…守ったのか、この街」
「……そうか…」
あまりにあっけない幕切れに少し物足りなさを感じる。
「…さて、こいつをどうするかだ」
マイスターの方に視線を向けるトミー。剣を動かそうとしたのを見て取り、シリアは間に立ちはだかった。
「退けよ。俺は、そいつがすんげぇ邪魔なんだ」
「…やだ」
にらみ合いが続く。
「こんな形で決着、つけたくないでしょう？」
「決着ったって…そりゃそんな相手だっている奴にはいるだろうが、俺にはいないぞ」
「私、見てたよ。あんたとマイスターさん。それみてたら、こんな形で終わらせちゃいけない。そうおもった」
「……退く気は、ないんだな？」
再び問うトミーに、火傷だらけの顔でしっかりと頷く。
「…一体、どこからそんな頑固さが…」
呆れながら剣を引いた。ほっとして後ろの男を見る。腹部の血はどうやらとまったようで、最後に見たときよりサラシに染みている血は大きくなっていない。
「どうするの、これから」
「…父のもとへ、帰るか。それとも、このまま死人として生きるか。いずれにせよ、まず傷を治す」
「そっか。気をつけて。さすがに、そこまでは付いていけないから」
「大丈夫だろう。……」
何かを言いたそうにシリアを見たが、結局何も言わずにその場から跳躍した。瞬きをする間にその気配は近くから消えうせる。
「…なんかなぁ。ものすごい敵、残した気がするんだが」
「いいじゃない。ライバルってのは、いないよりいる方が人生に張りが出るんだ」
「…まぁな…」
あくまで気楽に言うシリアに、笑うしかなかった。そこに遠慮がちにかけられる声。
「シリアさん」
「…オーウェル」
じっと見つめあう、かつての恋人達。最初に口を開いたのはシリア。
「思い出してくれて、ありがとう。それだけで、いい」
「本当に、すいません」
「なんであやまるの？悪くないよ、貴方は。だから、ちゃんと、エリザさん」
にこりと微笑む。
「守ってあげて。めぐり合えた手は、離したらダメ」
「…はい」
しっかりと答えたオーウェルに、シリアは満足そうに頷いた。
「痛い、痛いよミータさん！」
「ちゃんと消毒して治さないと、跡が残るんだよ姐さん！」
「残ってもいいから勘弁してぇ！」
「ダメです！」
切り傷と火傷痕に、特効薬だからとミータ特製の軟膏を塗りたくられていた。これが恐ろしいほど沁みて、シリアは半狂乱だ。その様子を、ミイラ男のように包帯でグルグル巻きのトミーとカルサートが見ている。二人とも、こみ上げてくる笑いを必死で抑えていた。ちなみに彼らはその数時間前、同じようにミータにとっつかまって悲鳴をあげていた。それをシリアは指を指して笑っていたが、結局同じ道を辿ることになる。
「だいたい年頃の女性が炎の中を走り回るだなんて…。おまけに立ち回りまで！まったく！」
怒りながらシリアを捕まえる中年女。けれども本心から心配しているのがわかるので、シリアは強く言い返さない。彼女に母親を見ているのだろう。
「それにしても、…姐さん、ありがとうね」
「えっ？」
「門が破られたとき、一番初めに行ってくれたのがあなただって聞いたから…」
「行かなきゃならない気がしたんです」
恰幅の良い顔に人懐こそうな笑顔を浮かべる。
「まじめだね。でも、そうやって動けるなんて、大したもんだよ」
「誉めてくれなくていいですから、薬塗るのはやめてくれません？」
おそるおそる聞いてみるが、即刻却下。悲惨な声が燃え残っていたセルバスの屋敷中に響いた。
屋敷のほかの部屋や、外の広場では大騒ぎ。海賊も堅気の人間も老若男女区別なくどんちゃん騒ぎをしていた。街の半分は燃えてしまい、犠牲になった人間も少なくはなかったが、それでも今、自分達が生きていることを実感するために騒いでいた。
これからしなくてはならないことは山のようにある。けれど、それすら自分達が生きていることの証に思える。
「しばらくは手も出しては来ないと思うが、あのコルウィスキーのことだから、必ずまたこの街狙ってくるだろうな」
「ああ。けど、それはその時考えろよ。でも俺、何回来ても大丈夫な気がする。俺たち、結構街の人に慕われてたんだな」
その団結力があるなら、どんな困難も乗り切れるような気がした。
「それにしても、みんな元気だよなぁ。俺なんか滅多に走らないのに、人使いの荒いキャプテンのせいであちこち駆け回る羽目になっちまった」
天を仰ぎながらカルサートがぼやく。
「人使いの荒いキャプテンって、だれのことかなカルサート君」
隣りで、トミーが低く問う。
「そりゃー俺の隣りでミイラしてる奴」
「…。あのラボ、ぶちこわし決定な。あとでケルにでも伝えておくよ」
「悪かったよトミー。冗談だって」
「冗談言うなら状況見ていえ！」
ごん、と容赦なく拳で殴りつけた。ともあれ、これで日常が戻ってくる。一瞬二人が顔を見合わせたところに、シリアの悲壮な声が聞こえてきた。
「…ぷ」
「もう耐えられねぇ…」
二人は痛む火傷をものともせず、笑い転げるのだった。
やらなければならないことはいろいろ。将来に対する不安はある。たとえば、マイスター。あの時は逃がしてしまったが、後腐れないためには切り倒した方が良かったかもしれないとも、思う。自分との決闘を置いてまでシリアを助けに行ったあの行動。なんとなく、別の次元での嫌な予感がした。
「でも、まあいいか」
どうにかなるだろう。そう思いながら包帯を巻かれているシリアを見た。
「…？」
いつもと違う。どこがとはっきりはいえない。けれど違う。決戦前、港で見たときと同じ空気だった。
「もしかしてあいつ」
口の中で呟く。ここ最近の彼女の様子が頭に浮かぶ。
「……」
突如黙り込んだ船長にカルサートは怪訝そうな表情を向ける。が、その視線の先に気がつき、納得した。
「相当、本気だったんだな」
その気持ちはわからないでもない。まあ、滅多にお目にかかれない女ではある。いい意味でも悪い意味でも。
「はてさて」
今度はそういう問題が持ち上がったか。と、肩をすくめるのだった。