inn2

「ところで食堂ってどこだ？」
「兄さん…相変わらず周りを見てないな。二階に上がる階段から見えてたじゃないか」
「そんな事は知ったことか。俺が見てなくてもお前が見てるだろうと思ったから俺は覚えてなかったんだ。それを相変わらずだとか、不注意だとか、大ボケだとか…」
「そんな事は言ってないよ」
「……」
「……」
　壊れた寝台は宿の人間に言うことにして、彼らは食堂へ向かった。
「おい…階段…」
「ほんとだ…」
　彼らの部屋は階段からそんなにはなれていないはずだ。それなのにどこまでいっても見つからない。どういうことだと頭を悩ませているとカウンが通りかかった。
「何やってんの？」
「いや、食堂に行くのに階段が見つからないんだ」
「は？まだ夕方になったばかりだっていうのに、兄弟そろってねぼけないでよ。そこにあるじゃない」
　言われた方を見ると確かにある。兄弟は首をかしげながらおりて行った。
　食堂へ行くと準備ができていた。たった今できたばかりのようで湯気が立ち上っている。
「お、うまそう！なあ、これ、なんて言う料理だ？」
　ルーシェは席につくなりほおばりながら聞く。と、その表情が固まった。主人がその食材を持ち上げて見せたからだ。ケヴィンは兄の反対側に座っているので主人が何を持ち上げたのか分からない。彼が主人の方を向いた時にはもう降ろしていたので、ケヴィンは自分が何を食べたのか知ることはない。なぜなら、ルーシェが口を閉ざして言おうとしないからだ。
「……そ、そうだ主人、寝台が壊れちまったんだ。荷物を置いただけだけど…どうしたらいい？」
「仕方ないですね…別々の部屋に泊まってくださいな。お代は一部屋分でいいですから」
「俺達は泊まれればどうだっていいんだが…そういってくれるなら甘えます。どうもすいませんねえ」
　にこにこしながらケヴィンは答えた。ルーシェは先ほどから野菜だけをつついているので、弟は兄の体がおかしいのかと思った。
「兄さん…どうしたんだよ？どっか調子が悪いの？」
「いや…別に…」
　いやに歯切れが悪いがまあこんなものだろうと思い、ケヴィンは後で薬をもらえるよう主人に言った。
　食事が終わるとケヴィンは玄関を見に行った。やはり封印の呪がかけられている。しかも、魔術学校の師範がかけたと言ったような、生半可なものではない。
「……人間の仕業じゃない」
　そっとつぶやくと彼はとりあえず解呪を施してみようとした。が、まったくといっていいほど歯が立たないのだ。
「ここまで歯が立たないと逆に気持ちいいぐらいだな」
　この宿に入ってから何かの力で囲まれている感覚を受ける。それでも完全に遮断されているわけではなさそうだ。それなら、とばかりに彼は自分が出来る最高の召喚術を試そうとしていた。本来なら大掛かりな儀式と膨大な魔力が必要なのだが、彼は周りを取り囲んでいる正体不明の力を必要な儀式と魔力に充てようというのだ。
「利用しようと思えばこれほど利用しやすいものはないよな。垂れ流し状態でそこらにたまってるんだから」
　どうか途中で供給が断たれませんようにとひそかに願いながら彼は詠唱を続ける……が。
「なーにやってんのよ、こんな所でブツブツ言っちゃってさ」
　カウンだった。集中力を途切れさせてしまったので、ケヴィンは召喚をあきらめる事になった。
「なんだよ、いきなり」
「……言いたいことははっきり言っていいのよ。どうせアタシの事をあばずれだって思ってるんでしょ？ま、確かにそんなもんだから。本当の事を言われても腹は立たない」
　ケヴィンの事を無視するように一人いうカウン。ケヴィンは黙って聞いていた。
「…………こんな宿の中であばずれを気取ったってなんの役にもたちゃしないんだけど、こうしかアタシは生きられない。というよりもそうなるように選んだんだよ。昔のアタシから変わりたくて……」
　どうやら彼女は酔っているということがここに至ってはじめて気がついた。
「おい、酔ってるんじゃないのか。人には『夕方から寝ぼけるな』とか言っといて、自分は宵の口から泥酔か？いい御身分だな。お前、仕事はどうしたんだ？ダンサーなら夜からだろうが」
「しごとぉぉ～？そんなもんはもう少し後よ。…………もう少し……あと」
「こら、こんな所で倒れこむな。お前の部屋はどこなんだ」
　ケヴィンは彼女を背負うと二階へあがる。思っていたよりも重い彼女の体重と、暖かい体温を感じながら一歩一歩階段を上がる。あがりきるとルーシェがうろうろしていた。聞けば、部屋が分からなくなったそうだ。
「ちょっと兄さん、そんなに方向音痴だった？」
「そんなことあるか。なんかこう、あーっもう、いらいらする！」
　彼らはとりあえずカウンを彼女の部屋まで連れていって寝かしつけた。それから二人でああでもないこうでもないと言いながらやっとの事で彼らの部屋にたどり着いた。
「ケヴィン、お前も人の事言えないじゃないか。一緒に俺と迷ってどうする」
「……」
　こんな所で兄弟喧嘩をしてもどうしようもないので、とりあえずケヴィンは玄関の事を兄に報告した。主人の言葉どおりなら、魔物除けということになるがそれにしては呪が大掛かり過ぎる。
「さっきから俺がイライラしてるのはそのせいかもな」
　ケヴィンとは違いルーシェは肉体派、それも重戦士クラスである。体ほどもある大剣を軽々とふりまわしその狙いも正確無比という、達人級の人間だ。ケヴィンは聞いた事があった。そのような人間は頭ではなく体で違和感を感じるのだと。
「うん、そうかもしれない。で、俺は召喚術を使って精霊を引っ張り出してこの宿を見てきてもらおうと思ったんだ。でも弱い奴だったらこの魔力に耐えられない。それで俺は呼び出せる一番強い奴を呼び出そうと思ったんだけど…」
「それをカウンに邪魔された、と」
　噛み締めるようにつぶやくとルーシェは壊れていない方の寝台に横になる。
「一体あの女はなんなんだろう。俺たちに付きまとったりして」
「さあ？でも根本的に悪い人間じゃなさそうだけどさ」
「お前がそう言うんだったらそうなんだろうな。で、どっちがどちらの部屋を使う？」
　とは言いつつもルーシェはもう梃子でも動きそうにない。仕方ないのでケヴィンは隣の部屋を使う事にした。そして長い長い夜が始まる事を、彼らはまだ知らない。そしていつのまにか外で獣の声がしなくなり、その代わりに周りの景色が欠落していっていることも。