| 二 コルグの屋敷は郊外にあり、シティの方から漏れ出す光がよく見える。さすがにこの遅い時間では、普段は人でいっぱいのオフィス街の摩天楼であってもまったく人気がない。何かの墓標みたいに見えるビル群は人工光に照らされて静かにたたずんでいる。その不気味なフォルムは、この街で失敗して行った人達の心を反映しているのだろうか。しかし、それらの人工光に負けない強い光を放っているものがあった。 月。 この国の人間は月、特に満月を尊いものとしていた。月に関する伝承は幾千幾万の星よりも多く、またその多くが月の魔物と呼ばれる存在についてであった。 とある日、国は『予言の書』と暫時的に題された一冊の本をめぐって大論争をしていた。古代と言ったぐらいでは表せないほど古い言語で書かれた本文はまったく意味がわからず、学者の数だけ説が飛び交う事になる。とにかく学会では収拾のつかない状態になっていたのだ。その中の一人、コルグ＝リーアはこのままではいけないと思い、とりあえず解読させるのに一人の考古学者を選び出した。それが、シリアである。彼女は今までにいくつもの伝承・古代文字の謎をといている。しかし彼女は、もっぱらフィールドワークに出かけていたので、財政が破綻しそうな国家考古学研究室のために自分の個室を後輩に与えている。つまり、彼女自身の研究室がないのだ。そこで、コルグがとりあえず自分の家の部屋を与えておく事にした。その間に、国家考古学研究室に交渉して彼女の個室をもらおうということだった。彼女自身は別に個室はほしくなかったのだが、さすがに予言書に関する膨大な資料を自宅に持って帰る気は起きなかったようだ。そうしてコルグの好意に甘えていた。 彼女がコルグのところで落ち着くか落ち着かないかといった頃、軍で問題が起こった。新型爆弾の開発が行われている事がわかったのだ。即刻そのグループは解散、関連施設も閉鎖され極秘書類もわずかずつではあるが公表されていった。この件はそれで終わったかのように見えた。が、実際はそうではない。国家は国民が興味が失うころあいを計って再び開発を再開しようとした。シリア達の国だけではなくほかの提携国があったので、おいそれとやめるわけにもいかなかったのだ。しかしさすがにもう軍やそのほかの公的機関などはつかえない。困り果てた元責任者は友人であるコルグの元に話をもっていった。必死の頼み込みを受けた結果コルグは自分の家の倉庫を改造する事にした。さすがに大掛かりなものは無理だがちょっとした実験ならできるようになった。そうやって実験室は一応できたのだが今度はデスクワークをする部屋がない。シリアに貸したのが最後だったのだ。そこでコルグは、シリアがまだ完全に荷をほどいてないのをいい事に部屋を折半する事を提案した。 「はあ…多分、そんなに場所は取りませんからいいですよ」 「そうか、すまないな。この埋め合わせはきっとするから」 「べつにいいですよ。私、そういう分野に興味があるんです。……で、何の研究なんですか?」 「新型爆弾の理論だ」 「は…(早まったかな?)」 こういったやり取りがあったかどうかは定かではないが、とにかく彼女の机の隣にもう一つ机が運び込まれたのは事実である。そして、その研究者が、若くして博士号を取った物理学者カルサート＝フェイリアスであった。 「紹介しようマッカード君。こちらが…」 コルグの声をさえぎってシリアが叫ぶ。 「か・カルスっ!!どこから生えた!?」 言われた男もシリアの顔を凝視する。 「もしかしてシリア〜?」 「爆弾なんかどこの変な人が造るんだと思ってたけど…あんた、そこまで堕ちたのね」 「余計なお世話だ。お前こそなんでこんなとこにいるんだよ？」 「こんなとこで悪かったな…」 コルグは重い声を発する。しまったと言う顔のカルサート。シリアは唇の端が笑っている。 「私は部屋が空くのを待たせてもらってるのよ。そろそろ人が減る時期だから」 「それ、実はひどいこと言ってないか?」 「きにしないきにしない」 コルグは状況が把握できなかった。彼らが幼馴染であるとわかるのは三日後の事である。 