北の地に残る神秘 ２
しばらくの間フォディニーは部屋にこもる事ができなかった。なにせ扉がないのだ。完全な個室にならないので落ちついて考え事もできないらしい。備蓄庫から修理用の板を引っ張り出してきて慣れない大工仕事をしていた。
「あちゃぁ。また入り口とあわないや」
「なんでも知ってる賢者様も大工仕事は苦手みたいね」
「セニアスぅ。そんな意地悪言わないでよ。そりゃ多少の修理ぐらいなら出来るけど、扉を一つ作るとなったら別だよ。知識を持ってたってそれを使えるかどうか別なのと同じなんだ」
「それはわかるけどね。でもさ、もうあきらめたら？ノアニール地方にはもう辿り着いているんだから、そこで腕の良い大工さんを探そうよ」
「そうした方が無難かな」
溜息一つついて彼は立ちあがった。
「全くレイラは手加減をしないから…」
「あら、レイラはレイラなりにあなたの事を気にしているんだと思ったけど」
「そうだと良いけどね」
セニアスに片目を瞑って見せると手早く付近を片付けて船から下りた。港は船でいっぱいで彼らが割りこむ余地がない。仕方がないのでちょうどよい入り江に止めてある。ヴィッターとレイラはすでに降りており、後の二人が降りてくるのを待っていた。
「お、フォン、戸は直ったか？」
「ダメだった。大工さん探して直してもらうよ」
青銀から金に髪の色を変えながら地面に降りるとレイラと目があった。
「？」
その顔は怒っているかと聞いているようだ。だから彼は笑いながら横に頭を振った。それを確認すると彼女は先に立って歩き出した。草原を吹きぬける風が冷たい。しかしそこには確かに春の匂いがする。
「僕にも春が来てほしいなぁ」
心の中でつぶやくと荷物を抱えて最後尾につくのだった。
「なんじゃっ、こりゃ！」
一行は目の前に広がる光景を疑った。人がたくさんいる。しかし、その割に静かなのだ。それもそのはず、全ての人が眠っていたのだ。
「え、え、え、ええぇ？立ったまま寝てる？」
「おいおい、街総出で冗談かぁ？」
ヴィッターが近くの人を揺さぶるが、冗談ではなく本当に眠っているようだった。
「こりゃぁ…なんかの魔法の力だね」
「じゃあ紅宝珠で払ってくれよ」
レイラが提案したがフォディニーは断わった。
「ダメだよレイラ。こういった類の魔法は…どちらかといえば呪いに近い。無理矢理解くと大抵ろくでもない事になる」
「それにしても…この分じゃ今晩寝る所がないわ。船に戻ろうか。この間から寝る所に苦労するわね」
セニアスが言うのでもと来た道を引き返そうとしたが、しばらく行った所でヴィッターがいないことに気がついた。
「あれ？犯罪者は？」
「その言い方はかわいそうだからやめといてあげなよ…」
苦笑しながら賢者は言ったが、少女達の耳にはどうやら届いていないようだ。それもそのはず、彼女達は眠っている人々の間を物色して回る盗賊の姿を捉え、次の瞬間には彼を取り押さえていたからだ。
「……犯罪者でも、良いかな」
自信をなくしていると声をかけられた。
「お前さんがた。この町に何か用か？」
老人、と呼べば失礼だろう。しかし彼が発する雰囲気はつかれきった老人そのものだった。
「あの…この街は一体？」
「ノアニールはエルフ達の怒りを買った。彼らはもはや、まどろみながら朽ちて行くほかないのだ…」
「エルフって、昔語りに出てくる妖精の？」
「そのとおり」
「あれって…存在してたんだ」
「存在していなければ今のノアニールはどう説明する？」
ただ一人起きていた男、ヒューイの家で街の人達について聞いてみたところ、先の会話が交わされた。
「そりゃそうだな。……ところで」
ヴィッターが自分の様子を見ながらぼそぼそとつぶやく。
「どうしてわたくしはこのように簀巻きなのでせう？」
「そりゃヴィッター、自分の胸に手を当てて考えてみた方が良いんじゃないか？」
