螺旋図書館の幻影
少し小高い丘の上から下の様子をうかがう。街の北側に大きな川が流れていて、もう少し水量があがれば堤防が決壊し大洪水を引き起こすだろう。そして…。
「あれは…」
ちょうど街の反対側、上流の方になにかの野営地がある。もうすこし近付いてみようと思い雨にまぎれて付近へ向かう。ようやく何かが見えた。
「！」
デルはかろうじて声を出すのを押さえた。そこにいたのは彼女がよく知っている姿の生き物ではなかった。例えるなら、植物が意思を持って動いていると言ったような。話し声も聞こえた。
「まだ粘るな、トゥーク･ポーリアのやつら」
「そりゃあやつらの住処はあそこしかないから。俺たちと違って湿地には住みたくないそうだ」
「まったく…。いきなりやってきたかと思うと我々を追い出して水気のない土地にしてしまった。そのせいで土がためていた力が全て使い果たされてしまった…」
二人（？）の話し声は次第に遠ざかっていく。デルは来たときと同じように雨にまぎれてサスクのところへ戻った。
サスクは心配そうに待っている。デルは先ほど見聞きした事を話した。
「サスク。彼らは一体？」
「あの植物もどきはクリルテウ真族といってじめっとしたところに好んで住んでるの。二百年前、私たちがこのあたりに入植して以来、私たちを敵視してる」
「……」
デルは黙ったまま動かない。何かを深く考え込んでいるようだ。
「…デル？」
「……とりあえず、町の中に入れないかしら」
「夜になったら大丈夫。あいつらは本当に植物みたいで、夜になったら活動を停止…デル…？どうしたの？」
「なんでもない」
彼女はなぜか胸がむかついた。
「サスクっ。よく無事で…」
サスクは母親の胸に抱かれ少し息苦しそうな声で応じている。
「うんっ…デルに助けて、もらったよ」
「……」
無言でデルは頭を下げた。サスクの父親らしき人がちょっと考えた後、デルにこう言った。
「デルさんとやら。お見受けしたところ、あなたはエラシ一族の方と見えますが」
「ええ…まあ」
「やはり…。あの勇者ぞろいのエラシの人か…」
デルが黙ったままなので父親は自分の話を続ける。
「どうだろうか。サスクを助けてくれたついでに、我々の街も救ってはくれないか？」
デルは血の気が引いた。そんな事、ついでに頼まないでくれと思いつつ困った顔を浮かべ、サスクの方を見る。が、彼女は母親と話しこんでおりデルの方に意識は向いていない。
「デルさん」
「あ…あの」
「我々の街をあの植物もどきから助けてはくれないか？」
「……」
彼はすっとデルに詰め寄る。その恐ろしいまでの威圧感。首を縦に振らなくてはここから一生動けないだろう。おそらくクリルテウ真族がこの街を流してしまわない限り。あきらめてデルは縦に振った。喜びに震える父親。その様子を見ながらデルはこう付け加えた。
「ただし！私はただの人間で、特殊な力など何一つ持ってない。だからできることなど、たかが知れています。それでもいいのですか？」
「そんなことはあるまい。あの歴戦のつわものたちを生み出しつづけたエラシの人が…。とにかくこれであの植物を追い払える。我々の生活が戻って来るんだ！」
彼はデルの話などなにも聞いていなかった。そそくさと部屋を出ていくと街の有志たちにデルの事を告げにいった。サスクとその母親もその後を追うように出ていった。
一人残されたデルは必死で胸のむかつきと戦っていた。
「……植物もどき……」
彼女は生まれてからずっと緑の木々に囲まれて生きてきた。ある時は彼女に食べ物を与え、ある時には雨宿りの場所を提供して来た。彼女にとって植物たちは第二の親と言ってもいいほどの存在。
「あの人たちは植物たちを知らない」
哀しみをその瞳に潤ませなから街の様子を見るため窓から飛び出した。あの親子と、その同族たちと顔を合わせたくない。そう思いながら雨でぬかるむ道に綺麗に着地する。雨にけむる街並み。街の人間は部屋の中に閉じこもっているのか、それともどこかへ避難しているのか、雨の音以外は静寂さを保っている。煉瓦造りで自然のカケラもない街並み。申し訳程度な庭に植えられた、やせ細った木々。綺麗に舗装された道の下から土が嘆いているのが聞こえる。濡れた頭を振りながらデルは街の中を歩いた。
