命令

　軍師に呼び出されてから三時間ほど経っていたがそれらしいヒトは一向に来ない。基本的に私達は命令に従い文句は言わないように造られているが、さしもの私でも精神的に不安定、つまりはイライラし始めていた。
「待たせてすまない。突然西のウィナムで反乱が起こって、その鎮圧策を……」
「ウィン師、こいつは被造物ですよ。だから言い訳なんかしなくともいいんですよ。いつまでも待たしておいても良いくらいなのに」
　扉から男と女が入ってきた。女は初対面だったが男のほうは二度ほど見たことがあった。私やシード、グロウなどが所属するアティック能力開発所の所長で、名はフェムル=ティート。君達の感覚では美形の域に入るのだろう。本人もそれを良くわかっており女性スタッフとの問題が絶えない中年男だった。私はこの男が嫌いだった。いや、私だけではないだろう。47体あった私たちの仲間のうち、誰一人として好きではなかっただろう。先の言葉から分かるように彼は私達を物としか思っていなかったからだ。確かに研究員達にも多かれ少なかれそんなところがあったが、彼は特にひどいものだった。ここで彼のことをすべて言おうと思ったら時間がいくらあっても足りないくらいだ。
　私の怒りを知ってか知らずかウィンと呼ばれた女はこう言った。
「まあそう言うな所長。たとえ被造物であろうと生きていることには変わりない。ましてやこれから危険な仕事を頼もうというのだ、どうせしてもらうのなら好意的にいくのが道理ではないかな？」
　女は若いわけではなく、かといって年を取りすぎているわけでもない。よく見るとしわが数本刻まれているが、けっして醜いわけではない。むしろ美しかった。しかし鋭い瞳には光がたたえられ、それが険しさをかもし出していた。所長は彼女にたしなめられそれ以上は何も言わなかったが、その眼は不可解だと語っていた。さすがにこの国中の兵を預かるものだけのことはあると感心していると、
「失礼した。私はこの国の軍師を勤めるものでヒリエッタ＝ウィンと言う。軍内では無情のウィンと呼ばれているが、こちらのほうが聞いたことがあるかな？」
　無情のウィン。勝利をその名に持つ軍師の名前は私も聞いたことがあった。なんでも、すでに戦意を無くして投降してきている敵兵を、すべてなぶり殺しにしたことがあるらしい。そんなことを思いながらうなずくと、ヒリエッタは満足そうに言った。私にではなく所長に。
「よし、私はこの者と一対一で話がしたい。すまないが所長、下がってくれないかな？」
　依頼という形をとりながらもその実は命令であった。しぶしぶ出て行く所長を見ながら、あの所長がこうもおとなしくなるものなのか、とひどく驚いたのを覚えている。
「やれやれ、あの男、この世の中の女はすべて自分になびくものだと思い込んでいるらしい。私があいつに何の反応も示さないから、どうにかしてと思ってか私にくっついたままなのだ。……だから研究所に来るのは気が重い」
　渋い顔をした彼女に思わず笑ってしまった。
「笑い事ではない。朝起きれば扉の外に立って、『朝食のメニューは何がよろしいでしょうか』から始まって、行く先々についてくる。挙句の果てに風呂にまでついてくる始末。まったくたまったものではない」
　いかにもあの男がやりそうなことだ。納得してしまった私に彼女は言った。
「さて本題に入ろう。まず…そなたの名はなんというのだ」
「固有識別………」
「違う違う、この研究所ではそれぞれに通り名がつけられていると聞く。そちらのほうだ。だいたい番号などを言われてもわからぬ」
「ピナスといいます」
　彼女は私の言い方、妙にへりくだった敬語を使わない言い方を気に入ったらしい。
「よし、良い心がけだ。私はそなたの上司ではない。だからへりくだる必要は無い。私はそなたをピナスと呼ぶ。そのかわりそなたも私をヒリエッタと呼んでくれて構わない」
　軍内に流れるうわさと違ってかなり気さくな、そして話のわかるヒトのようだ。まあそれくらいの柔軟性が無ければ、とても軍師などつとまらないだろう。
「わかりました。ではヒリエッタ、私を呼び出した理由は？」
「まあまて、今茶を入れさせる。あせってはすべてを無に返す。兵法の初歩の初歩だ。……しかしそなたは美しいな。そう、その銀の瞳。なにものにも染まらないその輝き。ここに来るまでに何人かのそなたの仲間に遭ったが、そなたほどの輝きのものはいなかった。……ときにそなた、私のためだけに働いてみないか？」
　血の気が引いた。フェムルにいびられるときよりも悪寒が走る。そんな私をよそに、
「実は以前働いていた者が退職して、今、身の回りの世話をしてくれる人間がいないのだ」
と言う。所員が二人分の茶を持ってきて、そして出て行く。ヒリエッタの眼に宿る妖しい光に惑わされないよう、内心ひやひやしながら私は答えた。
「ヒリエッタ、もしかしてそれが私を呼び出した理由ですか？」
　彼女はじっと私を見た。そしていきなり大声で笑い出した。
「何もそんなに青くなることはないだろう。そなたの水色の髪とそなたの顔の区別がつかなかったぞ！」
　ひとしきり笑う彼女に怒りが込み上げてきた。なぜ長時間待たされた挙句に笑われなくてはならないのか。そう告げるとやっと笑い声はおさまった。
「いやすまない。悪かったから機嫌を直せピナス。理由はちゃんとあるのだ」
　やっと話をする気になったようなので、気を落ち着かせるために茶を一口飲んだ。茶は熱く、しかしとても良い匂いがした。
「シェイナ帝国を知っているな」
「難攻不落で有名な、海を越えた大陸を治めている国……」
「そうだ。私の情報によると、どうやら計り知れない兵器を作り上げており、それで落ちないようなのだ。そこで……だ」
　いまや完全に表情のない、無情のウィンにふさわしい顔をしていた。
「そなたたちにその兵器がなんなのかさぐりだしてほしい」
「でもスパイをもぐりこませているのでしょう？」
「ああ。しかしあまりにも守りが堅くてかなわん。実際たったこれだけの情報を手に入れるだけで、多くの部下が消されたのだ………」
　『無情』であっても自分の部下は大切なのだろう。悼むように瞳を閉じた。
「やって、くれるか？方法は任す。成功したならどんなことでもしよう」
「……わかりました。報酬は成功してから話しましょう」
「ありがとう」
　彼女はぬるくなった茶を流し込むと出て行こうとした。と、
「そうそう、先の手伝いの件、冗談などではないから、よく考えておくれ」
　ウインクをしていった。私が背中に流れる汗の冷たさを、より一層感じていたのは言うまでもない。まったくあの女性はよくわからなかった。はるかなときを経た今でさえ、彼女は異彩を放っているのだ。