よみがえる街と破壊の前兆
「デルーっ！」
通りの向こうから彼女を呼ぶ声が聞こえた。忘れたくとも忘れられない。彼女にせまられたのはそう遠い記憶ではないのだ。
「サスク」
サスクはデルに思いっきり抱きついた。あまりに勢いが強かったためデルはその場にしりもちをついた。
「…デル、モテモテだな」
「本当」
居合せたケーニとバレムがつぶやく。
「そんなじゃないって…ほら、サスクもどいてよ！」
動こうとしないサスクを無理矢理どかせ、彼女は起き上がった。打った腰をさすりながらサスクに気になっていた事を聞く。
「ねえサスク…？あそこも、壊れちゃった？」
デルがこの街をあまり好んでいないのは確かな事だが、それでもお気に入りの場所というところがあった。
「あ、あそこ？大丈夫、かろうじて残ってるよ。行ってみる？みんな結構集まってきてるから」
見上げんばかりの壁から流れ落ちる銀糸の水。滝というにはあまりに人工的で力強さはない。しかしデルはここが気に入ってた。彼女が愛する自然とはかけ離れているが、こんな壮大な光景は大好きだった。
「よかった…」
「ね？大丈夫だったでしょ？」
サスクが無邪気に笑う。つられてデルも微笑んだ。
「じゃあ僕はちょっと行ってくる」
「バレム？」
「久しぶりに南まで来たから、ちょっと僕達の隠れ里によってみる。出てきたっきり連絡無しだからみんな心配してるかもしれない」
「わかった。帰りはどうする？」
「またここにくるよ。どうせしばらく滞在するだろ？」
それだけ言って姿を消した。
「便利だね、あの男の人。私の羽より使えるし」
「羽と言えば…、あなたさっきから羽が見えているけど、それでもいいの？」
サスクはマントをつけておらず美しい羽を見えるままにしているのだった。
「あ、これ？私ね、デルがいなくなってからあなたが言った事ずっと考えてみたの」
なんだかよく分からない決まり事にずっと振りまわされて、自分たち自身の気持ちがなかった事に気がついたショック。そんなのは嫌だ。ならばまず自分から殻を破ってみよう…。
「で、こうなった。もちろん父さんも母さんも反対したけど、最終的には分かってくれた。それで段々みんなも、羽を隠す事をやめていったの。結構みんな変に思っていた、って事だね」
そして襲撃。テリニライ・ゲシスに破壊の限りを尽くされたこの街を再建させるためには、トゥーク・ポーリアの飛行能力、物資運搬力は欠かせない。
「思いっきり非常事態だから、みんな決まりがどうの、って言うヒマはないの」
よく周りを見れば他の二枚耳一族達も羽を隠す事をやめている。仇敵であったクリルテウ真族と共に力を合わせ街をよみがえらそうとしているのだ。その光景を見てデルは目頭が熱くなった。
「みんな、変わっていく。穏やかであっても、急激であっても、それだけは拒むことなく…。拒んでいるのは、私」
実はデルはまだアディが逝ってしまったことを受け入れきれていない。彼が死んだ事も変化の一部なのだ。それはあまりに残酷な変化のひとつではあるけれども。
「デル、どんな事がおまえの身に起きたか知らないが、無理やりそれを忘れる事も、受け入れる事もしてはならないぞ。無理をすれば必ずどこかが崩れるのだから」
胸中を読んだかのようにケーニが諭した。
「うん」
弱々しい笑いを浮かべてデルはうなずいた。
さてこちらは隠れ里に戻ったバレムである。
「？あれれ？」
人が極端に少ない。出生の特殊性のためもともと多くはない里の人間だったがこう少なくなるとは。
「…ギンカ！」
ちょっと遠くにいた友を呼ぶ。ギンカと呼ばれた青年はバレムのほうにやってきた。
「バレムじゃないか。久しぶりだな…ってそんな暢気な会話をしている場合じゃないんだ」
「どうしたんだ？みんないないことと関係あるのか？」
「大有り。みんな螺旋図書館を守りに行ってる。これから俺も行くんだ」
驚きで目を見開いた。螺旋図書館に行けるのは彼らのような特殊な力を持っているものだけだ。後は純粋な子どもや、永い間そのために勉強したような者しか訪れる事はできない。そんなところを守る必要がある事態とは、一体なんなのか。
「で、でもちょっと待ってよギンカ。あそこはたしか自己防衛機構があっ…たはず？」