「デルー！」
「…サスク…か」
サスクが彼女を探しに来た。デルに傘を差しかけようとするが断わられる。
「風邪引いちゃうよ」
「私は今までそんなものなくても風邪など引かなかったわ」
「……何か、怒っている？」
知らず知らずのうちに言葉に棘が出た。そうではないというように頭を振りサスクを安心させる。一瞬雨の切れ間になにかの建物らしきものが浮かんだ。
「サスク…あれは？」
「？」
彼女もその建物らしきものが見えた。
「ああ、あれ。あれは螺旋図書館と言われてる」
「ラセン…トショ？」
「そう。こんな雨の日や、霧の日にうっすらと見えるの。でも見えるだけ。このメニウの大地にあるのかどうか、それはわからないんだ」
傘をくるくる回しながらサスクは応じる。
「本のためだけに存在する。どこまでいっても本しか存在しない…。そこの管理人は全ての事を知っているという……」
「図書館、ねぇ」
「そう学者たちが言っていたよ」
彼女たちが見ている中、螺旋図書館の影は静かに消えていった。しばらくその後を見つめていたが、デルは再び街の中を見て回り始めた。後からサスクがついてくる。
「別にどこにも行かないよ、ただ街を見て回ってるだけだから」
「うん、いいの。だってデルは私の結婚相手だもの」
思わずぬかるみに足を取られてひっくり返りそうになったが、持ち前のバランス感覚でどうにか泥だらけになるのは防いだ。
「だ、だからその、結婚、って言うのはちょっと…」
「ええ〜？デル、私のこと嫌い？」
「嫌いじゃないけど、でも私は女の子同士で結婚なんて嫌だわ」
「ぶぅぅぅ。もしかして、他に好きな人がいるのぉ？」
「そんな人はいないよ。だって生まれてこの方、男の人と話したことなんかなかったんだから」
「ほんとにぃ？」
疑いのまなざしを向けてデルのそばに詰め寄る。そんな彼女をいさめながらデルはまだ見ぬ兄の事を思った。そしてなぜか悲しい蒼い目をしたピーコックブルーたちが浮かんだ。それを追い払うとデルはなんとかくっついてくるサスクを引き離そうと説得を試みる。
「サスク。私はトゥーク･ポーリアじゃないの。前にも言った事があると思うけど、あなたたちの間の掟を部外者の私に押し付けないでほしい。それにあなたの羽を見たのだって、ほとんど不可抗力じゃない」
うなだれるサスクを見て少しかわいそうになったがここはきっちりと言っておかなくてはならない。
「結婚なんて人生の転機でしょう？あなただって、そんな不可抗力で転機をすごしてしまうなんて嫌でしょう」
何もいわない彼女。デルももうなにも言わず街を回る。
「……デルは、私が嫌い？」
長い沈黙の後彼女はそう言った。デルはもう完全にあきれかえった。彼女は私の言っている事をわかっていない…？
「あのね、そんなことを言っているわけじゃないの」
できるだけ声が荒くならないように彼女は言う。サスクはうつむいたまま。
「じゃあどうして…結婚するって言ってくれないの？」
「……」
盛大にため息をつく。おそらく彼女は本当の恋愛と言うものをした事がないのだろう。もっともデルもそんな経験はないのだが、それでも周りの仲間が命がけの恋をしているのを見たことがある。エラシの場合、猛獣のいる危険な谷を抜けて会いに行くなど、本当に命がけと言う事も多いのだが。まあそういう事は置いておいて、恋愛とはどういうものなのか多少なりとも知っている。が、サスクはしらないように見える。きっと彼女の親や、周りの人間達も羽を見られたから結婚するといったふうに生きてきたのだろう。これでは結婚の意味を理解できるわけなどない。
「あのね、サスク。結婚って言うのは本当に愛し合ったもの同士がするもの。少なくともエラシの中では、だけど…。とにかく『ただ好きだから結婚をする』って言うものじゃない。だから、今ここで結婚、って言われても、それはすぐに答えられるものじゃないの。あなたが嫌いなわけじゃないわ」
「ふーん」
わかったようなわからないような返事をするサスクを見て、デルはひどく体力を失ったような気がした。