新隊長
「敵襲！全員配置につけ！」
伝令が走りまわる中、デルは手入れが終わったモリを渡しながら自分も愛用の短剣を腰に挟む。武器保管庫を飛び出しながら一つの小屋を見る。
「兄さん…」
おそらくそこにいるだろうと当りをつけてつぶやく。それは一瞬だけで、戦闘が行われている海域へ行く小船に飛び乗る。船頭はアディだった。
「あんた、海上戦闘はした事あるのかい？」
「ないわそんなもの。湖でヌシを捕まえる手伝いはしたことあるけど」
「そんな経験してりゃ十分だ。いくぞ！」
冷たい水の上をすべるように船は走る。長い髪が旗のようにたなびく。それを見たアディが疑問をはさんだ。
「前から思ってたんだけどなんで一人前になるまで髪を切ったらいけないんだ？」
「髪が長かったら邪魔になるでしょう？未熟な時こそ不利な状況で的確な判断と迅速な行動ができるようにっていうこと。それができるようになったら短くなって、身軽になればもっとその行動はよくなる。そんな意味だって母さんが言ってた」
「あんたの母さんは？」
「龍と相打ちになって死んだよ」
ふーんと気のない相づちを打ってしばらく船を走らせる。やがて火薬と血の匂いが混じる。戦闘が行われている海域に近付いたのだ。突然アディが叫んだ。
「り、龍だって！？」
「時々岩龍が迷い込んでくるの。あっほら、そんなこといってる場合じゃないわ！火矢が飛んでくる！」
「ちっ」
櫂を利用していくつかを振り払う。デルもそこにあったモリや短剣を使って振り払う。しかし、それでも数本は小船に突き立った。
「まずいぞデル。あそこの大きな船まで泳ぐぞ！」
「了解！」
手が動かせないほど冷たい海水だったが、デルは必死で泳ぐ。それでも遅れがちになるのは仕方ない。アディは彼女の腕を取るとものすごい勢いで船に向かった。そのおかげで比較的早く船の甲板にあがった。
「アディ、すごいね…。あんな冷たい水の中を人間一人連れて速く泳げるなんて」
「これでも海の民だ、見そこなってもらうと困るな。一応怪我人を連れて素早く泳ぐすべは身につけてる」
すこし照れながらも、周りの様子を見ながらいう。彼は船の上で見張りをしているナーアウの戦士に概況を聞くためデルのそばを離れた。デルは別についていく義務はないが、どうやらここには知った人間があまりいないようなので彼の後についていった。
「……というわけだ。シアニアのやつら、ポシニア海帝族と協定を結んだらしい。ついにずっと南の方でもここと同じ事が起こっているらしいぞ」
「大人しく寒いところにすっこんでりゃいいものを…！」
シアニア海王族が北極点付近ならば、ポシニア海帝族は南極点付近にいる海の民。もともとこの二つは一つの部族だったといわれるが、真相は定かではない。しかもナーアウにとってそんなことはどうでも良かった。敵には違いがないのだから。
「隊長はどうするって？」
「それが…」
突然船が激しくゆれた。左側舷ぎりぎりに大砲の弾が打ち込まれたのだ。その場の全員がそこにしゃがみこむ。と、頭上から大きな声が降って来た。
「右舷側にいる人間は武装し敵の船に向かえ！左舷側の人間は潜って被害状況を確認しろ！それからデル！」
いきなり名を呼ばれた彼女は慌てて立ち上がり素っ頓狂な声で返事をする。
「は、はぁい！」
「おまえは俺と一緒に海に出てやつらの撹乱をする。いいな！」
叫んだのは、彼女と同じ琥珀色の髪をざんばらにした青年。涼しげな目元が印象的だ。
「あ…もしかして…」
「デルトオーヴ･ガリュト。おおきくなったな」
にやりと笑ったその顔は紛れもなく彼女の母親と同じだった。
「兄さん！」
デルとドムが撹乱を効果的に行い、その隙に潜っていった戦士が船底に穴をあけていく。多少の犠牲はあったものの、母船の被害は少なく、まずまずの戦況といったところだろう。後退していく敵を横目に見ながらドムは感慨深げにデルを眺めた。
「しかし……おまえ、本当に武器を扱うのが下手だな」
「ぶっ！……兄さん、やっとの事で生きてる私にそういう声をかけないでよ」
「そんなこと言ったって、そうなんだから仕方がないじゃないか。もしかしたら武器は使わない方がいいんじゃないか？」
指示を出しながらデルをからかうようにいう。
「武器がないとエラシとしての存在が…」
「追い出されたんだろ？南に行った時エラシ担当のじいさんに聞いたよ。別にそこまでしてエラシだ、ってことにこだわる事はないさ」
