inn4

　走るルーシェの横になにかが併走した。またグールかと思い彼は大剣をひとなぎする。が、かわされた。驚いてそちらを見るとカウンだった。
「いきなり確認もせずに物騒なものを振りまわさないでよ」
「お前、俺の剣をかわせたのか？」
「まあね、あの状態ならなんとか。一騎打ちだったらかわせないけど」
　いいながらあちこちの扉を開けていき、生き残っている人を助け出していく。
「なんでこんなに魔物がいっぱいなんだ。あのマリスとか言う奴は穴をふさいだんだろ？」
「もう出入り口は一つじゃなくなった。もともとこの宿の中には邪悪な気が満ちていたのよ」
「ああ、それは俺もわかった。なーんか重っ苦しいというか」
「ケヴィンもそれを利用してマリスを呼び出したんだろうけど、グール達も同じことをした。違うのは、それをわたしの結界を破るために使ったということ。それともうひとつ、この宿に封印されていた、その邪悪な気の持ち主を復活させた」
「おい、それってちょっと困ったことになるんじゃないか？」
「ちょっとどころじゃないわね。これがまたものすごく凶悪な奴で…あなたは魔法に通じているわけじゃないけど、邪悪な気の存在があなたのような戦士にわかるほどだったんだから」
「なんでこんな宿が街の観光案内に載ってるんだよ。危なくてしょうがないじゃないか」
「おそらく推測になるけど、ここの従業員の人は概ねまともなの。その人達が、そうとは知らずに登録してしまったんでしょうね」
「『概ね』っていうのがものすごく気になるんだが」
「ああ、宿の主人がその凶悪な奴なのよ」
「はあ！？なんだって？」
「封印とはいっても完全に閉じ込めることが出来なかったの。ごくごく一部…人間には害を為す事は出来ないくらいの小さな瘴気が残ってた。でも、この場所の空間を歪める事は出来た。もともと瘴気っていうのは歪んだものだから。それを利用して、夜な夜なこの建物の周りにグールどもを呼び寄せていた」
　廊下のなかほどに立っているグールをなぎ払いながら、ルーシェはカウンの姿を見た。はじめてあった時と同じ露出度の高い服装だが、その時と気配が違う。
「なんでそんなことを知っているのかっていう顔をしてるわね」
　子供みたいに頷くルーシェ。
「だってわたしが封印したんだもの」
　少々の事には驚かない彼だったがこれには久しぶりに驚かされた。思わず剣を握る力が抜ける。
「カウンティア・ワルキューレ。これがわたしの正式な名前よ」
　いたずらっぽく片目を閉じた姿はとても戦乙女ワルキューレには見えない。そもそも神というのはほとんど人間の前には姿をあらわさない。加えてワルキューレ達は魂を選んでいく存在だ。言いかえれば彼女達がある人の前にあらわれたという事は、近いうちにその人は死ぬということになる。ルーシェはものすごく嫌な顔をした。
「そんなに嫌な顔をしなくてもいいじゃない。なにもあなたの魂を天界に…ヴァルハラにつれて行くわけじゃないんだから」
「だけど…」
「大丈夫。確かに本当の仕事はそれだけど、今は違う。今大事な事は、ここの主人の所に行く事じゃなくて？」
　その通りなのでルーシェは嫌な顔をする事はとりあえずやめた。多少釈然としないがそんな事は今はどうでもいい。彼にとって、思いっきり暴れられるというこの瞬間が至福だった。
　かれこれ１０分ぐらい走っているがいっこうに階段が見当たらない。
「おいカウン、どういうことだ？」
「……やられたっ」
「は？」
　思いっきりしまったという顔をしている。
「夕方あなた達が階段を探し回ってたでしょ？あの時も同じことというか…前哨戦みたいなのが始まってたの。人間の目をくらませる程度のものだったから、わたしが通りかかったんで歪みもなくなったけど。でも今度は…」
「お前さんの力ぐらいじゃどうにもならない、と」
　何の気なしに、というか嫌味たっぷりだったが、ルーシェが放った言葉はカウンの闘志に火をつけたようだ。
「失礼な。これでもオーディン様直属集団の一人よ」
　彼女の姿が光に包まれ、次の瞬間には甲冑を身にまとっていた。
「人間らしくするために気配も変えていたのよ。わたしがそのまま来たら、いくら封印されているとはいえ向こうも警戒するものね。とはいえ普通の人間よりは霊力は強い。でもちょっと強い力で空間を歪まされると対応しにくくなる」
　こうなればこっちのものよ、といいながら彼女は光から作り出した扇を振り回す。それはダンサーが使うような、かなり華美なものだった。しかしよく見ると端は鋭利で野菜ぐらいならきれいに切れそうだ。
　ひとなぎすれば空間が切り裂かれる。異空間の中に歪んだ階段が見えた。
「これよこれ！わたしが求めていたのはこの感覚！」
「感動に浸ってるとこ悪いんだが、お前さんがさっさと行ってくれないと、俺はいつまでたってもグールの相手しか出来ないんだが…」
　階段の前でうれし泣きをしているカウンにあきれた声をかけるルーシェ。彼は先ほどから二人に向かって来ているグールをなぎ倒しつづけていた。たいした敵ではないのだが、こう数が多いとうっとおしくなってくる。暴れられるのはいいとしても単調作業が続くのはいやだ。
「ごめんごめん。さあいこっか」
「……あんた本当にワルキューレの一人、か？」
　もっともな疑問である。カウンは聞こえなかった振りをして先を進む。ルーシェもそれ以上は聞かずに後に続いた。
「なあ、あんまり聞きたくないんだが、宿の人ってもっといたよな？」
「おそらくグールの手にかかったか、グールと化したか。あるいは贄としてつれて行かれたか。まあそんな所でしょう。どのみち気持ちのいい話ではないし、あまり考え込まない方がいいわ」
　自分が先ほどまでなぎ倒していたグールには、先ほどまで人間として笑い、物を食べ、生きていたものがいたかもしれない。いや恐らくいただろう。確かに深く考えない方がいいようだ。
　宿という形態を取ったのは人間が自然と集まるから。宿が汚いのは、掃除をしても泊まる人がいないから。旅人がいなくなっても誰も疑問を持つ人間はいない。宿という形態はそういう意味でも良かった。邪悪な存在にとっては、の話だが。
「さあっ、わたしのショータイムの始まりよ！でも残念ねっ！ゆっくり見ているひまなどないわっ！」
　扇を振り回しながら華麗に魔物の間を飛び回るカウン。確かにダンスなのだ。初めの自己紹介の時に『ダンサーだ』と言ったのは嘘ではない。嘘ではないのだが、ルーシェはうわさに聞いていた『ワルキューレ』とのギャップに頭を抱えながら、近付いてきたサキュバスの羽を切り裂くのだった。