海風に吹かれて ２４
「どこへ行くんだ？」
家の裏口。なんとか燃え残っている家に人々は身を寄せることになり、セルバスの家にも数人がいた。それでも、さすがの大騒ぎも収まるような時間。そっと出て行こうとするシリアを呼び止める声。
「…」
「様子が変だと思ったから…ここにいたんだが、大当たりか」
「…止めても無駄よ」
「ああ…。わかってる。お前の頑固さ、骨身にしみるぐらい」
「みんなに見つからないうちに行かないと、またいつかみたいにずるずるとここにいてしまう。私は、この街にいちゃいけない」
「…」
腕組みをしたままトミーはため息をつく。
「…今更何をいっても無駄、か」
「そうだね」
「…今すぐ、いくのか？」
「できれば」
「…」
黙って彼女に近付く。
「？」
首をかしげて小さな荷物を抱きしめた。
「最後の、お願いだ」
「…」
「朝まで。朝まででいい。…俺と一緒にいてくれ」
一度限りの逢瀬を。せめて一夜。
言葉の後ろに潜むものに気がつかないほどシリアは子どもではない。けれど、黙って頷いた。
腕の中にいる女。自分の、傷だらけの体を見ても驚かない。なにか、いいたい。けれど出てこない。
愛…ではない。そんな言葉ではあらわせなくて、それよりももっと深い…、自分の一部のようなもの。自分に掛ける言葉は、彼はもっていないのだ。
「…朝、もし起きていても、眠ったふりをしていて。それが私のお願い」
「…わかった」
女が目を閉じた。それに吸い寄せられるように顔を近づける。
言葉であらわせないのなら。
体で伝えてみよう。
他の男にボロボロにされた体なら、自分は包んであげよう。
守りきれなかった心を、体を。
「なんだよ、呆けた顔して」
修繕中の街に戻ってきたカルサートは、通りを木材を持ってため息をつきながら歩いている顔見知りの海賊に出あった。
「…なんだ、カルスさんですか…」
「なんだとはご挨拶だな。どうしたんだ？」
「キャプテンがなんだかぼんやりしてるから、こっちにもうつってくるんすよ」
「トミーがぁ？」
聞き間違いかと思ってもう一度聞いたら、どうもそうではないらしい。シリアがいなくなってからずっと海賊達全員がなんだか意気消沈しているのだが、中でもトミーが一番ぼんやりしているというのだ。
彼はシリアが出て行った後、錬金術がらみで街を離れていた。どうにか材料を手に、半年かかって戻ってきたのだが。
「おいトミー、いったいなんだってんだ？」
「なんだ、カルスか」
「なんだとはなんだ！せっかく親友が半年振りに戻ってきたってのに」
「誰が親友だ、誰が。後で、修復をサボりたかったんだ、って噂が流れたぞ」
手にもった金槌で頭をぽりぽりと掻く。
「どうせ力仕事せずに、また山に篭ってなんとかの石でもつくるんだろ？」
「賢者の石、だ。しかしまあ、大分綺麗になったよな」
「あの火事がでかくなったのは、おまえんとこにあった変な薬に引火したからだぞ」
「そうなのか？そいつは悪かったな」
「ぜんぜん悪いなんて思ってねぇだろ…」
苦虫を噛み潰した顔でのんきな錬金術師をにらんでいたが、すぐにまたため息をついた。それを見咎める。
「ため息なんかつくなよ」
「ほっといてくれ」
うるさい蝿をおいはらうように手を振り釘を打ち始めた。
「重症だな」
声に出さずに呟き、旅装束と持っていた荷物を下に降ろす。
「そうだ、船は？前に聞き忘れたんだけど」
「無事だ。ケルとセルバスが死守してくれたんだ。…いつでも航海には出られるが、今はこっちが先だな」
手を休めることなくトミーが説明した。
「そうか。じゃ、今すぐ出港しよう」
