記録
先ほどと変わらない様子の館内。幾度見まわっても何の変化もない。何も関係なく、ただ本を借りに来た者たちも。警備の為にやってきた者たちも。それが気持ち悪い。デルの直感がそう伝えている。
「…ねえ。このままじゃ、きっと何にもならない。アリトンじいさんを探そうよ」
「そうだね…でも、僕もギンカも、じいさんの行き場所に心当たりなんかないんだ」
「図書館中をくまなく探ってみるとか」
「ダメダメ、ここは無理に調べようとしたら…」
「図書館が怒る、と？」
「…そのとおり」
ギンカは仏頂面で頷いた。デルはため息をつく。
「…これじゃ私たちの意味ってないじゃない」
「？」
「だってそうでしょう？外から来るならまだ役に立てるけれど、内部にもう侵入しているのよ。それなのに、そいつを探し出そうと動くことすらできない」
何を狙っているのかわからない。それなのに守れ。これでは動きようがないのだ。
「ねえ…」
黙りこくっていたサスクが口を開いた。
「私、しってる…」
「何を？」
「この奥深くにとっても大事な、記録があるって。それ…じゃないの？」
「…かもしれない。でもサスク、どうしてそんなことを？」
「……昔…街の物知りに聞いた…」
「…」
デル、バレム、ギンカの三人は顔を見合わせた。
「…まあそれはそれでいいか。でもどうやって行く？無茶できないし」
「そう言えば気になってたんだけど、どうして図書館自身に意志があるのに、侵入者を許しちゃったのかしら？」
デルが首をかしげた。
「所詮図書館、さ」
「？」
ギンカはメインカウンターに向かって歩きながら説明した。
「だから、図書館ってのはやっぱり人が本を借りに来るためにあるんだ。だから、人の出入りを制限できない。それに紛れてしまえばわからないんだ。本当に本が読みたい人なのか、それとも本を読みたいふりをしてこの中に進入してきたのか。それを計る機構は、さすがの螺旋図書館でももってないようだ。だから俺らみたいな、傭兵役が必要なんだろ。もっとも、明らかに攻撃の意志がある場合、図書館はそれに対する防御と報復を行うようだね」
「人の心は計れない、か」
バレムが感慨深そうに呟いた頃、メインカウンターまでやってきた。相変わらずアリトンではない司書だ。
「すいません、ちょっと聞きたいんですが」
「なんでしょう？」
機械的な声。
「この図書館にとても大事な記録があるって聞いたけど、本当かい？」
「その質問には答えられません」
「…」
しばらく司書を見つめていたギンカだが、
「そう、悪いね」
とだけいうと、さっさとカウンターから離れた。
「ギンカ、どうして？」
「さっきの応対を聞いただろ？『答えられない』って」
「うん…」
「ひとつだけわかった。とにかく総司書のじーさんをさがさないといけないってことだ」
「あっ、そうか。ここの臨時司書は一般貸出しか情報を与えられてないんだった。アリトンじいさんだけが図書館の重要書籍にアクセスする権利を与えられてるんだった…」
バレムはポンと手を打つ。
「そういうこと。さてどこに行ったやら…」
螺旋状の階段は建物の下から上までどこまでも続いている。
「書庫よりしたかしら」
「たぶんなぁ。たしか基底部に特別保管庫があるとかないとか、昔友達が言っていたような気がする」
「でもさ、どこかに出入り口はあるよね？そこをみつけて、せめて守らないと」
「そだな」
一行はしばらくその場で考え込んだ。そしてもう一度書庫にいってみようかと全員が動き始めたとき、メインカウンター近くの光柱が強い光を放った。
「…誰だろ？」
「あれは…じいさん！」
総司書アリトンだ。何か様子がおかしい。
「変よ！」
一番反応が早かったのはデル。次いで三人が走る。
「じいさん、どうした？」
治療を施そうとギンカが近寄った。が、その顔が歪む。不審に思ったバレムが覗きこむと、体に巨大な穴。
「……早く、ここから運んで！」
慌てて、細心の注意を払いながら控え室に運ぶ。寝台にそっと横たえられた彼はギンカの治療を受け、少し眼を開いた。
「…あんたは…デルかね…？」
「一体、何が？」
「…守って…くれ……アカシック……」
かろうじてそれだけ言うと、杖をデルの額に当てた。優しい光が杖から彼女の体に入る。直後、杖は落ちた。持ち主の力が抜けたからだ。
「アリトンじいさん！！」
「大丈夫だ。気を失ってる。でもまだ危険だ…。俺はここに残って、じいさんの治療に専念する。あんたたちは行ってくれ。その、アカシックなんたらを守るために」
「わかった」
恐らく先ほどの光は鍵。アリトンは彼女に、全ての記録を託したのだ。なぜ彼女に託したのかは、今は知る由もないが、頼まれた仕事はきちんとこなす。それが彼女の信条だ。たとえそれが分不相応だったとしても。
「カウンター横の光柱から行けるんだよ、きっと」
サスクが何かうれしそうだ。いささか場違いな感じを受ける笑顔が、なにか不安を誘う。けれど、彼女はたった今、羽を失ったばかりなのだ。少しぐらい変わったことがあっても、仕方ないことだとデルは考え、そして光柱へ向かった。
「多分…離れてると私しか行けないから…、バレム、抱きついて」