そしてその日から彼の屋敷で爆音と悲鳴が聞こえない日はない。なぜかカルサートはシリアを助手扱いしている。シリアにとってはいい迷惑なのだが、彼女もそれほど嫌悪感を出してはいない。文句を言いつつも彼を手伝っていた。そこには、彼女自身の解読が進んでいない事もあっただろう。 「で、どうするよ、これから」 「どうするったって………どうしよう？」 「情けない声を出さないでよ、男だろ？」 「それって偏見だと思うぞ、俺は。だいたいお前の方がよっぽど男みたいだ」 「ほっといてくれ。だいたいあんたがバカな事ばっかりするから…」 「わざとじゃないぞ」 「当たり前よ！わざとだったらどうなるか…」 「わかったわかった、落ち着いてそのヤカンをしまってくれ」 コルグに暇を与えられた二人は、月の光に照らされた道をとぼとぼと家路についていた。 「あらカルサート君、今日も派手にやったみたいね♪シリアさんもこんな彼に付き合って、ご苦労様」 道の向こうからやってきた人物はそう言って二人に声をかける。 『ミス・エンケフィ！』 長身で誰が見ても美人だという答えが返ってくる上、頭脳明晰、非の打ち所がないという性格。絵に描いたような人物、リムラ＝Ｍ＝エンケフィ。カルサートの所属する部の先輩である。 「あなたは物事に熱中すると周りが見えなくなるんだから、気をつけなさいよ。シリアさん、しっかり見張ってやってね」 シリアはにっこり笑ってうなずいた。 「ははははははは…先輩、わかってますって。で、これからどちらへ？」 「リーア先生のところ。今日の話も、たっぷり聞かせてもらうわね。じゃあ」 「は、はい。さようなら」 去って行く後ろ姿を見つめて、カルサートは大きなため息をついた。 「…………そして男はひたすら耐えるのだった」 突然のナレーションに振り返った彼、急にシリアがいることを思い出して瞬時に耳まで赤くなる。 「て、てめぇ…」 「やー大変よねぇ。ミス・エンケフィと言ったら一日に千件からのプロポーズが来るってぐらいの人でしょ？競争率、激しいわよねぇ？」 意地悪い笑みを浮かべつつ彼女はカルサートを見ていた。満月が彼らを照らし出している。 「うるさいっ！お前には関係ない！」 「ふーん、あんまり無理をすると体に毒よ。この際言っちゃえば？」 「うううううう…」 何やらうなっているカルサートはほっといて、シリアは空を見上げた。 「…今日は満月なんだね」 話題が変わったおかげでカルサートは気をとりなおした。 「そうだな」 「月の魔力は女を美しく見せ、男を惑わすのよ」 「へぇぇ。でもまあ、ミス・エンケフィならぴったりだよな」 「私は？女だけど…」 「あれ、そうだったっけ？…っておい、わああ、俺が悪かった！」 彼女の体から漂ってきた気配を感じたが遅かった。 「ちったあ女と思えぇぇっ！」 思いっきり首をしめられたせいでカルサートは、一週間ほど首の周りにあざが残る事になった。 「じゃあまた」 「ああ。先生の怒りが早く収まるように祈って」 「原因は誰でしょうかね…」 「…聞かないでくれ」 カルサートはそう言うと後ろも見ずに去っていった。シリアも去ろうとしたとき、奇妙に月の光が明るい事に気づいた。ふと解読できた予言書の一説をつぶやく。 「『マンゲツノヒカリハ、モロハノヒカリ』…」 謎のような言葉。こんなの、私なんかに解読できるんだろうか…シリアは自信を無くしかかっていた。その瞬間、月が光った。彼女は自分の体が浮き上がっている事を理解した。 「！！」 悲鳴だけを残し、彼女は少しづつ月に引き寄せられて行った。 「まったくシリアの奴は、手加減というもんをしらね―のか…」 痛む首を押さえながら帰るカルサートの耳に悲鳴が飛び込んできた。あわてて声のする方に走る彼の視界には浮かび上がって行くシリアの姿が映った。 「シリアァァ！」 彼女をつかまえようと必死で飛びあがっているうちに彼の体も浮き上がり始める。 「う、うわあああ！」 声の余韻が消えると月の輝きはどこからともなく出てきた厚い雲に隠れ、道は再び静寂を取り戻した。 |