「んあ？おまえ、俺が言ってること聞いてるのか？今は街を直す方が先だって…」
「いいからいいから。セルバス副長に伝えたら二つ返事で快諾してくれたぞ」
有無を言わせずトミーを押すカルサート。彼が強引なのは知っていたが、ここまで強引だとは思わなかった。不承不承金槌を置く。
「そうそう。あとはお前が出港の合図するだけなんだ。頼むぞ」
「…よくわからんが…」
確かに船は食糧も武器も積み終わっており、合図を待っているだけだった。近くにいた甲板掃除を捕まえて聞いてもよく分からないとのこと。頭が混乱してきた。
「セルバス！どこだ！？」
「はい、ここですが」
船倉から顔を出した副長に聞いても分からない。カルサートが行き先を決めるらしい。
「なんだよ、一体どこに行くんだ」
「ここだよ。ジュリ入り江の港町」
「なんだって…俺たちは街の人からの収奪はしないぞ」
「分かってるって。ほら、まだのこってる茶器があったからさ。それを売りにいくんだ」
「それぐらいならわざわざいかなくても」
「この街だと高く買ってくれるんだよ」
にこにこと押すカルサート。こいつには妙なルートがあり、いったいどこで仕入れてきたのかよく分からない情報なのだが、それがよく使えたりする。
「へいへい。わかったよ」
「俺とセルバスが品物売っとくから、お前は街でも見て来い」
いつものように茶器を下ろしていたらカルサートに追い出された。
「なんで俺が追い出されなけりゃなんねぇんだ」
釈然としない。一体なんだというのだ。
「街を見ろったって…」
歩いていると広場に出た。その先にあるのは教会だろう。気にせず通り過ぎようとしたとき、視界に後姿が入った。輝く金の髪を見たその瞬間、体が勝手に動く。教会の扉の向こうに消えたその人を追い、彼も中に入った。
きらびやかなステンドグラスが室内を照らす。その一角で金髪の女が祈りを捧げていた。
「…シリア？」
そっと声をかける。振り向いたその顔が笑みの形にゆがみ、消えた。
「…居るわけないよな」
頭を振って誰もいない構内を見回す。海が近いせいか、潮の匂いがここまで漂ってくる。恐らく、海が見えるように建てられた教会なのだろう。
「……私と渡り合ったときの気迫は、一体どこへ行ってしまった、ヴァリス」
「…あんたか」
いつのまにか一番後ろの席に座っていたマイスター。
「驚かないのか」
「あんたなら、どこにいたって俺は驚かないな。神出鬼没なんだから」
「それはどうも」
「でも、教会はあんまり似つかわしくない気もする」
「お互い様だ」
「だな」
教会堂の上から鐘の音が聞こえてきた。物悲しい余韻を響かせながら建物の中にこだまする。
「…ヴァリス、一体お前はどうしてしまったのだ。今のお前には活力がない」
「うるせぇ。あんたには関係ない」
「…」
マイスターの視線を受けながら、急に居心地が悪くなってきた。たった一人女がいなくなっただけで、どうしてこんなになってしまったのか。それを責められている。
「関係ない、か。では、私は依頼料をもらいに行こう」
「…？」
男の言葉に顔をあげる。
「私はまだ、依頼料はもらっていないのでな」
「依頼料って…まさか」
「お前は関係ないのだろう？」
薄く笑う。
「ちょっと待て！それはもしかしてエリザを助けたときの…！」
「その通りだ」
他になにがあるのだ、とでもいうようにトミーを見た。
「あの依頼は特殊で、今まで依頼料をどうしようかと考えていた。やっと決まったので伝えに来たのだ」
「どこに、どこにいるんだ！」
「関係ないのでは？」
「それこそ関係ねぇ！」
なおも言い募ろうとしたとき、鐘突き堂へ続く扉が開いた。
「教会ではお静かに…！」
