会えない
毎日が戦いだった森の生活に比べると確かに体は疲れない。しかし精神的にはかなりのストレスを抱えていた。
「私、いつまでここに居なきゃいけないんだ？」
デルは誰に言うでもなく愚痴をこぼした。あの話し合いからすでに二ヵ月近く経っている。その間に多少の進展はあったが、何しろ政治的要素を含む事なので展開は遅々としたものだ。それに反対派はどちらの側にも存在し、彼らを説得するための手間も馬鹿にならない。それに…。
「デル〜。ご飯だよ。一緒に行こう」
デルの一番の頭痛の原因は彼女、サスクの存在だ。今も彼女を呼びに来て、腕を組んで食堂に連れて行こうとする。
「わかったから。腕を組むのはやめてよ」
「え？いいじゃない、これくらい」
まあ確かにいきなり結婚といわれるよりは大分ましではあるが…。言い返したいのは山々だが最近本当に体力がなくそんな気力も萎えた。で、毎回のようにデルはサスクに腕を組まれて引きずられるように食堂へ連れて行かれるのだ。
いつもなら人が多いのだが今日は少ないのでデルはちょっと不思議に思う。その事を問うと、
「反対派の押さえに回っている」
とのことだ。
「相変わらずですね…」
「まあな。こうなる事は最初からわかっていた。私自身もあまり乗り気じゃないのだが、我々トゥーク･ポーリア以外の人々の事を持ち出されるとな…」
もともとクリルテウ真族と二枚耳一族の間で取り決められた約束である。デーフェンリールに多く住むほかの民族にはまったく関係ない事なのだ。
「でももうすぐ新しい取り決めができる。お互いに歩み寄って技術の交換をしあい、自然と共存する方向で進んでいくのだ。この件に関しては、一部の反対派を除いて賛成をしている。特に他の人達が、な」
「いい迷惑でしたでしょうからね。それでは私はもう行ってもいいですか？」
「えっ！？」
「とりあえず兄を探したいので」
「やだ！サスクのそばに居てくれるって約束」
「した覚えはないけど…。したのは家につれて帰る約束だけよ」
サスクはむくれてしまい、食堂から音を立てて出ていった。
「すいませんね。あいつは羽を見られたことにかなり固執しているようで」
父親が言葉ほどすまなさそうな様子もなくいう。デルも特に気にしない事にした。
「とにかくありがとう。デルさん。あなたのおかげでこの街はいい方向に向かいそうだ」
「そんな…。私は何もしてません。あなたやケーニさんがお互いに譲り合ったからこそ、他の人たちの事を思ったからこそできたことです」
目の前に居る精悍な顔つきのトゥーク･ポーリアの男はデルをじっと見た。
「……いや、もっと早ければなぁ……」
なんだか良くわからない言葉を漏らす。するとそれまで黙っていた妻が一言。
「浮気は駄目ですよ」
優雅にお茶を飲みながら言うので余計に凄みを増した。父親はもちろんのこと、直接向けられたわけではないデルでさえも背中に何かが走ったほどだ。
「ははは…じゃ、じゃあ私はこれで…旅立ちの準備もありますし」
「おや、もういってしまうのか」
「早ければ早い方がいいですよ、こういうことは。後、サスクの事ですが…彼女にはさよならを言わないで行きますね」
それだけ言うと夫婦がうなずくのを確認し、食堂を後にした。
いきなり道に迷っていた。湿原地帯はケーニに送ってもらったので良かったが、北に行くにつれ寒さがひどくなり吹雪くようになると視界が奪われる。そのせいで方向感覚が狂ったのだ。しばらく歩いていると完全に凍りついた川に出た。
「やった！これに沿っていけば海に出られる。そうすればナーアウの集落に出会えるかも…」
読みは当たった。見なれた旗印が見えるとデルは小走りになる。そろそろ門が近づくといったところで様子がおかしい事に気付く。
「…？？」
全体にぴりぴりしているのだ。彼女が集落に近付くとモリを構えた二人組のナーアウ族に止められる。
「だれだ！？」
「今、我々は最後の局面に立っている。そうやすやすと他人を入れる……おや？」
片方がデルの刺青に気がついた。
「あんた…エラシの人か？しかも髪が長いし、俺たちと口をきいてる…なんでこんなとこに」
もう一人も驚いている。さすがに自分達と交易のある民族の事は知っているらしい。
「兄は…いますか？」
彼女は質問に答えず用件を言った。
「兄さん？名前は？」