何気ない兄の言葉にデルは救われるような気がした。今までどこへ行ってもエラシであるということがついて回ったのだ。
「ありがとう…兄さん」
まだ兄がそこにいるということが信じがたく、また照れくさいので小さな声で礼を言った。ドムはそれに気がつかず、忙しく他の人間に指示を出している。
「ドムは新しい隊長に任命されたらしいよ。南の方でも戦闘が始まったってさっき言ってたろ？そのせいで人手が足りなくなったんだってさ」
いつのまにかデルの後ろにアディが立っていた。
「隊長さんの妹か…。こりゃきびしいかもなぁ……」
デルの髪を見ながらアディはつぶやく。
「何か言った？」
後ろを振り向くデルにアディはあせってなんでもないと手を振った。が、ドムの耳にはしっかり入っていたらしく、アディの横を通りすぎる際こう言ってのけた。
「前途多難だぞ。俺は厳しいからな」
アディは目を押さえて天を仰ぐ。周りの人間はそんな様子に意味がわからずとも大笑い。デルだけがなんでみんなが笑っているのかがわからず困った顔をしていた。
「今、戻ったぞ！」
集落の守りを固めていた戦士が集まる。
「さすがテウ隊長の息子だ」
「いきなり大勝利を収めるとはなぁ…」
ドムは船から下りるなり周りを取り囲まれて歓喜の声を浴びている。デルはそんな様子を見ながら食堂に向かった。食事当番に当たっているのだ。
一通りの食事が終わり片付けも終わって自分にあてがわれた小屋に向かう。所々火をたいていて見張りがその下にいた。
「ご苦労様」
社交辞令で挨拶を交わし小屋に入ろうとしたところ、兄の後ろ姿を見た。崖のほうに向かっているようだ。
「兄さん、どこへ？こんなに寒いのに」
デルに気がつき彼女が追いつくのを待ってやる。
「親父の墓だよ。おまえも行くか？」
二人して崖の上にある小さな墓標の前に立った。
「結局父さんにはほとんど会えなかったな」
「そういやそうなるな。俺は母さんには何度か会ってるけど」
その時に抱えているデルを見たという。もうずっと昔の話。
「よく来たな、デル」
じっとデルを見つめていった。
「歓迎するよ、俺の妹。母さんにそっくりだな」
「そうなの？あんまり自覚はないんだけど…」
自分の周りを見ていたがデルは改まってドムに向かった。
「こ、こちらこそ。不肖の妹ですが歓迎されています」
まだ緊張が抜けきっていない声でデルは言った。ドムは大声で笑うと突然そこにあった木切れを高く蹴り上げ、落ちてきたところをうまくキャッチする。デルも臨戦体勢に入る。
「ばれてるから出てきていいよ」
それを合図にか、二･三のシアニア族が現れる。
「ふん、さすがと言ったところだな」
デルは無意識のうちに腰の短剣を取ろうと手を回す。が、なかった。
「ナーアウ一の戦士とエラシの女か。でも女の方は武器がないみたいだな。エラシが武器無しだなんて、聞いた事がない」
ドムは心配そうにデルを見たが、彼女は大丈夫と言う風にうなずいた。それを信じてドムは目の前の相手をにらみつける。
「馬鹿にすんなよ」
相手が動いた。しかし少し動きが鈍い。おそらく長時間この場に潜んでいたからであろう。そしてそれを見逃す兄妹ではなかった。ドムは相手の武器を効果的に落としている。武器のなくなった相手をデルが体術を生かしてなぎ倒していく。海上とは別人のような動きにドムは目を見張った。
［ひゅーっ！やるじゃないか。やっぱ武器ない方がいいみたいだな」
にこりと笑うとデルは最後の相手を蹴り倒した。
「体がうまく動くっていうか…。よくわかんないけど動きやすいのね」
「体も武器の一つだ。ただ女にそう言うと別の意味もあるが、おまえはそっちの方は心配ないからいいか」
息切れをさせながらデルも言い返した。できるだけ平気な顔をしているが、なれないことをしてめまいを起こしそうになるのをこらえている。
「ちょっと兄さん、それってかなり失礼なこと言ってない？」
くだらない事を言う二人の後ろで、意識を取り戻したシアニア族の一人がそこにあった短刀をドムの背中に向かって投げる。
「兄さん、あぶない！」
気合一閃。ドムを押しのけ飛んできた短刀をまわし蹴りではたき落とす。慌ててドムはその男をもう一度気絶させる。そしてデルの方を見た。しかし彼女の姿が見えない。
「デル…？デルトオーヴ！」
ドムは彼女の名を呼んだ。しかしデルの姿は見えなかった。