虚構
彼らはデルをもてなしてくれた。一日に一回集まって、ここでこうやって祈りをささげているそうだ。どこの民族というのはなく、たまたま酒場で出会ってこうやって会をしているといった感じを受ける。彼女は思いきって聞いてみた。
「あの像は、なんという神様ですか？」
我が意を得たりとばかりに最初彼女に声をかけてきた男、ナッハが喋り出す。
「私たちの神には名がありません。だからいつも『かの人』とよんでいます。私たちは『かの人』に選ばれたのです！」
ナッハの口調が荒くなる。どうやら選民思想の宗教らしい。
「名もなく、姿も誰もみた事はありません。だから、あのような像になってしまったのですが、それでも頭の中に声が響くのです！ここにいるものはみんなそうなのです！！」
デルは辟易しながら聞いていた。確かにもてなしはうれしかったのだが、神を信じていない彼女にはちょっと厳しいものがある。
（私って、薄情なのかな…）
心の中で別の事を考えながらナッハの話を聞き流していた。
「……『かの人』を信じないものは馬鹿なのです。『かの人』だけが正しい。私たちはそう信じています。ところでデル、あなたは何か信じているものはありますか？」
いきなり質問されて戸惑った。できるだけ刺激しないよう言葉を選ぶ。
「私が信じているのは……自分自身です」
偽りはない。常に死と隣り合わせの世界で生きているエラシの民にとって、これほどあきらかに信じられるものはないのだ。しかしナッハにとっては不本意な答えだったようだ。
「自分。私たちは、それが一番不安定で信じられないものであると思っているんですが」
声が哀れみを帯びた。
「私たちはあなたに信じるべきものを提示してあげたい」
「え…？いや、いいです。私はこの生き方を気に入っていますから」
ナッハはデルに詰め寄った。
「それはなりません。せっかくであえた哀れな人間に、救いの手を差し伸べもせずそのまま帰したとあっては『かの人』により罰が下る！」
「哀れって…」
デルはカチンときた。それに気付かずナッハは続けた。
「そうです。信じるものが自分だけだなんて、哀れにもほどがある。デル！こちらへ来て早く誓いの祈りを！」
「結構です。確かに休ませていただいた上に食料も分けてくれたことにはとても感謝しています。それでも、人が嫌がっている事を押し付けられる事は耐えられません」
できるだけ大人しく答えながらデルは出口の方へ歩いていく。しかしナッハと他の信者達がそれを許さない。
「どこへ？」
「あなたはもう私たちの仲間になるしか…」
信者達の目はうつろだった。しかし一人、少女の瞳から涙が流れている。
（ああ…そうなんだ。本当はこの人達も…）
「あなたが名のった瞬間から！」
ナッハが何かあやしい言葉を吐き出す。
「！……？」
「さあ、自由になりたければ…」
「あなたが私になにかの意思をたたきつけているのはわかるわ。でも私には効かない！」
短剣を構える彼女。うろたえたナッハが信者達に命令を下し、一斉にデルめがけて襲いかかってくる。デルは短剣をつき出すが幾度目かの突きのとき刃先が間違えて祭壇に突き刺さってしまった。
「くぅっ！」
「さてお嬢さん、武器をなくしては、どうするのかな？」
にやりと笑うナッハ。信者達が彼の後ろにつくが相変わらず目はうつろだ。
「大人しくこの像に祈りを…」
「あきらめない。自分の体が噛み千切られ引き裂かれるその瞬間まで、エラシの民はあきらめない！」
ファイティングポーズを取りながら彼女は母親の声を聴いた気がした。そう、母は言ったではないか。肉体も、武器の一つであると。
「エラシの蛮族か。その刺青で気がつくべきだったな」
信者達を楯にしてナッハは苦々しげにつぶやく。
「しかし、エラシだからこそ武器がなければなにも……なに！？」
