意外な事

 大捜索が続いていたがデルはいっこうに発見できない。崖といってもそんなに高いわけではなく、潮流も激しいわけでもないし、崖下に岩があるわけでもない。つまり、行方不明になる要因などどこにもないはずなのだ。
「くっそぉ…デル、どこにいったんだ…」
 アディは刺すような冷たさの海水もものともせず何度も何度も潜りつづける。
「おいアディ、無理すんな!おまえが遭難したら洒落にならない!」
 少し離れた位置からドムの声が聞こえる。その声が聞こえなかったわけではなかろうが、アディはまた潜っていった。
「あいつ、入れこんでんなぁ」
 ドムはつぶやくとアディのために明かりを差し出す。この明かりは深い海の底まで照らし出す効果があり、海に生きる民族にとって欠かせない物だ。
「しかしデルは…かなり無茶な状態だったんだな。戦争なんて、きっとかかわった事なかったんだろう…」
 海はアディやその他の人が潜る音しかさせなかった。

 デルが足元を滑らしたのに気付いたときは冷たい水の中を深く沈んでいく真っ最中だった。
(よりにもよって父さんの墓標につまづくなんて…)
 初めての人間相手の戦闘。それは彼女に極度の疲労をもたらしていた。もはや泳いで海面まで行く気力すらない。
(このまま、死んじゃうのかなぁ。せっかく兄さんに会えたばっかりなのに…)
 真っ暗になっていく周り。
(…父さんに、あえるかな?)
 意識も周りに合わせて真っ暗になっていく……。
(駄目だっ、デル!)
 最初は点だった光が次第に大きくなり、そしてそれはデルを包み込む。それはとても優しい光だった。
 気がついた時にはベッドの上に横たわらされている。体はどこも濡れておらず、海に落ちたという記憶以外そのあとを残すものはない。
「あれ…?」
 窓の外から穏やかに光が漏れている。それに誘われるように覗き込む。どこかはわからないが、少なくとも兄のいる北の果てではないようだ。小さな集落のようで、何人かが外で談笑している。しばらく見ていたが、不思議な事に子供の姿が見えない。首を傾げつつもとりあえず外に出てみようと思い、扉を開けた。暖かい空気が流れ込む。
「気持ちいい…。あったかいし」
 外はいい天気で絶好の狩り日和だ。そこまで考えてもう自分は狩りをする生活をしていない事に気がつき自嘲気味に笑った。話をしていた何人かの内、一人が彼女のほうに向かって来た。
「元気になったみたいだね」
 長い蒼い髪。どこかで見たような人懐っこい笑顔。
「あなたが助けてくれたの?…ありがとう」
「どういたしまして。でもさすがに僕も疲れたよ」
 にこにこしながら言う彼。彼女よりは早く目を覚ましたものの、彼もかなりの時間眠ったそうだ。
「ねえ、ここはどこ?…あなたは?」
「ここはナーアウ最北端集落からもうちょっと南に行った所。デーフェンリールがある湿地を抜けたところにあるんだ。僕はバレム」
「え…。でも、ケーニはデーフェンリール以北には、ナーアウとシアニアの集落しかないって…」
「ここは隠れ里なんだ。クリルテウの人達には多分わかんないと思う」
「そうなんだ…。あ、兄さん!」
 ナーアウの里に戻らなければ、ドムもアディも、そのほかの人達も探しているだろう。
「ごめんなさい。行かなくちゃ」
「ちょっとまって。僕が送っていくよ」
 バレムと名乗った青年、デルより少し年上ぐらいだろうか、が提案する。
「バレムさん…でも休まなくては…」
「大丈夫。僕の事はバレム、でいい。その代わり僕もデルって呼ぶから」
 彼女は慌てていたので、青年が彼女の名を知っていることになんの疑問も持たなかった。バレムがなにかの言葉をいっている間、デルはただ兄のことが気になって仕方ない。
「……ついたよ。ここでいいんだよね」
 気がつけば周りが寒い。あっけに取られたデルは、周りにバレムと、デルと同じようにあっけに取られているアディがいるのに気がついた。
「あ…え…デル?」
「あ…アディ!兄さんは!?」
 忘我状態に陥っていた二人だがすぐに自分を取り戻し、ドムのもとへかけていく。取り残されたバレムはゆっくりとそこを去ろうとしたが、極度の疲労感が彼を襲い結局彼も集落の中に入れてもらうことになった。
「まだまだ未熟だなぁ、僕は」