「ドム…ドム･テウ。南の集落で聞いたらここに居るといわれたので」
門番の一人が集落の奥に入っていった。妙な沈黙が残された門番とデルの間に広がる。なかなか戻ってこないので門番は遠慮がちに聞いた。
「あんた…わざわざ兄さんを探しにここまで？」
「ええ。見たらわかると思いますけど私は里を追放されて。結局兄さんを頼ってきてしまったんですが…」
「……そうか。ところであんたはなんの武器を扱うんだい？もし良かったら我々と一緒に闘ってくれると嬉しいんだが」
「すいません…。私、ろくに武器を扱えないんです。だから髪が長いんですよ」
しまったというように顔を歪める門番。
「あ、いいんです、気にしないでください。私は別に困っていませんから」
再び奇妙な沈黙が流れる。と、その時に中に入った門番が戻って来た。助かったとばかりに片方が聞く。
「どうだった？」
「……あんたがそれを聞いたのはいつだ？」
デルに向かって聞く。
「ええと……四ヶ月か五ヶ月前だと思うんですが。半年は経っていません」
「そりゃあ残念だったな。ドムはちょうど二ヵ月ぐらい前に南に向かったよ。あんたが言っているのが、テウ隊長の息子の事なら」
「そうです…か。デーフェンリールのごたごたがなければ…」
しばらくうつむいてしまったデルに容赦なく冷たい風は吹き付ける。門番達は顔を見合わせて困っていたが、不意にデルが顔を上げたので面食らった。
「な、なんだ？」
「じゃあ、父には会えますか？デル…ガリュトの娘が来たと」
「残念だけどそれは出来ない。隊長はドムが南に行く直前、戦死したんだ。ドムはそのために南に向かったんだ。新しい隊長をつれてくるため」
「そんな…！」
今度こそデルはうちひしがれた。父と兄を頼って見知らぬ土地まで来たのに。もう戻る事は出来ないのに。そんな彼女の様子を見ていた門番は、どうにかして元気付けてやろうと必死で考えた。
「なあ、あんた。もしかしたらそろそろドムが戻ってくるかもしれないぞ」
「え…？」
確信がないのだが、南の本隊の位置まで船を使えばだいたい一ヶ月ほど。うまくすればそろそろ新しい隊長を連れて戻ってくる時期ではあったのだ。
「本当ですか？」
「確信はないがな。ただこっちもそろそろ戻ってきてくれないと困るんだ」
「おいおい、そんな事べらべらしゃべっていいのか？もしこの女が敵の手先だったら…」
「そんな事はないだろう。この見事な琥珀色の髪を見ろよ。ドムと一緒だ。間違いなく兄妹だろうよ」
「そんな無責任な…」
「大丈夫。俺のカンはよく当たる。さてドムの妹さん、名前は？」
「デルトオーヴ･ガリュト」
「長いな。デル、でいいか」
彼女が頷いたのを確認して門番は続ける。
「ドムが戻ってくるかは確信はないが、おまえさんは特に急ぐ用事もなさそうだ。俺たちの闘いに参加してくれるならドムが戻るまでここにいさせてやってもいい。どうか？」
言われた事をしばらく吟味していたがはっきりとうなずいた。
「よし、戻ってきたら知らせてやる。さあ、隊長代理のところへ行こう」
門番の一人につれられて少し大きめの小屋に入るデルはかなり不安だった。
それから四日経った。デルは戦闘というよりも雑用係としてかいがいしく働いている。武器の手入れ、食事の用意など、ありとあらゆる事をした。他のナーアウの人間も同じ事をやっているので文句など言えない。女と男で仕事を分けたりはしていないのだ。午後になり、少し仕事が落ち着いたところに門番の一人、アディが顔を出した。彼女を集落に入れるといったほうだ。
「戻ってきたぞ」
それを聞くとアディを突き飛ばさんばかりに小屋の外に出る。アディはかろうじてよけたので転ぶ事はなかったがあきれた顔をしていた。
「デル、ちょっと落ち着いてくれ。いくら戻ったからといって今すぐにあえるわけじゃない。今は隊長代理の小屋に行っているから無理だ」
「いつになったらあえる？」
「そうさな…今晩の飯の時かな。心配すんなって。おまえさんの事は伝えてあるから。びっくりしていたぞ」
笑って彼は仕事に戻っていった。
やっと探していた兄に会える。その事は寒さをデルの体から吹き飛ばした。後数時間すればたった一人の肉親に会えるのだ。彼女はうきうきしながらモリの穂先を磨き始めた。
その直後。シアニアの部隊が大挙して襲って来た。