goldfarbig Engel ８

　もとから国際港として繁栄するこの港は騒がしいのだが、そういった日常とは違う騒がしさで支配されていた。公安員がそこかしこに配置され、ものものしい警戒態勢を取っている。
「本当に、ここに誘拐された女性がいるのか？」
「…確信は、ないですが。…調べてみる価値は…」
「…」
　警備責任者の公安員がトミーをじっと見た。
「主任！」
　船を見張っていた公安員が声をあげる。
「フロイラインに動きあり！」
「そっちか！」
　一層の緊張が漣のように伝わっていく。クィンランド船籍ではないが、クィンランド行きの船だ。
「…カルス、どう思う？」
「どうせ、シリアがいつもみたいに大騒ぎ起こしてるんじゃないのか？」
「ありうるよな、それ」
　苦笑いをして、フロイラインを見た。と、そこから避難用の救命ボートが降りてくる。
「おいあれ…」
「…！」
　隣で双眼鏡を持ってたっていた主任からそれを奪い、確認する。
「女たちだ！…リテさんに…マースティンさんに…女史もいる！」
　夜の海に邪魔されてわかりづらかったが、それでも彼女たちの姿は見極められた。
「なんだと？貸せカルス！」
　双眼鏡はトミーに奪い取られたが、カルサートはそのままの手のままじっと近づいてくる救命ボートを見ていた。周りでは彼女たちを迎えるため、公安員がばたばたと走り回っていた。
「カルス…シリアがいない」
「なに？」
「いないんだ。あのボートに乗ってない」
「あいつ…もしかしてもう…」
「馬鹿なことを言うな！」
　思いっきり殴られて涙目になるが、トミーは見てなどいない。
「だってよ、いなくなった人たちとシリアだったら、雲泥の差だぜ？」
「…何が、とは聞かないでおいてやる」
　心底嫌な声で返したが、どうせカルサートのことだ、気に止めてないだろう。
　シリアが戻ったらちゃんと報告だな。
　そんなことを思いながら主任を捕まえた。あの船に乗り込んでくれと、要請を出すためだ。
「まだ一人、あの船に残ってるんだ！早く！一艘だけでいいから！」
「落ち着け！準備には少し時間がかかるんだ！」
「…くそっ！」
　握り締めたこぶしから血が流れた。

「…な、なんだと？」
　手元から血を流し、銃を取り落とす。即座に周囲の男たちに命令を下すが、しかし、ほかの男たちの銃口は彼女に向けられることは無かった。先に行った男が戻ってきて、彼らを黙らせていたのだ。
「後ろががら空きだな、エリヤ」
「誰だ！？」
　お約束のような誰何の声に、シリアは自分が置かれている状況も忘れて苦笑した。
「ま、わかるけどね」
　エリヤは、まさかこんな状況になるとは思っていなかったらしく、動揺している。
　今なら逃げ出せるかもしれない。
　そんなことが頭をよぎるが、正体不明の男のことも気になる。
「俺の名を知るお前は、誰だ！」
「…さあな」
　銃を構えようとしたエリヤの腕を、狙いたがわず打ち抜く。
「くっ…。お前まさか、俺たちのアジトから…書類盗んでいきやがったやつだな！？」
「だったらどうする」
「……許さない、といいたいところだが…あんた、どこの組織の手のもんだ？…俺たちと、組まないか？」
　あろうことか、エリヤは正体不明の男を引き込みにかかった。手負いの身では敵を増やすより、仲間を作った方が確かに効率的だ。
「…私に、何の得がある」
「とりあえず、そこの化け物女、くれてやるよ。こいつは妙な攻撃するが、それなりにいい体してるようだしな。他にいるならいくらでも」
「私ゃあんたのもんじゃないって」
　思わず眉をひそめるが聞いていない。
「俺はこんな化け物、係わり合いになりたくねぇよ」
「…」
「……」
　シリアと男は黙ったままだ。男のほうは知らないが、シリアは頭にきて何もいえない。何が悲しくて、ここまで化け物呼ばわりされなくてはならないのだ。
「断る。女性に対して、失礼な真似はできないのでな」
「あんた…うちの教授みたいなこと言うんだな。あの人もうるさく言ってたよ、女性には失礼な真似をするなって。…自分も誘拐犯の一人のくせして」
　痛むのか、顔をゆがめる。
「あの人も…変わった人だな。あんたも覚えてるだろ？」
　突然シリアのほうに顔を向ける。びくりとして壁にくっつく。
「……あんたみたいに、失礼じゃなかったことだけははっきりしてるわ」
　黒装束の男を気にしながらも、かろうじて声を絞り出した。
「俺は相応の態度をしてるだけさ…。商品なら、もっと丁寧に扱うさ。あんたは違うって、前も言ったろ」
　調子に乗って罵詈雑言をシリアに向かって浴びせかけた。次第に早口になり、クィンランド語も混じり始めたので何を言っているのかよくわからない。
「…たぶん、彼の出現に相当おどろいてるんだろう。仲間に引き込もうとして失敗するし…。修羅場に慣れてない、って感じよね。そんで…わけわかんなくなっちゃったんだろうけど。仲間も彼に倒されたし…」
　たしかに、いきなりこんな黒尽くめの男が現れて銃口を向けていれば、緊張するかもしれないが、けれどもそれはそれ、これはこれだ。
「こいつ、おしゃべりの気があるな」
　いつからこんな仕事に手を出していたかは知らないが、どうせこんな奴だから下っ端の仕事しかやらせてもらえていなかっただろう。それが、今回のような事件を任されたのだ。調子に乗るのも当たり前なのかもしれない。
