転機
雨がやんでいる。サスクたちは、クリルテウ真族の者たちは際限なく雨を降らし、生活をできなくしてしまうといっていたが、デルはそうでない事を理解した。あまりに雨が降り続けばそれまで土が大事に貯めてきていたもの全てを流してしまうのだ。植物の形をした彼らがどんな栄養補給法を取っているのは知る由がないが、長い雨は絶対に大地によくないということを知っているのだ。そうでなければ、この地に文明をもってして大地を破壊せしめたトゥーク･ポーリアたちと何ら変わりがないことになってしまう。
ところで彼らはどうやって雨を降らせているのだろうか。一番簡単な方法を彼らは使っているのだ。すなわち、火をたいて上昇気流を生み出し、その過程で雲を作るのだ。この方法を使っているという時点でクリルテウ真族たちに後がないということがうかがわれる。火を使う。これは彼らにとってつらい事だ。燃やすものは植物であり、その煙は大気を汚染させる。
「彼らは…彼らにはそうまでして守りたいものがある…？」
デルは思ったが、トゥーク･ポーリアの民の前では言わなかった。彼らにはわからない事だったから。デル自身にもわからなかったから。
クリルテウ側のリーダーであるケーニは、ここまで持久戦になるとは考えていなかった。薪担当のメンバーに今後四日は雨を降らさないように言うと自分の小屋に戻る。
「このままでは、ソゲスの大地の力が完全になくなる…。やつら、なんであんなに粘るのだ？羽があるというが…。我々は夜になると、極端に行動が制限されるのだから、それなら早く逃げればいいのに。そうすれば堤防の決壊という恐怖からは逃れられるだろうに」
「あの人達は飛んでなんかいかないよ」
「！」
ケーニは聞きなれない声に驚き辺りを見まわす。と、小屋の窓枠に腰掛けている女がいた。
「なんだ！？」
「おっとっと。あんまりおおきな声を出してほしくないな。私はあなたたちと敵対したくない」
とりあえず相手に敵意がないことがわかるので、落ち着かない心臓をさすりつつもといたように座る。
「で…？何が目的だ？」
「名前も聞いてくれないの？」
「とりあえず敵ではないということだけだ。貴様の名がどうであろうと我々には関係がないだろう」
女は肩をすくめながらケーニの向かいに座る。
「トゥーク･ポーリアの人達は確かに羽を持っている。だけど飛ぶことはない。制約があるのよ。その羽を見ることが出来るのは親か結婚相手だけだ、ってね。街中で飛んだりしたら、そこにいる人全員と結婚しなくちゃいけなくなる」
おかしさを含んだ声で女が言う。
「ふむ。なかなか厄介な事だな」
警戒を解かずにケーニは相づちを打つ。
「ま、そう言う事だから空を飛んで逃げるというラインで攻めるのはやめた方がいいと思う。ところで…。どうしてクリルテウ真族は二百年も経った後で、デーフェンリールの街を攻めようって思ったの？最初は干渉しあわないって決めたらしいじゃない」
「……やつらが…」
冷徹そのものの声を出しケーニがうなる。
「我々が愛した大地を…ぼろぼろにしたのだ！」
「……」
最初は女が言ったように互いの領域は侵さないようにと決めてあった。しかし年月が経つにつれ、トゥーク･ポーリア側はやる事が派手になってくる。野を焼いて道や畑を作り、山を切りひらいて家を建てる。それでも最初の頃はケーニ達も大目に見ていた。まだ彼らの生活領域に至っていなかったから。ただ、大地や木々が苦しみの声を上げるのが耳についたという。
「が、三年前から、やつらは我々の領域を侵し始めた。もちろん最初はこんなに荒っぽい事をする気などなかった。話し合いを持とうとしたのだ。しかしやつらは自分たちの要求を呑む事以外の意見を、聞き入れようとしなかったのだ」
「要求？」
「すなわち、このソゲスの大地から我々が撤退する事」
「…なんてこと」
生まれ育った土地から出ていくよう強要されること、それは女、デルも実際経験している事だ。状況が違うが出ていくことには変わりない。それにケーニ達クリルテウ真族は理不尽に追い出されようとしているのだ。
「だから我々があいつらを追い出そうとした」
「気持ちはわかるわ」
偽りはない。けれど、クリルテウ真族のやり方が正しいとは思えない。おそらくソゲスの大地は変質してしまったであろう。トゥーク･ポーリア達を追い出しても、クリルテウ真族達が望む大地にはもはや戻る事はない。戻るとしても何万年もかかる。そしてサスク達を追い出せば、きっと同じ事を繰り返す。ますますここと同じ場所が増えるのだと。そんな事をたどたどしく告げるとケーニは黙った。窓から一陣の風が吹き込み、緊張した空気を追い払っていく。
「一理あるな」
