| 三 穏やかな光と少し湿気を帯びた空気を感じてカルサートは眼を開いた。まだぼんやりとしている頭を振りながら辺りを見まわすとある事に気がつく。シリアの姿が見当たらないのだ。彼にとってそれは戦地に赴く事より恐ろしい事だった。 「シリアがいない…確か手をつかんだはずだったのに…」 顔といわず、体中から血の気が引いていくのがわかる。 「どうしよう…あの感触は違ったのだろうか…助けられなかった…？いや、あいつの事だから死にはしないと思うが。前にスカイダイビングに失敗して落っこちたって時に、巨大なヤカンをひっくり返して落下傘の代わりにしたっていうからな…どこからヤカンを取り出して来るんだかよくわかんないよな、あいつは……い、いかん、そんなのんきな事を考えている場合じゃねえ。もし、いや確実に生きているだろうから後から『助けなかったな…』なんて言われて…そんでもってなんかの報復を受ける事になると命がいくつあっても足りやしないからな」 以前へまをやった時にはヤカン投げ100連発を食らったのを思い出すと彼は身震いをする。そんなものを食らったあとに平然としていた彼の体の構造を知りたい、といっていたのはシリアである。 今度はどんな報復を受けるのかを想像して身震いを繰り返していると何かの声が聞こえてきた。 「………ん？」 確かに聞こえる。生き物の声だ。 「………」 心細くなってきた彼は、胸ポケットに常備してある小型爆弾をつかむといつでも使えるよう安全装置に手をかけようとした。彼の視界が揺れたのはその時である。 「どわぁぁぁ！」 安全装置をはずす事も忘れ情けない悲鳴をあげつつ、彼はその場をほうほうの態で這って逃げ恐る恐る振り返る。そこにいたのはシリアだった。 「シリアっ」 彼女は今にも怒りが爆発しそうな顔をしており、手には小型だが当たると痛そうなヤカンが握られている。 「……」 「……」 不気味な沈黙の後、シリアが口を開く。 「…気がついてみれば人の背中に乗ってな−んかうだうだ言ってる奴がいるし。『どけ』って言ったけど動きもしない。しょうがないから無理やり移動させてみれば、どこかで見たようなバカが化け物を見るような眼で人を見ている…一体どういうつもりなのかしら…？」 「いや…気がつかなくて…そんな事より無事だったんだな」 「ええ…誰かさんが乗ってたんで背中が痛いだけよ…」 「わああ、悪かったって…だからそのヤカンはしまってくれよな、な？お願いだから」 今にも泣きそうな顔で頼み込まれたシリアは、そのうっとおしい顔を見たくなかったので仕方なくヤカンをしまい込んだ。カルサートはなんとか当面の怒りは押さえたと安堵し、再び辺りを見まわした。普段の、殺伐としているがもうすでに見なれてしまった街並みではなく、何もかもが薄ぼんやりとした光を放つ草原であった。 「なあシリア…ここは一体どこなんだろうと思う？なんかの映画やドラマの撮影…なんてこともなさそうだけど。街の近くにこんなところはなかったろうし…」 立ちすくんでいる彼女に声を掛けたが反応しない。肩に手を掛けようとすると、 「そうよ！私とした事がうかつだった…」 言うと彼女は持っていたカバンを逆さにし何かを探し始めた。あっけに取られたカルサートはそのままの状態で視線だけ正面に向ける。と。 「！！！！！」 悲鳴を上げようにもあまりの衝撃で声も出ない。それもそのはず、小型ではあるが隕石が彼らに向かって飛んできていたのだから。 「し、シリア、逃げろ！」 やっと声を出せた時は、すでに遅し。隕石はもう目の前である。 「いやあぁぁ！ちょっとカルス、あんた何とかしなさいよ！」 「なんとか、ったって、お前がヤカンを投げ…そうだ！」 彼はおもむろにポケットからヤカンを取り出すと隕石に向かって投げつける。直後彼はシリアを抱えて、自己最高スピードでその場を逃げ出す。背後での爆音、そして沈黙。すべて一瞬の出来事… 「…ふう、なんとか助かったな」 彼はシリアを降ろしながらウインクをした。 「……逃げ足だけは、速いわね…」 「なんか言ったか？」 ぼそっとつぶやいた声に反応したカルサート。しかし、シリアはまだ茫然自失状態である。 「今の…爆弾…一体どこから…」 「どこって、そりゃもちろんポケットだ」 こいつ…やっぱり危ない奴だ…と思いながらシリアはある重大な事実に思い至る。 「私のカバン！」 彼女にとって、それまでの研究成果の入った大事なものである。ある程度の予想はできた。しかし聞かずにいられなかったのは、人間のさがという物だろうか。 「そりゃもちろん隕石とともに跡形もなくぶっ飛んだだろう。あの爆弾は、設置場所によっては一個だけでもビルを跡形なく破壊できる奴だからな。