inn3

　一時間ぐらいしたころだろうか。カウンがルーシェの部屋にやって来た。明らかに嫌そうな顔をするルーシェ。そんなことはお構いなしに女は寝台に腰掛けた。
「なんの用だ？」
「ルーシェちゃん、御機嫌ナナメ？奥さんがいなくなってさみしいだろうと思って、こうやってアタシが来てあげたってのに…」
「余計なお世話だ！」
　カウンの顔も見ようとせず吐き捨てるルーシェ。こんなあばずれにラティナの代わりなど出来るか、そういった空気を漂わせている。
「ね、あんたってさ…」
「なんだよ、さっさと出て行けよ」
「そんなこと言わずに。ほんとはあんたと話したかったんだ。あんたって純情だよね。今でもいなくなった奥さんのために還魂の法を探しているんだから」
「……悪いか？」
「全然。奥さんはどんな人だったの？」
「あいつは、ラティナっていうんだが…」
　三年前、ケヴィンが魔法学校を卒業するのでルーシェは彼を迎えに行った。道すがら小腹が減ったので立ち寄った飲食店に彼女はいた。あんまり大きくない店の中を彼女ともう一人の店員で忙しく立ち回っている。一生懸命はたらいているその姿が彼の心に残った。
「それからいろいろなことがあって、一年前にやっと結婚できた。でも…」
　彼らの住んでいる地域はあまり雨が降らない。したがって乾燥しやすいのだが、その年は異常に乾燥していた。おそらく自然発火だったのだろう、ルーシェたちの家の裏から火が出てラティナは巻き込まれた。ルーシェは仕事に出ていたおり知らせを聞いてすぐに戻るが、既に時は遅し。
「結局遺体は出てこなかったんだが、探しても探しても見つからないから跡形もなく…」
「？還魂の法は確か遺体がなきゃ出来なかったはずだけど、どうすんの？」
「それはその時になって考えるさ」
「結構いいかげんだね。でも、ラティナは幸せだね」
　純情なバカだけど、いい奴に出会えてさ。口には出さなかったがカウンはそう思った。みょうに静かだった。静か過ぎた。
「なあ、カウン。なんか変な気配しないか？」
「そうだね。でも大丈夫。ここまでは絶対来れない」
「何でそんなことが分かるんだ。弟が…」
「大丈夫だって。……一言忠告してあげる。ラティナは絶対にあんたのもとには現れないよ」
「な…そんなこと分かるもんか!!」
「アタシは分かるの。あの人はもうあんたのことを覚えていない。あんたのうかがいしれないところで、あの人はあんたに理解できない仕事をしている」
　カウンの声に合わせて妙な気配が強くなる。この宿の周りにチミモウリョウとやらが集まってきているのだ。ルーシェは傍らにおいてあった大剣の柄に手をかける。
「落ち着きなよルーシェ。この宿の結界はアタシが張りなおしといたから、大物が出てこない限り大丈夫よ」
「カウン、お前…」
　そのころ隣の部屋では、ケヴィンが同じように気配を感じていた。先ほど中断されていた召喚の続きをはじめる。やがて術が完成し、激しい風をまといながら精霊が現れた。
「我はマリス・ウィンディ。汝、我に何を望む？」
　女の持つ圧倒的な威圧感に押されてはいけないと、ケヴィンは精一杯虚勢を張った。
「この宿の奇妙さを感じているだろう？この原因を調べてほしい」
「御意、マスター」
　一陣の風を残して精霊は消えた。後に残されたケヴィンはほっと胸をなでおろす。
「アレを召喚するといつもやたらとつかれる。精神力を保つのも、楽じゃないな」
　ケヴィンは精神力を保つことに必死で、必ずやらなくてはならないことを忘れた。召喚した時の異次元の穴を閉じているのか、確認し損ねたのだ。人間の目に見えるものではないが、魔物達にははっきりと見える。それらは競い合うように穴に群れはじめる。
　ルーシェははじめてカウンの顔をまっすぐ見た。
「お前は一体なにものだ？」
「なんだとおもう？」
　ルーシェの瞳にはいたずらっぽく笑うカウンが映る。と、マリスが現れた。
「なんだか大きな力を感じると思ったけど、あなただったの。カウン…」
　なにかを言いかけたマリスに、カウンはルーシェに気づかれないよう口の前に指を立てる。黙っていろの合図だ。
「お、おまえはなんだ？どこから現れた？」
「私は精霊よ。壁なんか抜けちゃうわ。マリス・ウィンディ。豊饒の神フレイ様の一の使い魔…」
「じゃなくて下っ端の使い魔、トラブル・マリスよね」
「ぎくっ」
　口を挟んだカウンをにらみつけるとマリスはルーシェに話しかけた。
「私はケヴィン様に呼び出されたの。この宿を調べて来いと。全く人間ていうのはめんどくさがりなんだからさ」
「ケヴィンが？あいつも呼び出すならもっと…」
「なーに？なんかいいたそうね」
「いやなんでもない」
「さ、ここのおっきな力とは別のものがある。それをわたしはこれから探しに行って来るね」
「いってこいいってこい」
　なんだかよくわからないがルーシェはぞんざいに返した。マリスはカウンに対して盛大に舌を出して消える。
「なんなのよ、あいつは？」
「多分ケヴィンが呼び出せるなかで一番上の精霊だろう。俺もあんなのとは思わなかったが」
「……聞こえてるよ」
『マリス！』
　消えたはずのマリスが戻ってきた。
「あんなので悪かったね…ってそんなこと言ってる場合じゃない。魔物が入りこんでる！」
「なんですって？わたしの結界を越えられるのは数えられるぐらいしかいないのに」
「違うの、今のマスターが、道を開けっ放しにしちゃったのよ」
「ちょっと？道を閉じるのは通ってきたあなたの役目でしょう？なんでケヴィンのせいにするの？」
「！…だって確認するのはマスターだもの…」
「これだからトラブル・マリスって言われるのよ…」
　頭を抱えてうなるカウン。そんな二人の様子を尻目にルーシェは剣を取って走り始めた。たった一人の肉親であるケヴィンが危ないと、直感的に彼は思ったのだ。
「マリスっ！あなた、マスターの安全ぐらい守りなさい！」
「言われなくても！」
　カウンに叱咤されるまでもなくマリスはその場から消える。カウンもルーシェの後を追った。ケヴィンの部屋は比較的無事だった。ケヴィン自身も無事だった。すこし消耗しているのはマリスをこの世界に留めておくことに疲れてきているのだろう。
「兄さん！」
「ケヴィン、大丈夫か？」
　大剣を振りまわしながらその辺のグールを叩き切ると弟のそばに走る。
「やっぱり兄さんはすごいな、俺なんか自分の身を守るので精一杯だ」
「それでいい。戦場では身を守ることが第一だ。そうでないと敵も倒せん」
　そこへマリスが現れる。ケヴィンの身の安全をマリスに任せ、ルーシェは他の客の安全を確保するため部屋から飛び出して行った。