シスターが文句を言う。いや、シスターではなさそうだ。手伝いの女といったところか。
「ああ、すいませ…え？」
「…」
呆気にとられるトミーとほんのわずかに微笑むマイスター。
「…げ」
「げってなんだ、げって！」
目に見えて嫌そうな顔をするシリアに食って掛かる。そこへマイスターが声を掛けた。
「依頼料の件だ」
「あ、…はい」
つかつかとシリアに近付いて、そっと何か耳元に囁く。とたんにシリアの顔が赤くなった。男が動き、扉が閉まる音を聞いて、上気して立っているシリアのそばに駆け寄る。
「おい、一体何言われたんだ！？」
「……」
「こら！」
「うるさいわねっ！何であんたこんなとこにいるのよっ！」
「それはこっちのせりふだ！」
「私はまた以前みたいに教会に雇われてるだけ！あんた、最後だって言ったじゃない？」
「ぐっ…」
「さあ、何でこんなとこにいるの。用事ないなら出てって！」
「…」
すごい剣幕で言い返してくるシリア。
「用事は…あるさ」
「何」
「俺が何か知ってるか？」
「誘拐者」
「ああ、その通りさ」
迷わず答えた彼女に手を伸ばしながら笑う。
「だけどそれよりも先に、欲しいものは必ず手に入れる、海賊ヴァリスだ」
「なん…！」
「さあどうしてくれよう。俺の獲物なのに、勝手に逃げてくれた」
女を引き寄せながらいたずらっぽく言う。
「それは…あの街にはもういられないって…何回も言ったでしょう！？」
強い意志の見える紫の瞳。それが目の前にある。心の奥がどきどきした。
「さぁーて…。あの伊達男に獲られるわけにはいかないから、奪っていくぞ！」
「ちょっと、あんた人の話聞いてる！？」
なにやらわめくシリアを肩に担ぎ上げ、悠々と外に出る。出たところで、木立の下で腕組みをしているマイスターに会った。
「…ヴァリス…。お前とは、本気で決着をつけねばならぬようだな」
「そんなこと最初からわかってるんじゃねーか。いつ決着つける？今か？」
「そうだな。早い方がよかろう」
勝手になにやら血なまぐさいことが起こりそうになり、いい加減に頭にきた。
「やめなさいーっ！」
トミーの腹を容赦なく思いっきり蹴り飛ばして飛び降り、仁王立ちする。
「ぐえぇ…」
「…大丈夫、か？」
その痛がりように思わずマイスターも声をかける。
「あのねぇ…。ここ、教会なの。わかる。き・ょ・う・か・い。それに街の中。血なまぐさいことは、どこか別でやってちょうだい。そうね、裏に墓場があるから、そこでやったらいいでしょ」
これ以上ここでバカなことをすれば間違いなく爆発する。そんな感じの声だ。二人の男はお互いに顔を見合わせた。
「いい加減子どもじゃないんだから、それぐらいわかってよね。じゃ！」
すたすたと教会の中に戻っていってしまった。
「…あいかわらずな女だなぁ」
「まったくだ」
「…さてさて。…とりあえず、俺帰るわ。じゃな」
「ああ」
そして、彼らは潮風の吹き付ける道を、互いに背を向けて歩き出した。
「一体何を考えてるのよ…」
頭を振りながら窓際に立つ。けれどもどうやら、海風は彼女を捕らえて離さないようだ。今日はどうにか抑えられたが、いずれはつかまる。もう一度、船に乗りたい。その気持ちに。
「でも、今でなくていいのよ」
今はまだここで風を受けながら生きていたい。それが物足りなくなれば、自分が風になりに行こう。海はきっと、望めば彼女を受け入れる。
どうにかなるさ。
そうやって今まできた。だから、これからも。
そしてシリアは教会の窓からそっと輝く海を見ながら、これからどうやって爆ぜようとする気持ちと暮らしていこうかと、考えるのだった。
おわったはず