名づけて…」 「そんな物騒なもの、持ち歩かないでよ…」 得意になってしゃべりつづける彼の耳には、シリアの非難など聞こえていなかった。彼女は彼に何かを言うのをあきらめ、ただ爆発の跡を放心したように座り込んで眺めていた。 「このままじゃいけない！」 彼女が我に返ったのは隕石事件から２時間ほどしてからの事である。 「そう、過ぎた事を悔やんでも仕方なし。こんなところにずっと座って立って、研究はできないの。行こう、カルス」 「………すかーっ」 「？」 妙な音が聞こえる。辺りを見まわして音源を確認したシリアは、気配を消してそれに近寄った。 「寝るなっ！」 「ぐぇっ」 彼女の全体重をかけたエルボーが、幸せそうに眠っていたカルサートの腹に決まる。 「おおおおおおお、お前は、俺を殺す気か？」 「死んだら、死体をバラバラにして川にでも流したげるから安心しなさい」 「おい…それよか暴発したらどうすんだ、暴発」 「暴発…？あんたまだ持ってるの、爆弾？」 得意そうにうなずきながら、 「もちろん。ありとあらゆる所に隠し持ってる。聞くか？」 「いやいい…」 「………そうか」 即答してきたシリアに、彼は聞く人が謝りたくなるほど悲しい声で応じた。 「こんな掛け合いこんなとこでやってないで、さっさと行きましょう」 「どこへ行くって言うんだ」 「とにかくここでないところ」 言い捨てて彼女はすたすたと歩き去って行こうとした。カルサートは慌てて後を追う。 「ちょっと待て！さっきみたいなことがあったら…」 「その時にはあんたを盾にして私は逃げるから、大丈夫♪」 微笑みながら言う彼女に、彼は苦笑して後について行った。 「で、ここはどこだと思う？」 「誰かさんが研究成果をぜ〜んぶ、ぶっ飛ばしてくれたのでわかりません」 「あれは不可抗力だ」 シリアは立ち止まりカルサートのほうへ向き直った。半目になって視線を投げかける。言いたいことはそれだけ？そう言おうとしたが、言葉になったのはぜんぜん違う事だった。 「たぶん、『月の道』だと思う」 「『月の道』？」 「私達が普段月と呼んでいるあの天体と、私達の住む大地を結ぶ道。本来の姿は人と人の心をつなぐ、意志の橋である…って、このあたり、解釈が難しいんだけど…時には翼として存在した。月の魔物はこの道を通って大地に降り立つ。ということなんだけど、私はそうではないと思うんだ」 「その月の魔物っていうのはなんだ？」 信じられないものを見るような顔つきでシリアは彼を見た。 「なんだって？あんた、童話ぐらい読んだ事はあるでしょ？この世界でもっともポピュラーな伝説じゃないのよ！」 「読んだけど忘れた」 あきれ返るシリア。彼女はカルサートから視線をはずすと、果ての無いように見える草原に瞳を向けた。そこにはいつもの男勝りのシリアではなく、双眸に不思議な光を宿した一人の学者としてのシリア＝マッカードがいた。こういう時には、シリアに侵し難い気品が現れる。どこからからか吹いてくる風に手入れをしていない髪をなぶらせながら、彼女は朗々と詠唱し始めた。 「月夜は誘惑 月夜に乱舞 蒼い光に照らされて 紅い瞳は怪しく輝く 黒い刃にほほを寄せ 碧の思いは心にはせる その目 その腕見たものは 数限りなく有りけれど 墓標の数も数多あり 月夜は誘惑 月夜に乱舞 ゆめゆめ疑う事勿れ ゆめゆめ疑う事勿れ…」 彼女は余韻に浸るように目を閉じた。 「これはある山間の村に伝わっていた民間伝承の一つ。ここに出てくる『紅い瞳』とは『狂気の瞳』のこと。元々月には「気の狂った』とかいう意味もあるからきっとこの唄は月の魔物を表していると思う。月の魔物は、満月の夜、人を殺しにやってくる。事実、記録を当たってみるとたくさんとは言わないけど確実に二つは出てくる。また、鎌、しかも大鎌が出てくる。『仲間の首が落とされた』とか『鎌を持って待っていた』とかね。その釜は三日月のように細いものだそう」 カルサートは震えていた。月の魔物も原因の一つであったが、それ以上にシリアが持っている神秘的な雰囲気に気圧されていた。これが、考古学者の姿のシリアなのだ。彼は、シリアがコルグのお気に入りであるのも納得できると感じた。 「ちょっと！？聞いてるの？まったく…本来だったらお金を取るっていうのに…今度からは取るからね！」 シリアはいつものシリアに戻っていた。彼はなんとなく安心した。 「ああ、聞いてるって」 彼の心の中で、『三日月』と言う単語が引っかかった。が、歩くうちに忘れてしまった。 永遠に続くかと思われた草原は突然消えた。もちろん二人には予想もしなかった事で、なす術も無く奈落のそこへ落ちて行った。 |