長い沈黙の後ケーニが吐き出す。
「おまえが言いたいのはこういう事か？あいつらが大地をぼろぼろにするのを我々はじっと見ているだけ、そして自滅していくのを待て、と」
「違う」
デルは恐る恐る口に出した。
「共存は、出来ないかしら」
「笑わせてくれるな、おまえは」
「笑い事じゃない。大地がぼろぼろになればトゥーク･ポーリア達だけではなくデーフェンリールに住む他の人達だって困る。あなた達は、トゥーク･ポーリア以外に恨みなどないはず。トゥーク･ポーリアを憎むなとは言わない。だけど、彼ら以外の、デーフェンリールに住むしかない他の人達のために、共存の道を模索してくれないかしら」
ケーニは何かじっと考えていたが、すぐにデルの目を見据えるとこう聞いた。
「女、名はなんと言う？」
デルは面食らったがとりあえず答えた。
「デルトオーヴ・ガリュト。デル、と呼んで」
「ではデル。あんたに頼みたい事がある」
何を言われるのかと警戒していたが、ケーニはこう切り出した。
「デーフェンリール側の代表者と話がしたい。私はこの陣地の最前線、川の分かれ目のところにいるから」
「今すぐ？」
「今すぐ」
デルは間髪をいれず身を翻すと窓から出ていった。後に残されたケーニは移動のための準備を始めた。
「代表者か。私が行こう」
「父さん！一人で行くなんて…」
「向こうの代表者だっておそらく一人、あるいは二、三の付き人だろう。何、こっちにはデルさんがついている。あんな植物もどきなど、何匹いようと物の数ではない。心配ならサスク、おまえもこい」
サスクの父親がその役をかってでた。デルは言いたいこともあったが何も言わず約束の場所へ連れて行く。そこにはケーニが待っていた。クリルテウ側の付き人は少し離れたところに待機している。
「話とは一体なんだ。今更何を話し合う事がある？」
父親は語気を荒げて聞く。対してケーニは落ち着いた反応を示した。
「共存の道を探せないかと」
一瞬何を言われたのかわからなかった父親だが、一呼吸置いて笑い声を上げた。
「共存。あんた達と共存！これはなんの冗談だい、デルさん」
「黙ってケーニの話をきいてはくれませんか？」
持っていた短剣を威嚇するように差し出す。
「！…デルさん…、あんた、我々の味方じゃ…」
「今あなたがした事は、クリルテウ真族全体に対する侮辱よ。味方であろうとそうでなかろうと、私はそういうことを許さない」
低い声で言うので、父親は笑うのをやめケーニの方に向き直った。
「く…詳しく聞かせてもらおうじゃないか」
「……あんた達が我々の生活領域を侵しはじめ、あまつさえ追い出そうそする理由はなんだ？」
「……」
「答えないのか。まあそれもいい。わかるからな。おそらく…無意識のうちにソゲスの大地の力が失われてきているのを感じているからだろう。あんた達が様々な事をしたおかげで、な」
「我々は自分が住みやすいようにしただけだ。その範囲を広げなければデーフェンリールの収容人数にもう限界が来ているのだ」
「それまでのあるべき姿をぶち壊してか？」
「そうしなければ我々は住めない！住みやすいように環境を変えて、何が悪い！」
今にも殴りかからんばかりに興奮する二人を引き離し、デルは短剣を地面に突き刺した。
「殴り合いをするためにこの話し合いをするわけじゃないでしょう」
ケーニが申し訳なさそうに彼女のほうを見る。
「そうだな、デルの言うとおりだ。……トゥーク･ポーリアの方、あんたがたは自分達のやっている事が自然に良くない事を自覚していないように見うける。これは認めるか？」
「自然に悪い？」
「そうだ。自然に悪い。例えば…あんた達は地面を固めるが、それが何を引き起こすかわかるか？今回のように雨が多く降ったとき、その水はどこに流れるのだ。街中にあふれているのではないか？」
「……」
確かにその通りだ。排水路がもう溢れかえっており、これ以上雨に降られたら決壊を待つまでもなく洪水を起こす。
「あんたたちが自分達に良いと思ってした事が、自分達に災いとなって跳ねかえってくる。私が言いたいのはそういうことだ」
「……なるほど」
「今までは互いに別の事と思って干渉しあわなかったが、これからはもうそういう事も言っていられなくなったと私は思う。我々の中にもまだあんた達に反感を持つものが多く、今すぐというわけにも行かないが、いずれちゃんと使いを立て歩み寄りの一歩を踏み出したいと思う。いかがか？」
父親はついてきたサスクの方を見た。彼女は困ったように父親を見ている。
「……善処しよう。我々も闘いを好むわけではないのだから」
苦々しげに吐き出された言葉だった。だからデルは中立の立会人としてこの街にしばらく滞在する事にした。