彼が見たのは次々になぎ倒されていく信者達の姿だった。舞を舞うような滑らかな動きでデルは相手を傷つけないように倒していく。そんな状態に一番びっくりしていたのはデル本人だった。
（うそみたい。体が、軽い）
「な、なぜ？エラシの野蛮女は武器がなければ何もできないはず…！」
「……どこにでも、変り種はいるわ」
言いながらナッハが大事に抱えている『かの人』とやらの像を蹴り上げた。像は放物線を描いてデルの手の中に落ちる。
「これが原因ね」
彼女は呪術の事はよくわからないが、ナッハをとりこにし、他の人を狂わせたのがこの像であることはわかった。なぜなら彼女の意思を反映して、毒々しい緑の瞳は明滅を繰り返したから。
「やめろ…『かの方』に触るな」
「あなたはこれを信じる事が本当なのね。でも私はそうじゃない。ここにいる他の人の中にも、そう思っている人がいる。『信じる事』をおしつけるのは苦痛ではないのかしら」
慈愛の声で彼女は言い、高く像を持ち上げると一気に叩き落した。ナッハの口から何かがつぶやかれる。デルは破片を踏み潰すと荷物を持ち、きびすを返した。こんなところには居たくなかった。
洞窟を出ると満天の星空だった。雨上がり直後の、あの特有の匂いが彼女の鼻腔をくすぐる。
「……心の支えが何ほどのものぞ。本当に信じられるものなど、この世界には数えるほどしかないのだから」
神という者が全能なら、私はなぜエラシの落ちこぼれ？なぜエラシは存在する？そして…。彼女は、彼女の腕の中で死んでいったピーコックブルーライトの事を思った。
「なぜ、あの子が死ななくてはならない…」
この世界には矛盾が多い。生きていくには自分の力だけが頼り。
「結局は私も逃げているだけなのだろう。手におえない事が起きれば、『自分がいたらなかった』といえるのだから」
「でもあなたはそんなふうには見えないわ。きっと自分のせいにして何もかも背負ってしまうのよ」
後ろには先ほどの信者の一人がいた。彼女に向かう時虚ろな瞳に涙を流していた少女である。
「忘れ物。エラシの人は武器がなくちゃ」
祭壇に突き刺さったままの短剣を持ってきてくれたらしい。
「ありがとう。……ナッハは？」
「ナッハ…？ああ、あのおじさんの事ね。大丈夫。あの人もあの像に操られてたみたいで、正気を取り戻したよ」
「そう。よかった」
「ねえねえ、どうしてあの縛術にかからなかったの？私はあれにやられて無理矢理信者にされたんだけど」
「あれは…よくわかんないんだけど多分フルネームを言わなかったからだと思う。名前を媒体に術をかける方法があるって聞いた事があったから」
「なるほど。私はうかつにも名前を言っちゃったからな」
「さ、私はここから離れたいんで。じゃあ」
「まってよ、ええと…」
「デル、でいいわ」
「デル、あなたどうせデーフェンリールに行くんでしょう？私も連れていってくれないかしら」
少女はもともとデーフェンリールの住人らしい。しかも二枚の耳朶を持つトゥーク･ポーリアだ。彼女はデルに懐くようにくっつく。苦笑しながらもデルは了解の意を表した。
「やったぁ！これで家に帰れる」
「短い旅になるけどよろしく。私の本名はデルトオーヴ・ガリュト。見ての通りエラシの落ちこぼれよ」
「あなたで落ちこぼれなら他の人は一体どんなに強いのよ。ほとんど一瞬で私たちをひっくり返しちゃったのに」
憮然とした表情で語る少女。
「エラシは武器が扱えないと、一人前と見とめてくれないの。その証がこの長い髪」
「暗くてよくわかんないけど綺麗な髪だと思う。でもまあどっちだっていいわ。あなたが居てくれれば心強い事は身をもって証明済みだもんね」
少女はデルに笑いかけた。
「私の名前はサスク。サスク･フェンディア。よろしく、デル」