「兄さん!」
「デルかっ!」
 しばし二人は抱き合い、見ているアディが妬くほどだった。
「どうやって助かったんだ?俺達、あのあと必死で探したんだぞ」
「バレムって言う人が助けてくれたの。私、泳ぐ元気なくってこのまま死んでしまうって思ったんだけど…不思議な力で助けて…あ、バレムっ!」
 兄のことしか頭になく、送ってくれたバレムをそのまま外においてきてしまった。
「大丈夫だ、相棒が中に入れてやって休ませてるよ」
 アディがそう言うので三人はとりあえず青年が休んでいる小屋へ向かった。
「バレム、大丈夫?まだ無理だったんじゃないの?」
「いや、僕はまだ未熟なんだ。だからちょっと大きなことをすると、すぐ疲れてしまう」
 バレムは人懐っこい笑顔をそこにいる人に向けるとそう言った。
「そう言えば…」
 デルが首を傾げる。
「あなた、どうして私の名前を知っていたの?私、言ったっけ?」
 それにしては、助けてくれた時から呼ばれていた気がする。初対面のはずなのに。青年は少し悲しい顔をしたが大きなあくびを一つするとデルに謝った。
「ごめん、デル。僕、ちょっと寝ないと。その件については起きてからにしてくれるかな?」
「…うん」
 彼女が返事をしたのを見て青年はすぐ寝息を立て始めた。デル、ドム、アディの三人は起こさないようにベッドから離れる。外に出ると寒さが少し和らいでいる気がした。
「しかし、本当に良かったよ。いくら探しても見つからないからもう駄目だと思ってあきらめかけてたんだ」
「ドム隊長、そんなこといってるけど一番心配していたんだぜ?」
 そっとアディが耳打ちする。
「アディ!おまえ、門番の仕事はどうしたんだ!さっさと行って来い!」
「おお怖い。隊長は図星を刺されると怒るからな」
 減らず口をたたきながら彼は集落の入り口へ走る。その後を追いかけるふりをしたドムだが、デルに向き直って照れたように笑った。
「いや本当に良かった。会えたばっかでほとんど何も話していなかったからな。今晩は色々な話をしよう、デル」
「うん、兄さん。…ところでシアニアは?」
「あの襲撃失敗以来大人しくしている。かなりの被害が出てるはずだからまだ、大丈夫だろう」
 それはおそらくこちらの方にも言えるだろう。デルはバレムが元気になったら手伝ってもらえないか聞いてみることにした。
 ふと目を覚ましたバレムは外の会話を何気なく聞く。そして胸元から肌身はなさず持っているお守りを取りだし、握り締めた。それはペンダント状にはなっているものの、そうと呼ぶには大きすぎる代物である。それはなにかの角を加工したものであり、バレムの属する民の間では持っていると幸運を呼び寄せるといわれている。お守りを見ながら彼は深い眠りに落ちた。愛しい女性の名を呼びながら。

 兄妹水入らずな時間をすごしたデルは頭痛を抱えていた。俗に言う「二日酔い」という奴である。寒いのでかなりきつい酒が置かれているのだが、そういうこと以上にドムは底無しだった。デルも女ではかなり強い部類に入るのだが兄にはかなわない。なまじ飲めるだけに調子に乗って兄について飲んだのがまずかった。
「兄さんはもうずっと先に起きてみんなを統率しているんだよなぁ。…あたた。真似できないや」
 痛む頭を抱えながらデルはバレムの眠る小屋へ向かった。なぜ彼が彼女の名を知っているのが気になった。
「バレム?起きている?」
 小さく戸をたたき、軽く声をかけながらそっと戸を開ける。もしまだ眠っていたら、起こさないようにするためだ。もっとも、あまり大きな音を立てないのは、自分の頭に響かさないという意味もある。案の定まだ寝息を立てていた。彼の首からは例のお守りが落ちそうになりながらもかかっている。よく首をしめたりしないものだと思い、彼女はそれを彼の布団の中に入れてやろうとした。
「…!」
 先についている角に気がついた。見覚えがある。
「ピーコックブルー……」
 それは見事な孔雀の蒼。この世界に角を持つ民族は多くない。そして、デルはその民族のうちこれと同じ角を持つ人間二人と面識があった。一人は死んでしまったものの、もう一人はずっと南の地で生きているはずだ。彼女の脳裏にあどけないピーコックブルー・レフトの顔が走る。直後、デルは布団をつかみ、バレムを床に転がした。何が起こったのかわからない青年は寝ぼけ眼で周りを見まわし、デルの姿を見とめるとやあ、と笑った。デルは笑うどころではない。
「レフトを…!ピーコックブルー・レフトをどうしたの!?」
 言った自分の声が頭に響き涙が出そうになるがとりあえず彼から視線を離さない。
「…?」
 青年はまだ状況がわかっていない。デルはあごで角のお守りを指した。
「それ!それを持っていた人間よ!あんたまさか、レフトをどうにかしたんじゃ…!」
 もしそうなら絶対に許すものかとばかりに構えを取る。ここに至ってバレムは状況を理解した。それでも落ち着いた物腰で、
「デル、僕だよ。僕がピーコックブルー・レフトだ」
 と返した。
「馬鹿なこと言わないでよ!あの子は・・ライトがいなくなったから大人になれないの!」
「そう。ライトはダヴィ蛇にやられて死んじゃった。でもあいつ、待たなくていいって言ってくれた。だから僕は角を折ったんだ」
 そう言うと彼は左側の髪を掻き揚げる。そこには胸元にぶら下がる角と同じ位の大きさの傷があった。よく見るとほんの少し孔雀蒼色の角の跡らしいものがある。髪も蒼なので気がつきにくいのだ。
「え…?」
 デルは彼の胸元にある角と、頭の傷跡を見比べる。
「えぇー!?」
 完全に混乱してデルは大声を上げた。それはしっかり彼女の頭に響いた。

TO BE CONTINUED


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