「よく分からん。俺達だって、突然じいさんの連絡でこうやってあっちに向かってるんだ。はっきりした事は向こうで分かるだろうよ。…おまえも行くか？」
「ああ。でも僕は図書館の正確な座標を知らない」
「じゃ、俺と行こう」
ギンカはバレムの腕を取ると、図書館に向けて跳んだ。
「襲撃の理由はわからない？」
人工の池のほとりに腰掛けながらデルは聞き返した。サスクは神妙に頷く。
「テリニライは謎の一族だ。我々の歴史にもほとんどその姿をあらわす事はない。あらわしたとしても、全てが岩龍がらみだ。ただ、かなり誇り高い一族だというのはうわさにする」
ケーニが付け足した。一体どうしたものかとデルは考え込んでいると、突然バレムが姿をあらわした。
「デル！君の手が借りたい。一緒に来てくれ！」
「バレム？どうしたの？それに一体どこに…」
「螺旋図書館だ。理由は後で話す」
螺旋図書館と聞いてサスクが顔を上げた。
「螺旋図書館って…あの螺旋図書館？」
よくわからない質問をしながら首を傾げる。背中の羽がぴくぴく動いた。
「どうしたんだ、サスク？」
考え込むサスクにケーニが声をかけた。
「私も行きたい！」
目を輝かせて言い放った。一瞬あっけに取られたバレムだが、わかったというとサスクとデルと手を繋いで図書館に向かって消えた。
「つむじ風みたいな連中だな。さて私は見まわりに行くか…」
残されたケーニは笑いながら被害が大きい地区に向かって歩き出した。
変な空間を飛びながらデルはバレムに聞いた。
「ねえ、一体何があったの？」
「僕にもはっきりと分かっていない。ただ、戦える人が欲しいんだ。じいさんが、司書のアリトンがそう言ったから…」
「でもなんで図書館なんか守る必要があるの？」
サスクが口を開く。彼女は螺旋図書館の役割を知らないから。
「あそこが壊されるという事は、僕達が生きる世界、つまりは僕達も消えてなくなってしまう、って事だ」
全ての物語が集まる図書館。一つ一つの物語はそれぞれひとつの世界を構築する。つまり、世界が集まっているのだ。
「それって…」
青ざめるサスク。沈黙が落ちた。彼らの回りを光が流れて行く音が、嫌に大きく響いた。
「ほら、あれだよ」
青年が差す方向を見ると変な形の建物がある。竜巻のように渦を巻いた壁はどこまでも続き終わりがない。その周りには何かが散っている。近付いてみればそれは全て本だった。
「…これは遥か過去に終わってしまった世界。いくら大きな図書館でも、所蔵量には限りがある。だからこうやって」
「誰が…そとに？」
「図書館さ。世界が終わって適当な時間がたった本は図書館が外に出す。適当な時間といっても何万年とも言うけど…。僕にはよく分からない。数が大き過ぎて想像もつかない」
デルもサスクも同感だった。そしてそう言っている間も彼らはどんどん図書館の、ある一定の点に近づいていった。よく見れば人影があり、三人に向かって手を振っている。
「おーい、バレム！」
「ギンカ！」
ギンカのいるところに降り立つとバレムはその場に座り込んだ。さすがに二人を抱えて異空間に跳ぶのはつかれるのだろう。それでも彼はギンカに状況を聞いた。
「まだ変わりない。じいさんもあれいらい何も感じていないそうだ。で、この二人がおまえが言ってた戦える人か？」
「デルはそうだけど、彼女は…」
「サスクよ」
「サスクさんはついてきただけ」
「何よそれ。戦う事はできないかもしれないけど、機動力はあるわ。それに物資運搬力だって馬鹿になんない…」
「わかったわかった。サスク、あんたの気持ちはわかったから」
デルはサスクの口を押さえると気まずそうにギンカに愛想笑いを浮かべた。ギンカもつられて笑う。
「じゃ、じゃあとりあえずアリトンじいさんに会わせるよ。バレム、立てるか？」
「なんとかな」
よたつきながらも自分の足で歩き始めた彼を見てデルはほっとした。そしてサスクを促し彼ら二人の後を追った。後ろを振り返ると、漆黒の闇と所々の光の中、墓標のように浮かぶ無数の本を見て背筋が寒くなった。いずれ自分の物語もこの中に入ってしまうのかと思うと、なんだかとてもやりきれない思いに取りつかれるのだった。
「終わってしまった無数の世界たち。誰も、気にする事はない…」
どこからか吹いてくる風に漂う本。縫いとめられたかのように動かない視線をもぎ離し屋内へ向かった。