inn1

「ここが今晩泊まるところか？」
「ちょっと…案内とやけに違うんじゃ…」
　街に入った時にすすめられた宿の中で、一番安かったのがここ『デーン亭』という宿屋。二人連れの旅人は、入り口の前であきれた声を出していた。
「…確かに…でもまあ、中はそうでもないかもしれないじゃないか。とりあえず入ってみよう。何、気に入らなかったらさっさと出たらいい…」
「そういう訳にもいかないみたいだな」
　突然開いた扉から宿の従業員らしき人間が飛び出してきて、彼らの腕をつかむとものすごい力で宿の中に引きいれた。御丁寧にも玄関の扉に鍵までかける始末。
「おい、ちょっと待て！」
　年かさの方の男の旅人、ルーシェの声も聞かず宿の人間はそのままカウンターの奥に引っ込む。
「なんなんだよ…おい、ケヴィン、さっさとこの扉を開けて出て行こうぜ」
「さっきからやってるけど、開かないんだ。なんか魔術がかかってる」
「まじかよ。…しっかしきったね―なー。俺の部屋といい勝負だ。やっぱりあの案内の奴、俺たちをだましやがったな」
「たしかにそうだけどさ、兄さん。そういう事は自分で言わないでほしい」
「お前が片付けてるわけじゃないんだから関係ないだろ？」
「でもラティナ義姉さんはいつも怒ってたよ。『ルーシェは一体いつになったら人間の部屋に住むのかしら』って」
「ラティナのことは言わないでくれ…せめてこの旅の間は」
「ごめんね、兄さん」
　ラティナという女性はルーシェの妻だ。しかし火事に遭いこの世を去ることになってしまう。しかしル－シェは彼女のことがあきらめきれず、この世のどこかに存在するという還魂の法を探しに行ったのだ。もちろんその方法の代償は何かを彼は知っている。それでも、彼女をこの世界に生きかえらせたかった。薄倖だった彼女のためにも、幸せに生きてほしいのだ。
「ようこそおいでくださいました、デーン亭へ」
　いつのまにかカウンターには人が立っている。別に怪しいところはない。
「ようこそったって…そっちがかってに連れ込んだんだろうが！俺たちはここには泊まらないぞ。さあ開けてくれ」
「そうです。俺たちはただ見ていただけで…」
「そういう訳にもいかないんですよ。もう夕方になってしまいましたから。この辺りは辺境になりますから、夕方から夜にかけては魑魅魍魎が跋扈するんです。だからそこの扉には鍵の呪をかけているんですよ」
　といって入り口の扉をさす。
「ち…ちみ…なんだぁ？」
「兄さん、「ちみもうりょう」だよ。化け物の事」
「そ、それくらい知ってるわい」
　兄弟のコントを聞かないふりをし、従業員は顔色ひとつ変えずに続けた。
「そういうわけで一晩、お泊まりしては？」
　建物の外から何かの唸り声が聞こえる。ルーシェとケヴィンは顔を見合わせて、仕方がないとばかりに宿帳に記入した。従業員は彼らの荷物を受け取ると先頭に立って部屋に案内する。歩くたびにきしむ音。隅のほうに張っている蜘蛛の巣。どうしたらここまで汚れるのか知りたいぐらい汚い床や壁。早まったと思いながら、兄弟は後について行った。
「ここです。ごゆっくりしてください。食事は一時間後です」
　部屋の中はそれほど汚くはない。上等な部屋ではないがきれいにしてある。
「ふう…どうやら部屋はまともみたいだな」
「本当だ。…ま、どんなところであっても、化け物に襲われるよりはましじゃないかな」
「そりゃ確かにそうだな」
　その時、無遠慮に扉が開いた。立っていたのは年令不詳の女。
「……あんた達かい？ここに泊まりにきたのは？」
　スタイルのいい足を惜しげもなく剥き出しにして女は部屋の中に入ってくる。
「なんだお前は！勝手に部屋の中に入ってきて！」
　ケヴィンが怒鳴る。
「おーや、弟くんはお兄ちゃんとの仲を邪魔されるのがいやだった？」
「ぐっ！」
「図星かしら？でもお兄ちゃんは女の子がいいってさ」
「おい、部屋に入ってくるだけならまだしも、勝手な事をほざくんじゃない。貴様は誰だ？」
「おーおー怖い怖い。…アタシはカウン。一応ダンサーなんだけどさ……ところででなんでこんなところに泊まる気になったのさ」
　女が言うのは、ここは暗い（dark)汚い(dusty)危険(dangerous)の、通称３Ｄ、サンディ亭と周りで評判らしい。
「もっとも、もともとの名前を遭わせて４Ｄ亭ってした方がいいってうわさだけど…」
「俺達はこの街に入った時に、案内のところに行ってここを知ったんだ。その…一番安かったからな」
「まあ…確かにお金は安いよね、ここ」
　「お金」という単語をやたらと強調する女。
「なんか裏がありそうだな…」
「この世界に裏が無いところなんてないさ。表があったら必ず裏がある。あんたの奥さんが焼け死んだのだって裏があるのさ」
「なにっ？なんでラティナが焼死した事を知ってるんだ」
「ねえお兄ちゃん、還魂の法なんか探すのやめなよ？そんなことしても、奥さんが幸せに生きられるなんて、そんなのあんたにはわかりゃしないじゃないか」
「……」
「あんたも分かってるんだろ？ただの自己満足だ、って」
　ルーシェは何も言わない。ケヴィンが代わりに口を開く。
「おい、カウンとかいったな。なんでそんな事を知ってるんだ？」
「さあね、弟くんにはわかんないんじゃないの～？」
　それだけ言うと部屋から出て行く。と、戸口でふりかえって、
「アタシ、こういうことばっか言うけどさ、あんた達のこと、気に入ったよ。これからながーいお付き合いになるだろうから、けんかせずに行こうね」
　バイバイ、とばかりに投げキッスを部屋の中に送ると女は出て行った。
「なんなんだよ…長い付き合いだって…？俺達は明日出て行くのに…」
「……世の中はいろんなことがあるな…」
「……」
「兄さん？どうかしたの？」
「いや、なんでも無い」
　怪訝そうな顔をするケヴィン。ルーシェは何かを思い出したように彼に言った。
「そうだ、お前さっき玄関を見てたよな」
「うんまあ…」
　ケヴィンは彼らが生まれた地域では珍しく魔術学校へ行った。それにルーシェもそんな弟の影響からか、少しは魔術の事に通じている。
「あの扉…」
「！……あの玄関の事だね。あれは鍵の呪じゃないよ」
「やっぱりそうか。俺が見た限りでは牢の呪のような気がするんだが」
「うーん。兄さんはそう見たんだ。俺は封印の呪のように見えたんだけど」
「どちらにしろ、中のやつらを閉じ込めるためのものだよな、それは」
「俺が後でちゃんと見ておく。とりあえず着替えよう」
　勢いよく荷物を寝台に置く。と、大きな音を立てて寝台は壊れた。
「一体何だっていうんだっ！！」