再びデーフェンリール
ずっとあの死体の事が気になっていたのでデルは発見場所に戻っていった。しかし、見つからない。
「なんで…？ここじゃなかったの？」
付近を見渡すがなにも見つからない。誰か、恐らく仲間であろうが、とにかく誰かが死体を持っていったのか。その痕を示すものは全て雪の下だ。
「きっと、仲間も忍びなかったのね」
不信には思ったもののそれ以上考えず、デルは集落に戻った。
集落に戻ったデルは、門でなにやら一悶着起きている事に気がついた。門は相変わらずのロッヒと、アディの代わりにバレムが立っていた。そして、見なれない人影らしきものがある。どうやらロッヒがその人影に食って掛かり、バレムが彼を押さえているようだ。
「どうしたの？」
「デル…。この変な生き物があんたに会いたいんだってよ。あんた、心当たりあるか？」
「だからロッヒ、この人はクリルテウ真族の人だ、っていってるじゃないか」
尋ねてきた人を気にしながらバレムがたしなめる。
「クリルテウ真族の人？」
渦中の人物がフードを取った。
「…ケーニ」
「あんた、こんな知り合いがいたのか」
ロッヒが驚いたように言った。デルはもっと驚いている。デーフェンリールのごたごたでケーニは今忙しくしているのではなかったのか？
「久しぶりだな、デル。早速話がしたいんだがここではちょっと私には寒過ぎる」
慌てて彼女はケーニを連れて長老のところに行った。薪不足の折、そこしか常に暖炉がついているところがないのだ。快く場所を提供してくれた長老に礼を言うと、デルはケーニに話してくれるように促した。
「で、なんなの？あなたがこんな寒いところに尋ねてくるのは、きっとかなり大変な事が起こったと思っていいの？」
ケーニはデルの目を見、長老を見、そしてその口を開いた。
「デーフェンリールが…堕ちた」
「…え？」
「聞こえなかったか？デーフェンリールが…」
「それはわかった。けど、どうして？」
「三週間ほど前の事だ。おまえが旅立ってすぐだったと思う。何やら龍に乗った一団が来襲してきたと思ったら、もう次の瞬間にはめぼしい建物が破壊されていた。かなりの犠牲も出たようだ」
痛ましそうに目を伏せるケーニ。
「ケーニ、あなたも…？」
「ああ。私の子どもと夫はその犠牲の一人になった。…何を見ている？」
「ケーニ、あなた女の人だったの？」
彼女の驚きの声は集落中に響き、同時に長老の小屋のほうを向く。見張りのかたわら気になっていた枝毛を切っていたバレムにいたっては、思わず手元を狂わし、髪を根元の方からばっさり一束切ってしまった。
ケーニは、見た目にははっきりと分からないのだが、明らかに嫌な顔をしているようだ。
「デル…。おまえ、驚くところが違うぞ」
慌てて口を押さえるがもう遅い。すまなさそうな顔をしながら彼女は謝った。
「ご、ごめんなさい、ケーニ。でも…ずっと私、男の人だと思ってた」
「まあおまえ達みたいに見た目で判断するのは、同じクリルテウのものでない限り難しいだろうな。まあそれはいい。今はそんな事を言っている場合じゃない。デーフェンリールの事だ」
「そうね。でも…私に何かできるかしら」
「わからん。が、とにかくおまえは私達とデーフェンリールの間を取り持った人間だ。なにもできないまでも、おまえの姿を見ればみなも喜ぶ」
え、っという顔をするデル。
「…気がついていなかったか。おまえはあのサスクのほかにも、結構慕われていたんだ」
「そ、そう？」
「ああ。私は嘘は言わないよ。だからおまえが戻ってきたらみんな元気が出ると思う。来て、くれるか？」
困ったような顔をしてデルは長老を見た。長老は彼女の訴えが分かったが、あえてケーニに別の質問をぶつけた。
「クリルテウの御方。尋ねるが、龍に乗った一団と言うのに、心当たりは？」
「…龍の方はおそらく岩龍一族であろう。騎手は…」
そこでちょっと考え込むケーニ。
「確信はないのだが。私もうわさに聞いていただけなので」
「推測でもいい。言ってみてくれないか」
「私はテリニライではないかと思う」
「テリニライ？」
「デルは聞いた事はなかったか。北の山の中に住んでいるテリニライ・ゲシス皇族。だいたい岩龍が住んでいる辺りにいる、厄介な連中で、こちらでは悪魔族として有名だ。まあエラシは熱帯にいるからあまり知らないのも無理はないな」
ケーニが少し説明をし、長老が後を取る。
「やつらは自分たちは選ばれた存在だなんて言って、我々ナーアウやクリルテウ、デーフェンリールと交流をもとうとしない。それどころか、自分たちの考えに賛同しないものとして敵視している。変な偶像を崇拝する、まあ変わった一族だな」
「その点は私も賛成だ。変わり者でなければ自分たちの部族に「皇」なんてつけないだろう」
「変な偶像…？」
何かがデルの記憶をかすめた。自分はそれと同じ物を見た事がある。どこで？いつ？その間にも話者を変えつつテリニライ・ゲシスの話が続く。
「やつらは岩龍と心を通わし、岩龍を御せる唯一の存在だ。だからやつらが岩龍に乗ってデーフェンリールをぶっ潰したとしても、俺は驚かんね」