「いっ！？」
瞬時に顔が赤くなる。
「ほら早く。私はあなたの持っている治癒能力が必要なの。なにが起こるかわからないし。一人だけじゃ…不安」
「で、でも…」
「もう…」
口を尖らせると彼女は青年の手を取り光柱の方へ押しやった。
「えっ…？」
「覚悟なさい」
言うなりデルはバレムを押し倒すような格好で光柱の中に突入した。すかさずサスクがその後を追う。
結果。バレムは二人の女性の下敷きになる格好で、見知らぬ部屋に倒れることとなった。
「いてて…」
「大丈夫？そんなに衝撃あった？…サスクも飛びこんだからねぇ」
起きあがる青年を見ながら声をかける。
「大丈夫？」
サスクも覗きこむ。
「なんでサスクも来たんだい？危険かもしれないのに」
「デルと離れたくない」
「……」
なんともいえない顔でデルが腕組みをした。困っているのか照れているのか。まあ、前者であろうと思いながらバレムはたちあがった。
「ここは？」
「どうも書庫より下みたい。というか…螺旋図書館の気配なんだけどなんか違うっていうか」
「きっと位相がずれてるんだ。書庫の下ではあるけど、書庫がある空間じゃないっていう感じかな」
「ふぅん」
気のない返事をしてデルは辺りを探る。記録らしきものは存在しない。ただ、彼女たちが出てきた光柱があるだけ。少し離れたところに道がある。
「あそこかな」
「見つけたっ」
突然サスクが走り出した。
「サスク、待って！危険だから！！」
そんな声も聞かず、彼女は走っていった。慌てて二人も跡をおう。
そこには無数の文字が浮かんでいた。デーフェンリールで使われている文字。ナーアウの文字。数字。そんなものが見分けられるが、大半はデルはもちろんバレムですらも知らない文字。
「これが…アカシックレコード…？」
見ている間に現れては消え、消えては現れるの繰り返し。天も地も分からないようなこの空間で、ただはっきりいえるのは、確実にこの文字は増えつづけているということ。
「サスクーっ！」
声を限りに妹分の名を呼ぶが返事がない。
「サスクーっ、何処ーっ！」
デルが呼びつづける横ではバレムが精神統一をしていた。感覚を研ぎ澄まし、少女の場所を探っている。
「見つけた…ここからこの方向にまっすぐ！」
いわれた方に走れば確かにいた。が、様子がおかしい。
「サスク？」
「…の」
「え？」
この上もなく優しい笑顔。デルの心に戦慄が走る。
「書き直し…するの」
「！」
「まって！サスクそんなことできない！」
バレムが静止の声を上げる。
「出来るよ…だって、書かれたものなんだから。そして、私の羽、返してもらうの」
「ダメだ！」
「なんで？」
本当に不思議に思っているようだ。
「だって、バレムだって、ピーコックブルー・ライト、返してもらいたいでしょ？」
「…なっ…」
「私の羽。歩くことより先に飛ぶことを覚えた。だから、忘れたくないの」
気持ちはわかる。バレムの半身であった右の角は、彼が生まれてくるより前から彼を待っていた。バレムを愛し、大切に思っているからこそ、もう一度半身が生まれてくるのを待つという、過酷な生活を強いなかった。だから、角を折っていいと、あの瞬間に言ったのだ。
「ライト…」
デルの腕の中で息絶えた少年。その幻影を振り払ってサスクの手を取る。
「ダメ！書き換えたりしたらダメ！！守るのよっ！」
「デルだって、アディ…」
「確かにそう。でもダメなのっ！！」
「ちょっと待ってサスク」
意外に冷静な声をバレムがかけた。
「どうして、僕の半身のことを知っている？僕は、言った記憶などない」
「そういえば…。私もそんなこといわない…」
「…」
二人の視線がサスクに集まる。サスクは笑った。先ほどの優しい笑みではなく、凄惨さを感じさせるほほ笑み。
「ふふふ。あのじいさんにはてこずらされた。さっさとここまで来る道を教えれば、あんな目にあわずに済んだのに」
「誰！？」
「ようやく辿りつけた。文字通り世界を生み出す根源。ここが、その中枢」
少女が文字に手を振れると、文字は消えた。
「なんで！？」
「頭悪いね、デル。私は、ここを書き換える力を持ってる。この娘の潜在能力。私は、あの洞窟でこの娘を支配して、それに気がついた」
「…あ…」
旅の始め、サスクとであった時のことが思い浮かぶ。妙な神像に洗脳された信者たちが大勢…。
「じゃ、あのときから…」
「そう。私はこの娘の中で機会をうかがった。同じように洗脳し、仲間たちをここに送り込みながら、やがて来るこの瞬間のため」
「サスクを返して！」
「ほう。では聞くが、本当のサスクとは一体なんだ？お前とこの娘が出会ってから、ずっと私はついて回ったのだぞ」
「あ…」
「…まあいい、では私は行く」
「待って！」
「だめ、デル！」
音もなく舞いあがるサスクを捕まえようと手を伸ばしたデルだが、バレムに押しとどめられた。
「なんで！？」
「よく見て。もう彼女は…僕たちの手におえるような存在じゃない。それに、さっきの文字が消えたせいで、ここのバランスがおかしくなってる」
妙な振動音。顔を見合わせた二人の足元が、ガラスが割れるように砕け散った。