取り押さえられた後自分が持っていたロープでぐるぐる巻にされたのだ。そのままレイラが担ぎ上げて運び、現在は床で転がっている。どんなに動いても切れない。丈夫なロープだというのは自分が一番よく知っていたが、まさかそれで縛られるとは思っても見なかった。
「で、あんな奴の事はほっといて」
「そりゃねぇよレイラ」
「…ほっといて、どうしてエルフの怒りを買ったのか、聞かせてもらえるか？」
「……おまえさん、なんでそんな事を聞きたがる？」
「何とかできるかもしれないじゃないか」
「……」
もはやどうしようもないとあきらめきっているヒューイをじっと見つめるレイラ。永い長い沈黙の後、彼は口を開いた。
「この半島は猟をする者が多い。その加減で毛皮の産地、集積地になったのだが、猟は大抵この街の回りでする。あの西の大森林に足を踏み入れると戻って来れないという噂があるからだ」
来る時に見た森を思い浮かべた。確かに迷いそうなほど大きく、そして立派な森だった。しかし長い間の禁忌の意識は薄れ、近頃では森に入って猟をする者達が増えている。その中で一人の猟師が、エルフの宝だとして巨大な赤い宝石を持って帰ってきたのだ。
「それが原因？」
セニアスの問いかけにヒューイが頭を振る。宝石を持って帰ったことはそれはそれで特に生活の変化をもたらさなかった。しかし、それを取り戻しに一人のエルフがこの街にやってきた。が、猟師はエルフの少女とともに森に消え、もはや戻る事がなかった。それから一人、また一人と眠りに落ちていき、今やヒューイだけが目覚めているという。
「そろそろわしも眠りに落ちるだろう。目覚める事のない眠りに」
目を細くしながら彼は独白した。それ以上聞くことも出来ず、夜も更けたということで彼らは泊めてもらった。ヴィッターは床に転がされたままふて寝し、フォディニーは彼の息子が使っていたという部屋で休息を取る。レイラとセニアスは客用寝室で聞いた話のことについて話している。
「あのじいさんの話、分かったような分からなかったような、そんな感じじゃなかったか？」
「そうだね。森に入って猟をした事で怒ってるわけじゃないみたい。それなら森で猟をはじめたころに呪いをかけるだろうから」
「宝石を持ってた猟師がエルフを殺して、どこかに行っちまったのか？」
「……かもしれない。考えたくないけど、今の状態を思えばそれが一番正しいとしか…」
「とにかく寝ようセニアス。明日、森まで行ってみよう…」
そのままレイラは深い眠りに誘われた。頭の中で他の人達と同じように起きなくなったらどうしようかという考えが掠めたが、それも一瞬のこと。迷わずまどろみに体をゆだねるのだった。一方セニアスはレイラほど度量は広くなかったようで、寝付くまでにかなりの時間を要した。
「この旅が始まった時、変なところで寝れなかったのはレイラの方だったのに…。うらやましいわ、本当に」
二つほど離れた部屋ではやはりセニアスと同じようにフォディニーが眠れぬ夜を過ごしていた。
「どうせレイラやヴィッターはぐーぐーねてるんだろうなあ。僕は繊細だからとても眠れないや」
レイラあたりが聞いていたら疑惑の目を向けられただろうが今は誰もいない。言いたい放題である。横になっていても寝つけず、仕方がないので消したランプをもう一度つけた。炎に彼の影が大きく揺れた。簡単な机に座ると荷物から紙の束を持ち出して何やら書き付け始める。しばらく考えては書き、書いては考えるという事を繰り返していれば、月はもう傾いでいる。
「早いなぁ。もう夜明けになる」
少し伸びをして立ちあがると、部屋の中を歩き回った。何気なく棚に置かれたノートに手が伸びる。おそらくヒューイの息子の物だろう。
「…これって」
フォディニーがノートから目を上げた時、東の空は白みかけていた。