「長老どの、そんなにのんきな話をしている場合ではない。あなた方のところにいつ彼らがやってくるか…」
「もう来ているかもな」
はっとデルが顔を上げる。
「長老、アディの事？」
「いくらシアニアの奴が卑怯と言っても絶対に毒だけは使わない。俺達と同じ、海の民だ。俺達は海で生き、海で死にたい。シアニアも、同じだろうよ。だから俺は、アディは誰にやられたにしろ、シアニアの手にはかかっていないと信じている」
「それを兄さんに早く言って…」
「言ってどうする？シアニアとの戦争から、テリニライとの戦争に路線変更させる気か？今、アディがシアニアのやつらの手にかかったとみなが信じ、今までになく本気になっている。このまま行けばおそらく、いや確実に俺達の勝利を導く事ができるだろう。なのになぜそれを止めさせるのだ。もっとも、俺一人だけが真実を主張してもなにも変わりはしないだろうがな」
戦争下において、長老の言っている事は正しいのかもしれない。それでもデルにはあんまりなように聞こえた。なんと言っていいか言葉が見つからない。
「…彼らには不思議な力があるという。人を無意識に従わせる力、自己再生能力、果ては姿を変える力…」
「わかった！」
長老の言葉に少しショックを受けていたデルだが、あることを思いだし書く物を探した。長老が無言で差し出したペンを取り、彼女は紙に何かの絵を書く。
「もしかして…そのテリニライが崇拝している像って、こんな感じ？」
差し出したデルの紙にはなんとも言えない像が描かれている。それは里から追放された直後、サスクと出会った洞窟に置かれていた偶像だ。
「そうだったと思う」
「これをどこで見たんだ？」
事情を説明した後デルは、デーフェンリールへ行くといった。ケーニは喜び、長老はなにも言わず頷いた。何が原因であの街が襲われたか知らないが、それは自分がナッハ達の生活をつぶした事に無関係ではない気がした。
ケーニを長老のところにとりあえず滞在させるということで、その間にデルは身支度をするため自分の小屋へ走る。その後ろ姿を見てケーニがつぶやいた。
「あの女のどこに、我々やデーフェンリールの街の者を惹き付けるものがあるんだ？」
「あんたは知らないのか？エラシの一族は先天的な魅了の術が使えるんだ。ただあの娘はそれを自覚しておらず、ただただ回りの人間を振り回している時があるな」
長老はそう言ったが、ケーニにはそれだけではない気がした。しかしもうなにも言わなかった。この長老は、頭はいいし物事もよく知っているものの、少々他人を小ばかにしたようなところがある。ケーニはそう言う人間はあまり好きではなかった。
デルは慌てて自分の荷物をひっくり返している。
「何してるの、デル？」
「うん、ちょっと出かけてくるから…って、あなたバレム？」
「そうだけど？」
デルは彼の髪が短くなっているので一瞬びっくりした。
「どうしたの、その髪。気分転換？」
「いや、そういうわけでもないんだけどね」
苦笑しながら先程の事を思い出す。手元が狂って一房髪を切り落としてしまった彼、仕方がないので切りそろえる事にした。だがどうもすわりが悪いので結局かなり短くする事にし、ロッヒに頼んできれいに切ってもらったのだった。
「ふーん？まあいいや。私これからデーフェンリールに行って来るから。いつ戻るか分からないけど、この里の事、ちょっとお願いできる？」
「…送っていこうか？」
「それは願ってもないことだけど…」
バレムの移動能力を使えば確かに便利だ。
「でもつかれちゃうじゃない。それにこっちまでまた戻らないといけないんだし」
「大丈夫だよ。あれからどれだけ経ったと思ってるんだい？僕もちょっとはましになったよ」
そう言うとデルの返事もまたずに気を集中し始めた。
「ちょ、ちょっとまって。私だけじゃないの、もう一人いるのよ」
「それを早く言ってよ。どこに？」
「長老のところ」
そう言うと適当な袋に自分の荷物を詰めるとケーニの待つ長老の小屋へと急いだ。
「ほう…彼がつれていってくれる、と」
「そう。私もバレムに助けられたの。彼の力は私が保証するわ」
「分かった。長老、邪魔したな。デルトオーヴを借り受けるぞ」
「ああ。デル、ドムには伝えておこう」
「お願いします」
光に包まれながら礼をいい、目を閉じる。次に開けた時はデーフェンリールのはずだ。
デルはこの街がそんなに好きではなかった。彼女はきれいに舗装された道より、少々歩きにくくとも直に土の上を歩くのが好きだった。整えられたレンガの街並みより、雑然とした木の家が好きだった。しかし、破壊してしまいたいと思った事はない。この街に住む人が好きだったから。活き活きとした表情は、彼女の里と変わらないものの一つだったから。
今、デーフェンリールには整えられた街並みも綺麗な道もない。そして、活き活きとした表情はどこにもない。それを見てデルは喪失感を感じた。
「…」
里を除くと彼女は一番長くここに滞在した事になる。いやだいやだと思いながらも、多少の愛着はあったのだろう。そんな事を感じずにはいられなかった。