「だーけーどー…」
　断じて、目の前の男許すまじ。
　シリアの体から漂う妖気に気がついたのは、男のほうだった。
「シリアさん！？」
　びくりとして眉をひそめる。
「天誅ーっ！」
　掛け声とともにわらわらとやかんが飛び出してくる。どこにこんなに隠し持っていたのか知らないが、たまったものではない。
「まずい！沈む！」
　不規則な揺れ。彼自身が仕掛けた爆薬が着火し始めた。慌てて頭に血が上ったままのシリアを肩に担ぎ、哀れなエリヤをやかんの山から引きずり出して、甲板を目指すのだった。
　
「ミルセさん！」
　ボートから降りてきたミルセにカルサートが駆け寄る。
「あ、あなたはマッカードさんと一緒にいた…」
「カルサート、です」
「心配してくれたんだ」
「ええまあ…」
「そんなことより、このボート使わせてくれ！」
　のんきに話をはじめようとした二人の間にトミーが割ってはいる。
「まだシリアが、船にのこってる！」
「マッカードさんが？最後尾から来るはずだけど…」
　確かに、見回してみればどこにもその姿は見えない。
「そうね。私も戻る。彼女たちを無事に岸にまで送り届けるのが、私の仕事だったからね。次は私の意思で動くわ」
「そこの女性、何をしている？」
　公安員がミルセの行動を不思議に思い近づいてきた。当然だ、逃げ出してきた船にまた戻ろうとしているのだから。しかも、民間人二人を連れて。
「…私は国際治安機構捜査課ミルセ＝マートリー。権限により、このボートを接収します」
「国際捜査課…っ…は、はいどうぞ！」
　かわいそうに、限界まで緊張して直立不動になる。しかし、彼のことなど誰も見ていなかった。
「早く乗りなさい！あなたたち、彼女のこと心配なんでしょう！」
　叱咤されるまでもなく二人は飛び乗る。エンジンが動き始め、夜の空気を切り裂き始めた。
「マッカードさんは、不思議な人ね」
「…そうですかね」
「なぜ、他人を信頼できるのかしら」
「…多分、信じたいから、でしょう」
　長い付き合いになるカルサートが口を開く。
「あいつ…昔っから、お人よしですから」
「今でも、だよな」
　男たちは笑う。それを見て、なんとなくミルセは理解した。
「あのとき…彼女の説得がなかったら、私たちはあの人を信じずにばらばらになってた。そして戻ってこられなかったでしょう。信じるってこと、大切よね」
「あの人…？」
　トミーが首をかしげる。
「ああ、誰かは知らない。けどね、あの状態で船の構造に通じているのはあの人しかいなかったのに、私たちは信じられなかった。…マッカードさんが諭してくれて、はじめて信じることができた」
「…ふぅん？」
「シリア…そんなわけわなんねー男をどうして…！」
　思わず立ち上がるカルサート、しかしボートがぐらついたのですぐ座った。
「でも彼は、少なくとも私たちを甲板にまで導いてくれて、隔壁のパスも突破してくれて、ボートを下ろす操作をしてくれた。少なくとも、敵じゃなかった」
　　　　　　　　　　　　　　　　　イ　レ　ギ　ュ　ラ　ー　ズ
　もしかしたら、お仲間さん…非公式工作員なのかもね。そう思いながらフロイラインを見据える。
「少なくとも、ね」
　そんな彼女の後ろで口を尖らせながらトミーがうめく。と、ちらちら舞い始める雪。
「また雪かよ」
　降ったりやんだりを繰り返していたが、今度はかなり本格的に降り積もりそうだ。ということは、外気はかなり寒いのだろうが、彼らには冷たい雪が快く感じた。それだけ熱くなっているのだろう。
「よし！」
「どうやって上るんだよ、あんなところまで」
　巨大な客船である。甲板までの距離は遠い。
「こうするの」
　鉤爪のついたロープをまわし、投げる。…いや、そうしようとした。
「…なんか、低くなってないか…？」
「気のせいでしょう……えっ？」
　鈍い音を立てながら船体が沈んでいる。このままこんな近くにいれば沈んでいくフロイラインに巻き込まれる。
「何、何事！？」
「まさか…」
「…ああ」
　慌てふためくミルセを尻目に、引きつった笑みを浮かばせながら顔を見合わせる男二人。
「…シリア…お前って奴は…」
　今度は船を沈めたか。距離をとって沈んでいく船を見つめることしかできない。
　甲板の上が見えるようになったころ、二人は同時にため息をついた。もうもうと上がる煙の合間から、やかんが見えたような気がした。何が起こったのか、なんとなく理解した。
「俺さ…ちょっと、ちょっとだけ犯人に同情」
　ミルセに聞こえないように、カルサートはトミーに呟いた。
「…まぁ、間違ってないと思うぞ、その感情。でも、言うなよ」
「わかってらい」
　そんなことを言っているうちに結局港の底に消えていってしまった。誰かいないかと、海に一斉にサーチライトが当てられる。
「シリアーっ！」
　しばらくの後、波間に漂うやかんの間に、人間を見つけた。シリアだ。浮いているおやかんにしがみついて、大泣きに泣いている。
「うわーん！」
「な、なんだこの状況は…」
　理解できなくて、ボートに乗せることも忘れてしまう。
「私、化け物じゃないーっ！」
　結局、岸に着いてもシリアはずっと泣きどおしだった。